青二才はぬるいはてなが嫌ならここらへんのやつと殴り合えよ嫌なやつから逃げまくって勝てる奴だとか争いごとがいやな羊ばかり襲って強者ぶるのマジで死ぬほどだせえわ
文体もなく、デザインも似たようなブロガーがサロンによって量産されていく現代のはてなブログについてさ。
その空間が異常なんだよ。たまに見た俺が文才があるわけじゃないし、フォーマットが違うだけで大学生から駄文呼ばわりされる覚えもないんだ
ダサい男が量産されてく。地獄だ!地獄しかない— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2016年3月1日
『あの時の世界を支えてた人達・ネット文化/オタク的なコンテクストを愛して育ってきた人達が報われるようなものを書いてる。』
その結果が「今のはてな村は~」ってこれ完全に老害では?
はてなウォーズは「クローン大戦」へと段階が移行した! https://t.co/VGfuDdYb7h— ピンフスキー (@hideyosino) 2016年3月7日
そりゃあ大喜利するような面子からはほとんど飽きられてるからね / “はてなブックマーク - はてなウォーズは「クローン大戦」へと段階が移行した! - かくいう私も青二才でね” https://t.co/L6m7hJ85Qj— OR (@FAtype100R) 2016年3月7日
ルサンチマンの病理というのは、資本主義社会がもたらした根の深い問題なのだろうか…
と考えて見たのだけど、古くからはアダムとカインの兄弟にも起こっていたので、生物の本能に埋め込まれているのだろう。度を越えたルサンチマンは、自己保存どころか自分自身を滅ぼしてしまう。
ルサンチマンの感情はどこまでも続く。もし借りに、欲しいものが手に入ってしまったとする。伴侶、家、車、子供、社会的地位、名誉、財産、これらを全て手にいれても、目の前に、自分より何かを持っている人が現れた時、また、ルサンチマンの感情が沸き起こってしまうのだ。埋めることのできない葛藤はどこから来ているのか?
既に、地位と財産がある場合は、あと持っていないものがあるとすると、「本当の自分の使命」だろう。本当の自分の使命は、おそらく、持つことができれば、人間が最も幸福に感じるものだろう。
しかし厄介なことに、この本当の使命というものは、他の地位財産伴侶などとは方向が違うところに存在するのだ。それらの次に手に入るものではないのだ。自己の快楽とは異なるところに存在している。
名誉、財産、家族、社会的地位、を揃えてから、その次に、自分の使命を手に入れようと考える場合もあるかもしれない。そして、それも有りかもしれない。しかし、それだけの物を手に入れるまでには時間がかかり、自分の使命を生きようとすると時間切れになってしまう。
使命に生きるというのは、本当に難しいことだと感じる。また、もし手にいれても、重すぎる重圧に耐えられなくてはならない。
使命を手に入れるのは本当に難しいことなので、もし、ルサンチマンが起きてしまう時の対処法を考えてみた。
2種類があると思う。
既に与えられているという事実を発見することが一つ。つまり欠損していると感じる時に、マイナスを埋める様に学びがもたらされるということ。
保育園にしろ生活保護にしろ予算が無限大にあれば対応してるって。
『お金を回せ』だけでなく『どこから回すか』も語らないと説得性に欠けるよ。
所見を述べるならとりあえずここくらいまでは言及すべきでしょ。
顔はマズイです。
お酒は好きです。
年収とかどうでもいいです。
できれば一緒にロックフェスとか行きたい。スポーツ観戦もしたい。
とにかく構ってくれる人がいいなあ。
困った。誰かヨメにもらってください。
それらを遥かに上回る魅力や利益があるから東京というか、都会に皆集まるんでしょうに。
ちなみに地方の田舎ほど、人の命より自動車のワガママのほうが優先というキチガイじみた思想があるので、例外なく都市部より子供が死ぬ率が高いんだよなぁ。
親の為にと努力した、他人の為と努力した。それでもどうとも仕様はなく汗も涙も拭って学べど働けど大層なモノを得ることも出来ず、世の中に打ちひしがれたその時に「その道を選んだのは貴方でしょ、頑張りなさい」と言われた。得るための選択を、拠って立つその場所も違えたのだと…今更のことだ
フィクションでウソをついてる人間がそれをごまかそうとして饒舌になるって描写があるけど、実際に実験をすると逆に言葉数が少なくなるらしいね。
辻褄をあわせてしゃべらないといけないから。
思うに、管理職だったり経営層の仕事である、交渉、判断なんぞはもっとも人工知能に向いた仕事ではないのだろうか。しかし、彼らは絶対に自分の仕事を人工知能に置き換えようとはしないだろう。