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トラビス・ブラックリーとは? わかりやすく解説

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トラビス・ブラックリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 09:31 UTC 版)

トラビス・ブラックリー
Travis Blackley
東北楽天ゴールデンイーグルス時代
(2014年5月25日、明治神宮野球場にて)
基本情報
国籍 オーストラリア
出身地 ビクトリア州メルボルン
生年月日 (1982-11-04) 1982年11月4日(39歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 アマチュア・フリーエージェントとしてシアトル・マリナーズと契約
初出場 MLB / 2004年7月1日
KBO / 2011年4月3日
NPB / 2014年5月25日
最終出場 KBO / 2011年10月5日
NPB / 2014年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴
国際大会
代表チーム オーストラリア
WBC 2009年2017年予選2017年
プレミア12 2019年

トラビス・ジャレッド・ブラックリーTravis Jarred Blackley, 1982年11月4日 - )は、オーストラリア連邦ビクトリア州メルボルン出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

弟のアダム・ブラックリーもプロ野球選手。

経歴

マリナーズ時代

2000年10月29日にシアトル・マリナーズと契約を結んだ。

2001年は、A-級エバレット・アクアソックスで78回2/3イニングを投げ6勝1敗、防御率3.32、奪三振90を記録した。

2002年は、同じA級のサンバーナーディーノ・スタンピード英語版で121回1/3を投げ、5勝9敗防御率3.49で152奪三振を挙げ、奪三振数ではマリナーズ傘下のマイナーチームでは2位の数だった。

2003年は、AA級サンアントニオ・ミッションズで投げ、162回1/3(リーグ4位)を投げて17勝(同1位)防御率2.61(同2位)144奪三振(同4位)。17勝はチームが所属するテキサスリーグでは1978年ジェフ・リアドン以来の数字だった。またテキサスリーグのオールスターゲームと、USセルラー・フィールドで行われたオールスター・フューチャーズゲームの世界選抜にも選出され、マリナーズのマイナーチームでのpitcher of the yearにも選ばれた。

2004年は、ベースボール・アメリカのトップ100プロスペクトで63位に入り、マリナーズ傘下のマイナーチームではフェリックス・ヘルナンデスクリント・ナジョット英語版に次ぐ3番目のプロスペクトという評価を受けた。2004年シーズンはAAA級タコマ・レイニアーズで開幕を迎えたが、フレディ・ガルシアシカゴ・ホワイトソックストレードされて先発の枠に空きが生じたため、7月1日にマリナーズとメジャー契約を結び、同日のテキサス・レンジャーズ戦で先発起用されメジャーデビュー。5回2/3を投げて被安打6、4失点でメジャー初勝利を手にした。マリナーズの歴史でメジャーデビューで先発し勝利をあげた6人目の投手となった。しかし、その後1ヶ月は6度先発し1勝3敗、防御率10.04と成績が振るわず、8月1日にAAA級タコマへ降格した。AAA級では18回先発して8勝6敗防御率3.83とまずまずの成績を残すが、シーズン終盤に左肩の炎症で故障者リスト入りとなった。

2005年3月3日に、左肩の故障で60日間の故障者リスト入りし、シーズンを全休した。

2006年開幕前の3月に開催された第1回WBCオーストラリア代表に選出されるが、肩のリハビリのため辞退した。シーズンではAA級サンアントニオで25試合に先発し、8勝11敗・防御率4.06の成績を残した後、AAA級タコマに昇格し、2試合に先発し、1勝1敗、防御率4.09でシーズンを終える。

ジャイアンツ時代

サンフランシスコ・ジャイアンツ時代
(2007年10月16日)

2007年4月1日にジェイソン・エリソン英語版とのトレードで、サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍した。傘下のAAA級フレズノ・グリズリーズで開幕を迎え、28試合に先発し、10勝8敗、防御率4.66だった。9月23日にメジャーへ昇格し、同日のシンシナティ・レッズ戦でに3年ぶりとなる先発を任される。初回に2点を取られたが、残りを抑え5回を被安打3、4四球、5奪三振だった。オフの10月10日に40人枠を外れ、AAA級フレズノへ降格した。オフの11月に第37回IBAFワールドカップのオーストラリア代表に選出された。同大会では、予選・決勝全体で0勝1敗防御率1.64の好成績を記録。チームは予選のBグループを突破した末に、決勝トーナメントへ進出するが、初戦の日本戦に0-3で敗れた。ブラックリーは日本打線を抑えるも、日本代表の先発・攝津正がオーストラリア打線に得点を全く許さなかったため敗戦投手となった。

大会終了後には日豪親善野球日本代表最終強化試合のオーストラリア代表に選出された[1]。11月22日の試合に先発登板し、3回3被安打1失点で敗戦投手になったものの、1回裏には、巧妙な牽制球で日本代表の一塁走者・西岡剛からアウトを奪った。ちなみに、星野は試合後に「(西岡が)強烈な牽制を受けたことにド肝を抜かれた。(日本代表の)ダッグアウトでは、(西岡がアウトになった瞬間)誰もが『あんなのありかよ』と(叫んでいた)。(牽制の技術が)器用すぎるのでちょっと戸惑った」との感想を漏らしている[2]

フィリーズ傘下時代

2007年12月6日に行われたルール・ファイブ・ドラフトフィラデルフィア・フィリーズから指名され、移籍。

2008年はAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスでプレー。シーズン終了後にFAとなった。

ダイヤモンドバックス傘下時代

AAA級リノ時代
(2009年4月12日)

2008年12月19日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約した。

2009年は開幕前の3月に開催された第2回WBCのオーストラリア代表に選出された[3]。同大会では、キューバ戦に先発登板し、5回2/3を1失点に抑えた。シーズンでは、4月1日に40人枠を外れ、AAA級リノ・エーシズへ降格した。

メッツ傘下時代

2010年2月4日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結び、AAA級バッファロー・バイソンズで開幕を迎えたが、5月2日に解雇される。

アスレチックス傘下時代

その後、メキシカンリーグを経て[4]、2010年5月17日にオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結び、シーズンの大半をAAA級サクラメント・リバーキャッツでプレーした。オフには2010年から始まったオーストラリアン・ベースボールリーグに参加し、メルボルン・エイシズに所属した。12月5日のシドニー・ブルーソックス戦では降雨コールドながら1安打完封を記録した。

起亜タイガース時代

2011年1月14日に韓国プロ野球起亜タイガースと契約した。登録名は「トラビス」。25試合に登板して7勝5敗・防御率3.48・115奪三振の成績を残した。

ジャイアンツ時代

2012年2月15日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに参加。5月1日ジャイアンツとメジャー契約を結び、リリーフとして4試合に登板したが、5月13日に戦力外となった。

アスレチックス時代

オークランド・アスレチックス時代
(2012年7月29日)

2012年5月15日にウェイバーオークランド・アスレチックスへ移籍し、5月18日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦にリリーフとして移籍後初登板。5月28日のミネソタ・ツインズ戦では移籍後初めて先発し、その後先発ローテーションに加わる。24試合(先発15試合)に登板して6勝4敗・防御率3.86・69奪三振の成績を残した。

2013年3月29日に戦力外となった。

アストロズ時代

2013年6月29日

2013年4月4日にジェイク・ゴーバートとの交換トレードで、ヒューストン・アストロズへ移籍した。8月8日に戦力外となり、10日にAAA級オクラホマシティ・レッドホークスへ降格した。

レンジャーズ時代

2013年8月14日にトレードでテキサス・レンジャーズへ移籍し[5]、20日にレンジャーズとメジャー契約を結んだ。オフの11月4日にFAとなった。

楽天時代

2013年12月21日に東北楽天ゴールデンイーグルスと契約合意した[6]

2014年5月25日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で来日初登板。5回2失点の内容で試合は継投で楽天が3対2で勝利し、来日初勝利を挙げた[7]。12月2日に自由契約公示された[8]

楽天退団後

2015年1月12日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結ぶが、4月2日に自由契約となった。4月24日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ。傘下のAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズでプレーし、23試合(先発12試合)に登板して5勝7敗・防御率5.46・66奪三振の成績を残した。オフに自由契約となる。

2016年開幕前の1月28日に第4回WBC予選のオーストラリア代表に選出された[9][10]。2月14日の決勝戦南アフリカ戦に先発登板したが6回途中4失点とリードを許したまま降板して、勝利投手になれなかった。同大会でオーストラリアは本戦出場を決めている。大会終了後の4月19日にメキシカンリーグプエブラ・パロッツと契約。オフの12月20日にデトロイト・タイガースとマイナー契約を結んだ[11]

2017年1月6日に傘下AAA級トレド・マッドヘンズへ配属された[12]。シーズン開幕前の2月9日に第4回WBC本戦のオーストラリア代表に選出された[13]。3月9日の中国戦に先発登板し、勝利投手となった。WBC終了後の3月30日に解雇され[14]、4月7日に前年まで所属していたパロッツへ復帰したが[15]、5月7日に解雇となる。7月6日に独立リーグ・パシフィック・アソシエーションピッツバーグ・ダイアモンズ英語版と契約し、2018年まで所属した。

2019年プレミア12のオーストラリア代表に選手された[16]

2021年2月7日、自身のツイッターにおいて現役引退を発表した[17]

選手としての特徴・人物

打たせて取る投球スタイルが特徴[18]。持ち球はツーシームチェンジアップスライダーカットボールなど[19][20]

妻と2005年に生まれた一人の息子がおり、オフは家族でアリゾナ州フェニックスに住んでいる。

詳細成績

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2004 SEA 6 6 0 0 0 1 3 0 0 .250 134 26.0 35 9 22 0 1 16 3 1 31 29 10.04 2.19
2007 SF 2 2 0 0 0 0 0 0 0 .000 40 8.2 10 2 5 0 0 5 0 1 7 7 7.27 1.73
2011 起亜 25 22 1 1 0 7 5 0 1 .583 548 126.2 120 13 62 0 3 115 0 0 59 49 3.48 1.44
2012 SF 4 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 25 5.0 7 0 2 0 0 2 1 0 6 5 9.00 1.80
OAK 24 15 0 0 0 6 4 0 0 .600 419 102.2 91 10 30 1 3 69 6 3 47 44 3.86 1.18
'12計 28 15 0 0 0 6 4 0 0 .600 444 107.2 98 10 32 1 3 71 7 3 53 49 4.10 1.21
2013 HOU 42 0 0 0 0 1 1 0 14 .500 152 35.0 30 10 20 4 1 29 4 0 19 19 4.89 1.43
TEX 4 3 0 0 0 1 1 0 0 .500 59 15.1 16 2 2 0 0 11 3 0 8 8 4.70 1.17
'13計 46 3 0 0 0 2 2 0 14 .500 211 50.1 46 12 22 4 1 40 7 0 27 27 4.83 1.35
2014 楽天 3 3 0 0 0 1 2 0 0 .333 63 13.0 21 2 5 1 0 7 1 0 9 8 5.54 2.00
MLB:4年 82 26 0 0 0 9 9 0 14 .500 799 215.2 189 33 81 5 5 132 18 5 108 102 5.23 1.40
KBO:1年 25 22 1 1 0 7 5 0 1 .583 548 126.2 120 13 62 0 3 115 0 0 59 49 3.48 1.44
NPB:1年 3 3 0 0 0 1 2 0 0 .333 63 13.0 21 2 5 1 0 7 1 0 9 8 5.54 2.00
  • 2020年度シーズン終了時

記録

MiLB
NPB

背番号

  • 48(2004年)
  • 29(2007年)
  • 99(2011年)
  • 56(2012年 - 同年途中)
  • 54(2012年途中 - 2013年途中、2016年)
  • 59(2013年途中 - 同年終了)
  • 15(2014年)

代表歴

脚注

  1. ^ 日豪親善 野球日本代表最終強化試合 オーストラリア代表チーム[リンク切れ] 日本野球機構オフィシャルサイト 2015年6月6日閲覧
  2. ^ 楽天メジャー左腕ブラックリー獲得へ(『日刊スポーツ2013年12月19日付記事)
  3. ^ 2009 Tournament Roster[リンク切れ] WBC公式サイト (英語) 2015年3月22日閲覧
  4. ^ https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=blackl001tra
  5. ^ Rangers acquire left-hander Blackley from Astros
  6. ^ トラビス・ブラックリー選手との契約合意に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト (2013年12月21日). 2013年12月21日閲覧。
  7. ^ 楽天 ブラックリーが初登板初勝利 ヤクルト 拙攻の4併殺 スポーツニッポン2014年5月25日配信
  8. ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。
  9. ^ Team Australia’s Roster Announced for Sydney Qualifier Baseball Australia (英語) (2016年1月28日) 2016年2月16日閲覧
  10. ^ Managers, schedule, rosters set for Classic Sydney qualifier Archived 2016年2月19日, at Archive.is The official site of World Baseball Classic (英語) (2016年1月28日) 2016年2月16日閲覧
  11. ^ MLB公式プロフィール参照。2017年2月6日閲覧。
  12. ^ International League Transactions January 2017 MiLB.com (英語) (2017年1月6日) 2017年5月1日閲覧
  13. ^ Australia’s roster finalised for WBC Baseball Australia Southern Thunder (英語) (2017年2月9日) 2017年2月13日閲覧
  14. ^ International League Transactions March 2017 MiLB.com (英語) (2017年3月30日) 2017年5月1日閲覧
  15. ^ Mexican League Transactions April 2017 MiLB.com (英語)
  16. ^ DAVID PENROSE (2019年10月8日). “BORAL TEAM AUSTRALIA'S PREMIER12 ROSTER ANNOUNCED”. baseball.com.au. 2021年1月21日閲覧。
  17. ^ Travis_Blackleyの2021年2月7日のツイート- Twitter
  18. ^ 楽天ブラックリーは打たせて取る「攻撃につなげていきたい」 - スポニチ Sponichi Annex 野球” (日本語). スポニチ Sponichi Annex. 2022年8月5日閲覧。
  19. ^ 楽天ブラックリー モヤモヤと乳酸流した - プロ野球ニュース” (日本語). nikkansports.com. 2022年8月5日閲覧。
  20. ^ 豪州先発の元楽天ブラックリーが5回無失点の快投「的を絞られないように」” (日本語). Full-Count(フルカウント) ― 野球ニュース・速報・コラム ― (2018年3月3日). 2022年8月5日閲覧。

関連項目

外部リンク




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