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旅と散歩

2025-01-20 12:46:49 | 日々思うこと
子供のころから歩くのと群れるのが
嫌いだった。
学校の強歩大会は理由をつけて休んだ。
修学旅行は中学でも高校でも欠席した。
積立金が返還されたとき、それで鎌倉へ
行った。
母と鞍馬へ行った時、貴船まで歩こうかと
言ったら「えっ、歩けるの?」と母が
信じられない顔をしたほどだ。

今も歩くのは好きではない。
ブログではほとんどの方が毎日の
散歩の様子を書かれているけれど
なかなか出かけられない無精者である。
でも必要ならば歩いた。
北欧では1日2万歩歩くことが多かった。
海外では歩くことが仕事だった。

北は利尻礼文から南は沖縄の島々まで
全国すべての県を旅したけれど
夫生存中は夫とその後は1人旅をした。
ツアーに乗ったのは東北4大祭りくらい。
だから近所の様子もあまり詳しくない。
ここに越してきてかなり経つが
2筋離れた道にどんな方がどんな暮らしを
されているかもよく知らない。
同じ町内の同じ班の方たちとは親しくして
いて近く食事会などをする。
多分こんな生き方は間違っているのだろう。

同僚だった1歳年上の女性は
夫と近場のこまごましたところを
歩いているの
遠い所はそのあとで
と言っているのを聞いたとき、
若いうちに遠くから始めたほうがいいのにと
思ったけれどその家の考えだから黙っていた
が間もなく連れ合いが認知症になり、
その後亡くなった。
いまどうされているか知らない。

どんなに行きづらい場所へでも工夫して
無理をして出かけていたけれど年老いた。
近場の散歩が必要になってきている。



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春はまだ遠い

2025-01-19 16:59:29 | 日々思うこと
昨年の今日は我が家の庭の紅梅が
もうこんなに蕾をつけていたのに
今年はまだその気配もない。
我が家は白梅、ピンク、紅梅と
3本並んでいて濃い順に咲く。
一番好きなのはやはり白梅。
すがすがしく、凛としている。
今年の春は遅いのだろうか。
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今日いち-2025年1月19日

2025-01-19 16:58:14 | Weblog

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江田島山火事

2025-01-18 13:37:36 | 日々思うこと
ロスの山火事は大きな災害をもたらした
ようだが日本も乾燥が続いていて
江田島で山火事が起きた。
海自射撃場で爆薬を使った訓練との関連
が疑われている。
いずれにしてもこの時期の山火事は怖い。

嘗て江田島へ行ったことがある。
百名山にも選ばれた古鷹山がそびえていた。
地元の人が
「あの山には有名な軍神広瀬武夫
が100回も登ったのですよ。
違う山に100登った人はいるだろうけれど
同じ山に100回も登るのは大したものです」
と誇らしげに教えてくれた。
海軍兵学校の学生だった広瀬武夫は
ここでも有名人だった。

前にも書いたことがあるけれどわたくしは
陳列された若い兵士たちの家族に残す
遺書を見て恥ずかしいほど涙をこぼした。
とてもまともには観られなかった。

後に知覧で同じような場面に出くわした。
最初から覚悟してハンカチ3枚を用意して
会場に入ったけれど不思議にあまり涙は
出なかった。
江田島で読んだのとほぼ同じパターンの
文章が並んでいた。
ほぼ文面が同じだったのだ。
例文があるのかと思ったほどだ。
いや、最後は同じ心境になるのに違いない。
もうこういう文章を残して若者が特攻で
旅立つような戦いは世の中から無くさねば
ならない。
現在も世界のあちこちで戦闘がおきている。
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神戸・・我が心のふるさと

2025-01-17 11:11:12 | 日々思うこと
阪神淡路大震災から30年。
神戸で生まれ、幼少期を神戸で過ごした。
それも長田区。
若かったころの父の勤務先が神戸で
あった。
祖父が亡くなって父が故郷に戻ってくる
ことになるまで過ごした。

神戸へ出張があったときうろ覚えながら
元住んでいたところに行ってみた。
幼児の記憶は大したもので適当に
タクシーを降りたら懐かしい家があった。
そのままの姿で建っていた。
その翌年有馬温泉へ行くことにしたとき、
母と弟と立ち寄った。
弟は故郷に帰ってからの生まれでここを
知らない。
母はあまりの懐かしさに玄関の戸を開けて
入っていきそうになったほどだ。
新婚時代を過ごした懐かしい家だったのだ。

そしてあの地震がおきた。
ルミナリエが始まったとき母ともう一度
訪れてみた。
全て新しい家に変わっていた。
もう懐かしい風景はない。

あれから30年。母は亡くなった。
時は足早に逃げていく。



コメント (2)
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あなた いったい どうして・・・

旅先のホテルで夫が倒れた。 それから12年の年月が流れた。 わたくしは・・・