まさにボロボロ…さのマラソンで大苦戦
編集委員 吉田誠一
1人でトレーニングしていると、レースのようなペースか、それを上回るペースで長い距離を走ろうと思っても、なかなかできるものではない。集中力がもたず、ひどいときには予定していた距離を走らずに放棄してしまう。だから今シーズンはトレーニングの一環として実際の大会に出場して走るようにしている。レースならば逃げるわけにはいかない。
ハーフとフルの2週連戦
今シーズンの最大のターゲットとしている来年2月の別府大分毎日マラソンをにらんで、11月にハーフマラソンをこなしたのに続き、12月はハーフとフルの2週連戦というハードな"トレーニング"を自分に課した。
2日の加須こいのぼりマラソン(埼玉、ハーフ)は1時間33分31秒でクリア。自己ベストにわずか5秒と迫った。
とはいっても、自己新を狙うという考え方はまったくなかった。1キロ=4分25秒のペースを守って走りきろうと目標を立てたのである。そのペースを守れば、結果的に自己ベストが出るわけだが、フィニッシュタイムを意識して走るのではなく、決めたペースを守り続けることに集中した。
21キロを走るというより、5キロ走を4回とちょっとこなす、というイメージで臨んだのだ。
■ハーフは自己採点で「80点」とまずまず
終盤に少々ペースダウンしたため、目標から20秒遅れ(1キロ当たりにすると、ほぼ1秒の遅れ)たが、その4日前に25キロ走(1キロ=5分ペース)をしていたことを考えれば、まずまずの結果だと思う。
11月11日の「いわい将門マラソン(ハーフ、茨城)」は1キロ=4分30秒で進めた結果、少し余裕を残しながら目標どおりに1時間35分6秒でゴールした。
そして今回の「加須こいのぼりマラソン」は、そのときより1キロ当たり5秒ペースを速めて、自己採点では「80点」のでき。2週連戦の第1ステップをまずまずの結果でクリアしたと思う。
だが、問題はここからだ。ほぼ力を出し切ってハーフマラソンをこなしてから1週間で、フルマラソンをまともに走れるだろうか。5年前に2週連続でフルマラソンに挑み、連続自己ベストを出したことがあるが、もう私は51歳になろうとしている。
■アップダウンのきついタフなコース
最近は、フルマラソンの前に調整レースとしてハーフマラソンを入れる場合は、3週間前の大会にしている。2週間前では疲労が抜けきらない。
だというのに今回は2週連戦への挑戦である。しかも、参戦予定の「さのマラソン(栃木・佐野市)」のコースはかなりタフ。直前に調べて初めて知ったのだが、スタートから中間点まで標高にして110メートルをほぼ上り続ける。その峠を越えて一服したと思ったら、しばらくして折り返し、また同じ峠を越さなくてはならない。下り基調になるのは30キロを過ぎてからだ。
かなり嫌な予感がした。気持ちが暗くなった。きっと、つらいレースになるだろう。
2週連戦のうえに、アップダウンのきついコース。さらに困ったことに、天気予報によると「強風が吹く」という。私は腰が引けた。逃げ出したくなった。前夜、欠場しようかとさえ考えた。
■「体をいじめるために走る」と決意したが…
しかし、これはトレーニングではないか。いわば、体をいじめるために走るのである。条件がきつければ、きついほど効果があるのだ。こうなったら、とことん自分をいじめてやろうではないかと決心した。
実に勇ましいではないか。しかし、勇ましかったのはそこまでで、私は当日、みじめなほど打ちのめされた。ボクシングでいえば2度、3度ダウンし、TKO負け寸前までいった、といえるだろう。
スタート時の気温は4度ほどだったと思う。予想された風は30分以上走ってから、にわかに強くなった。コースマップの標高図を頭に置いて、とにかく中間点まで我慢して走ろうと考えた。
終盤は思い切り駆け降りるイメージだが、それはもちろん、そこまで余力が残っていればの話になる。
■集団の中に気を置く
しばらく走ってから、風が強いのだから集団の中に入ったほうがいいと気付いた。ちょうど50メートルほど前に10人ほどのグループがいる。多少無理をしてでもスピードアップして、追いつかなければと決意した。
こういうときは川内優輝選手(埼玉県庁)の根性走りを頭に浮かべ、歯を食いしばるしかない。あの苦悶(くもん)の表情を思い出すと、力が湧いてくる。まだ序盤なので、それくらいのパワーはある。
集団に追いついたところでホッとした。想像していたとおり、このほうが格段に楽に走れる。集団の最後尾に身を置いて、リラックスした。先頭を引っ張っているランナーに申し訳ない感じだが、「私が代わりましょう」と言うほどの余裕はない。
■靴ひもがほどけるアクシデント
最初の5キロは多少の渋滞のため23分14秒。そこから先は集団に入れてもらったおかげで、5キロごとのタイムが22分28秒、22分26秒と快調だった。
というより、これはちょっと速すぎる。1キロ=4分30秒で走っていることになる。想定していたペースより10秒速い。しかし、集団がこのペースを刻んでいるのだから、仕方がない。多少オーバーペースだが、離脱するのは得策ではないと考えた。
とにかくついていこう。いくしかない。しかし、15キロ過ぎでアクシデントが一つ。悔しいことに、靴ひもがほどけてしまい、結び直すのに15秒ほどロスした。当然、集団は私を待っていてはくれない。50メートルほど先行された。また「川内式根性走り」をするしかない。もがき苦しみ、どうにかこうにか集団をとらえた。
ホッと一息ついた途端、突如として険しい上り坂が姿を現した。やっと集団に追いついたのに、そりゃないでしょ。これって、いじめ?
気力が萎えるのに、3秒もかからなかった。コースマップの標高図を見て、あらかじめ分かっていたことではあるが、これはつらい。私は心にも足にも急ブレーキが掛かり、あっという間に集団は消えた。その姿を視線で追うこともしなかった。
■ぺたぺたと力のない走りに
背を丸め、足元に視線を落とし、ぺたぺたと力のない走りに陥った。「中間点まで上り、その先は何とか粘ろう」と考えていたのに、中間点に到達したときにはすでに集中力を失い、そこから先のレースマネジメントをする力もほとんど失っていた。無理をして集団を追走したツケが出たともいえる。
中間点を過ぎて下り坂になってもスピードは一向に上がらない。15~20キロは22分41秒でクリアしたが、その先の10キロは49分11秒(25キロで時計のボタンを押し忘れた)へと大きくペースダウンした。
しかし、これはまだ「地獄の入り口」だった。この先、とんでもなくひどいことになった。
■33キロあたりでついに歩く
32キロあたりで、体に力が入らなくなった。たぶん脱水症状だったのだろう。風が強いため、汗をかいてもシャツがすぐに乾いてしまう。だから、どれだけ発汗しているのか、わかりにくい。夏だけでなく、冬場も脱水に気をつけなくてはいけないという、原稿を書いたことがあるのに、すっかりそのことを忘れていた。
30キロの給水所で、しっかりと水分補給をしなかったのがいけなかったのかもしれない。次の給水所まで行けば何とかなると信じたが、確か次は……そういえば35キロまでない。
33キロあたりで、私はついに立ち止まった。歩くことしかできない。なんとか気力を振り絞って再び走り始めるが、長くはもたない。悲しくもなり、寂しくもなり、むなしくもなった。いったい、どうなるんだと不安になった。
レース中、途中で歩くのはいつ以来だろうか。かなり久しぶりだと思う。体はガタガタ。今回は別大のために自分をいじめるのだと思っていたが、これはいじめ過ぎでしょう。こんなことになるとは思っていなかった。
沿道から「頑張って」と声が掛かるが、頑張れるわけがない。しかし、このままゴールまで7~8キロも歩いて行くのもつらいよなあと思った。結局、走るしかないのだ。
■35キロの給水所で救われる
よたよたと走っていくと、ようやく給水所にたどり着いた。30~35キロは27分51秒も要した。ここで、スポーツドリンクとお湯とバナナを補給。寒さしのぎに、お湯が用意されていたのはこの給水所だけだったと思う。これで救われた感じがする。
給水を終えて走り始めると、だいぶ力が戻っている。少しまともに走れるようになり、35~40キロは26分16秒。残りを11分29秒でこなし、3時間25分36秒でゴールした。
考えてみると、よく最後まで走ってきたなあと思う。ゴール地点の陸上競技場には「ロッキー」のテーマがかかっていた。ゴールできたことがうれしかったのかもしれない。ジーンときた。
いやー、今回は本当に鍛えてもらいました。さのマラソンのタフなコースに感謝しなければならない。吹き荒れた風に感謝しなければならない。
「ありがとー!」と叫びたかった。もちろん、かなりやけくそです。ほとんど思考停止状態です。