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鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅴ268] 泣きべそ聖書(28) / なみだの中になむあみだ佛(4)

2023-10-18 21:37:18 | 生涯教育

柳は心に浮かんだ上人のとある一日を次のように”活写”している(p.56)。柳が上人の傍らに居り記録したかのようだ。故郷甲州丸畑村に一時立ち寄った時の”記録”である。

【松材を以て小さな草庵を上人のために造ったのは、丸畑向(むかわ)にある本家、即ち彼の兄の家の裏手であったようである。今日は残っておらぬ。愈々この大業に着手したのは寛政十三(1801・84歳)年三月六日のことであった。遂に成就したのがその年の十一月晦日であるから、要した月日は九ヶ月弱である。この間に彼は八十八個の仏を刻んだ。平均すれば三日に一個の割合である。或ものは実に僅か一日の中に作られている。丈凡そ二尺二三寸の仏軀を彼はどうしてかくも迅速に作り得たか。彼は既に年老いて八十四歳である。然るに彼の努力彼の精力は驚くべきものであった。昼となく夜となく鑿(のみ)の音が聞えたと村には言い伝わっている。用いたものは鑿と小刀と鉈と鋸との四種であったと云われる。人が見にゆくと彼はすぐ莚(むしろ)をかけて決して見せなかった。彼は話を好んだ。子供でも大人でも彼の話相手であった。而も拒まずにいつまでも話しつづけた。客が帰ればその仕事場にはすぐ鑿の音が聞えた。同じその頃である。傷づける者、腫瘍のある者、又は病める者が、近隣から集っては上人に治療を頼んだ。彼はよく墨を一二点傷口につけては帰してやった。行く者は皆癒えたと云われている。彼に治癒の力があったと云うことは極めて自然に思える。】

あたかも事実描写のようだ。上人が村人に対して抱いていた大いなる慈悲の心と、傷む者たちに対しては上人の涙が浮かんでいる‥そんな情景が目に浮かぶ柳の文章である。『新約聖書』を彷彿とさせる。

「するとその土地の人々はイエスと知って、その付近全体に人をつかわし、イエスのところに病人をみな連れてこさせた。そして彼らにイエスの上着のふさにでも、さわらせていただきたいとお願いした。そしてさわった者はいやされた。」(マタイによる福音書14:35-) 聖書にはこのようなキリストイエスや弟子たちの奇跡の事実が多く記録されている。

「彼(神)は明らかに、アダムの子孫ばかりでなく不特定多数の信者にも、またおそらくは人類一般にも、(キリストイエスのように) 引き続いて受肉しようと思っているからである。」(CGユング、林道義訳:ヨブへの答え. p.81、みすず書房、1988)このユングの考え方に共感する者にとっては、木喰上人の”奇跡”は別に不可思議な現象ではない。私の興味も尽きない。(つづく)


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