藤原新、自ら語る五輪マラソン惨敗の理由
男子マラソンの藤原新選手(ミキハウス)はロンドン五輪で45位に終わった。タイムは、優勝したキプロティク(ウガンダ)から11分10秒遅れの2時間19分11秒。30キロ以降、急失速した惨敗を藤原選手はいま、どう分析しているのだろうか――。
高地トレを終えて油断
7月5日から1カ月間、標高1700メートルを超える高地のサンモリッツ(スイス)でトレーニングを積んで、8月4日にロンドン入りしました。もう強い練習をする必要はなかったので、12日の本番を淡々と待つだけでした。
高地から降りてきて、平地順化をする過程で、もっと神経を使わなければならないことがあったと、いまになって思っています。
高地でトレーニングを積むと、心肺機能などがアップします。だから、平地に降りたときに、多少、無駄な動きをしていても、楽に走れてしまいます。実際、僕もそうだったのかもしれません。
サンモリッツでとてもいい練習ができたという自信があったので、ランニングフォームの狂いに気がつかなかったと考えることもできます。油断があったと言ってもいいでしょう。
フォームに狂いがあったかも
いい状態かどうかは、やはりタイムで判断します。ロンドンに入ってからのインターバル走などでは、いいタイムで走れていました。だから、これでいいんだと考えていました。
しかし、いいタイムが出ていたのは高地トレーニングの成果の表れで、パワーで走れてしまっているだけだったのかもしれません。もしかすると、動き自体は良くなかったのかもしれないのです。確かなことは言えませんが、その可能性はあったと思います。
短い距離なら、それでも問題はないのでしょうが、マラソンはきれいな動きでリズム良く走るのが重要です。フォームがずれてしまうと、うまくいきません。
とにかく、レース前は「やることはやった」「それなりの体ができあがっている」と確信していました。それで緊張感が欠けてしまったのかもしれません。
■いつもなら修正を繰り返すのに…
いつもなら常に修正することに神経を使って、修正を繰り返して本番を迎えるのに、「これで大丈夫なんだ」と、変に自信も持ってしまった感じです。
プレッシャーはもちろん、ありました。それを克服しようと考えるのではなく、忘れようと心掛けていました。心に余裕を持つようにとも思っていました。練習は1時間から1時間半で終わってしまうので、後はテレビで五輪を見たりして、淡々と過ごしていました。
2月の東京マラソンで日本人トップになって、五輪の出場枠を取った後、たくさんスポンサーについていただき、自分を取り巻く環境が大きく変わりました。
そういう中で大会に向けて全力を尽くしてきました。その一つの答えを出すときがきたんだ、答えを出すんだということを考えながら本番を迎えました。
■いざ走り始めると、きつく
レース当日の朝も妙に落ち着いていました。いま考えると、それも良くなかったのかもしれません。僕はふつう、レース当日の朝は頭に血が上って、カッカしています。ロンドンでも、そういう感じで、何も考えが及ばないほどの状態のほうが良かったのかもしれません。
レースの細かなタイム設定はしていませんでした。どこかでドカンとペースアップがあるだろうというイメージがあるだけで、展開が読めなかったので、タイムを設定しても仕方がないと思いました。ホール(米国)やロスリン(スイス)についていって、2時間10分は切りたいなと考えていました。
状態はいいと思っていたのに、いざ走り始めてみると、きつく感じました。5キロを15分20秒台のペースで進み、いい位置につけていたと思いますが、とにかくきつくて、余裕はありませんでした。やはり、フォームがずれていたのかもしれません。
早い段階でキプサング(ケニア)が飛び出したのは気になりませんでした。キプサングが優勝すると思っていたので、「どうぞ行ってください」という感じでした。自分は、きついけれど、このままいくしかないんだと思っていました。
■カーブの連続でリズムつかみにくく
ペースがガクンと落ちたのは32キロあたりだったと思います。両足がつっている感じで、思うように動かなくなりました。そうなると、どうにもなりません。35キロからの5キロは20分21秒も掛かりました。脚にダメージを負ったのは、曲がり角の非常に多いコースの影響かもしれません。
僕は中盤でリズムをつくって、後半は気持ち良くクルージングしていく感じでレースを進めるタイプです。後半は高速道路に乗って、すーっと行くイメージです。
ところがロンドン五輪のコースはカーブの連続でくねくねしていて、リズムがつかみにくかったのです。何度も試走して、シミュレーションをしたけれど、本番ではうまくいきませんでした。
■アウトロー的存在なので失敗したら…
45位でゴールしたときに、頭に浮かんだのは「やっかいなことになったぞ」という思いです。全力で五輪を目指してやってきたけれど、こんな結果になってしまって「さあ、これからどうなることやら」と思いました。
世間にどう見られるのかがとても気になりました。マラソンに集中するために実業団チームを離れて、指導者なしで練習してきました。一時は無収入の時期があって、その後、結果を出してスポンサーがついて、という変わった道を歩んできたので、目立とうとしているわけではないのに、結果として目立つ存在になってしまいました。
五輪代表になってからは、メディアに取り上げられることがどんどん増えました。そういう中で、心の底でいつも、五輪で失敗したときのことを考えてしまっていました。
日本の陸上界の中ではアウトロー的な存在なので、失敗したら、たたかれるだろうな、と想像していたのです。「ほら、見たことか」と言われるだろうと覚悟していたのです。そういうことを考えてしまうことが、ストレスにもなっていました。
僕はもともと、我が道を行くというか、好きに1人で走るというタイプの人間です。しかし、いつの間にか、そういうことでは済まない立場になっていました。
心理学的な分析をすると、「結果が出なかったら、まずいことになるぞ」と恐れていたから、実際にそういうことになってしまったのではないかと思っています。そんなことを気にしなければ良かったのです。
■キプロティクには東京で勝っていたのに
物事がうまくいっているときは、そういう後ろ向きなことは考えず、自分のペースで、好きなようにやっているのではないかと思います。
残念ながら、五輪の前はそういう感じにいきませんでした。ゴール直後にも、真っ先に「これは、まずいことになったぞ」と世間の目を気にしてしまいました。
ロンドン五輪は不完全燃焼に終わりました。金メダルに輝いたキプロティクには東京マラソンで勝っていたのになあ、という思いもあります。彼に金メダルが取れたんだから……と考えてしまうのです。
それにしても、五輪というのはすごいものです。僕にも、マラソンにも全く関心のなさそうなおじいさんが、僕が五輪選手だと言うだけで、手を合わせておがむようにして「頑張ってください」と言ってくれたことがあります。
■五輪にはやはり出て良かった
僕がすごいのではなくて、五輪というものがすごいのです。変な表現になってしまいますが、五輪とは神様みたいなものではないかと思ってしまいます。
五輪に出て良かったと胸を張って言える状態ではないけれど、やはり出て良かったと思っています。これを糧にしなければいけないというのがいまの気持ちです。
4年後をいまから考えるのは難しいことです。まずは、次のレースのことを考えています。確かなことはまだ言えませんが、今シーズンの冬場のレースでタイムを狙うつもりです。
国内の大会で狙うのが無難ではないかと思っています。もう、気持ちはそこに向かっています。