昨日は、半年に一回の京都の病院の日。前回は、5月初めコロナ禍の中で電話の上、7月に延期してもらったが、前の時に、来てくれていいんですよって言われてたので、今回は、緊急事態宣言中だけど、行ってきました。
マスク、普段はPITTAをつけているのですが、ネットで病院ではウレタン製は嫌がられるなんて声も目にしたので、不燃布製でいきました。
いつもは満員電車の7時台の電車も、さすがに立ってる人はいるけれど、押し合いへし合いにはなっていない。
病院も9時にはいつもいっぱい待っているのに、ほんの数人。
検査色々あったのに、10時には診察まで終わってしまった。
いつもなら、診察が終わったころには京都の街はお店もいっぱい開いているのに、11時からOpenのお店も多い上に、緊急事態宣言中ということで2月7日まで閉まってるお店も多かった。
寒いし、とにかく歩く。
そして、ふと思いついて行ったのが知恩院。
亡くなった2人の甥たちは、義弟嫁の希望で彼女の実家の浄土宗で葬られた。なんとなく、甥たちに呼ばれたというか、広い知恩院の中を歩く間、甥たちの面影や仕草が思い出され、夢うつつの中、彼らを偲んで歩いた。読経中の僧の側で手を合わせていると不思議と次々と甥たちや義弟夫婦のことが思われた。
私ですら、若くして亡くなった彼らのことを思うと辛いのに、義弟夫婦が癒されるにはもっともっと時間が必要なのだろう。否、癒されることなんてあるのだろうか。