スラットキンさん 地方楽団を世界一流にする指揮術
米トップ級の指揮者レナード・スラットキンさん(71)が、音楽監督を務めるフランス国立リヨン管弦楽団を率いて6月に来日した。デトロイト交響楽団やセントルイス交響楽団など米国の地方都市のオーケストラを世界一流の水準に鍛え上げた手腕に磨きがかかる。楽団の育成術を聞いた。
6月28日、東京・上野公園の東京文化会館。ポロシャツにジーンズ姿のスラットキンさんが、フランス語で細かい指示を飛ばしながら国立リヨン管との本番直前のリハーサルを繰り広げていた。まずはブラームスの「悲劇的序曲 作品81」。"リヨンのアメリカ人"がドイツ音楽を指導する口調は終始穏やかだが、イメージ通りの響きになるまで同じ箇所を何度も繰り返させる。「オーケストラの奏でる音は、普段弾き慣れている本拠地のホールの環境によって作られる。遠征してよそのホールで演奏する際も、地元で演奏する時の音色に近づけようと最後まで調整する」と話す。
一方、この日のリハーサル2曲目はブルッフの「バイオリン協奏曲第1番」。バイオリン独奏のルノー・カプソンさんとの息はぴったりで、最後まで通して演奏した。スラットキンさんに後で聞くと、実はこの曲をカプソンさんと一緒に演奏するのはこの日が初めて。リハーサル前に何の打ち合わせもしなかったことも明かした。「彼とは数年前から一緒に仕事をしているので互いをよく知っている。互いの動きに目を凝らし、音に反応し合いながら演奏した。言葉を使わない意思疎通こそ重要で、音楽家の醍醐味でもある」
「オーケストラの仕事の大部分は日々の練習だ。どう演奏してほしいか、音の速さや大きさを決めるのが私の仕事」。リハーサルを終えて楽屋に戻ったスラットキンさんに、総勢100人もの楽団をどう率いているのかを聞くと、ゆっくりとした穏やかな口調でこう語り始めた。「本番での演奏は指揮者にとって一番簡単な部分。それまでの練習の積み重ねでほぼ、私の仕事は終わっている。あとは観客がどう反応するかを感じ取りつつ指揮するだけだ」。そう話しながら、時折楽しそうに輝く目が印象的だ。ロサンゼルスに生まれ、ハリウッドの映画音楽も積極的に取り上げるなど、アメリカ音楽を得意とする指揮者でもある。
華やかに見えるオーケストラだが、地方都市の楽団の多くは資金不足に悩まされている。国立リヨン管にはリヨン市が100%出資している。市の財政状況が厳しく、予算が削られているが、「与えられた予算をできるだけ効率的に使うほかない」。一方で、米国の楽団は予算の大部分が寄付で賄われている。スラットキンさんが音楽監督を務めるデトロイト響は、年間予算約3300万ドルのうち、30%程度がチケット販売の収益で、残りは寄付金という。「リヨンでは市長と良い人間関係を築くことが重要だが、デトロイトではあらゆる人とうまくつきあっていかなくてはならない」
デトロイト響は2011年に楽団員が6カ月間のストライキを行うほど、一時、財政悪化で混乱した。低迷していた観客数を増やそうと、スラットキンさんの提案で、米国初の全公演インターネット無料配信に踏み切った。今では毎週4万~5万人がアクセスしているという。「ネットの登場で、音楽家は音だけでなくビジュアルも求められる仕事に変わった。テクノロジーは今後オーケストラが生き延びていくために欠かせない。どう賢く使うかが重要だ」と彼は主張する。
さらに指揮者自らがオーケストラの広報やマーケティングの担当者と頻繁に会い、どんな演目なら繰り返し聴きに来てもらえるのかを話し合っている。もう一つ、スラットキンさんがこだわるのが、楽団が拠点を構える街の人々との交流だ。ホテル住まいの音楽家も少なくない中で、あえてアパートに住み、地元の市場で買い物をしたり、ゴミ出しをしたりする。地元の人々に親しみを感じてもらう作戦だ。「時々、『あら、あなたオーケストラの指揮者?』と気付いてくれる人もいる」と言う。デトロイトではこうした努力が実り、以前は6割程度しか埋まらなかった客席が、今は9割以上と満席に近い状況という。
オーケストラの演奏の指導からコンサートの宣伝まで、様々な役割を果たすスラットキンさん。指揮者という仕事の醍醐味は何か。「五線紙に書かれた丸や点を解釈し、何百年も前に生きた作曲家をよみがえらせるのが面白い。医者にもできないことだ。演奏を通じて聴く人に喜びを与えられる、大変やりがいのある仕事。特に力を注いでいるのは、初めてコンサートに来た人に音楽の魅力をどう届けるか。繰り返し聴きに来たくなるような気持ちにさせる責任が私にはある」
スラットキンさんは来年7月、今度はデトロイト響を率いて再び来日する予定だ。伝統の名門オーケストラに長く君臨する指揮者もいる。しかし繰り返し聴きたくなる各国の地方オーケストラをいくつも率いるのも、非凡な名匠ぶりといえる。
(映像報道部 槍田真希子)
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