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三神工房

2006年1月11日から約8年、OcnBlogで綴った日記・旅日記・作品発表は、2014年10月gooへ移動しました。

ハッカー(続報)

2014-10-10 | 日記・エッセイ・コラム

ついにホームページは閉鎖、メイルはストップと相成った。
ハッカーの相手は某隣国らしい。どうも辛い仕儀となった。

ただ幸いにも金魚は復活した。今日の昼、突然背びれを立てると、
大口を開いてパクパク。少量の餌を浮かべてやると、飛びついた。
今は水中に漂い、今だ動きは緩慢だが、確実に口は動いている。

一昨日のことである。底に蹲り、死に体の奴を見かねて、いても
たってもおられず、バケツに塩水(約5%)を作り、移してやった。
それまで水槽に少し塩を入れていたが、もう我慢ならなかった。

するとどうであろう、新陳代謝の停止した体から出る粘膜の如き
ものでバケツの水は濁った。その間に水槽の水を半分程入れ代え、
数分で金魚を水槽へ戻した。だがその時尻尾から出血したのだ。

尻尾の根元の白い腫瘍から、それこそ火山の噴火の如くドクドクと
吹き出してきた。慌てた。だがなす術がない。また良く見れば、立
派な尾びれ全体が血の色で染まっていた。もう駄目だと思った。

あれから2日である。毎日出社する度に今日こそどこかへ埋めて
やらねばならないかと気を揉んだ。だがその心配も吹き飛んだ。
授かった命である。なんとか長生きしてもらいたいばかりである。

・・・・・

生けとし生けるもの、命には限りがある。それは何人も避ける事
の出来ない宿命。痛点のないという金魚でさえ、生きる事に必死
で苦しげ。命に種はなく、誠に平等で、しかも対等なのだろう。

身近な命の灯に接し、一喜一憂する間に、見えぬ敵への恨みを
忘れた。迸る血を見て覚悟し、再び泳ぐ姿を見て、ほっとした。
小さな水槽の小さな命に心が救われ、誠に幸せな週末である。

三神工房


ハッカー

2014-10-06 | 日記・エッセイ・コラム

サーバー管理会社より連絡があり、これまで度々我社サーバーに
潜入していたHackerにより、メイル及びホームページが完全制覇
されたとのこと。直ちに現在のメイル及びホームページを停止した。

夕刻から関係各位への連絡に追われている。今後どれだけ
業務へ影響が出るか計り知れないものがある。今頃Hacker
の方は、してやったり!と、美酒に酔っているかも知れない。

・・・・・

もともと人生というものは世知辛いものであろう。秋空の晴天
の下、恐らくお母さんが作ってくれたおにぎりを頬張りながら、
友との会話を楽しんでいた小学生の頭上が、突然暗転した。

ものの数秒であったという。時速300キロともいう岩の礫が、
彼女達を襲った。背中といい頭といい、所かまわず叩きつけ、
暗黒の中で幼い命を奪った。これほどの理不尽があろうか。

世知辛いなどという言葉では、どうにも納得できない世である。
明日の命は誰も分からない。だが、青い空の下で、初めてで
あろう3000mを超える山の登攀で、幼い命を奪うとは・・・・・。

・・・・・

Hackerに伝わるとは思わないが「You can control!」である。
「私はあなたと闘う意志はない。あなたがあなたの命を燃やし
他人のものを犯す。どうぞ勝手にすればいい。」まあ届くまい。

背に腫瘍を背負った金魚が、今朝出社すると微動だにしない。
慌てて温度計を見たが緑ライン(適正)。塩を落としてやると、
「塩辛い!」と体を震わしたが、それも一瞬。明日まで持つか?

生きとし生けるもの、命には必ず最後がくる。最後に生きた証
はいらない。無になるならそれも良しとしよう。ただ、出来れば
「生まれてきて良かった」と、親や家族に礼を言って行きたい。

Hackerという行為が、生きた証なのかも知れない。その結果、
困った人が生じるのも君には快感かも知れない。相手が困り、
君が勝ったとしても、きっと君の自立神経も侵されつつある。

副交感神経もやられ己が己の命を縮めるているかも知れない。
そして君にも、どう足掻いても最後というものが来る。その時、
きっと君は幸せなのだろう。それまで君は勝手にすればいい。

・・・・・

幼い命を失った少女達の人生にも、きっと春夏秋冬があったと
思いたい。人生はその時の長さではなく、その濃さにあるはず。
彼女達の散らした、濃い命の尊さを想い、ご冥福を祈るばかり。

水槽の底に蹲る金魚に、今夜が長い長い冬でありますように。

三神工房


生けとし生けるもの

2014-09-29 | 日記・エッセイ・コラム

今年の春、2匹いた金魚の内1匹の肩口(金魚に肩は?)に
白い腫瘍状のものが目立つようになっていた。元はどこかで
負った傷であったのだろうが、いつしか三日月の様になり、
やがて小粒な梅干し大になって、金魚自体も元気がない。

素人療法で、塩水治療を施し、しばらく見守った。ある週末、
同じように塩水状態を造りだし帰宅。週明け、なんと腫瘍の
ない元気な方の金魚が死んでいた。理由は分からない。
自分の気が腫瘍のある方へ集中し、いつしか蔑にしていた。

後悔先に立たず、供養する心で葬った。生き残った病人の
金魚は、元気な金魚の生を得て、なんとか生き残っている。
夏場に、どうせならと思い一回り大きな水槽に変えた。途端、
餌を常に大食いし、でかい図体は益々でかくなっていった。

餌の量は控えている。30秒以内に消える程!が適量らしい。
しかし彼は常に、私の動きを見張り、水槽の横を通る度に、
温度計に八つ当たりして吸盤を外すまで突進するのである。
水面にプカプカ浮かぶ温度計をなんど直しても、またである。

夏場から、私のサプリメントの内の1個を粉末にして与えている
せいか、でかくなった水槽を我物顔に泳ぎ周り、私が机から
立ち上がると、水槽の隅に鼻先を押し付け、餌を強請る!
まあ雄か雌か知らぬが、可愛いばかりなのである。

(つづく)

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長崎「おくんち」

2014-09-15 | 日記・エッセイ・コラム

9月12日(金)長崎の街は、国体の関係者?と、おくんちの準備
で賑わっていた。

籠町で食事を終え、銅座の方へ徘徊を始めると、中華街の方
から勇ましいお囃子が聞こえてきた。(!)と、同行二人と共に、
昼間とはうって変わって秋らしさの漂う川岸を、下っていった。

山車は川船だった。以前、中華街の前にあった川の上の駐車
場を撤去して造られたお旅所で、賑やかな声が響いていた。
今年は麹屋町の出番らしい。白装束に足袋、そして鉢巻をした
若者が、「よーいやさっ」の掛け声と、船に乗った子供たちが奏
でる笛太鼓の音曲に合わせ、体を倒して力強く船を前後させる。

突然「ピー」という甲高い笛が鳴り響くと、船頭よろしく旗を振る
先手の指示に従い、船を引く若者は足袋で地面を蹴り回転を
始める。と、前後へ動くために設えられた車輪が、堪らず軋む。
「ギュギギギー」と橋桁まで響く音を上げながら、船は加速度を
持って周りはじめ、地面を這うように走る若者達が一体となる。

船はなんどもなんどもまわる。ドスンドスンと揺れる船の上で、
坐って笛を吹く子供達も気が気ではないだろう。それでも彼ら
は気丈にも口から笛を離そうとはしない。歯を食いしばり船を
引く大人について、負けずに笛を吹き続け、その音程は微動
だにもしない。周りで、母親達であろう感動の手を叩き続ける。

そこにあるのは、何代にも渡って培われてきた伝統には違い
ないが、実際は子が親の姿を見て、いつか自分も親父の様に
船を引くんだという真心が、見る者すべてに感動を与え、結果
として何百年もの間、廃れることなく続いているのではないか。

文化とは、為政者に造られるものではなく、きっと自分達の住
む街を愛する人々によって、醸し出されるものなのであろう。

10月7日(火)、今年も長崎の街中に、生きる人の声が上がる。

三神工房

 

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長崎神の島

2014-09-07 | 日記・エッセイ・コラム

仕事を終え、日が西へ傾くのが少し早くなったと思わせる空模様。
それでもまだ山は夏の喧騒と深緑に包まれ、木々も沸騰していた。

長崎市内神の島の中である。地名の謂れはよく分からない。だが、
私はまだ見たことはないが、この地区の長崎湾に面した岩浜の先
にマリア像が立つという。そして近くには皇后という名の島もある。

写真は、どうも映りが悪い。駐車場までものの五分歩いただけで、
汗が吹き出していた。ハンカチで拭くと、額に浜風が過ごしやすくて、
思わず見上げたら鬱蒼とした小山がせり出していた。(夏も終る)

そんな想いで携帯を出していた。・・・パシャリ。だか上手く撮れない。
目で見た壮大さが画面には入りきらないのである。目前の絶景が
微塵も感じられない。携帯を横にして今一度撮ったが結果は同じ。

人間の目はなんと素晴らしいのであろう。名もなき山の気高さが、
汗の滲む目から入り、蚊の飛ぶ水晶体を経ても網膜に焼きつく。
なんと名残惜しい景色、なんと懐かしい情景、そしてあと何度・・・

また夏が行くのである。

三神工房

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