株式市場をダメにした「三悪」は何か
日本経済研究センター主任研究員 前田昌孝
15年前の金融ビッグバン(大改革)の構想通りならば、今ごろ東京市場はアジアを代表する国際金融センターになっていたはずだ。ところが、ルールを欧米並みにしても、市場は活性化せず、多くの証券会社はビジネスモデルが成り立たないところまで追い込まれた。野田佳彦首相は11日、環太平洋経済連携協定(TPP)への交渉参加を表明した。本当に日本経済が強くなるには、金融改革失敗の経験から多くを学ぶ必要がありそうだ。
金融ビッグバンは当時の橋本龍太郎首相が6つの改革の1つとして、96年11月17日に打ち出した。合言葉はフリー、フェア、グローバル。5年後の2001年までに遅れたルールを欧米並みに整備し、失地を挽回するのが狙いだった。実際、今日の外為証拠金取引(FX)の解禁もこのとき決まった。オリンパスが含み損を海外のファンドに付け替える「飛ばし」に踏み切ったのも、01年3月期決算から時価会計が導入されたからだ。
ところが、その当時でも1900円前後まで下がっていた野村ホールディングス(当時は野村証券)の株価は、ついに200円台まで下落した。個人相手の対面販売証券会社は「1日わずか200億円程度の売買を大中小の証券会社で分け合っている状態だ」という。個人マネーの「貯蓄から投資へ」の流れはいっこうに見えず、日銀の資金循環統計によると、個人金融資産1491兆円中の現預金の割合は、6月末に55.6%と1983年以来の高水準になった。
失敗の原因は何か。経済のパフォーマンスから文化的背景、さらには教育問題まで論者の数だけ理由が挙げられそうだが、とりあえず独断と偏見で、(1)経済の構造改革の遅れ(2)株主軽視の規制緩和(3)証券文化を破壊したツケ――の3つに整理してみた。
第1に、経済の構造改革の遅れだ。その影響を平たくいうと、本来、市場から退出すべき企業が居座り続け、「安売りの目玉商品」を販売するために、業界全体が過当競争でもうからなくなってしまう。新製品を開発してもすぐにまねられ、価格競争に巻き込まれると考えれば、思い切った開発予算もとれない。その結果、独創性のある製品をますます開発できなくなり、米アップルや韓国のサムスン電子との差がさらに開くことになる。
さっさと経営統合に踏み切らないのは、コーポレート・ガバナンス(企業統治)の問題でもある。経営者の仕事ぶりへの監視が弱いため、PBR(株価純資産倍率)が1倍を割っても、「何らかの行動が必要」という声が起きない。株主がもっと企業に圧力を掛けるべきだが、日本には外国のファンドのような、運用成績の向上を追求する真の株主が少ない。多くの企業に市場規律が働かず、結局、投資魅力を失ってしまう。
第2に、さまざまな規制がもっぱら企業に優しい方向で修正されたことだ。例えば昔は2期連続で赤字を計上した企業は公募増資など株価を利用した資金調達ができない決まりだった。このタガが外れ、赤字の穴埋めのような大型公募増資が増えたのが、ここ2~3年の傾向だ。三角合併の解禁でMBO(経営陣が参加する買収)も容易になった。投資家から見ると、高値で買った株式を無理やり安値で買い戻されてしまう感じになる。
個人投資家も手数料の自由化などでメリットを受けたのかもしれない。しかし、証券会社は採算が合わないため、株式の営業担当者を大幅に減らしてきた。今や高齢の投資家にとっては「自宅までやってきてわかりやすく株式の話をしてくれるのは、未公開株の詐欺師だけ」(中堅証券幹部)といってもいい状態。規制緩和の副作用にも十分に目を配らないと、ツケは意外なかたちで回ることがある。
第3に、効率の名の下に日本の証券文化を破壊したことも、失敗だったのではないか。例えば東証は99年5月にすべての売買を電子取引に移行した。効率はあがったが、市場部員のぶつかり合いによって「神聖な株価」が形成されるという市場取引の原点が消え、日本橋兜町のにぎわいも消えてしまった。ニューヨークやシカゴがまだ立会場を残しているのは、効率だけではすべてを割り切れないことを承知しているからであろう。
07年9月に金融商品取引法が施行され、株式を預金や投資信託と同様の「金融商品」と位置付けたことも、やや安易ではなかったか。株式には、経営者の夢を投資家として共有したいという思いが託されることもある。金融商品にはリスクとリターンはあっても、夢は感じない。やや技術的な話だが、03年6月に東証が証券会社別の個別株の売買状況(手口)の公表を廃止したことも、市場を無味乾燥にした一因と語る市場参加者も多い。
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