750年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 05:52 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動千年紀: | 1千年紀 |
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世紀: | 7世紀 - 8世紀 - 9世紀 |
十年紀: | 720年代 730年代 740年代 - 750年代 - 760年代 770年代 780年代 |
年: | 750年 751年 752年 753年 754年 755年 756年 757年 758年 759年 |
750年代(ななひゃくごじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)750年から759年までの10年間を指す十年紀。
できごと
750年
751年
752年
- 東大寺大仏の開眼供養が行われる。
753年
- 唐僧の鑑真が日本に着く。
- ダンティドゥルガがラーシュトラクータ朝を興す
755年
- 唐で安史の乱が起こる。(- 763年)
756年
- 正倉院の始まり(聖武太上天皇の77回忌に当たり、遺品を東大寺に施入する)。
- フランク王小ピピンが北イタリアをランゴバルドから奪い、ローマ教皇に寄進する。
- ウマイヤ家のアブド・アッラフマーン1世がイベリア半島で独立し後ウマイヤ朝を興す。イスラム帝国は分裂する。
758年
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
750年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:03 UTC 版)
詳細は「750年代」を参照 750年 - ザーブ河畔の戦いで、アッバース朝がウマイヤ朝残党に勝利する。アッバース朝初代宰相(ワズィール)アブー・サラマが暗殺され、以後シーア派の粛清が続く。 750年頃ヴァティカン図書館に所蔵されている『ゲラシウスの典礼書(英語版)』がフランク王国で作られる。 スウェーデンのゴットランド島の「アードレの画像石(英語版)(ルーン石碑)」が建立される。 南シベリアのテレホリ湖の島にウイグル人の王宮であるポル=バジンが作られる。 ベンガル地方にパーラ朝が成立。 751年唐の高仙芝が中央アジアに遠征し、タラス河畔でアッバース朝に敗れる(タラス河畔の戦い)。 ランゴバルド王アイストゥルフが東ローマ帝国のラヴェンナ総督府を占領。ローマとラヴェンナを結ぶ「ビザンティン回廊(Byzantine Corridor:フラミニア街道)」の終焉。 フランク王国でソワソン会議によりメロヴィング朝のキルデリク3世が廃位される。カール・マルテルの子ピピン3世(小ピピン)が国王に選出され、カロリング朝が成立する。 新羅の宰相金大城が都の慶州に石窟庵と仏国寺を建立。 752年天竺僧菩提僊那を導師として東大寺大仏の開眼供養が行われる。 東大寺二月堂が創建され、実忠により最初の修二会(十一面悔過、お水取り)が行われる。 753年唐の朝賀で遣唐使大伴古麻呂が新羅の使者と席次を争う。 唐僧の鑑真が阿児奈波嶋(現在の沖縄本島)を経て日本に着く。阿倍仲麻呂・藤原清河は難破して安南に漂着し日本に帰れず。 ダンティドゥルガ(英語版)が前期チャールキヤ朝を滅ぼしラーシュトラクータ朝を興す。 754年ヒエレイア教会会議(英語版)で聖像破壊論者が聖像崇敬を断罪する。 教皇ステファヌス2世とフランク王ピピン3世とのポンティオン(英語版)の会見。 宣教師ボニファティウスがフリースラントのドックムで殉教する。 イスラム支配下のスペインで『754年のモサラベ年代記』が執筆される。 755年唐で安史の乱が起こる(- 763年)。 渤海国王大欽茂が中京顕徳府から上京龍泉府に遷都。 アッバース朝建国の功臣アブー・ムスリムがカリフ・マンスールに処刑される。 756年安禄山が洛陽で大燕皇帝を名乗る。唐の玄宗が長安から出奔。馬嵬にて楊国忠・楊貴妃を処刑。玄宗に代わり粛宗が霊武にて即位。 聖武太上天皇死去。聖武太上天皇の七七忌に当たり、東大寺に遺品を施入したのが正倉院の始まり。 フランク王ピピン3世がラヴェンナとペンタポリス(英語版)をランゴバルドから奪う。これらの領土は教皇ステファヌス3世に寄進され(「ピピンの寄進」)、ローマ教皇領の始まりとなる。 ウマイヤ朝の王族アブド・アッラフマーン1世がムサラの戦いで勝利し、コルドバでアミールを名乗る。これにより後ウマイヤ朝がイベリア半島で独立し、イスラム帝国は分裂する。 ラシュトラクータ朝のクリシュナ1世が即位。この王のもとでエローラ石窟のカイラーサナータ寺院が建造される。 コンカン地方ムンバイ近郊ガーラープリー島エレファンタ石窟群もこの時代までに整備される。 757年イスラム世界で最初の製紙工場がサマルカンドに設立される。 安禄山が安慶緒に殺害される。唐とウイグルの連合軍が長安を奪回。 孝謙天皇が道祖王を廃太子とし、大炊王を皇太子とする。橘奈良麻呂の乱。 養老律令の制定。 758年孝謙天皇が譲位し、第47代淳仁天皇が即位する。 唐の塩鉄使の第五琦が塩の専売制を行う。 唐の顔真卿による「祭姪文稿」が書かれる。 唐の粛宗の王女寧国公主がウイグルの葛勒可汗と婚姻する。 759年安慶緒が史思明に殺害される。 フランク王ピピン3世がナルボンヌを奪回し、南フランスからイスラム教徒を放逐。 鑑真により唐招提寺が創建される。 『万葉集』に採録された最も年代の新しい大伴家持の和歌が詠まれる。この年以降に『万葉集』が成立する。
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