第27期 東京都 青少年問題協議会「「若者を社会性をもった大人に育てるための方策について」具申」より(強調は引用者): 2007 年に社団法人全国高等学校PTA連合会と株式会社リクルートが全国の高校2年生とその保護者を対象に実施した「第3回高校生と保護者の進路に関する意識調査」(PDF)では、 (略) 「ニートに対してどう思うか」という質問(複数回答)について、高校生の回答で多かったのは、「ニートになったら保護者がかわいそうだ」が41%、「ニートになる人がいても不思議ではないと思う」が35%、「ニートになるのは恥ずかしいことだと思う」が33%などである。 同時に、前回(2005年)調査で41%と最多だった「自分はニートにはならないと思う」は29%に激減し、「なぜニートになってしまうのか不思議に思う」の割合も前回より減るなど、ニートを自分とは無関係と捉える意見が減少している。 保護者では、「
2008年に王室主導で初の民主政体が発足するブータン。伝統とのバランスをとりながら、「国民総幸福量」の理念に基づいた近代化を進められるのかどうかが、注目を集めている。 現地語でドゥク・ユル(雷龍の国の意味)と呼ばれるブータン王国は、面積は九州より一回り大きいほどの小国だが、インドと中国という2つの大国にはさまれながらも、1000年以上も孤高を保ってきた。地理的な条件に加え、鎖国政策を長く続けてきたため、外界から隔絶されていたのだ。1960年代まで、舗装道路や電気、自動車はなく、電話や郵便制度もなかった。 今でも、霧に包まれた崖に立つ古い寺院、川や森を見下ろすようにそびえる未踏の霊峰、4人姉妹を妃にめとった前国王がその一人と暮らす宮殿を眺めていると、ここは「時に忘れられた場所」という気がしてくる。訪れる人々が「最後の理想郷」と呼びたくなるのももっともだ。 先代のジグメ・シンゲ・ワンチュク国王
GNP、GDPは国の経済規模を測る指標として、また経済発展を測る指標として定着しているが、経済万能主義は誤りだとして、それに代わる発展の指標がかねてより追究されている。 有名なのは人間開発指数(HDI-Human Development Index)であり、厚生(ウェルフェア)の考え方としてインカム(所得)・アプローチからケイパビリティ(潜在能力)・アプローチへの転換を打ち出したノーベル賞経済学者アマルティア・センの影響下、比較的計測しやすい指標として国連開発計画(UNDP)が毎年計測、公表している(図録1130参照)。 幸福の大きさを指標にしようとする試みもある。ブータンのワンチュク国王は、約30年前に、単なる開発ではなく、少しでも「幸せ」を増加させることを国家の使命とすべきとして、「国民総幸福量」(GNH -Gross National Happiness)との概念を提唱したと言われ、
とにかく他者から自分の存在を肯定されたい! という人生は、なんだか息苦しいのではないかと最近感じる。いや、もちろん自分も他者承認に飢えていることはたしかだし、その必要性をないがしろにしたいわけではない。マズローによれば、他者からの愛情・尊敬は人間の基本的欲求だからこれが足りないとメンヘラ一直線でたいそう困ったことになる。だから、まあ、他者承認への欲求自体はもう本能みたいなもので、善い悪いを別として認めるしかないよねって感じだ。僕が興味深く思うのは、いわゆる非モテ(他者承認に不自由な人)が、承認してくれそうな他者がいるにもかかわらず、なんかよくわからない理由で、それを拒んでしまう現象だ。 非モテの求めるもの 非モテは、仕事面で成功してモテるようになってもなんだか楽しくなさそうなのである。 ただ、いまこうプチモテ期を迎えると、暗黒面が顔を出す。 あの頃相手にしてくれなかったくせに!っと今俺に近
「固定された成功状態を実現できなければ、お前には価値がない」とすることが、本当の意味での保守だ。最初から到達地点を決めておいて、それに到達できなければ尊厳がない、と見下す。 宮台真司、斎藤環が保守なのは、制作と目的地の関係にある。彼らはすでに「目的地」を実現できたと言い張り、「到達できなければ認めない」という。だからこちらの制作行為が自滅する。 うまくいっていない現実がある、 いちど得た最愛の存在を失った なら、 その最底辺でそれを言葉にし、その内側からつながりを生み出していけばいいではないか。 完成形がどうなるかは知らない、それとの関係で自分の尊厳が決められるわけではない、 今の自分が決めるべきでもない。
1947年、広島県生まれ、山口県育ち。関東学院大学大学院神学研究科修了。牧師を11年、それと重なって出版社(春秋社)勤務にて編集者として21年、仏教、心理学、エコロジー、ホリスティック医学などの分野の企画を展開。1992年、在職中にサングラハ心理学研究所(2006年にサングラハ教育・心理研究所に改称)を創設、1998年、退職・独立し研究、執筆、講演、ワークショップなどの活動に専心。四国学院大学、法政大学、武蔵野大学、青森公立大学などでも講師を務めた。 もともとはキリスト教の牧師だったが、キリスト教のみに限界を感じ、秋月龍萊から禅を学ぶ。そのとき秋月氏から唯識の存在を知り自学自習で唯識を学ぶ。また、アメリカの思想家ケン・ウィルバーの影響を受け、彼の提唱するコスモロジー(Kosmology)も積極的に取り入れる。過去から現在、西から東とジャンルを問わず精力的に研究を重ねている。
たとえば、20歳の嫁がいるとするだろ で、そっから10年間は楽しい思い出ばかりになる 嫁が一番ピチピチの時期だからな だから、30になった嫁が劣化しても「あー、でもあの10年間はかわいかったからいいか」と愛着がもてる でも、30の嫁と結婚したら、一番ピチピチの時期を他の男に取られてて 出がらしのような女との思い出しか残らない これは悲しすぎる ましてほとんど遊んでこなかったような男が30の嫁と結婚したら 女や恋愛に関する楽しい思い出は何もないまま人生終わるわけだ 価値観は人それぞれといえど、そんな結婚しない方がマシじゃないのか この事実にしらんぷりして話を進める人間には反吐が出るよ 邪悪すぎて
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社会参加に関して、実務と理論がある。 ただしひきこもる人も、その状態のままですでに実務に参加している(参加していなければ生きていない)。 ところが、意識だけがその参加状況を黙殺していたら…? これは、ひきこもる人だけの問題ではない。 「参加している状況」は、なかなか反省的に吟味されない。 「その方針だと、破滅するしかないし、周囲が大変迷惑している(少なくともそう主張している)」、にもかかわらず本人が主観的態勢を変えることができない、変えるつもりもないらしい、また周囲はそれを変える能力を持っていない。 本人はあるカルト的態勢にあり、周囲はそれを軌道修正する能力をもたない。 カルトとスピリチュアリティ―現代日本における「救い」と「癒し」のゆくえ (叢書・現代社会のフロンティア) 作者: 櫻井義秀出版社/メーカー: ミネルヴァ書房発売日: 2009/01/01メディア: 単行本購入: 4人 クリ
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