エジプトが懸命の仲介 イスラエルとハマス、薄氷の停戦合意
【カイロ=押野真也】イスラエルとパレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム原理主義組織「ハマス」の停戦が21日に発効した。イスラエルによるハマス幹部の殺害をきっかけに8日間続いた戦闘はひとまず収束した。停戦合意で浮かび上がったのはエジプトの懸命の調停工作だ。緊迫した8日間の攻防に迫る。
■軍事トップを殺害
14日正午すぎ、ガザ市を走行中の1台の乗用車をイスラエル軍機が秘密裏に追跡。誘導ミサイルの照準を合わせ、走行中に爆撃した。乗っていたのはハマス軍事部門のトップ、アハメド・ジャバリ氏。イスラエルへのテロを企てている危険人物として、同国の暗殺リストに載る人物で、イスラエルは殺害に成功した。
同日、イスラエル軍はガザにあるハマスの軍事施設やロケット砲の発射台などを空爆した。ハマスは猛反発し、「地獄の門が開いた」としてイスラエルへの報復を宣言。報復攻撃が始まった。
15日午前、ハマスはイスラエル領内に向け200発以上のロケット砲を断続的に発射。そのうち数発が、ガザから約30キロメートル離れたイスラエル中部の都市、キリヤトマラヒの集合住宅に直撃し、民間人3人が死亡した。
■地上侵攻を準備
イスラエルのネタニヤフ首相は「ハマスは私たちの子供を狙っており、容認できない」と即座に反応した。軍は予備役を招集するとともに、地上部隊を投入する可能性について言及。同日夜には戦車部隊をガザから15キロメートル離れた海岸沿いの都市、アシュケロンに配備し、陸上侵攻に備えた。
16日には安全保障会議を開き、招集する予備役の数を想定の倍の7万5000人にする決定を下す。イスラエルがハマスへの強硬姿勢を強めたのは、敵対するイランとの連携が疑われたからだ。ハマスは使用するほぼすべての武器がイラン製だといわれる。
調停は難しいかにみえた。アラブの大国として中東和平の一翼を担ってきたエジプト。そのエジプトは「アラブの春」で親米のムバラク前政権が崩壊。現在のモルシ大統領はイスラエルや米国と距離を置く原理主義組織「ムスリム同胞団」出身だ。同胞団はハマスの設立母体でもある。
ジャバリ氏の暗殺後、エジプトは駐イスラエル大使をすぐさま召還し、ハマスへの同情を示す。エジプトがハマスを全面支援すれば戦闘は一気にエスカレートしかねない。だが、逆にエジプトはハマスとのパイプを生かした調停工作に出る。
ハマス最高幹部のマシャル氏と断続的に協議。ハマス内部には停戦に反対し、徹底抗戦を主張する勢力がおり、モルシ大統領はマシャル氏に内部の統制を要求。ハマスの多数派を納得させるため、イスラエルの反発は承知で停戦案にハマスが求めるガザ封鎖の解除を盛り込んだ。
ムバラク大統領時代には閉鎖していたエジプトとガザの境界線を人道目的で開放すれば、ハマスへの支援継続が明確になる。これで停戦に反対する勢力を納得させ、最終停戦案をのませた。
一方、イスラエルは停戦案が求めるガザの封鎖解除に難色を示した。封鎖解除は武器流入やテロリストの侵入を許すと警戒しているからだ。また、イスラエルは一時的ではなく、長期停戦も求め、交渉は行き詰まった。
こうした中、米政府がようやく動き出す。アジアを歴訪中のオバマ大統領はネタニヤフ首相、モルシ大統領と電話で協議し、20日にクリントン国務長官をイスラエルとエジプトに派遣した。長官は20日と21日の2回、ネタニヤフ首相と会談。2回目の会談でネタニヤフ首相から合意を取り付けたもようだ。
■解釈分かれる
イスラエルは同胞団出身のモルシ政権に警戒感を示していたが、意外にもモルシ政権は調停に積極的だった。同胞団内部から反発が出るリスクを覚悟の上でモルシ大統領は調停工作を進めた。案の定、22日、同胞団の指導者であるムハンマド・バディア氏は停戦を批判。エジプト政権内部に微妙なさざ波が立った。
それでもモルシ大統領が調停を進めたのは、ガザの不安定化は自国の脅威になるとみたからだ。さらに、「アラブの大国」としての威信を取り戻す狙いもあった。エジプトはムバラク独裁政権崩壊後の混乱で、域内での存在感が大幅に低下している。オバマ大統領がモルシ大統領との電話会談で、仲介を称賛したのはまさに狙い通りだった。
ただ、ガザ境界の封鎖解除を巡り、ハマスは「完全解除」とみなすが、イスラエルは「限定解除」と主張。早くも認識が異なる。停戦発効後も衝突は散発しており、停戦の行方は見通せない。