甲百圓券
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1900年(明治33年)12月19日の大蔵省告示第55号「百圓兌換銀行券發行」で紙幣の様式が定められている。主な仕様は下記の通り。 日本銀行兌換券 額面 百圓(100円) 表面 藤原鎌足(紙幣面の人名表記は「藤原鎌足公」)と談山神社全景(紙幣面の注記は「談山神社」)、兌換文言、発行根拠文言、偽造変造罰則文言 裏面 日本銀行本店本館、英語表記の兌換文言、断切文字、製造年 印章 〈表面〉総裁之印 〈裏面〉文書局長、発行局長 銘板 大日本帝國政府印刷局製造 記番号仕様記番号色 黒色 記番号構成 (製造時期により2種類あり)〈記号〉変体仮名1文字+「號」 〈番号〉通し番号:漢数字6桁 〈記号〉組番号:「{」+数字1 - 2桁+「}」 〈番号〉通し番号:数字6桁 寸法 縦104mm、横180mm(縦3寸4分4厘、横5寸9分5厘) 製造実績印刷局から日本銀行への納入期間 1900年(明治33年)下期 - 1927年(昭和2年)7月12日 記号(組番号)範囲 「い號」 - 「は號」/1 - 13(いずれも1記号当たり900,000枚製造) 製造枚数 1,940,000枚[記番号:漢数字] 11,490,000枚[記番号:アラビア数字] 発行開始日 1900年(明治33年)12月25日 通用停止日 1939年(昭和14年)3月31日 発行終了 失効券 1897年(明治30年)10月の貨幣法施行および兌換銀行券条例の改正による銀本位制から金本位制への移行に伴い、金兌換券として発行された。 肖像は藤原鎌足であり、エドアルド・キヨッソーネの彫刻した改造百圓券の肖像のイメージを変えない範囲で新たに彫刻している。表面には藤原鎌足の肖像のほか、奈良県桜井市にある談山神社の十三重塔や拝殿、神廟拝所などを含む境内の全景が描かれており、輪郭には唐草模様と合わせて肖像の藤原鎌足に因んだ藤の花や枝の模様があしらわれている。また、地模様として「日」の文字を模った日本銀行行章が描かれている。裏面には、1896年(明治29年)に竣工したばかりの東京都中央区にある日本銀行券本店本館の全景が描かれている。また、裏面左端に製造年が和暦で記載されており、裏面右端には「日本銀行」の断切文字(割印のように券面内外に跨るように印字された文字)が配置されている。裏面の模様が紫色であることから、通称は「裏紫100円」である。 発行開始当初から発行されていた前期甲号券は組番号に「いろは」を変体仮名で表記し、通し番号は漢数字であった。1917年(大正6年)9月に発行開始された後期甲号券は組番号・通し番号共にアラビア数字である。通し番号は6桁となり、最大通し番号は「九〇〇〇〇〇」「900000」である。漢数字の記番号はハンド刷番機で印刷されており、アラビア数字の記番号は機械印刷による。 1913年(大正2年)に日本銀行発行局が文書局に統合されたことに伴い発行局長の役職が廃止された。これにより、1914年(大正3年)以降の製造年表記で裏面に発行局長の印章が印刷された甲号券を発行することは不都合が生じることとなるため、1914年(大正3年)以降に製造された甲号券の製造年の記年号については「大正2年」表記のまま据え置いた状態で発行されている。 甲百圓券の変遷の詳細および組番号の範囲を下表に示す。 発行開始日日本銀行への納入期間記号/組番号範囲記号/組番号表記通し番号表記記年号1900年(明治33年)12月25日 1900年(明治33年)下期 - 1916年(大正5年)上期 「い號」 - 「は號」 変体仮名 漢数字 明治33年 - 大正2年 1917年(大正6年)9月1日 1917年(大正6年)8月30日 - 1927年(昭和2年)7月12日 1 - 13 アラビア数字 アラビア数字 大正2年 透かしは「百圓」の文字と藤の図柄である。 使用色数は、表面4色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様1色、印章1色、記番号1色)、裏面2色(内訳は凹版印刷による主模様1色、印章・断切文字・製造年1色)となっている。 1927年(昭和2年)2月に制定された兌換銀行券整理法により1939年(昭和14年)3月31日限りで通用停止となった。
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