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1月6日(月) 総選挙の結果と憲法運動の課題(その1) [論攷]

〔以下の論攷は『月刊 憲法運動』通巻537号、2025年1月号に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕

 はじめに

 驚天動地の結果でした。総選挙で自公が議席を激減させ、衆院での少数与党となったからです。選挙前に石破茂新首相は「与党で過半数維持」という目標を掲げ、「少なすぎるのではないか」と批判されました。しかし、結果は、それをも下回る歴史的大敗です、
 石破氏は当初、十分な審議なしの早期解散に反対していました。しかし、自民党の総裁に選出されたとたん前言を翻し、首相に就任する前だったにもかかわらず総選挙の投開票日を口にしました。解散を助言し承認する権限は内閣にあります。首相になる前の表明は憲法違反の暴挙です。しかも、石破氏は天皇の国事行為による7条解散に反対していたではありませんか。
 このような変節には理由がありました。新内閣成立への「ご祝儀」としての支持率上昇に期待する自民党内の大勢に抵抗できなかったからです。それに、野党の選挙準備が整わないうちに選挙になだれ込もうという思惑もありました。実際、野党共闘や一本化の動きは低調に終わりました。
 しかし、このような奇襲攻撃は功を奏しませんでした。石破新内閣への「ご祝儀」は少なかったからです。かえって石破首相の言行不一致が大きな反発を呼び、裏金事件での国民的な批判という火に油を注ぐ結果となりました。
 こうして迎えた総選挙でした。最終盤での自民党非公認候補への「裏公認料」2000万円の交付がまたもや「しんぶん赤旗」に暴露され。敗色濃い候補者に対する決定打となり自民党は歴史的な惨敗に追い込まれました。
 それがいかに歴史的なものであったか。衆院での過半数割れは2009年以来、15年ぶりのことです。この結果、特別国会での首相指名選挙は決戦投票になりました。これは30年ぶりのことです。こうして過半数を下回る与党の下での首相が誕生しました。これもなんと大平正芳元首相以来、45年ぶりのことになります。

一、政治的激変を生み出した総選挙

 与党の歴史的大敗をもたらしたもの

 自民党の歴史的な大敗をもたらした最大の要因は、政治資金パーティーのキックバック(還流)による資金(裏金)の貯め込みでした。それがいつから、誰によって、どのような形で始められたのか、何に使われたのかは、分からずじまいです。中心となった旧安倍派では、安倍元会長の意向でいったんは止めることになったものの復活しました。その経緯も不明です。
 この問題を暴露したのは共産党の機関紙「しんぶん赤旗」でした。大きな逆風を吹かせた原動力がこの報道であったことは衆目の一致するところです。こうして「政治とカネ」の問題が直撃し、政治資金規正法を改正せざるを得なくなりましたが、企業・団体献金や政治資金パーティーの禁止という根本原因に手を触れなかったために批判を招き、自民党は総選挙で敗北することになります。
 しかし、自民党の大敗を生み出した要因はこれだけではありません。裏金事件は直接の敗因ですが、その根底には安倍政権以来の暴走政治とそれを引き継いだ菅・岸田前政権の4年間に及ぶ失政に対する批判がありました。政治の問題点を明らかにし国民要求の実現を目指した憲法運動をはじめとした多様な社会運動・労働運動の力がボディーブローのような効果を上げ、自民党を追い詰めてきた結果でもあります。
 安保3文書と敵基地攻撃(反撃)能力論に基づく大軍拡と沖縄での辺野古新基地建設の強行への反対、反核・反原発、インボイス廃止、マイナ保険証凍結、選択的夫婦別姓と同性婚の実現、ウクライナやガザへの支援、物価値上げを上回る賃上げ要求、最賃1500円以上と時短の実現などの運動が幅広く展開されてきました。
 これらの社会・労働運動を通じて、自民党政治に対する不満や怒りが国民各層の間でマグマのように蓄積されたのです。これが裏金事件によって火をつけられ、いっぺんに爆発したのではないでしょうか。「令和の米騒動」の下で生活がこれほど大変な時に、汚い手段で私腹を肥やすとはなにごとかと。

 野党の明暗と共産党後退の謎

 総選挙で躍進したのは立憲民主党でした。しかし、比例代表ではほとんど票が増えず、7万票・5議席増の横ばいです。逆に、小選挙区では148万票も減らしました。それでも勝てたのは自民党が立憲以上に得票減となったためで、その原因は裏金事件です。これが選挙の大争点になっていなければ、議席増もなかったでしょう。
 7議席から28議席へと4倍化を達成して躍進した国民民主党も同様です。自民党を離れた穏健な保守層が。差し当たりの「受け皿」として選択したのが国民民主党でした。自民党に近く、政策的にそれほど違和感がなかったからです。
 自民党の敗北と立憲・国民両党の躍進によって政治を大きく動かした主役は共産党でした。政党の機関紙が政権党を追い詰めるようなスクープを、これほど見事に放ったのはかつてなかったことです。新聞報道がこれほどの大きな衝撃を与えて政治を動かす契機になったのも、かつてないことでした。それがなぜ、共産党自体の得票増に結びつかず、議席を減らしてしまったのでしょうか。その功績を強調すればするほど、この謎は深まるばかりです。
 一つの仮説は、共産党の攻勢を恐れた自民党と連合の術中に嵌まったのではないかということです。石破首相は自説を覆して「奇襲攻撃」に出ましたが、これは共闘への協議などの余裕を与えず、分断を図るためでした。共産党との共闘を望まない連合も、何とかして排除し孤立させようと待ち構えていました。
 連合の意をくむ形で立憲民主党の野田新代表は「平和安保法制の再検証」という発言を行います。これに反発した共産党は共闘に消極的となり、小選挙区で積極的に候補者を擁立しました。これが問題だったように思われます。
 2009年の総選挙で、共産党は半数近くの小選挙区で候補を擁立せず、間接的に民主党をアシストしました。2017年の総選挙でも、「希望の党騒動」によって民進党が分裂する下で。小選挙区での候補者を自主的に下ろして新たに発足した立憲民主党を助けました。
 今回も選挙区によっては候補者を立てず自主的に立憲民主党を支援しています。しかし、全国的にこのような対応をとったわけではありません。それが支持者や革新的無党派層の失望を招いて離反を生み、れいわ新選組に流れたのではないでしょうか。これは一つの仮説にすぎません。共産党自身による検証が期待されます。

 ポピュリズムによる選挙の変容

 今回の総選挙で注目されたもう一つの点は、国民民民主党の躍進とともに3議席を獲得した参政党や日本保守党の進出でした。インターネットやSNSを活用しながら一般受けのする政策を打ち出して有権者の関心を引き寄せるポピュリズムの波が、日本にも押し寄せてきたように見えます。
 このような現象は、都知事選での「石丸現象」や兵庫県知事選での斎藤元彦知事の再選などでも注目されました。それは三つの面での大きな変化を背景にしているように思われます。第1に選挙の当事者である政党や候補者、第2に投票する主体である有権者、第3に両者を媒介する情報手段や選挙運動のあり方です。その結果、インターネットでの動画配信、ユーチューブやインスタグラムなどのSNSが選挙の「主戦場」になりつつあります。
 国民民主党の玉木代表は「永田町のユーチューバー」を自認し。選挙以前からの長い経験や蓄積があったそうです。特に効果的だったのがショート動画で、それを街頭演説などのライブ配信に結びつけました。単にSNSを活用しただけでなく、動画を効果的に使いリアルとバーチャルを結び付けて訴求力を高めたということです。
 若ものを中心に有権者も変わってきています。情報を受け取る手段が新聞やテレビなどからインターネットやSNSへと変化した上に多様化し、真偽が定かでないフェイクやデマも氾濫するようになりました。騙されやすい有権者の登場、善意や正義感からの拡散、ゲーム感覚で候補者を〝推す〟活動など、従来とは異なる選挙戦が展開されています。
 こうして情報環境が大きく変化しました。ネットのアルゴリズム(情報配信の処理手段)による類似情報の送信によってフィルターバブルやエコチェンバーと言われる状況が生まれ、自分と同一の意見や考え方が多数であるかのような錯覚に陥り、疑似情報の泡に閉じ込められてしまう危険性が増大するわけです。
 メディの選挙報道にも問題がありました。公平性や中立性にこだわるあまり選挙の争点についての報道を手控え、公示後にかえって情報量が減ったからです。有権者に判断材料を提供するために、積極的な選挙報道に心がけるべきでしょう。
 裏金事件によって急増した自民党への不信は政党全体や政治そのものへの不信感も高め、既存の政治やメディアへの信頼を低下させました。当選を目指さない候補者による公営掲示板の悪用やネットでのアクセスを稼いでビジネスにつなげようとする動きも起きています。従来とは様変わりした選挙にどう対応するのか、政党や候補者の側も、有権者も試されることになるでしょう。

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