【日本軍】(にほんぐん)
日本国の正規軍。
時代によって、以下の二つのいずれかがこう定義されているが、一般的に1868年~1945年までの日本(大日本帝国)の正規軍を指す。
大日本帝国軍のルーツ
大日本帝国軍は、1868年に起きたクーデター「明治維新」の実働兵力であった「官軍」の流れを汲んでいる。
創設に当たっては、欧州各国軍隊のノウハウや各種の技術を積極的に取り入れ、(平安時代末期以来700年余り続いた)武士階級による戦闘集団から近代的な国民軍への転換を目指した。
社会制度改革などと合わせた各方面の努力の甲斐もあって、後の日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦では戦勝国となり、イギリスやアメリカと並ぶ「列強国」として知られるようになるなど、有色人種国の中で唯一西洋と対等に渡り合えるアジア最強の軍隊に成長した。
しかし、そのことがかえって他国の警戒感や反発を招き、第二次世界大戦の泥沼に巻き込まれていく事になり、終戦後の1945年11月30日、ポツダム宣言の規定により連合国軍総司令部(GHQ)によって廃止された。
関連:IJA IJN
大日本帝国陸軍
「日本陸軍」、「帝国陸軍」、「陸軍」とも呼ばれた。
1872年に「兵部省」が「陸軍省」として「海軍省」とともに分割・設置され、陸軍はフランス式(後にドイツ式)の軍隊として成立した。
大日本帝国憲法により、陸海軍大元帥である天皇の下、軍政・人事を所掌する「陸軍省」、軍令、作戦、動員を所掌する「参謀本部」そして教育を所掌する「教育総監部」の3つの機関が設けられ、各々のトップたる「陸軍大臣」、「参謀総長」、「教育総監」が天皇を除いて、陸軍の最高位にあり、「陸軍三長官」とも呼ばれ、陸軍の中枢をなしていた。
その下に、陸軍省の外局や陸軍士官学校などの教育機関、各種実戦部隊、さらに元帥府などの様々な組織・機関があった。
とくに参謀本部は、戦争時や事変時に置かれる最高統帥機関である大本営での「陸軍部」として、大元帥(天皇)の名の下に発せられる「大本営陸軍部命令」を作成する存在だった。
陸軍内の派閥争い
昭和初期になると陸軍内で、武力によって天皇親政を目指す「皇道派」と、財閥・官僚と結んで、合法的に高度国防国家の建設を目指す「統制派」の2つの派閥が生まれ、派閥争いが起こった。
そして1935年8月に統制派の幹部である永田鉄山軍務局長が皇道派の相沢三郎中佐に暗殺する事件が起こり、両派の対立が激しくなり、1936年に二・二六事件が発生。
これによって皇道派は発言力を失って衰退し、統制派が終戦まで軍部の実権を握るようになった。
大日本帝国海軍
「日本海軍」、「帝国海軍」、「海軍」とも呼ばれた。
1872年に「兵部省」が「海軍省」として「陸軍省」とともに分割・設置され、海軍はイギリス式の軍隊として設置された。
大日本帝国憲法により、陸海軍大元帥である天皇の下、軍政を所掌する「海軍省」、作戦・指揮などを担当する「軍令部」が置かれ、各々のトップである「海軍大臣」、「軍令部長」が、海軍における事実上の最高位にあった。
海軍のトップは天皇だったが、実質、海軍大学校や海軍三校、軍需工場、鎮守府、連合艦隊を筆頭とする各種実戦部隊など、海軍の組織は海軍大臣・軍令部長の管理下におかれていた。
海軍の特徴
日本は周囲を海に囲まれた海洋国家のため、西太平洋の制海権確保を基本戦略としていた。
しかし実際には、日露戦争以後は艦隊決戦に重きを置くようになり、海軍本来の任務である「自国籍商船の安全通航確保」が軽視されていった。
そして大正期に連合艦隊が常設組織となり、海軍実戦部隊のほとんどを包含するようになると、ますますこの傾向に拍車がかかり、大東亜戦争期には連合国軍の仕掛けた通商破壊戦に対して有効な策を講じえず、結果として、戦争遂行のために必要な国家経済に重大な損害をもたらすことになってしまった。
陸軍と海軍との不仲について
どの国でも、伝統的に陸軍と海軍は(そして空軍も)仲が悪いものだが、こと大日本帝国軍に関しては、後世の視点から見れば異常とも感じられるほどの有様であった。
1936年の「二・二六事件」では、連合艦隊旗艦であった戦艦「長門」が東京に主砲を向け、東京の中心部を占拠していた陸軍の叛乱部隊を攻撃しようとしたことは有名であるが、これ以外にもさまざまな例がある。
- 海軍が陸上の航空基地から展開する四発大型爆撃機(連山)や爆撃機護衛のための長距離単発戦闘機(零戦)を開発した一方で、陸軍が航空母艦(オートジャイロ搭載母艦)や揚陸艦、(人員・資材輸送用の)潜水艦を自ら建造・運用した。
- 同口径の航空機搭載用機関砲・機関銃を、それぞれバラバラに開発した。(しかも弾薬に全く互換性がなかった)
- 同一メーカー・モデルの外国製航空機用エンジンの生産権を、陸海軍で個々に買い付けてライセンス生産していた。
- 陸軍がcm(センチメーター)を「センチ」と呼ぶから海軍は「サンチ」と呼ぶ。
など、まるで子供やヤクザの意地の張り合いかの如き様相を呈していた。
軍解体後の残務処理について
帝国陸海軍の監督官庁であった「陸軍省」「海軍省」は軍の解体後、「第一復員省」「第二復員省」と改められ、内外に残留していた将兵の復員・帰郷や日本列島周辺に散布された機雷の掃海といった残務処理に従事した。
その後、数度の改編を経て、現在は以下のように引き継がれている。
- 未処理のままとなっている機雷の探知・除去
- 防衛省(海上自衛隊)
- 軍人恩給の支給
- 総務省人事・恩給局
- 元将兵及び軍属の軍歴に関する資料の保管・証明書の発行
- 陸軍将兵・軍属:(当該人物が本籍を置いている)各都道府県
海軍将兵及び陸軍高等文官・従軍文官:厚生労働省社会・援護局 - 日本国内及びその周辺部の測量、地形図・海図の作成など
- 陸上における大規模三角測量・地形図の作成及び測量成果の更新(陸軍参謀本部陸地測量部所管):国土地理院
海図の作成、潮流の観測、海底地形の測量など(海軍水路部所管):海上保安庁海洋情報部
- 戦傷者及びその家族・戦死者の遺族・未帰還者の留守家族に対する援護(生活支援)など
- 財務省(金銭的補償として交付される国債(記名国債)の発行・交付)
株式会社ゆうちょ銀行・日本郵便株式会社(郵便局)及び日本銀行(記名国債の償還金の支払)
厚生労働省社会・援護局(上記以外の残務処理)
現代の「日本軍」
1952年(サンフランシスコ講和条約発効)以後の現代においては、自衛隊のことをこう指す。
国内において、憲法上の問題から様々な見解主張があるため「軍隊ではない」と主張しているが、海外のメディアが自衛隊を表す場合に用いる言葉はJapan Army、Japan Airforce、Japan Navyである。
自衛隊の公式英名である"Self Defence Force"を用いられることは友好国の軍関係者でもあまりなく、公式的なコメントや文書に辛うじて見ることができる程度である。
ただし、最近は徐々にとは言えどもSDFの名称が広がりつつある。
"Self Defence Force"は"Army"などの純軍事用語を避けるための苦肉の策であり、対外的にも「決して"Army"ではなく"Self Defence Force"だ」と広報しているが、"Force"という単語には「力」、「圧力」、「威力」などと同時に「武装集団」や「軍隊」という意味が込められており、英語圏の人々は"Self Defence Force"から容易に「国防軍」を連想するために軍隊ではなく自衛隊だという主張をしても全く理解されていない。
また、かつての所轄官庁である防衛庁(現在の防衛省)が公式英名を"Defence Agency"としていたが、政府機関で"Defence"を用いた場合は「軍隊を管轄する官庁」と言う意味に直結するため、決して「自衛隊を管轄する防衛庁(機関)」と理解されることはなく、「日本軍を管轄する国防省」という意味で認知されていた。
関連:よい説明の書き方
各国における軍隊管轄機関の名称例
なお、日本以外の各国における国防・軍事に関する官庁の英名の一例を以下に述べる。
- イギリス
- Ministry of Defence
- アメリカ
- Department of Defense
- カナダ
- Department of National Defence(カナダ軍:Canadian Forces)
- オーストラリア
- Department of Defence
これ以外にも大半の国では英名を「 ~ of Defence」としており、皮肉にも「防衛庁」を直訳したがために軍隊のイメージを決定的に印象付けてしまっている、という状況であった。
(その後、防衛省への改編に伴って上記の英国と同様の英訳名になった)
【日本軍】(にほんぐん)
日本国の正規軍。
時代によって、以下の二つのいずれかがこう定義されているが、一般的に1868年~1945年までの日本(大日本帝国)の正規軍を指す。
大日本帝国軍のルーツ
大日本帝国軍は、1868年に起きたクーデター「明治維新」の実働兵力であった「官軍」の流れを汲んでいる。
創設に当たっては、欧州各国軍隊のノウハウや各種の技術を積極的に取り入れ、(平安時代末期以来700年余り続いた)武士階級による戦闘集団から近代的な国民軍への転換を目指した。
社会制度改革などと合わせた各方面の努力の甲斐もあって、後の日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦では戦勝国となり、イギリスやアメリカと並ぶ「列強国」として知られるようになるなど、有色人種国の中で唯一西洋と対等に渡り合えるアジア最強の軍隊に成長した。
しかし、そのことがかえって他国の警戒感や反発を招き、第二次世界大戦の泥沼に巻き込まれていく事になり、終戦後の1945年11月30日、ポツダム宣言の規定により連合国軍総司令部(GHQ)によって廃止された。
関連:IJA IJN
大日本帝国陸軍
「日本陸軍」、「帝国陸軍」、「陸軍」とも呼ばれた。
1872年に「兵部省」が「陸軍省」として「海軍省」とともに分割・設置され、陸軍はフランス式(後にドイツ式)の軍隊として成立した。
大日本帝国憲法により、陸海軍大元帥である天皇の下、軍政・人事を所掌する「陸軍省」、軍令、作戦、動員を所掌する「参謀本部」そして教育を所掌する「教育総監部」の3つの機関が設けられ、各々のトップたる「陸軍大臣」、「参謀総長」、「教育総監」が天皇を除いて、陸軍の最高位にあり、「陸軍三長官」とも呼ばれ、陸軍の中枢をなしていた。
その下に、陸軍省の外局や陸軍士官学校などの教育機関、各種実戦部隊、さらに元帥府などの様々な組織・機関があった。
とくに参謀本部は、戦争時や事変時に置かれる最高統帥機関である大本営での「陸軍部」として、大元帥(天皇)の名の下に発せられる「大本営陸軍部命令」を作成する存在だった。
陸軍内の派閥争い
昭和初期になると陸軍内で、武力によって天皇親政を目指す「皇道派」と、財閥・官僚と結んで、合法的に高度国防国家の建設を目指す「統制派」の2つの派閥が生まれ、派閥争いが起こった。
そして1935年8月に統制派の幹部である永田鉄山軍務局長が皇道派の相沢三郎中佐に暗殺する事件が起こり、両派の対立が激しくなり、1936年に二・二六事件が発生。
これによって皇道派は発言力を失って衰退し、統制派が終戦まで軍部の実権を握るようになった。
大日本帝国海軍
「日本海軍」、「帝国海軍」、「海軍」とも呼ばれた。
1872年に「兵部省」が「海軍省」として「陸軍省」とともに分割・設置され、海軍はイギリス式の軍隊として設置された。
大日本帝国憲法により、陸海軍大元帥である天皇の下、軍政を所掌する「海軍省」、作戦・指揮などを担当する「軍令部」が置かれ、各々のトップである「海軍大臣」、「軍令部長」が、海軍における事実上の最高位にあった。
海軍のトップは天皇だったが、実質、海軍大学校や海軍三校、軍需工場、鎮守府、連合艦隊を筆頭とする各種実戦部隊など、海軍の組織は海軍大臣・軍令部長の管理下におかれていた。
海軍の特徴
日本は周囲を海に囲まれた海洋国家のため、西太平洋の制海権確保を基本戦略としていた。
しかし実際には、日露戦争以後は艦隊決戦に重きを置くようになり、海軍本来の任務である「自国籍商船の安全通航確保」が軽視されていった。
そして大正期に連合艦隊が常設組織となり、海軍実戦部隊のほとんどを包含するようになると、ますますこの傾向に拍車がかかり、大東亜戦争期には連合国軍の仕掛けた通商破壊戦に対して有効な策を講じえず、結果として、戦争遂行のために必要な国家経済に重大な損害をもたらすことになってしまった。
陸軍と海軍との不仲について
どの国でも、伝統的に陸軍と海軍は(そして空軍も)仲が悪いものだが、こと大日本帝国軍に関しては、後世の視点から見れば異常とも感じられるほどの有様であった。
1936年の「二・二六事件」では、連合艦隊旗艦であった戦艦「長門」が東京に主砲を向け、東京の中心部を占拠していた陸軍の叛乱部隊を攻撃しようとしたことは有名であるが、これ以外にもさまざまな例がある。
- 海軍が陸上の航空基地から展開する四発大型爆撃機(連山)や爆撃機護衛のための長距離単発戦闘機(零戦)を開発した一方で、陸軍が航空母艦(オートジャイロ搭載母艦)や揚陸艦、(人員・資材輸送用の)潜水艦を自ら建造・運用した。
- 同口径の航空機搭載用機関砲・機関銃を、それぞれバラバラに開発した。(しかも弾薬に全く互換性がなかった)
- 同一メーカー・モデルの外国製航空機用エンジンの生産権を、陸海軍で個々に買い付けてライセンス生産していた。
- 陸軍がcm(センチメーター)を「センチ」と呼ぶから海軍は「サンチ」と呼ぶ。
など、まるで子供やヤクザの意地の張り合いかの如き様相を呈していた。
軍解体後の残務処理について
帝国陸海軍の監督官庁であった「陸軍省」「海軍省」は軍の解体後、「第一復員省」「第二復員省」と改められ、内外に残留していた将兵の復員・帰郷や日本列島周辺に散布された機雷の掃海といった残務処理に従事した。
その後、数度の改編を経て、現在は以下のように引き継がれている。
- 未処理のままとなっている機雷の探知・除去
- 防衛省(海上自衛隊)
- 軍人恩給の支給
- 総務省人事・恩給局
- 元将兵及び軍属の軍歴に関する資料の保管・証明書の発行
- 陸軍将兵・軍属:(当該人物が本籍を置いている)各都道府県
海軍将兵及び陸軍高等文官・従軍文官:厚生労働省社会・援護局 - 日本国内及びその周辺部の測量、地形図・海図の作成など
- 陸上における大規模三角測量・地形図の作成及び測量成果の更新(陸軍参謀本部陸地測量部所管):国土地理院
海図の作成、潮流の観測、海底地形の測量など(海軍水路部所管):海上保安庁海洋情報部
- 戦傷者及びその家族・戦死者の遺族・未帰還者の留守家族に対する援護(生活支援)など
- 財務省(金銭的補償として交付される国債(記名国債)の発行・交付)
株式会社ゆうちょ銀行・日本郵便株式会社(郵便局)及び日本銀行(記名国債の償還金の支払)
厚生労働省社会・援護局(上記以外の残務処理)
現代の「日本軍」
1952年(サンフランシスコ講和条約発効)以後の現代においては、自衛隊のことをこう指す。
国内において、憲法上の問題から様々な見解主張があるため「軍隊ではない」と主張しているが、海外のメディアが自衛隊を表す場合に用いる言葉はJapan Army、Japan Airforce、Japan Navyである。
自衛隊の公式英名である"Self Defence Force"を用いられることは友好国の軍関係者でもあまりなく、公式的なコメントや文書に辛うじて見ることができる程度である。
ただし、最近は徐々にとは言えどもSDFの名称が広がりつつある。
"Self Defence Force"は"Army"などの純軍事用語を避けるための苦肉の策であり、対外的にも「決して"Army"ではなく"Self Defence Force"だ」と広報しているが、"Force"という単語には「力」、「圧力」、「威力」などと同時に「武装集団」や「軍隊」という意味が込められており、英語圏の人々は"Self Defence Force"から容易に「国防軍」を連想するために軍隊ではなく自衛隊だという主張をしても全く理解されていない。
また、かつての所轄官庁である防衛庁(現在の防衛省)が公式英名を"Defence Agency"としていたが、政府機関で"Defence"を用いた場合は「軍隊を管轄する官庁」と言う意味に直結するため、決して「自衛隊を管轄する防衛庁(機関)」と理解されることはなく、「日本軍を管轄する国防省」という意味で認知されていた。
関連:よい説明の書き方
各国における軍隊管轄機関の名称例
なお、日本以外の各国における国防・軍事に関する官庁の英名の一例を以下に述べる。
- イギリス
- Ministry of Defence
- アメリカ
- Department of Defense
- カナダ
- Department of National Defence(カナダ軍:Canadian Forces)
- オーストラリア
- Department of Defence
これ以外にも大半の国では英名を「 ~ of Defence」としており、皮肉にも「防衛庁」を直訳したがために軍隊のイメージを決定的に印象付けてしまっている、という状況であった。
(その後、防衛省への改編に伴って上記の英国と同様の英訳名になった)
旧軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 04:26 UTC 版)
旧日本軍の儀仗隊は天皇・皇族・大臣その他、あるいは外国の王族、使臣その他につけられた。編成は通例、騎兵または歩兵で、儀仗隊と儀仗衛兵とに分かれる。 儀仗隊は、天皇が艦隊および軍隊の所在地に着御、または発御する場合、ならびに特命検閲使が艦隊および軍隊の所在地に着発する場合、鎮守府司令長官、要港部司令官が初めて着任し、あるいは解職出発する場合その他に、行在所、官庁、旅館、停車場、波止場間の途上に整列する。儀仗衛兵は、天皇が艦隊および軍隊の行在所に滞御する間、または特に命令のある場合、行在所および旅館の護衛にあたる。儀仗隊は、天皇には大佐の指揮する1大隊、特命検閲使および鎮守府司令長官には1中隊、要港部司令官には2小隊から成る1中隊を編成し、軍楽隊を付することを例とする。外国の艦隊司令長官あるいは独立艦隊司令官が軍艦で軍港および要港に入港し、公式訪問をする場合、1中隊以内の儀仗隊を供することができる。ほかに祝賀、祭典および葬喪の際は規定あるいは特命によってそれぞれ儀仗隊を出す。 葬喪の儀仗隊は柩の前後に列して行進し、または途中、行列を廃して葬儀式場に堵列し、葬祭の終ったときこれに敬礼し、弔銃を発したのち退去する。その員数は死亡者の官等によって差異がある。高等武官の葬儀には儀仗隊は軍楽隊1隊を付することが例である。葬喪の儀仗隊は行進間、歩調をとることなく柩の速度に応じて行進し、執銃者は負革で銃を倒に右肩に託し、銃身を後方にし右手で銃床を握る規定である。
※この「旧軍」の解説は、「栄誉礼」の解説の一部です。
「旧軍」を含む「栄誉礼」の記事については、「栄誉礼」の概要を参照ください。
「旧軍」の例文・使い方・用例・文例
- 主要な役割がバグダッドで政府を保護することであったイラクの旧軍事的エリート部隊
- 旧軍隊において,罪を犯した軍人が罰として監禁されること
- 旧軍隊の徴兵検査に乙種の判定で合格すること
- 旧軍隊における簡閲点呼
- 旧軍隊の徴兵検査において,第一級での合格という判定
- 旧軍隊の階級において,大佐,中佐,少佐の位
- 旧軍隊において,将官の最下位の階級
- 傷病を受けた旧軍関係者に支給される年金
- 旧軍隊の階級において,佐官の下で尉官の最上位
- 旧軍隊の階級において,將官の下で佐官の最上位
- 旧軍隊用語において,軍以外の一般社会
- 旧軍隊において,直接戦闘にたずさわる兵種
- 旧軍隊の徴兵検査で,丙種合格であること
- 旧軍隊の徴兵検査で,丙種合格である人
- 旧軍隊において,兵士の一番上の階級
- 法務官という,旧軍法会議における役職
- 元帥府という,旧軍隊における天皇の顧問機関
- 旧軍隊で,罪を犯した軍人が監禁される建物
- 旧軍隊で,将官の最下位の階級にある人
- 旧軍隊において,兵士の一番上の階級である人
- >> 「旧軍」を含む用語の索引
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