「すべての学生は携帯を持っている」の否定文は?
桜美林大学教授 芳沢光雄
ある2人の日本人は誕生日・時・分・血液型・性別・都道府県が一致する
まず「ある」について。
小学校での出前授業で、「鳩(はと)の巣原理」を用いた2つの話題を紹介したことがある。「鳩の巣原理」とは、「3つの巣と4羽の鳩がいて、全部の鳩が巣に戻ると、どこかの巣には鳩が2羽以上いる」という当たり前の考え方を一般化させたものである。
一つは、「ここに9人いると、性別(男、女)と血液型(A、B、AB、O)が一致する2人が必ずいる」ことである。それは、性別と血液型の組は全部で8通りだからである。
もう一つは、「ある2人の日本人は、誕生日の月と日、生まれた時刻の時と分、血液型、住所地の都道府県名がすべて一致する(年齢は異なっても構わない)」ことである。
なぜならば、誕生日の月と日で366通りあり、生まれた時刻の時と分で24×60通りあり、血液型で4通りあり、住所地の都道府県名で47通りある。したがって、それらの組が全部でいくつあるかを考えると、それらの数字をすべて掛け合わせた数字になるので、
となる。ところが現在の日本の人口は1億2千万人を超えているので、「鳩の巣原理」により、現在生きているある2人の日本人は、誕生日の月と日、生まれた時刻の時と分、血液型、住所地の都道府県名がすべて一致するのである。
上の2つの話題を紹介する前にウオーミングアップのつもりで、「この小学校の全校生徒の人数は約400人ですね。1年は365日か366日です。そこで、ある2人の生徒の誕生日は一致しなくてはなりませんね。このような考え方を『鳩の巣原理』と言います。分かりましたか」と話したところ、ある生徒が「先生、ボクと誰の誕生日は同じなんですか」と質問されて参ってしまった。
私は、「ボクと誰かではなくて、誰かと誰かなんだよ」と答えたが、「ある2人」の意味を理解させるのに苦労したことを懐かしく思い出す。
「ある」はこのように、どれとは特定はできないが、その条件に当てはまるものが存在するというようなときに使う。一方、「すべて」は数学では「一つ残らず」という意味。日常では、セールで除外品があっても「オール2割引き」とうたうなど「ほとんど」といった意味に使うこともあるが、数学は例外は一切許さない。いずれも一見普通の日本語だけに、専門用語と比べてかえって厄介ともいえる。
「否定文」も誤って理解している人が多い。冒頭の例で説明しよう。「すべての学生は携帯を持っている」の否定文として「すべての学生は携帯を持っていない」という人がいるが、これは間違いである。否定文は「前提の文章が成り立たないこと」と考えるとすぐ分かる。この場合、一人でも携帯を持たない人がいれば、先の文章は成り立たない。「すべての学生」である必要はない。これを「ある」を使って言い換えると、「ある学生は携帯を持っていない」という表現になる。
中学数学の文字計算と方程式にも
中学数学になると登場する文字計算と方程式にも「ある」と「すべて」が出てくる。
文字計算
は、すべての数を代入して成り立つ「恒等式」である。一方、方程式
は、ある数(ここでは1)を代入して成り立つ式で、そのような数をすべて決定する問題となる。
を計算せよ、という問題に対して、「両辺?を6倍して」などと言って、
と計算しては間違いである。一方、方程式
を解け、という問題に対して、「両辺を6倍して」と言って、
と計算して解を求めることは正しいのである。
計算式と方程式を混乱している中学生、高校生、大学生はかなり多くいて、数学教育の重要な課題だと思う次第である。
微分積分を理解する上でも重要
高校数学では、微分積分の準備として数列や関数の極限を学ぶ。そこに横たわっている「すべて」と「ある」の問題は、大学数学の微分積分の概念の核心部分に触れることであり、対応が難しい課題なのである。高校数学では、次のように述べている。
1,0,1,0,0,1,0,0,0,1,0,0,0,0,1,…
は初項、第3項、第6項、第10項、第15項、第21項…が1で、その他の項は0である。この数列は、次第に1が出てくる頻度が少なくなり、先に行けば行くほど0がずらっと並ぶ。しかし、どんなに先の項を見ても、それより先に必ず1があるので、「0に限りなく近づく」とは言わないのである。
また数列
は奇数番目の項は0ではない。しかしながら、数直線上で0を両側から幅をもって含むどんな狭い範囲を考えても、その数列の十分先のある項以降を見ると、各項はその範囲内に例外なくすべて収まっている。そこで、この数列は「0に限りなく近づく」と言うのである。
関数の極限に関しても、同じように「すべて」と「ある」の問題が横たわっている。
「ある学生の身長は190cm以上である」の否定文は?
「すべて」と「ある」の問題は、他にもいろいろある。
空間図形で直線ℓが平面αに垂直であるとは、それらの交点Pを通りα上にあるすべての直線とℓが垂直であることを意味している。
また、「この打者の打率は3割3分3厘で、第1打席と第2打席はアウトだったので、確率的に言って第3打席はそろそろヒットを打つ頃ですね」という表現は間違いである。確率はすべての場合にその割合になるということ。それまでに打っても打たなくても全打席が3割3分3厘ということなのである。
確率という言葉を使う以上、数学的には「この打者の打率は3割3分3厘で、第1打席と第2打席はアウトでしたが、確率的に言うと第3打席も3割3分3厘ですね」という表現が正しいのである。
最後に、冒頭で紹介した否定文の例をもう一つ紹介しよう。「ある学生の身長は190cm以上である」の否定文は? 「すべての学生の身長は190cm未満である」とすぐ答えられただろうか。
「すべて」と「ある」が分かりにくいのは、曖昧な意味を許す日本語にも原因があるのかもしれない。複数形や単数形の問題もありそうだ。実際、英語を母国語とする人は、この2つの言葉を数学でもっと上手に使っているように思える。
また、「すべての学生は携帯を持っている」の否定文を「すべての学生は携帯を持っている、ということはない」と述べるズルい用法も一因になっていると思う。かつて勤めていたある大学の入試の採点で、この用法で泣かされたことを懐かしく思い出す。
1953年東京生まれ。東京理科大学理学部教授(理学研究科教授)を経て、現在、桜美林大学リベラルアーツ学群教授(同志社大学理工学部数理システム学科講師)。理学博士。専門は数学・数学教育。『反「ゆとり教育」奮戦記』(講談社)、『新体系・高校数学の教科書(上・下)』『新体系・中学数学の教科書(上・下)』(ともに講談社ブルーバックス)、『ほんとうに使える数学 基礎編』『ほんとうに使える数学 レベルアップ編』(ともにじっぴコンパクト新書)など著書多数。