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三神工房

2006年1月11日から約8年、OcnBlogで綴った日記・旅日記・作品発表は、2014年10月gooへ移動しました。

神戸・三宮界隈・勝海舟

2017-09-14 | 日記
朝夕が凌ぎやすくなったものの、昼間は今日も30℃超え。残暑お見舞い申し上げる。
二カ月程、更新もせずまま夏も終わろうとしている。いやはや今年も暑かったせいか、
やはり寄る歳波には勝てないよう。負ける気はしないが、どうも体が付いていかない。

先日来、神戸では三宮界隈の開発計画について話題が出ている。(神戸だけかも!?)
神戸市長選挙が10月に迫ったせいもあるが、それにしては、世情静かなものである。
2年ほど前から検討されてきた「駅前再整備」なのだが、どうも盛り上がりに欠ける。

あれは確か司馬遼太郎の本、元治元年(1864年)5月というから今から153年前だが、
江戸幕府軍艦奉行の勝海舟の建言により、幕府が神戸に神戸海軍操練所を開設したが、
その際海舟曰く「いつかこの漁村は大きな街となる」と言ったとか。(記憶に依れば)
 
話の相手は坂本竜馬。時の人二人が、片田舎の神戸に夢を描き、それが正夢となった。
神戸に住む者の一人として(いまだ外様気分だが)あの場面は痛快で忘れられない。
二人の思いを乗せて時は流れ、住む者の気概と努力で人口150万を超える都市となった。
 
しかし最近の統計に依ると2040年(23年後)には135万人まで減るらしい。己がそこまで
生きている確証も自信もないが、恐らく人口ピラミッドはいつ折れてもおかしくない。
頭でっかちな逆三角形になっているはず。その時本当に三宮界隈に高層ビルが要る?
 
もちろん今の政治家やお役人に、海舟や竜馬の如き、雄大な構想力や夢を描く胆力を
期待するほど私もウブではない。時代が違う!と言われれば、高々60数年前に生れた
者としては、江戸の時代を見てないだけになにも反論は出来ない。言うつもりもない。
 
しかし、黒を白と言ったり、馬を鹿と言わしめる方々の存在は、普通に生きていれば
はっきりとわかる。その目的も良く透けて見える。"相棒"を見ながら犯人を見定める
眼力はなくとも、ブラウン管に映る顔を見て、その話を聞けば、裏まで透けて見える。
 
どうせ将来の夢を語るなら、例えば三の宮の駅前から神戸港まで遊歩道にして、車を
排除するとか、港の倉庫を全て移築して、その跡に明治の頃のメリケン波止場を復活
させるとか。それでは経済が成り立たぬと言うなら、高層ビルが絶対金を生むのか?
 
2040年になれば人は歩かずとも移動する手段はたくさんある筈。1995年にあった震災
を教訓とするなら、浮かぶ中層ビル(既に開発は完了したと聞く)とか、高波・台風
に強い街にして、神戸の高度医療とAI、神戸港と空港等等、発展の要素は多々ある。

どうせやるなら英国から国際救助隊を招聘して日本支部を造り、六甲の中腹当りから
サンダーバード1・2・3号を飛ばし、国内や東アジアの災害時に出動させるとか!
同時に神戸港に非常用備蓄基地を置き、LNG駆動の高速救助船を配し・・・・。 

今足らないのは壮大な夢を見る力と、どんな街を次世代に残すか!の構想ではないか。
海舟が生きていれば「こっちとらには関係ねえ。竜馬を探しな!」とでも言うかも。
彼が見たのは、夢を与えた若者の矜持と、そのエネルギーではなかったのか、と拝察。

2040年、人口50万人足らずの成人が倍以上の老人を食わし、六甲の裏からガタガタの
インフラで三ノ宮へ通勤。勤め先は「シャッター街」ならぬ「空フロアー階」だらけ
の高層ビル(今の高架下風!)、そんな神戸に誰が…まあ、私はもう生きていないか。
 
三神工房