今日絵コンテ作業を一つ終えたのですが、何かもやもやとしたものが
・・・。
今日に限ったことで無く、ここんところずっと。原因はわかっているのだけれどね。
『漫画原作とアニメーションのギャップ』を埋められない・・・
これが理由。
細かく説明すると、原作漫画がある作品をやっていると、当然原作のファン
の方もアニメを見るわけで、原作を無視しての作業はタブー。
原作の持ち味や雰囲気を極力活かして映像化したいと常日頃考えていても、時としてそれが非常に困難な場合がありまして。
とくに少女漫画でその傾向が強いです。
というのは・・・あ、これを説明するのには少しばかり映像理論を説明しないといけないんで、固い文章になるのは我慢してね。
まず、映像を作る上ではアニメにしろ実写にしろいくつかの決まりというか法則があります。その中の一つとしてイマジナリーライン(想定線)というものがあります。
二人以上の被写体を捉える時、カメラに最も近く、かつフレーム(画面)の両端にいる被写体の間を架空の線で結び、カットを作る上でのガイドとします。これをイマジナリーラインと呼びます。
映像を作る上では、色々なサイズ(ロングやクローズアップなど)やアングル(あおり・俯瞰など)の複数のカットを繋ぎ合わせるわけですが、カメラが寄って他の被写体や背景が画面におさまっていなくても、その被写体の位置や目線が不明にならないようにするための、頭の中でつくる設計図
のようなものです。
図のように配置したカメラが赤線で示されているラインを超えて反対側に行ってしまうと、それぞれの位置関係や見ているものがわからなくなり、視聴者を混乱させる原因になるため、その線を超えてはカメラを置くことができない
という約束事です。
もちろんこの線は絶対ではありません。
リバース・・・切り返し。手前に対峙する人物を少し入れ込むことによって、目線と位置関係を確定する。そのため、イマジナリーラインを超えても不自然に見えない。
サブジェクトリバーシング・・・人物の移動に合わせてカメラを移動させることにより、イマジナリーラインも自然に移動する
どんでん・・・人物の振り向きなどのアクションをきっかけに、その人物の見ている方向にカメラを向ける
などの方法でイマジナリーラインを切り替え、映像の幅を広げることが可能。しかしながら、限られた空間の中では被写体の動きやカメラの位置も制限されるため、とくに狭い室内ではこの約束事が重くのしかかります。
ポイントはここ。私のもやもやもここに原因が。
漫画はこのイマジナリーラインの制約が実に緩やかです。本来同じ画面におさまるはずのない被写体を同じコマに自由に配置する場合もあります。
でもそれが表現上いい加減だというわけではありません。漫画には漫画の約束事があるからです。
それは『見開きの時の見栄え』です。
ページを開いた時、両方のページを合わせて見栄えよく、バランスよくコマを割ったりキャラを配置したりする必要が漫画にはあります。とくにぶち抜き(コマを飛び出してキャラクターを描く手法)を多用する少女漫画では、そのバランスが重用視されると思われます。
キャラの位置関係よりもページ2枚を並べて見た時の美しさの方がより重要とされるのは、複数のコマを一度に見ることが可能だからです。
一度に見ることができるから、位置関係を見失うことが少ないという利点とともに、一度に見てしまうが故に10コマ先まで合わせた図案を考えて配置しなくてはいけないという制約が産まれるわけです。それはそれで大変な作業です。
映像の場合は一度に10カット先まで情報を提示することができないため、見ている側と共有する設計図『イマジナリーライン』を保持することで全体のバランスをとったり、破綻をふせぐわけです。
つまり、このようにそれぞれ制約が違うため、同じ印象の画を作ることが困難になってくることがあるというわけ。
漫画では印象的に見えていたものが、制約をとりはらえずに地味になってしまったり、カメラが置けなくて見せ方を変えなくてはいけなくなったりと状況はさまざまですが、これをうまく処理できないとものすごくもやもやというか不完全燃焼になります。
プロなんだから何とかしろよ!と怒られそうですが・・・いや、まったくもってその通りなんですが、それはもうスキルとかそっちの問題になってきますわね。
だから自己嫌悪なんですわ。ポンとうまい方法が浮かんでこない・・・時間の問題かというとそうでもない。おそらく一ヶ月もらってもでてこないもんはでてこないでしょう。
もっと経験積んで、引き出し増やして・・・最良の方法がすぐ頭に浮かんで、しかも絵に表現できればと思いますが、中々一朝一夕にはいかないもんで。
この胃のあたりの不快感と戦いながら、とにかく日々精進するしかないですな。(__;)
・・・。
今日に限ったことで無く、ここんところずっと。原因はわかっているのだけれどね。
『漫画原作とアニメーションのギャップ』を埋められない・・・
これが理由。
細かく説明すると、原作漫画がある作品をやっていると、当然原作のファン
の方もアニメを見るわけで、原作を無視しての作業はタブー。
原作の持ち味や雰囲気を極力活かして映像化したいと常日頃考えていても、時としてそれが非常に困難な場合がありまして。
とくに少女漫画でその傾向が強いです。
というのは・・・あ、これを説明するのには少しばかり映像理論を説明しないといけないんで、固い文章になるのは我慢してね。
まず、映像を作る上ではアニメにしろ実写にしろいくつかの決まりというか法則があります。その中の一つとしてイマジナリーライン(想定線)というものがあります。
二人以上の被写体を捉える時、カメラに最も近く、かつフレーム(画面)の両端にいる被写体の間を架空の線で結び、カットを作る上でのガイドとします。これをイマジナリーラインと呼びます。
映像を作る上では、色々なサイズ(ロングやクローズアップなど)やアングル(あおり・俯瞰など)の複数のカットを繋ぎ合わせるわけですが、カメラが寄って他の被写体や背景が画面におさまっていなくても、その被写体の位置や目線が不明にならないようにするための、頭の中でつくる設計図
のようなものです。
図のように配置したカメラが赤線で示されているラインを超えて反対側に行ってしまうと、それぞれの位置関係や見ているものがわからなくなり、視聴者を混乱させる原因になるため、その線を超えてはカメラを置くことができない
という約束事です。
もちろんこの線は絶対ではありません。
リバース・・・切り返し。手前に対峙する人物を少し入れ込むことによって、目線と位置関係を確定する。そのため、イマジナリーラインを超えても不自然に見えない。
サブジェクトリバーシング・・・人物の移動に合わせてカメラを移動させることにより、イマジナリーラインも自然に移動する
どんでん・・・人物の振り向きなどのアクションをきっかけに、その人物の見ている方向にカメラを向ける
などの方法でイマジナリーラインを切り替え、映像の幅を広げることが可能。しかしながら、限られた空間の中では被写体の動きやカメラの位置も制限されるため、とくに狭い室内ではこの約束事が重くのしかかります。
ポイントはここ。私のもやもやもここに原因が。
漫画はこのイマジナリーラインの制約が実に緩やかです。本来同じ画面におさまるはずのない被写体を同じコマに自由に配置する場合もあります。
でもそれが表現上いい加減だというわけではありません。漫画には漫画の約束事があるからです。
それは『見開きの時の見栄え』です。
ページを開いた時、両方のページを合わせて見栄えよく、バランスよくコマを割ったりキャラを配置したりする必要が漫画にはあります。とくにぶち抜き(コマを飛び出してキャラクターを描く手法)を多用する少女漫画では、そのバランスが重用視されると思われます。
キャラの位置関係よりもページ2枚を並べて見た時の美しさの方がより重要とされるのは、複数のコマを一度に見ることが可能だからです。
一度に見ることができるから、位置関係を見失うことが少ないという利点とともに、一度に見てしまうが故に10コマ先まで合わせた図案を考えて配置しなくてはいけないという制約が産まれるわけです。それはそれで大変な作業です。
映像の場合は一度に10カット先まで情報を提示することができないため、見ている側と共有する設計図『イマジナリーライン』を保持することで全体のバランスをとったり、破綻をふせぐわけです。
つまり、このようにそれぞれ制約が違うため、同じ印象の画を作ることが困難になってくることがあるというわけ。
漫画では印象的に見えていたものが、制約をとりはらえずに地味になってしまったり、カメラが置けなくて見せ方を変えなくてはいけなくなったりと状況はさまざまですが、これをうまく処理できないとものすごくもやもやというか不完全燃焼になります。
プロなんだから何とかしろよ!と怒られそうですが・・・いや、まったくもってその通りなんですが、それはもうスキルとかそっちの問題になってきますわね。
だから自己嫌悪なんですわ。ポンとうまい方法が浮かんでこない・・・時間の問題かというとそうでもない。おそらく一ヶ月もらってもでてこないもんはでてこないでしょう。
もっと経験積んで、引き出し増やして・・・最良の方法がすぐ頭に浮かんで、しかも絵に表現できればと思いますが、中々一朝一夕にはいかないもんで。
この胃のあたりの不快感と戦いながら、とにかく日々精進するしかないですな。(__;)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます