渋谷駅はなぜ1日280万人をさばけるのか
■渋谷駅ダンジョンでのシュールな体験
2008年6月、渋谷駅は「ダンジョン」のようだ、とインターネットで話題になった。ダンジョンとは、コンピューターRPG(ロールプレイングゲーム)の舞台となる迷宮を意味する。東京メトロが副都心線の開通とともにウェブサイトで公開した、垂直方向にかなりデフォルメをかけて表現した渋谷駅構内図を見ての反応だった。
渋谷駅は、地下5階の副都心線プラットホームと地上4階相当の銀座線プラットホームの9階層分に、山手線や半蔵門線のホームもある構造を持つ。その構内図には、副都心線、半蔵門線、銀座線の水平なプラットホームを、階段、エスカレーター、エレベーターの垂直移動エレメントが縫うようにつなぎ合わせ、全体としてまるでアリの巣であるかのような渋谷駅が描かれている。東京メトロに関わる部分に限った絵であるにもかかわらず、渋谷駅の特徴である立体的な複雑さを見事に表現している。
バーチャルなゲーム空間内のものとして認識していたダンジョンが、突然出現し、しかもそれが慣れ親しんだ渋谷駅であった、という驚きであった。あっぱれ、リアルも捨てたものではない、というネット中毒の輩の声が聞こえた。
渋谷駅を通勤に利用する人でも、利用しない人でも、渋谷駅で迷ったことが一度や二度はあるはずである。ましてや、行先を逃して流れに身を任せているうちに、あれっ?またハチ公かよ、と同じ場所に戻ってきてしまうシュールな経験をしたことがある人も少なくないのではないだろうか。
キャリーバックを転がした旅行者はともかく、途方にくれながら案内板を食い入るように見ている人の姿を、渋谷駅でよく目にする。二次元のフラットに表現された渋谷駅構内の図と、立体的に展開する実際の空間とのギャップに対して、何とか整合を取ろうと必死に頭が回転しているのであろう。ふとしたきっかけで迷い込み、日々通勤で利用しているので日常と思っていた渋谷駅が、突如全体像の見えない巨大な迷宮であることを知ってしまったひと時であろうか。
駅とは完璧に合理的な機能空間をもつ近代施設であるはずなのに、どうして迷ってしまうのか。それは渋谷駅の空間構造が関係していると考えられる。それでは迷宮へ一歩足を運んでみよう。
平行型と交差型、前者は視覚的に空間把握
9階層に展開する渋谷駅構内では、三次元的に上下左右に移動する。これは、谷という立地に継続的に駅施設が形成されてきた結果として、立体迷路のような空間構造になっているためである。新宿駅や池袋駅はうなぎの寝床のように、プラットホームが平行に並んでいる。これに対して渋谷駅は、谷底に各路線のプラットホームが交差しながら積まれ、それらプラットホームをつなぐ無数の階段が立体的に絡み合った形を取っている。
新宿駅や池袋駅のような「平行型」と渋谷駅のような「交差型」では、駅の空間把握の仕方が異なってくる。空間把握とは、物が三次元空間に占めている状態や関係を把握すること。駅の乗り換えで具体的に言うならば、降りたプラットホームから乗り換え目的のプラットホームへ行くルートを思い浮かべられるか、ということに関わる。
新宿駅では、プラットホームが平行に並んでおり視覚的に見渡すことができる。例えば、山手線から中央線に乗り換えたいとき、中央線のオレンジ色の車両が止まっているのを見て、地下の連絡通路を通ってそのプラットホームへ移動すればよい。ところが交差型の渋谷駅はそれがかなり難しい。立体的に積まれたプラットホームなので目的の路線が見えない。階段のような垂直動線に頼るしかなくなり、その階段が果たしてどことつながっているかは、サインを見ない限り分からない。
そこで、空間把握が容易にできない渋谷駅では、結局サインにいかに頼るかが迷わないためのコツである。実際サインに身を任せると、渋谷駅ではスムーズに移動できるのが分かる。広告と紛れてサインを見分けにくい箇所もあるが、サインをたどれば一応は迷わずに目的地に到達できるサインシステムを、渋谷駅は持っている。
サインという記号を追っての空間移動は、記号によってできたある種のバーチャルスペースを移動しているのと同じと考えられる。空間把握をしない渋谷駅構内での移動は、えてしてバーチャルな空間体験の性格を持っている。
しかし、人は通勤などの際に迷路性を楽しむことはない。ゲームの中で、次から次に猛獣が出てきてラスボス(最後に出てくる敵)を求めながらダンジョンの中をさまようのとは違う。あくまでも駅であるから、渋谷駅の複雑な空間の中でいつの間にかカスタマイズされた最短ルートを、日々無意識に移動しているだけである。複雑な中の一部分だけを利用しているのだ。いくつかの試行錯誤をして合理的に最短移動ルートとして選択したのであろう。通勤する個人にとっては1ルートだけがリアルな道としてある。
そこで渋谷駅の中に、そうした最短移動ルートがどのように存在するのかを一つひとつ拾い上げてみた。
9階層分の上下移動を意識しているのか
渋谷駅の乗り換えルートを考えてみたい。渋谷駅には、9路線が乗り入れている。この9路線から他路線への乗り換えについては、単純計算すれば9×8=72通りある。ただし、実際のところ相互直通運転がある場合はプラットホームを共有するので、銀座線、埼京線・湘南新宿ライン、山手線、田園都市線・半蔵門線、東横線、副都心線、井の頭線の7つのプラットホーム間での乗り換えとなり、計7×6=42通りとなる。
また、プラットホームには、単式、相対式、島式、櫛形といったいろいろなタイプがあるため、アクセス方法もタイプによって異なる。路線によっては改札がいくつもあるのでルートもより複雑になる。さらに、プラットホーム間のみならずハチ公口、宮益口、東口、西口といったメーン口とプラットホーム間をつなげているルートも調べた。これら条件を加味し、全部で84ルートを検討した。
いくつかのルートを、田村研究室で作成した渋谷駅全体構内図を使って見てみよう。図1の赤いラインは、井の頭線から埼京線への乗り換えルートを示している。これを見るといかに複雑なルートかが分かると思う。しかし、利用者にはこんな複雑なルートを毎日利用しているという認識はないだろう。
次に図2は、副都心線(地下化される東横線)から銀座線への乗り換えルートである。利用している人が本当に気の毒に思えてしまう。多分このルートの利用者こそ、自分が毎日9階層分のビルに相当する上下移動を行っている認識はないであろう。なにか体が疲れやすいと感じているならば、これが一因ではないかと考えられる。あるいは、これがために足腰が鍛えられているとか…。
計画した「導線」、発見した「動線」
2011年、全84のルート図を展示する機会があった。そのとき、来訪者からある一つのルートについて、さらなる最短ルートがあることを指摘された。それは駅の外に出て、街中を通って行くルートであり、大変驚かされた。
建築の設計をしていると、たびたび用法について戸惑ってしまう「動線」と「導線」の二つの語句がある。彰国社「建築大辞典」には動線しか掲載がなく、「建築空間における人・物などの運動の軌跡、運動量・方向・時間変化などを示した線」とある。百貨店業界では導線を多用する場合があるようだ。単なる「動く」線ではなく、計画的に「導く」線という意味を含められる「導線」は、運営者には魅力的である。
導線と動線について興味深いことが、ウェブサイトの「アクセス解析」にある。アクセス解析におけるユーザーの導線と動線は、計画と実績で使い分けられることがある。すなわち、運営者がユーザーのアクセスルートをあらかじめ計画しても、必ずしもその通りにユーザーが利用するわけではなく、実際には、合理と便利の点から利用者が別ルートを発見し、ルートとして成立することがある。運営者が計画したルートが導線であり、ユーザーが見つけた実績のルートが動線である。渋谷駅の動線の変遷を見てみると、この導線と動線のいたちごっこの賜物であることが分かる。
全84ルートを重ねてみたものが図3である。複雑怪奇だ。しかし、この複雑な図から不思議なパターンが浮かび上がってきた。
二つのリングが見える
現代科学の「複雑系」の話に触れるとき、つい渋谷駅のことを頭に浮かべる。渋谷駅は一日約280万の乗降者数を持つわけであるが、フランスのパリの人口が約220万人なので、どう見ても驚異的である。ちなみに東京の一日乗降者数で渋谷駅は、新宿駅、池袋駅に次いで3番目。世界の一つの都市人口に匹敵する数の乗降者が、渋谷駅内をどのように動いているのか。あるいは渋谷駅がどのようにその数の人々をさばいているのか。渋谷駅を利用するたびに、こうした視点で見てきた。
9路線の電車の発着とともに潮の満ち引きのように、人の流れが常に生じている渋谷駅は、波が奏でる9重奏の音楽のようである。自然と秩序が生じて、自分自身で幾何学的なパターンの構造を生み出して組織化していく「自己組織化」のような現象が、渋谷駅にあるのではないか。隠れた秩序が驚異的な数の人々をさらりとさばいているのではないか―なんて考えていた。
改めて前述の渋谷駅構内移動全ルートを記した図3を見ていただこう。そこには二つのリングが見える。ここでは、立体リングと平面リングと呼ぶ。二つのリングは一部が重なっているため、位相幾何学的には「二つ穴のトーラス(ドーナツ)」を形成している。それらが図4、図5、図6である。
改札や連絡通路は2つのリングに連結
立体リングは時計回りに、ハチ公口→ハチ公改札前→右の大階段を上る→東横線正面口→右の大階段を上る→JR中央改札前→突き当りの階段を下る→豆乳スタンドバーを右に曲がる→JR玉川改札前→銀座線につながる階段を下る→右に行けばハチ公口、とたどるルートである。地上1階から地上3階レベルまで行き、また地上1階レベルへ戻るので、立体リングと名付けた。
平面リングは時計回りに、ハチ公口→宮益口を右へ→のれん街を右手にまっすぐ行く→東口→東横線南口改札前→JR南改札前→西口→右に曲がる→みどりの窓口前→東急百貨店の中を通り過ぎる→ハチ公口、とたどるルートである。地上1階レベルを一周するので、立体に対して平面リングと名付けた。
すべての路線の改札や連絡通路は、何らかの形でリングに連結している。しかも、山手線、銀座線、東横線、田園都市線・半蔵門線については、どちらのリングにも接続しているのだ。このドーナツが渋谷駅の緩い導線の骨格であるといっても過言ではない。渋谷駅で迷ったときに起こる、前述のシュールな体験は、二つのリングと少なからず関係がありそうだ。
連絡通路など導線になるインフラがあって、それに従ってただ人が流れているだけであるという面はあるだろうが、逆に人の流れがインフラを造らせたとも考えられる。「鶏が先か卵が先か」的な議論と同じ考え方である。
渋谷駅の二つのリングは1957年ころ、建築家・坂倉準三が設計を担当していた当時に生まれている。坂倉が初めから意図していたかどうか、定かではない。
これらリングを一周する人は、迷っている人以外はまずいない。ほとんどの人はこのリングに入って、必要なところで出ていく。リングは、小枝を結って作る環状の装飾品であるリース(花輪、wreath)と同じでき方である。寄り線を人々の動きと見立てれば、離れたときは黒い輪であるが、近づくと無数の人々の流れである。次から次に人が、入っては出て、出ては入って、が繰り返されている。人々に動きが生じているとき、環状のパターンは浮き上がり、システムが作動している。
その弾力性のあるリングは、大量に押し寄せる人の流れを柔軟に受け止める。リングは、いったんは優しく受け入れ、すぐに吐き出す。また、そのリングに入ってくる人、出ていく人は、リングとは異なる自立したシステムから流れて来たり出て行ったりする。
こうした渋谷駅のシステムは、整流器のメカニズムとして考えられないだろうか。ドイツの生物物理学者マンフレート・アイゲンの提唱した「ハイパーサイクル」システムモデルのダイヤグラムを彷彿(ほうふつ)とさせるものがある。
二つのリングは失われるか
1日280万人もの人々をさばく渋谷駅という整流器のメカニズムについて、一考察を見ていただいた。複雑そうに見えながら、単純な原理が隠されている。そのパターンがうまく機能して、さしたる事故もなく日々渋谷駅は渋谷駅でいられるのではないだろうか。都市の人の流れが、渋谷駅という場所で二つのリング(二つ穴トーラス)をおのずと形成させた。
一般的には、建築や建物というとハードな物質として考えられるので、初めに駅があってそれに人の流れが従っている、と考える。しかし、見てきたように、初めに人の流れがあって、それに合わせて建物が造られてきたという考え方もできるのではないだろうか。最初から意図して造ったものではなく自然発生的に生まれてきたもの、都市の漠然とした人の流れが作りだしたもの、である。
これから渋谷駅は大きく造り変えられ、超高層ビルが林立する風景に様変わりするようだ。現在のJR線のコンコースは、品川駅や新宿駅のような広いものに置き換えられる予定だ。
しかし、銀座線が地上3階、副都心線が地下5階にある以上、たとえリングが無くなったとしても、「渋谷駅性」は失われることなく、新たなパターンが形成されるであろう。渋谷駅の大改造は、都市の大きな人の流れが新たな秩序を必要としていることの現れなのかもしれない。
昭和女子大学生活科学部環境デザイン学科准教授。1970年東京生まれ。95年早稲田大学理工学部建設工学理工博士課程修了。著書に『ガラス建築―意匠と機能の知識』(共著、日本建築学会)、『THE YOKOHAMA PROJECT』(共著、ACTAR)。
[ケンプラッツ編『SHIBUYA202X 知られざる渋谷の過去・未来』(日経BP)を基に再構成]
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/knp/plus/20120702/574350/