800年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 05:53 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動千年紀: | 1千年紀 |
---|---|
世紀: | 8世紀 - 9世紀 - 10世紀 |
十年紀: | 770年代 780年代 790年代 - 800年代 - 810年代 820年代 830年代 |
年: | 800年 801年 802年 803年 804年 805年 806年 807年 808年 809年 |
800年代(はっぴゃくねんだい)は、
できごと
800年
801年
802年
803年
804年
805年
- 唐の天台山にのぼり、天台教学を受けた最澄が日本に帰国。
806年
807年
- 日本で、生野銀山が開坑された。
808年
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
800年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 05:17 UTC 版)
詳細は「800年代」を参照 800年頃チチカカ湖周辺のティワナク文化(ティワナクV期前半)が最盛期を迎える。 インドのラージャスターン州ジャイプル近郊にあるチャンド・バオリの階段井戸が建設される。 室生寺の五重塔が建立される。 801年征夷大将軍の坂上田村麻呂が陸奥へ向かう。 畿内の班田を12年に一度とする。 バルセロナ包囲戦でカール大帝がイスラム勢力に勝利しバルセロナ伯を設置。 802年ジャヤーヴァルマン2世(英語版)がカンボジアを統一し、アンコール朝が成立。 東ローマ帝国で女帝エイレーネーが政変で廃位され、皇帝ニケフォロス1世が即位。 坂上田村麻呂が胆沢城を築く。後に鎮守府を置く。蝦夷の大墓公阿弖流為ら降伏する。 スコットランド北西ヘブリディーズ諸島のアイオナ修道院がヴァイキングに襲撃される(続く806年、825年にも)。 803年カール大帝がアッバース朝のハールーン・アッ=ラシードに派遣していた使節がアーヘン宮廷に戻る。ハールーン・アッ=ラシードから贈られた象「アブル=アッバース」を伴っての帰国となる。 ハールーン・アッ=ラシードがジャアファルを処刑。バルマク家一族を粛清。 東ローマ皇帝ニケフォロス1世と西ローマ帝国カール大帝の講和(ニケフォロスの平和(英語版))。この講和により東ローマに服属しつつ、ヴェネツィアが事実上の独立を勝ち取る。 坂上田村麻呂が志波城を築く。 804年坂上田村麻呂を再び征夷大将軍に任ずる。 最澄と空海が唐にわたる。 805年唐の皇帝順宗が即位し政治改革を志す(永貞の革新)。宦官や保守派の巻き返しで退位させられ、息子の憲宗が即位。 王叔文(中国語版)・柳宗元・劉禹錫らの少壮官僚らが失脚(ニ王八司馬事件(中国語版))。 最澄が天台宗を学んで帰国。 菅野真道と藤原緒嗣との間で「徳政相論」が行われる。 カール大帝によりアーヘン宮廷礼拝堂(アーヘン大聖堂)が完成し奉献される(796年 - )。 806年桓武天皇が没し、第51代平城天皇が即位。 空海が真言宗を学んで帰国。 カール大帝による「国王分割令」(ディヴィシオ・レグノールム)。 アッバース朝の小アジア侵攻。アッバース朝が東ローマ帝国から小アジアのティアナ・ヘラクレアを奪う。ラーフィー・イブヌル・ライスの反乱。 807年伊予親王の変。 生野銀山が開坑される。 809年ハールーン・アッ=ラシードが死去。 平城天皇が譲位し、第52代嵯峨天皇が即位(崇文の治)。
※この「800年代」の解説は、「9世紀」の解説の一部です。
「800年代」を含む「9世紀」の記事については、「9世紀」の概要を参照ください。
「800年代」の例文・使い方・用例・文例
- 800年代のページへのリンク