サイドポンツーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/10 16:20 UTC 版)
1960年代後半になると、F1などモータースポーツではタイヤの扁平化が進み、前方投影面積の増加により高速走行時に発生するタイヤの空気抵抗が大きくなってきた。そのために、フロントウィングで前輪を避けるように気流を調節したり、フロントウィング自体をラジエータとすること等で克服していたが、1970年前半には後輪の前方にラジエータあるいは吸気口を設置することがトレンドとなった。1972年、安全性能向上の観点から燃料タンクを保護する衝撃吸収構造がレギュレーションにより義務付けられたことから始まる。運転席サイド及び後方にある燃料タンクを保護するためには、その両側に衝撃吸収構造を設ける必要があった。初期には発泡材等を取り付けることにより燃料タンクの保護としていたが、発泡材に替わってラジエータやそのダクトを衝撃吸収構造としたものがサイドポンツーンの走りである。 1970年代後半になると、このサイドラジエータは前述のウィングカー構造の構成部品となり、主要なダウンフォース発生装置の一つとなる。大きさも巨大になり、前輪と後輪の間の空間を全てカバーするまでに至る。 しかし1983年にはウィングカー構造が禁止されたため、サイドラジエータは極端に小さいものが流行になった。1983年初頭には極端にサイドラジエータを小さくしエンジンに密着させ、1970年頃のようなスリムな車体のティレル012-FordやブラバムBT52-BMWなどが登場する。しかしこのころ流行していた過給エンジンの大きな発熱を処理するため、この小さいサイドラジエータは主流にはならなかった。 1984年になると、サイドラジエータを再度ダウンフォース発生装置として利用しようとするエンジニアが現れ、また大型化が推し進められることになる。この構造は、サイドラジエータを前後輪の中間ほどまで前に移動させ、その後端と後輪の間に空間を作る。この空間には、前述のフラットボトム規定により平面になった車体底面の延長上に平らな板を設置した。前方から流れてきてサイドラジエータによって押しのけられた空気が、サイドラジエータと後輪の間にある空間に流れ込むと、この板を押し下げてダウンフォースを発生させる。また、この板が底面下の気流を整え後輪に乱気流を当てないようにするという効果もあった。 この構造はサイドポンツーンとして定着し、1990年代後半まで継続的に、そして補助的に用いられた。サイドポンツーンによるダウンフォースの発生はわずかなものであるが、ラジエータを前に出したことで車重の前後バランスが向上し、運動性能の向上に恩恵を与えたこと、コクピットを衝撃から守る助けになったというのがその理由である。 (名前の由来はポンツーンを参照)
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サイドポンツーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 11:41 UTC 版)
842は、ナローモノコックにしたことで、サイドウイングの幅を広げることができた。 フラットボトムレギュレーション規定で、サイドウイング横のウイングスカート部にもロードクリアランス40㎜が適用されるので、スカート部にもモノコックと同じ高圧縮べニアを幅120㎜で貼り付けた。幅の広いスカート部は、スカート外側からウインドトンネルに流れ込む空気にとって、同じスカートクリアランスでも距離が長いほど抵抗が大きくなりからである。 ウインドトンネル部の形状は、832では、入り口部では間隔が広く後方にいくにつれて狭くなっていたが、842では、ほぼストレートとなり、空気の流れを良くしている。 サイドウイングの下面形状は、リアサスペンションのアッパー側ビボットに干渉しないように後部の跳ね上がりが強くなり幅方向に段がついた。 エンジンアンダーカバー部も、エンジンが4度前傾されているので、エンジンの中ほどより後方は、せりあがった形状になって、車体中央部でもダウンフォースを稼ぐようになった。
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