子供のころから歩くのと群れるのが
嫌いだった。
学校の強歩大会は理由をつけて休んだ。
修学旅行は中学でも高校でも欠席した。
積立金が返還されたとき、それで鎌倉へ
行った。
母と鞍馬へ行った時、貴船まで歩こうかと
言ったら「えっ、歩けるの?」と母が
信じられない顔をしたほどだ。
今も歩くのは好きではない。
ブログではほとんどの方が毎日の
散歩の様子を書かれているけれど
なかなか出かけられない無精者である。
でも必要ならば歩いた。
北欧では1日2万歩歩くことが多かった。
海外では歩くことが仕事だった。
北は利尻礼文から南は沖縄の島々まで
全国すべての県を旅したけれど
夫生存中は夫とその後は1人旅をした。
ツアーに乗ったのは東北4大祭りくらい。
だから近所の様子もあまり詳しくない。
ここに越してきてかなり経つが
2筋離れた道にどんな方がどんな暮らしを
されているかもよく知らない。
同じ町内の同じ班の方たちとは親しくして
いて近く食事会などをする。
多分こんな生き方は間違っているのだろう。
同僚だった1歳年上の女性は
夫と近場のこまごましたところを
歩いているの
遠い所はそのあとで
と言っているのを聞いたとき、
若いうちに遠くから始めたほうがいいのにと
思ったけれどその家の考えだから黙っていた
が間もなく連れ合いが認知症になり、
その後亡くなった。
いまどうされているか知らない。
どんなに行きづらい場所へでも工夫して
無理をして出かけていたけれど年老いた。
近場の散歩が必要になってきている。