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三神工房

2006年1月11日から約8年、OcnBlogで綴った日記・旅日記・作品発表は、2014年10月gooへ移動しました。

蟻と蝙蝠

2012-03-29 | 日記・エッセイ・コラム

年明けのNHKスペシャルだったと思うが、蟻の一生というか、
生態を報告する番組があった。1匹の女王蟻を中心に、無尽
蔵のごとく生まれくる働き蟻が、せっせと餌をかき集め、蜜を
貯める。蟻の巣は、迷路のごとく塊として地中に形成される。

番組では、たしか南米の草原だったと思うが、巣の中にセメン
トを流しこみ、固まったあとで掘り返していた。それはまるで、
豪邸のプールほどもあり、画像自体が3Dではないかと見まが
うほどグロテスクだった。なぜか東京の都市を想い浮かべた。

それはともかく、1匹の女王蟻は次第に貫禄を増し、やがて羽
蟻を生みだす。羽蟻は働き蟻がせっせと運んだ蜜を食べ、これ
また養育専門の働き蟻に傅かれながら育つ。やがて飛翔の時
がくると、航空母艦の艦載機の如く、羽を折って巣の外へ出る。

羽蟻は、黄金色に光る夕暮れの光線に身を浴びせながら、羽
を優雅に開くと舞い上がる。飛び立った羽蟻の数・数・数。まる
で桜の花が散るようにひらひらと飛び、拡散していく。彼女達は
女王蟻から生まれ、その後継者として新たな巣を探すのである。

しかしこれが殺戮の始まりなのである。1匹の女王蟻が形成し
た巣は、膨大な蜜の貯蔵を更に増やしながら膨張し、黄金期を
迎える。しかし、それはやがて近隣に出来た新興の巣から出た
蟻の触手に掛り、殺掠と強盗の末、女王も抹殺されでしまう。

まるで人間の世界を見るようである。1部の人間の利益の為に
大勢の働き蟻が生みだされ、毎日毎日餌を取りに外へ出て、
その一部は毎日の闘いで消耗される。女王はそれを知ってか、
次から次へと子を成し、羽蟻を輩出する。破滅するその日まで。

人間がこの地球に出現してこの方、常に発展を目指して生きて
きた。何万年にも渡りせっせと闘い、子を成し、血を繋いできた。
それは脳の中で発生するドーパミンという神経伝達物資を分泌
して常に意欲をかき立ててきたのだ。しかしこれにも限界がある。

方や、人は他人に親切にすると「オキシトシン」という神経物質
を分泌するという。これは「愛情物質」ともいい、他助論の清水
氏にして「成幸ホルモン」と呼ぶ。もちろん神経物質としても、
重要なことはバランスであろう。片方だけでは生きていけない。

しかしSNSのメリットである「見も知らぬ人と当たり障りのない
会話や出会いを楽しむ」というのは、いささか問題ではないか。
なぜなら、人は出会い、話をして、ぶつかり、葛藤して、悩み、
そうやって生きてきたのであり、でなければ面白みが減ずる。

ただ、親子間で厳しい中にも密接な関係を維持してきた戦前の
社会規範を捨て、戦後米国の一種ドライな関係を醸造してきた
日本は親と子の関係が希薄になり、結果社会の規範もずれた。
それは誰あろう、団塊世代とその後の私の世代の責任である。

よって人との関係の希薄な世代が、いまSNSを通じて新しい
出会いを模索している。ここにきっと新しい日本の規範が生じ
るのではないかと、どこか願望でしかし確信を持って見ている。
きっとこれが21世紀なのであろう。明らかに20世紀とは異なる。

あっという間に長文となった。「蝙蝠」は次回とする。

三神工房


もはや還暦

2012-03-27 | 日記・エッセイ・コラム

ある日、本屋で松岡正剛著「17歳のための世界と日本の見方」を
<wbr></wbr>手にした。最初は高校生向け?と早とちりした。それにはそれに、
違いはな<wbr></wbr>いのだが。そして読んでハマった。連塾に酔いしれた。

そのあと内田樹<wbr></wbr>の「思想」に凝り、網野善彦氏の歴史にハマり、
いまは清水克衛氏<wbr></wbr>の「他助論」を読んでいる。これらのたいはんが
聖徳太子につなが<wbr></wbr>り、明治維新へとつながる。不思議な連鎖だ。

この1年<wbr></wbr>、昨秋の歴史街道短期講座も含めて、どうも特異な年で
ある。人間<wbr></wbr>やはり還暦を迎えると趣が違ってくるのか。しかしそれ
でいて
楽しくて<wbr></wbr>仕方がない今である。なんか不思議に面白い。

これは誰かに伝えねば。よってこれからメモっていこうとおもう。
そんな気持ちに、やっとなった。やはり春近し、のせいなのか。

三神工房


2011.03.11

2012-03-12 | 日記・エッセイ・コラム

東日本大震災から1年。先週末から報道番組や記事を見た。
この気持ちはなんなのか、と不可思議な気持ちが募った。

17年前私は神戸垂水に住み、毎日東灘区の会社まで通勤
していた。3月の今頃はJRと阪急と阪神を乗り継ぎ、片道に
2時間程掛ったろうか。それまでの車で片道5時間比べれば
天国だった。だが今回の震災はそれとは違う。まったく違う。

今報道を見て、記事を読んで、なにか変な違和感を感じる。
日本はこれからどこへ行くのか、皆目見えてこないのである。

話は飛躍する。不謹慎な興味本位の例え話だと、読んだ人
から顰蹙を買うことを覚悟で書く。書かないではいられない。

兵庫県に赤穂という町がある。赤穂浪士で有名な町である。
私の世代であれば誰も知っている。浅野内匠頭という殿様
が江戸城中で吉良上野介に刃傷。時の将軍綱吉の裁きは
内匠頭に切腹、浅野家は断絶として、吉良はお構いなし。

これに対して浅野家の家老大石内蔵助が、47士で吉良邸
へ討入り。吉良の首を上げるという、「元禄忠臣蔵」である。
これ自体江戸時代の娯楽であり、史実か否かも不明である。
しかし江戸時代の背景として、さもありなんとするのである。

では、なぜ今忠臣蔵なのか、である。

例えば綱吉=首相、幕府=民主党、吉良=東電、浅野家
以外=国民という構図を描く。浅野家の殿様は、ある意味、
どうでも良い。大石は誰か、どこにいるのか、も今はいい。

それぞれの立場で物言えば、正に忠臣蔵の人形浄瑠璃の
世界。理屈抜きで「情」に陥る。塩の製法で凌ぎを削る吉良
の赤穂への意地悪も一種正義。大石の討入りは幕府に対
するテロだとして、もし許せば幕府の負けと迫るのも正義。
それぞれの立場で凌ぎを削れば自ずとすべては道を失う。
(もしろん史実とは異なるという意見も甘んじて受けるが)

今のままでは、恐らく200年後、21世紀を振り返り、あの首
相はアホや政治家が無能や、経済界は守銭奴ばかりだと、
変な与太話だけが残り、きっとこの世界に日本人はいない。

もうそろそろいいのではないか。政治家は人の為に政治を
して、役人は人の役に立つことをする。銀行はお金を預か
った人の為に使い、そして商売人は飽きない事をすれば。

私はもう既に役立たずの「造船技師」の名を捨て、先達の
「なにもない国でただ腕を頼りにものを造る」ことを矜持に、
どこの国でも、日本人であろうとなかろうと仲間と生きたい。

内蔵助は、死出に息子主税を連れ添った。きっと生きて残
せば汚名を背負わせるからであろう。残した妻には酷だが、
幼い子供達を、きっと家の為に死ぬような侍にはするなと、
あとは託したに違いない。それが先に死ぬ親の役目だと。

この世知辛い日本という国で生まれた「武士道」は、それが
この国の人が選べる、究極の生きる道標なのかも知れない。
それ程この国は、生きる人に試練を与え続ける酷土である。

しかしこれ程美しい国はない。故にやがて春が来て桜咲く。
だから、この国で人は生きようとする。きっとこれからも。

散る桜、残る桜も 散る桜

1周忌にあたり、黙祷を捧げる。

三神工房


カンボジア報告①

2012-03-07 | 旅行記

2月26日(日)関空からホーチミン経由にてプノンペン、4時半着。
自宅からDRtoDRで実に約12時間。まだまだ遠い。

2月27日(火)プノンペンからシアヌークビルまで車で移動。車中、
約4時間の距離である。ここでの楽しみはなんといっても海鮮!
海老・蟹・イカなどなど、当日の夜は行きつけのレストランで堪能。

下の写真は、現地法人の第三店舗、艤装品工場である。いまだ
掘立小屋の域を出ないが、年内には本格的な工場を建設予定。
しかしいつもカンボジアの若者の目にやられる!夢こそ偉大なり。

120229_shv_shop   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月1日(木)朝から車でシアヌークを出発し、プノンペンへ戻る。
連日39度以上の灼熱の中、プノンペンは更に暑かった。

3月2日(金)朝9時から、第4店舗となる”Wings Car Shop"の
オープニングセレモニー。店舗の入口と内部に設けられた、
日本でいえば「神棚」(カンボジアは仏教風の祭壇)へ線香を
5本、三回頭の前まで上げてお参り。「繁盛しますように!」

 

 

120302_wings_shop   

 

 

 

 

 

 

 

 

同日、同じルートで復路。翌3日朝7時、関空到着。そのまま
神戸サウナへ直行し、疲れを癒したが、未だ本復せず。明日
から長崎へ!美味しいお寿司でリフレッシュしようと思う。

三神工房