12月に購入した青少年小説イ・グミ(이 금이)著「ユジンとユジン(유진과 유진)」を先週末読了しました。
2004年発行以来版を重ねているロングセラーで、教保文庫の小説ベストテンの中にも入っていたので読んでみた、ということです。
主人公は女子中学生ユジン。2年の新学期を迎えた日、新しいクラスに同姓同名のイ・ユジンがいました。
よくある名前ですが、彼女は、その同姓同名のユジンが同じ幼稚園にいた、お姫様然としていた<小さなユジン>に間違いないと思って声をかけます。
「あなた、若葉幼稚園に通ってたでしょ?」
ところが<小さなユジン>のはずの彼女は、無表情のまま「知らない」と答えます。
・・・とこんなふうに、少しミステリアスな感じで物語は始まります。
主人公の<大きなユジン>と、<小さなユジン>が章ごとに交互に一人称で語る形式でその後の話が展開していきます。
最初の中間テストで学年トップになって注目された<小さなユジン>ですが、彼女には友人もなく、修学旅行先の済州島では同じ班の生徒たちからいじめられたりもします。
<大きなユジン>は、自分が学年トップだと誤解した憧れの男子とつきあいはじめます。「学年トップは別のユジンです」と打ち明けられないまま・・・。
また彼女には、親友のソラにも打ち明けていない秘密がありました。
それは幼稚園の時、園長から受けていたのこと。他の園児たちも被害者で、その頃はマスコミ沙汰にもなりました。
・・・このように、この物語の主なテーマになっているのは性暴行の被害者をめぐる問題です。何の非もない被害者に対する<世間>の冷ややかな目、それに対する親のあり方等々。
これ以上は詳述しませんが、過去の事実が徐々に明かされてゆくとともに、親子や友人間の対立や相互理解等がふたりのユジンの心理の変化とともにドラマチックに展開していって、最後まで読者を引きつける力をもった小説です。
読み終えて思ったことは、この作品の魅力は「性暴行」という社会的な問題をテーマとしながらも、真実が明らかになる過程で、親子の間の理解と、友人間の友情を深めていく主人公たちの成長小説であるということです。
先進諸国の青少年小説では、30年ほど前(?)から、たとえば親の離婚等による家庭の崩壊や、いじめ等の教育問題、多民族化等に伴う問題等々、社会に生じてきた新しい問題・病理を素材としてとりあげることが多くなってきました。
このブログで先に紹介した「ワンドゥギ」や「ウィザード・ベーカリー」もそうです。
社会がまだ豊かではなかった時代(日本では1960年代頃まで)は、貧しいながらも夢を持って健気にたくましく生きる少年少女の物語が主流だったようです。
それに比べると、今は社会のここかしこが病んでいて、その中で大勢の大人たち、子どもたちも病んでいるという状況でしょう。
この「ユジンとユジン」は、そのような中で生きる子どもたちの問題を、大所高所からでなく、個々の子どもの成育歴とその内面から描いた、良い小説だと思います。
付記①:幼児期の体験のトラウマが、実際にその後どのように影響するのか(または、しないのか)については、私ヌルボはずっと納得していないままですが・・・。
付記②:このブログで取り上げた孔枝泳「るつぼ」も障害児学校で実際にあった性暴行事件を基にした小説でした。また12月29日の記事「2009年韓国の10大ニュースをみる」でもふれたチョ・ドゥスン(조두순)事件は、7歳の女児を暴行し、一生にわたる無惨な身体的障害を負わせたにもかかわらず懲役12年という判決で、輿論が沸騰した事件でした。(事件の詳細はさまざまなサイトで紹介されています。)
一方、いわゆる<嫌韓サイト>で、これらの事件等から「韓国人には性犯罪者が多い」と短絡的に自らの<思い込み(?)>と結びつけているものも多いようです。
この種の事件の場合、とくに実態がつかみにくいし、ましてやそれを民族性とかと結びつけるような言説は非常に危険であり、速断はしないことが良識というものでしょう。
付記③:ラスト近く、少女たちは家出のようなもの(?)を決行するのですが、その行先が12月25日の記事で紹介した韓国東海岸の日の出の名所・正東津。私ヌルボとしては、十分ナットクしました。
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