はてなキーワード: 自分自身とは
今YouTubeで劇場版イデオンの2部作が無料公開されてるから観たんだ。何気なく始めたんだけど想像以上に凄かった。というか一昔前の作品でこんなに衝撃を受けるとは思わなかったんだよ、正直なところ。
この作品がつくられたのって1980年代ぐらいだと思うんだけど、当時のアニメって今みたいに市民権を得てなかったはず。大人がアニメを観るなんて異常だ、みたいな風潮が普通にあったと思うんだ。
だけどこのアニメは群像劇として、ちゃんと人間ドラマをやってる。一人一人がそれぞれの立場や感情で動いてて、それが複雑に絡み合うから単純な善と悪の構図になってないし、むしろこれでもかってくらい人間の業が描かれてる。
登場人物たちの生き様や、どうしようもなくすれ違ってしまう感じに、正義とは何か?って問いを突きつけられた。
当時は大人がアニメを観るなんて異常、みたいな風潮だったかもしれないが、でもイデオンはまさに大人のために作られたアニメというか、大人が観てもおかしくないようなそんな重厚な物語性があるように感じられたんだよ。
でもさ、現代って当時と違ってアニオタに対する偏見もだいぶなくなってきて、大人でもアニメ観るのは普通だよね❕みたいになっている癖に、現代のアニメこそむしろ大人が観賞するようなものじゃないというか…子供っぽくない?
最近のアニメなんて異世界に転生して最強になってモテモテとか、そういうのばっかりじゃん。もちろん、そういう作品もそれなりに楽しいし気楽に観れるから好きだよ。でも、イデオンみたいに人間の本質に迫るようなアニメって今どれくらいあるんだろう?ってつい思ってしまう。
今はアニメ自体が一般的なエンタメとして認識されてる時代だけど、逆にそれが問題なんじゃないかって思ったりもする。アニメが「普通」になったことで、挑戦的な作品とか、重厚なテーマを扱う作品が減ってるんじゃないかって。
だから昔のアニオタなんて異常!と言われていた時代のアニメの方が本当は大人向けの作品が多くて、人間の本質に迫るような尖った作品が多かったんじゃないか?ってイデオンを観て、アニメって本来こういうものだったんじゃないかって、娯楽として楽しむだけじゃなくて、人間について考えさせられたり、自分自身に問いを投げかけたりできるもので、だからこそ大人が観ても楽しめるし大人こそ観るべきものだったんじゃないのかって、ついそんなことを考えてしまった。
もちろん時代が違うから同じようなものを作るのは難しいかもしれない。でも、せっかくアニメが広く受け入れられるようになった今だからこそ、もっと深いテーマを持った作品が増えてほしいなって心から思ったよ。イデオンみたいなアニメ、現代でも作れるはずだし、それが今の時代の新しい価値観や問題意識を描いたものだったら、きっとまた新しい感動が生まれるはずだ。
いや…改めてイデオン、すごい作品だった。無料公開されてる今のうちに、もっと多くの人に観てほしいなって思う。
これを観たら、アニメってこんなにすごいんだ!って感動すると思うんだよね。
タロットと天体を組み合わせた食事法は、宇宙のエネルギーと自分自身の内面を調和させるためのユニークなアプローチです。この方法では、タロットカードが象徴するエネルギーを活用し、それを天体の動きや季節に合わせた食材に結びつけることで、食事をスピリチュアルな実践へと昇華させます。
タロットには、それぞれのカードが象徴する天体や星座が対応づけられています。この対応を活用し、天体のエネルギーを意識しながら食事を選ぶことがポイントです。
太陽のカードは生命力や活力を象徴します。旬の果物や太陽を浴びて育った食材(トマト、オレンジなど)を摂ることで、ポジティブなエネルギーを取り込むことができます。
月のカードは直感や感情を象徴します。満月や新月の時期に、リズムを意識して摂取する食品(貝類、海藻、ミルクなど)が心を落ち着け、直感力を高めます。
希望やインスピレーションを象徴するカードです。このエネルギーを受け取るために、軽やかなサラダやハーブティーなど、リフレッシュ効果のある食材を選びます。
火星に対応するカードは行動力や情熱を象徴します。スパイシーな料理やエネルギーを高める食品(唐辛子、生姜、赤身肉など)を取り入れると良いでしょう。
愛や豊かさを象徴する金星は、華やかな食材や甘みのある果物(イチゴ、バナナ、蜂蜜など)を通じて感覚的な喜びを強化します。
新月は新しい始まりの時期。タロットカードでは「愚者(The Fool)」に対応します。旬の新鮮な野菜や発芽食品(スプラウト、豆類)を摂取し、新たなエネルギーを受け入れます。
満月は完成と感情の高まりを象徴し、「女教皇(The High Priestess)」に関連づけられます。直感を高めるために、シンプルで自然な食品(白米、乳製品、貝類)を選びます。
水星逆行の時期は見直しや内省に適しており、「隠者(The Hermit)」と関連します。この時期にはデトックス効果のある食材(レモン、グリーンティー、セロリなど)を摂り、内側を浄化します。
春分や秋分など、太陽の動きに合わせた節目には「世界(The World)」のカードに対応する完全性のエネルギーを意識します。バランスの取れた食事(五大栄養素を含む)を心がけます。
曜日 | タロットカード | 天体 | 食材例 |
月曜日 | 女教皇(The High Priestess) | 月 | 海藻スープ、ミルク、白い食材 |
---|---|---|---|
火曜日 | 皇帝(The Emperor) | 火星 | スパイシーカレー、赤身肉 |
水曜日 | 魔術師(The Magician) | 水星 | ナッツ、全粒粉パン、フルーツ |
木曜日 | 運命の輪(Wheel of Fortune) | 木星 | 豊富な野菜スープ、豆類 |
金曜日 | 恋人(The Lovers) | 金星 | フルーツサラダ、蜂蜜 |
土曜日 | 悪魔(The Devil) | 土星 | 発酵食品、根菜類 |
日曜日 | 太陽(The Sun) | 太陽 | オレンジ、トマト、黄色い食材 |
タロットと天体を組み合わせた食事法は、自分自身の内面と宇宙のリズムを調和させるための美しい実践です。日々の食事をこの方法で意識的に行うことで、より充実したスピリチュアルライフを送ることができるでしょう。
以下にご紹介する内容は、「100倍引き寄せる思考」というスピリチュアルな発想と、心理学・脳科学・量子力学などの科学的な理論を“あくまで比喩や拡大解釈として”融合させたものです。実験的に厳密に証明されたわけではない部分も含まれていますが、実践面でヒントとなりうる要素をまとめています。
---
「思考したものが現実になる(引き寄せの法則)」をさらに拡大し、**“自分の想像の100倍”**という飛躍的な結果を実現しようとする考え方です。この背景には、
1. **枠を大きく超えたビジョン**を掲げることで、
2. **より大きな可能性**を意識レベル・行動レベルで開き、
3. 結果として「あり得ない」と思われた成果を招き寄せる、
---
## 2.1 ラス(RAS: Reticular Activating System)の活性化
脳幹にある「網様体賦活系(もうようたいふかつけい)」と呼ばれる領域で、私たちがどの情報に意識を向け、どの情報をフィルタリングするかに大きく関わっています。
たとえば「月に50万円欲しい」より「月に500万円欲しい」という、より大きな目標を掲げた場合、脳は「この大きな目標を達成するために必要な情報」を積極的にピックアップしようとします。これがいわゆる“カラーバス効果”のように、意識が向いたものが見えやすくなる現象を加速させます。
> **ポイント**: 100倍レベルの発想をすることでRASがより強く働き、普段なら見過ごしてしまうチャンスやアイデアを拾いやすくなると言われています。
---
## 2.2 自己効力感(Self-Efficacy)と期待の心理学
心理学者アルバート・バンデューラの理論で、「自分ならできる」という確信の度合いを指します。大きなゴールを設定しながらも、それに少しずつ近づいている感覚が積み重なると自己効力感が高まり、より大きなチャレンジが“当たり前”になっていきます。
組織心理学や行動科学では、*「期待」→「動機づけ」→「行動」→「結果」*という流れが重視されます。人は「自分が本当に手に入るかもしれない(期待できる)」と思うと、行動量が増し、成功率が上がる傾向にあります。
> **ポイント**: 「こんな大きな成果は無理だ」と最初から感じてしまうと、期待値がゼロになり行動量が減る。一方、ワクワク感が伴うレベルの大きなビジョンを掲げると、脳内報酬系(ドーパミンなど)が刺激され、やる気が継続しやすくなります。
---
## 2.3 プライミング効果・セルフ・フルフィリング・プロフェシー(自己成就予言)
ある刺激(単語・映像・イメージなど)にさらされると、その後の行動や判断に影響が及ぶ現象。大きな成功をイメージすることで、自分の言動が「大きな成功と矛盾しない方向」に傾きやすくなると考えられます。
「自分が信じていることが、行動や判断を通じて、最終的にその通りの結果を導く」という心理的メカニズム。ポジティブな期待を大きく持てば持つほど、結果的にそれが叶う方向に自分自身を動かしていきます。
> **ポイント**: 100倍の成果を「ありありとイメージ」し続けると、思考・言葉・行動がそのビジョンに合った選択をしやすくなる。これが「引き寄せの一端」として科学的にも説明しやすい部分です。
---
## 3.1 オブザーバー効果(観測者の効果)と「手放す思考」
観測(測定)をすると電子が“粒子的”に振る舞い、観測をしなければ“波”的”に振る舞う、という有名な実験。
「意識的にコントロールしすぎる(観測しすぎる)と可能性が限定されてしまう。逆に、執着を手放すことで、より多くの可能性(波の広がり)に開かれる」という比喩としてよく用いられます。
> **ポイント**: 「100倍のビジョンを掲げながらも、どう実現するかは細部まで執着しない」。このバランスが、“波動の広がり”を保つ姿勢だとされます。
---
## 3.2 量子もつれ(エンタングルメント)と「大きな流れへの委ね」
「私たちも本来、意識レベルで繋がっている」という考えの比喩として使われます。大きな結果を得るとき、周囲の人や環境が突如シンクロするような“偶然”が起こる、と語られることがあります。
> **ポイント**: “自分だけの力”ではなく、“世界全体との繋がり”を意識し始めると、大きな流れ(サポート)がやってくるかもしれないという感覚を高めます。
---
# 4. 「100倍引き寄せ」を加速させる実践法(科学的要素+スピリチュアル要素)
1. **拡大ビジョンの設定**
- 目標を数段階上乗せして設定する(例: 月収10万円 → 月収100万円、もしくは自分の想像の100倍に拡大してみる)。
- スポーツ心理学でも使われる手法。実際に成功している姿・状況を“具体的な五感”を使ってイメージする。脳は「実際に体験している」かのように反応し、自己効力感を高めてくれる。
1. **行動リストを作る**
- どんなに些細なことでも、「大きな目標を達成するために役立つ行動」を毎日1つでも実行。
- 成功体験を書き留めると、自己効力感とRASが相互に高まり、チャンスを発見しやすくなる。
## 4.3 手放すワーク(観測しすぎない/執着しすぎない)
- 過剰な不安や執着を緩和するために、定期的に思考を静める時間を設ける。
- 「いつ手放せる?」「手放したらどうなる?」と問いかけ、ネガティブな感情やコントロール欲求を意識的に解放していく。
> **科学的には**、瞑想・深呼吸は自律神経を整え、ストレスホルモン(コルチゾール)の分泌を抑え、脳を“集中とリラックスが同居した状態”にしやすいと言われています。この状態がポジティブな発想や直感を受け取りやすいと考えられます。
---
# 5. 注意点とまとめ
- 量子力学の話や脳科学のメカニズムは興味深いですが、「意識そのものが直接、物理現象を変える」とまで言える証拠はまだ不十分です。あくまで“比喩”や“モチベーションアップ”の要素として取り入れるのが賢明です。
- 「思考だけで何とかなる」と考えてしまうと、現実的な努力や行動をおろそかにしがちです。心理学的・行動科学的な知見を活かし、実践的にアクションを起こすことが重要です。
- あまりに“大きな結果”ばかりを追い求めて心身が疲弊してしまうと本末転倒です。必要に応じて休息やサポートを取り入れ、バランスを保ちましょう。
---
## ◆ 最終的なポイント
心理学・脳科学的には“視点が大きくなり、新たな情報やチャンスを拾いやすくなる”“自己効力感が高まりやすい”といったプラス面が期待できます。
過剰な思考・不安・コントロール欲求を緩和し、創造的発想やシンクロニシティを受け入れる余地が生まれる、とスピリチュアル的にも心理学的にも説明可能です。
単なるイメージや願望だけでなく、小さな一歩を踏み出し、その成功を積み重ねることで、「夢物語」が「具体的な現実」に近づいていきます。
---
### まとめ
以下では、これまでにまとめた「宇宙心理学」の理論と実践の枠組みに、仏教的なモチーフや概念を組み合わせてご紹介します。仏教思想とスピリチュアルな宇宙観は、意外にも多くの共通点があり、両者を合わせることでさらに深い気づきや実践方法が見えてくるでしょう。
---
「宇宙(マクロコスモス)と人間の心(ミクロコスモス)は相似関係にある」という発想は、仏教的にも「一即多・多即一」や「色即是空、空即是色」という般若心経のフレーズと通じる部分があります。
- **色即是空**… すべての現象は本質的に空(実体がない)であり、同時に縁起によって姿を現す。
- この空性(くうしょう)という概念は、宇宙心理学でいう「見えない力」「量子的揺らぎ」とも重ね合わせることができます。
### 1-2. 根幹となる4つのキーワード × 仏教の教え
- 「すべては互いに依存しあって成り立つ」という仏教の縁起説は、フラクタル的な自己相似にも通じます。部分と全体が切り離せないように、私たちの内面も世界全体と相互に影響し合うのです。
- 「現在の思考や行動が未来を引き寄せる」という考えは、仏教でいう因果の法則(カルマ)に似た要素を感じさせます。善き思いと行いは善き結果を招き、悪しき思いと行いはそれ相応の結果をもたらす。
- 仏教にも“観じる(観法・観想)”ことで世界の本質を捉え、自他を変容させる実践があります。意識の向け方次第で現実の捉え方が大きく変わり、さらに現実そのものにも変化を及ぼすという点で共通しています。
4. **無意識の力 → 如来蔵(にょらいぞう)や阿頼耶識(あらやしき)**
- 大乗仏教では、すべての衆生の中に如来(仏)の種が秘められている(如来蔵思想)と説かれます。また唯識論では、意識の深層に阿頼耶識という“蔵識”があり、そこに無数の種子(しゅうじ)が蓄えられていると考えられます。宇宙心理学の「潜在意識=見えないが大きな力を持つ」構図と響き合います。
---
# 第2章 「見えない力」こそが強い力である理由—仏教的解釈
### 2-1. 宇宙の95%を占めるダークマター・ダークエネルギー × 空性
---
# 第3章 観測者効果・引き寄せの法則・フラクタル理論の融合
### 3-3. 引き寄せの法則と発願
---
### 4-1. 占いを「占察」と見る
---
### 5-2. 空(くう)と“やわらかな可能性”
---
### 6-1. おみくじやタロットを「よい結果が出るまで」引く方法 × 仏教的リマインド
1. **まずは礼拝・合掌の心**
- 占いをする前に、仏前でなくとも「自分を取り巻くあらゆる存在への感謝」を込めて合掌し、一礼する。心を落ち着かせ、邪念を手放す効果がある。
- 言葉ではなく、場面や感覚をありありと描く。“無限の可能性”に開かれた空性を思い出す。
3. **占いという“観察”を繰り返す**
- おみくじやタロットで、ピンとくるまで繰り返し。“これだ”と思える結果が出たら、それが仏教でいう“因縁”に触れた合図かもしれない。
4. **結果を喜捨(きしゃ)し、行動に移す**
- 良い結果は心の励みに、不安な結果なら課題として受け止める。“喜捨”とは、結果がどうであれ執着しすぎず、感謝と共に手放す態度。そこから得た気づきを行動につなげる。
- 静かに座り、姿勢を整え、ゆっくり呼吸を数える。最初は5分程度でもOK。心を“今ここ”に置く。
- 占いで得たカードやメッセージ、星座などを軽く思い描き、そのイメージを空間に広げる感覚で観想する。
3. **行動→布施(ふせ)や慈悲行(じひぎょう)を意識**
- 自分の願いを実現する行動に移すと同時に、周囲や他者へも配慮・貢献しようとする心を持つ(菩薩行)。
- チベット仏教のマンダラや大日如来のイメージなど、仏教美術には多くの象徴や神秘的構図があり、ビジョンボードとしても利用できる。
- 宗派や個人の好みに合わせて、仏具や護符を身近に置き、そこに尊い象徴を感じることで無意識への影響を強める。
---
# 結論・まとめ
1. **宇宙心理学 × 仏教の核心:縁起と空性、そして内なる仏性**
- すべては相互依存し、固定の実体をもたない(空)からこそ、大いなる可能性が広がっている。
- その内なる可能性=仏性は潜在意識の奥底(如来蔵や阿頼耶識)に息づいている。
2. **“見えない力”を敬い、智慧で照らす**
- ダークエネルギーや潜在意識といった不可視の領域は、仏教でいう空と縁起が働く世界。そこに無明ではなく智慧の光を注ぐことで、人生や運命に変化が起こる。
- この二つを組み合わせるとき、自分の内外がつながり、心身を超えたシンクロニシティが生まれやすくなる。
- イメージワークによって感情とエネルギーを高め、強く願う。
- 同時に、執着を手放し、他者への慈悲心も含めた“中道”のあり方を意識すると、より大きな調和と運命の展開が生まれる。
- 自己の願いを叶える過程で、同時に他者への思いやりや行動を怠らないこと。これが仏教の菩薩行とリンクし、自他ともに成長する道となる。
---
## 最後に
本書(仮)で提案した「宇宙心理学 × 仏教モチーフ」の考え方は、あくまでも仮説的・実験的な融合です。とはいえ、共通点やシナジーは多く、実践すれば多くの気づきを得られるでしょう。占いを一種の“縁”として捉え、瞑想や仏教的な観想法で深め、“空性と慈悲の心”を育むプロセスをぜひ楽しんでみてください。それはやがて、あなたの潜在意識を通じて宇宙全体とのつながりを実感させ、より豊かで調和した人生をもたらしてくれるかもしれません。合掌。
7日間くらい休んで他人との接触を最小限にする生活をしていると
澱みたいなものかな。
日頃、水の中を漂っている心の中の物体が
「わたし」なんだけれど
よそからの刺激にかき乱されずにいると
だいたいは普段水の流れは疾い。
洗濯機の中の水みたいだ。
でもじっと一人でいる時間を長く保てると
その水の流れがひどく穏やかになって
すっと底に溜まっていく。
そうすると普段、水の中の上の方流れに煽られて
どんどんと底に溜まっていって、うるさくなくなって
普段、底の方でじっとしていることが多い
「そこのほうのわたしと」合一する。
強い人というのは、洗濯機のような水の流れが普段の生活の中でもあまり起きないのだと思う。
でもわたしはむり。
次に私が私を取り戻すのは、また随分先のことになるのだと思う。
神が私たちを嘲笑っているという考え方は誤解であり、実際には神は私たちに対して愛情深く接していると理解することが重要です。
神が「笑う」という表現は、しばしば喜びや祝福を示すものとして理解されます。たとえば、創世記21章6節では、サラが「神は私に笑いを与えた」と言っています。これは、神が彼女に恵みを与え、喜びをもたらしたことを示しています。神は私たちに対して微笑みかけ、私たちの人生に喜びをもたらす存在であると考えられます。
神が人間の不信や疑念に対して反応する際、決して冷笑的ではなく、むしろ理解と愛を持って接していると解釈されます。サラが神の約束に対して笑った際、「いや、確かにあなたは笑った」と神が言ったのは、彼女の不信を責めるためではなく、彼女が真実を認める機会を与えるためだったとも考えられます。
私たちが神との関係において感じることは、時には自分自身の不信や疑念から来るものです。神が私たちに対して持つ感情は愛であり、私たちが直面する困難や疑念を理解し、共感する姿勢を持っていると信じられています。つまり、神は私たちを嘲笑う存在ではなく、むしろ私たちの成長を見守り、支えてくれる存在です.
普通に成人しているのでプラトニックな恋愛ものも書くし、性描写ありのものも書く。
書くんだけどさ、自分自身がノンセクシャルなもんで、性行為をしたことがない(したいと思わない)人間なんですよね。
だからいまいち書いてることのリアリティが低いっていうか、なんかありきたりすぎない?って思って最近は筆が乗らないことが多い。
とりあえずAV見るか、と思って勉強してるんだけど、あれって一種のファンタジーじゃん。
わたしが知りたいのはあくまでリアルな恋人同士の恋愛における日常のセックスの起承転結なんですよね。
自分じゃ絶対に味わうことがないし、味わいたいと思わないし、だからこそのジレンマ。
どういう感情の流れで?どういう感じで?どういう雰囲気作りをして?前戯は?女性側の対応は?男性はどうするの?とか。
なんっっっにも自分の中の引き出しがないからさ、あるとしたらやっぱりAVとか他の人の書いた小説やエッセイなんかを読んだ知識でしかないんだよね。
どうしたらいいのかな。同じような境遇の人っていないの?ノンセクのインターネット字書きマンのみんなたちは想像力働かせている感じ?
それ言ったら犯罪描写のある小説書いてる人はみんな犯罪犯してるわけじゃないだろって言われそうなんだけど、それはそれこれはこれというか。
これがもっぱらの悩み。どうしたもんかなあ。
客観的に見て明らかな悲惨な扱いではなく、自分の望むカップリングが実現しなかった場合に「作者はキャラクターを理解していない」と批判する読者の心理には複雑な感情が絡み合っており、いくつかの要因が考えられます。
ビッグファイブ(開放性、誠実性、外向性、協調性、神経症傾向)は、個人の性格を多角的に捉えるための包括的なモデルです。このモデルを用いて、「作者の意図を尊重し、様々な展開を受け入れることができる読者」と「作者への憎しみを強め、ネット上での誹謗中傷を繰り返す読者」の性格傾向を分析してみましょう。
他者の視点や感情を理解し、共感する能力が高い傾向があります。作者の創造的な決定を尊重し、自分の意見と異なる展開でも受け入れることができます。対立を避け、友好的な関係を築くことを重視するため、攻撃的な言動に出る可能性は低いと考えられます。
作者が作り上げた作品を尊重し、その意図を理解しようと努めます。衝動的な行動を避け、思慮深く行動するため、感情的な誹謗中傷に走る可能性は低いでしょう。
感情が安定しており、ストレスやネガティブな感情に比較的強く、動揺しにくい傾向があります。作品の展開が自分の期待と異なっても、冷静に受け止め、過度に感情的になることは少ないと考えられます。
新しいアイデアや経験に対して好奇心旺盛で、受け入れる柔軟性を持つ傾向があります。作者の意図や、自分の予想と異なる展開も、新たな視点として楽しむことができるかもしれません。
外向性は、社交性や刺激を求める傾向に関連するため、作者の意図を受け入れるか否かには直接的な影響は少ないと考えられます。内向的な読者でも、作者の意図を尊重することは可能です。
他者の視点や感情を理解することが苦手で、共感性に欠ける傾向があります。作者の意図を尊重せず、自分の意見を絶対視しがちです。批判的で攻撃的な態度を取りやすく、対立を恐れないため、誹謗中傷に抵抗を感じにくいと考えられます。
ネット上での匿名性を利用し、無責任な言動に走りやすいと考えられます。衝動的で計画性のない行動を取りやすいため、感情に任せて誹謗中傷を行う可能性があります。
感情が不安定で、ストレスやネガティブな感情に過敏に反応し、動揺しやすい傾向があります。作品の展開が自分の期待と異なると、強い怒りや憎しみを抱きやすく、その感情をネット上で発散しようとする可能性があります。
低い場合、自分の考えに固執し、作者の意図や異なる解釈を受け入れようとせず、攻撃的な言動に出る可能性があります。高い場合、型破りな考え方を好み、既存の価値観を破壊することに快感を覚える場合があります。それが作者への攻撃的な言動に繋がる可能性も考えられます。
誹謗中傷は、直接的な対面コミュニケーションを避けて、匿名性の高いネット上で行われることが多いです。そのため、外向性が低い、つまり内向的な傾向を持つ人が、匿名性を利用して攻撃的な行動に出る可能性も考えられます。しかし、集団で誹謗中傷を行うケースもあるため、一概には言えません。
ビッグファイブによる分析では、「作者を尊重する読者」は協調性、誠実性が高く、神経症傾向が低い傾向があると考えられます。一方、「誹謗中傷する読者」は協調性、誠実性が低く、神経症傾向が高い傾向があると考えられます。しかし、これはあくまで傾向であり、個々の読者の行動は、性格特性だけでなく、様々な要因によって影響を受けることを理解しておく必要があります。重要なのは、どのような理由があれ、誹謗中傷は許されない行為であるということです。
世の中で清潔感のためにやるべきこととして言われていることって、こんな感じで誰でもやればできるレベルのことでしかない。
自分自身の見た目への意識が低い人間でも、そこの価値観を相手に合わせようと思えば合わせられますよ、または完全に合わせられるわけではなくとも可能な限り善処はしますよ、というのを証明する手段って感じだよね。
価値観をまるで共有できない他人とは絶対に仲良くできないということはないけど、例えば喋る時に語尾に必ず「セックス!」をつける人間がいたとして、その人と仲良くするのはよほどドラマチックなきっかけでもないと難しいんじゃないかな?
若い頃洋楽好きとして生きていた身からするとB`zが昔ダサかったというのは若干?となる。
確かに小室サウンドやビーイング系ってダサいなというイメージはあったけど、B`zに関してはそもそもの楽曲クオリティが高くやや異質だった。
デビュー当初こそ肩の張ったスーツで、サウンドもギターはあんまりフューチャーされてなくてユーロビート風なアレンジだったが、稲葉の歌唱法や楽曲のセンスなどはいかにも洋楽的でもあった。
またこの時期はまだ90年代で、B`zの第一期という感じがする。
そんな中、自分がハッキリとB`zを格が違うと感じたのはウルトラソウルを聞いたときだった。
最初聞いた時はこれはもう戦隊モノの主題歌じゃないかと思ったんだけど、それは悪い意味ではなくてとにかくインパクトがすごすぎて驚愕したのを覚えてる。
ウールトラッソウル!ハイッ!に関してはもう日本人なら誰でも気持ちよくなってしまう琴線に触れる要素にあふれていて、B`zここに極まれしという感動すらあった。
ちなみに自分が最もB`zがダサいと思ったのは稲葉が短パンを履き出した時期で、いやあまりにもガンズに影響受けすぎだろと引いたのを記憶してる。
B`zもそんな感じだし、あの頃のムードというのは洋楽好きといっても日本のミュージシャンに興味がまったくないというほど分断していなかったと思う。
それは小室サウンド主流の時代ではあったけど、同時にバンドブームの生き残りが幅を効かせていた時代でもあり、
奥田民生、ミスチル、ジュディマリから開放されたYUKIなど彼らは売れに売れていて、洋楽好きにもリーチしまくっていた。
特に奥田民生はソロになってからパフィーのプロデュースなんかもしてたし時代を一番うまく捉えてたのかもしれない。
お前は洋楽好きといってもどうせあんま聞いてなかったんだろと言われるかもしれないが、
自分自身はグランジ~ブリットポップ系などバンド系からそのルーツを辿っていくような聞き方をしていて
自身でもバンドやったりもしてたし完全に洋楽志向、カラオケにみんなで行っても誰も歌う歌がないよね、みたいな感じだった。
強いて言えば洋楽的でありながら、はっぴいえんど的日本語ロックの系譜を継ぐサニーデイ・サービスあたりの下北・高円寺サウンドは受け入れやすい空気はあった。
そんな中である意味扱いが難しいというか、割と賛否分かれる形に一番なりやすかったのがフリッパーズ・ギター解散後のオザケンと小山田だったかもしれない。
フリッパーズは渋谷系と呼ばれることになる、洋楽の割とディープなとこからの要素が詰まりまくっており、しかも汗を感じさせないポップさで女子のハートを掴みまくっていた。
あっという間に解散したがオザケンはその後筒美京平など日本の歌謡曲、日本語詞への傾倒などもあって名曲をいくつも残すことにはなるんだけど、同時にその尖り方が尋常ではないのでフリッパーズの流れで聞いていた層には置いてきぼり感もあった気がする。
一方で小山田は洋楽志向がそのまま延長されていって、海外への活動にシフトしていったりしてどちらかというとこちらのほうが洋楽好き勢には馴染みやすかった。
この二人の方向性の違いはある意味で当時のメジャー音楽の時代感を表してるなあと思わなくもない。
00年代で忘れてはいけないのは宇多田ヒカルなんだけど、デビュー当初はモロにR&Bなサウンドであったこともあって洋楽好きとしては「新しさ」を感じる部分はそこまでなかった気がする。
またテレビなどで天才少女みたいな扱いで紹介されてる事も多くて、とにかくヘビロテされまくっていたので正直、ゴリ押し感も感じていた。
ただ曲の良さや独特なボーカルスタイルが際立っていたのは間違いない。
あまりにも洋楽的(今思えば歌詞はものすごく日本歌謡的なんだけど)なサウンドのせいか、むしろ洋楽好きが聞く日本のミュージシャンとしての割り切りにくさみたいなのもあった。
つまりビーイング系、小室サウンド好きな層にはより本格的な洋楽っぽいアーティストとしてアプローチできた一方で
自分には上辺の洋楽感を取り入れたJ-POPという見え方をしてしまっていて、なにが新しいのかよくわからなかった。(歌い方だけはなんか面白いなと思っていた)
ただ当時はユーロビート的な虚無感のある縦ノリが主流だったので、こういう横乗りな音楽が流行るのは嬉しいなとは思った記憶がある。
個人的に宇多田ヒカルのアーティストとしての唯一無二感を感じ始めたのはtravelingや光あたりでようやくといった感じ。
この辺は洋楽好きとしての偏見が目を曇らせていたんだなと感じたりもするので分断といえばそうも言えなくないか。
あとaikoも洋楽好きにも刺さったアーティストとして忘れてはいけない。楽曲のセンスがある意味宇多田ヒカルよりぐっとディープでもあり、かつ日本語詞が歌謡曲的でちょっと天才的だなと当時思った記憶がある。
椎名林檎はどうかというと、個人的には当時は一番毛嫌いしていた。なんていうかバンド好きの女の子が手当たり次第に洋楽を食い散らかしてますみたいな印象が強くて受け付けなかったのだ。
何年もしてから友達からもっぺんよく聞いてみろと言われて聞いてみたらめっちゃ良かったので、これも洋楽好きの悪いところが思い切り出てしまったパターンだと思う。
今となっては宇多田ヒカル、aiko、椎名林檎の中で一番聞いた回数は東京事変も含めれば椎名林檎が圧倒的に多い。
そんな感じで小室サウンドに代表されるJ-POP、アイドル系とは違った文脈で(もっと書こうと思えばサブカル系の流れもあるんだけど)
もし相手が同じような状況だったとして、どんなタイミングで打ち明けてもらいたいかで考えれば良いのでは?
まさか自分自身には当たり前で客観的な判断も付かないような環境を相手には一切認めないなんてことはあるはずがないしこれなら想像できるでしょ
思い付かないってことは「いつ聞かされても受け入れられない」が答えだよ
aa_R_waiwai はてな全体では分からんけど、自分自身が最近やばくなってる自覚が(ようやく)出てきたので、そろそろコメントをやめようかと思ってる。とりあえずスマホからアプリは消した。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4732873560913041764/comment/aa_R_waiwai
この時一瞬症状を自覚したのに一月も持たずにやっぱりだめだった
https://b.hatena.ne.jp/red_kawa5373/
今ではこのありさま
結婚してるんですか?
↓
↓
あっ…(触れちゃいけない人なんだ…)
というコンボを食らいまくる。
自分自身の人生なので独身を選択したことに悔いは無いけど、このコンボを食らうと惨めな気持ちが湧き出てくる。
たぶん惨めな思いをしてるのは、人生の選択に迷ってるからだろう。
決めたけど、その選択を将来後悔しないかについて不安で仕方がない。
今でも友人が結婚して子どもが出来て幸せな家庭を築いているのを見ると、自分の選択が怖くなる。
もっと吹っ切ることが出来たらこんな悩みは抱かなくなるんだろうな。
仕事の繁忙期が半年近く続いて、繁忙期が通常期になりつつある。
いやどれも全部明確な差別なのに自分事になると途端に場合によっては差別もアリって反応になるブクマカはなんなんだよ
そういう思想があったとしても言動に出さないのが大切なんじゃなかったのかよ
どれだけ言い訳しようとそれを理性で律して模範的な行動に移せてない時点でそれは差別以外の何ものでもないだろ
自分自身の人生にアファーマティブアクションを取り入れられない時点で反差別とか言って欲しくないわ
数世代の女性たちの年代記であり、「百年の孤独」と対比されるんだけれど、こちらのほうがずっと読みやすい。ちなみにガルシア=マルケスはコロンビア人で、アジェンデはチリ人。
しかし、女性の物語としての記憶は薄れていて、覚えているのは暴君として君臨していた祖父エステバン・トゥルエバのことだ。彼が地元の女性を強姦して産ませた息子が、因果が回って彼の孫娘を強姦する。因果というか、悪い行いの結果って一番弱い立場の人に最悪のしわ寄せがくる。しかし、孫娘の嘆きや苦痛は強姦の苦しみの割にはごく短く語られている。
同じく、よしもとばなな「アルゼンチンババア」かなにかで、語り手がいとこに犯されそうになったことをさらりと書いているのだが(そして、そのいとことほとんど恐れもなく顔を合わせるのだが)、性暴力について文学でどう扱えばいいのかは自分はよくわからない。女性からセクハラされた僕だって迷う。性暴力を表現するときにどれくらい気をつかうかは、殺人事件よりも慎重になっている印象がある(それだけ殺人が稀になったってことかもしれない)。
書かなかったのか、書くことができなかったのか。アンソニー・ドーア「すべての見えない光」でも、ソ連兵に犯されたドイツ人女性がたくさん出てくるが、彼女たちが戦後どう生きたのかについては、わずかしか触れられない。
道徳的な理由で表現が規制されるのは、真実から目をそらすことになる気がするので好まない。一方で、当事者の声を無視しても結果的には良い物にはならない。このあたりは想像力の飛翔との兼ね合いでいつも居心地が悪くなる。「好きなように書かせろ」という書き手としての自分と、「当事者以外が勝手なことを書くんじゃないよ」と別の自分がいつも喧嘩している。
ブルース・チャトウィン「パタゴニア」を読むと、旅はいい、とため息が漏れる。何度だって書くが、紀行文はいい。定期的に読みたくなる。その土地にしかない暮らし、風土、それゆえに自分たちと異なった風習を持ち、理解しがたい態度を取る人々。航空機以前のように、数か月の旅を空想するのが好きだ。チャトゥインはオーストラリアを舞台にした「ソングライン」もある。アボリジニは他の文化の持ち主には見えない道をたどり、万物に名前を付けて大陸中を歩いてきたのだ。
カルロス・フエンテス「老いぼれグリンゴ」はあまり記憶していない。モデルとなったアンブローズ・ビアスの書いた「悪魔の辞典」はかなり好きなんだけどな。筒井康隆を始めいろんな翻訳があるのでオススメ。
フエンテスは短篇集「アウラ・純な魂」のほうがずっと面白かった。老いが迫る男、幼馴染のようにべったりした兄妹の別離、小さい頃に一緒に遊んであげた小さな女の子の末路、鏡のある真っ暗な部屋で魔術によって若さを保つ老婆、それから脱走兵が出てくる。
ミシェル・トゥルニエ「フライデーあるいは太平洋の冥界」はかなり観念的な話だったと記憶している。文明と自然を対比させるために(?)読者に理解しやすいロビンソン・クルーソーとカオティックな行動をするフライデーが出てくるのだが、舞台はロビンソンが島そのものとの性交で子どもが生まれるという神話的な世界だった。これを読んだ後で、理解を深めるためにデフォーの原作を読んだのだが、記憶していたような絶海の孤島ではなく、近くに南米大陸がある島だった。そういえば子どものための抄訳版にも、近隣から人食い人種が攻めてくる描写があった。
M・G・ル・クレジオ「黄金探索者」は姉と弟の閉じた世界が壊れるというか、外部の世界を知るような話だったと記憶している。姉と不可分な存在となって、マダガスカルのサトウキビ畑を歩いていた場面があったはずだ。小さな子供の目から見た植民地世界の、どこかに宝物が埋まっているんじゃないかと期待しながらも、閉塞した記憶だ。ラストでは故郷も家族も恋人も黄金もすべて失い少年期が終わる。しかし、不思議と読後感が清々しいのはなぜだろう。まるで、すべてはここから本当に始まるのだ、という気分である。
ル・クレジオは難解な作品とそうでない作品の差が激しい。「海から来た少年」はまだわかりやすいんだけれども、太陽を見つめて意図的に盲目になる「大洪水」は二回読んだはずなんだがさっぱりわからなかった。
一時期ナボコフがすごく好きで、文学講義のシリーズも読んだんだよね。前のエントリで書いた「ロリータ」だけじゃなくて、ソ連から亡命した冴えない教授を主役にした「プニン」だとか、架空の国ゼンブラを舞台にした架空の詩と、それに対する真実か虚構かわからないような注釈が、見開きの右と左に分かれていた「青白い炎」だとか、そもそも実在する世界を舞台にしているかどうかさえ疑わしい兄妹の恋物語「アーダ」だとか、みんな好きだった。で、これらは英語で創作されているんだけれど、最後にロシア語で書いたのがこれ。詩人になるまでのお話。
難民のように食うや食わずではなかったけれども(そしてそのせいで政治的に過小評価されることもあるけれど)、ナボコフはやっぱり偉大な亡命作家の一人だ。でも、ユーモアを忘れていない。
で、本作では片想いをしている女性を思い浮かべながら、どの女性を見ても彼女のことを思い出し、彼女を連想できないタイプの女性には嫌悪を覚えたという趣旨のことを書いていて、ちょっとだけ分かるんだけれどひどいことを平気で言う作家だなと苦笑いをした。
フョードル・コンスタンチノヴィチに向かってうら若い、牛乳瓶を持った娘がやってきたが、彼女はどことなくジーナに似ていた。いや、より正確に言えば、この娘には、彼が多くの女性たちに見出しているある種の魅力――それは明確なものであると同時に、無意識的なものであった――ひとかけらが含まれていたのだ。そして、彼はその魅力の完璧なものをジーナの中に認めていた。だから、そういう女性たちは皆、ジーナとある種の神秘的な親族関係にあるということになるが、その関係について知っているのは彼一人だったのである。もっとも、その関係の具体的に言い表せと言われても、彼にはまったくできなかったけれど。(ただ、この親族関係の外にある女性たちを見ると、彼は病的な嫌悪感を覚えた)。
僕は基本的に豊かな知識を持ち、普通に文章を書くだけでその該博さがこぼれてしまうために、結果的にひけらかしと受け止められてしまう作家が割と好きで、一時期円城塔にもどっぷりハマっていた。一方で、「ロリータ」については、暇なときにパラパラとページを開いていると、語り手の身勝手さがだんだんと鼻につくようになってきた。ハンバート・ハンバートって、でっぷりしたおばさんを見て、「ニンフェットの美しい肢体を生き埋めにした棺桶だ」って趣旨のことを平気で言うんだもん。性格悪いよね。
とにかく、前は金に困っていない人間が、道徳を踏みにじっているのを美々しい文章で糊塗しているのが(当時は悪とは何か知りたかったし、悪いことをしている狂った人間の話が読みたかったし、知性を感じる文章が好きだった。そういう意味でも「悪」を扱った遠藤周作がすごく好きだった)面白くてしょうがなかったのだが、いまとなってはそこまででもなくなっており、自分の中で「ロリータ」の魅力が少しかすんできた。それとも僕が少女に心惹かれなくなっただけなのか。
なんにせよ猛烈な魅力を感じていたのにプツンと魔力が消えてしまうことはある。以前は三島由紀夫が大好きだったのに、「豊饒の海」を読む前に魔法が消えた。たとえば「潮騒」を読もうとしたら、彼の文章のリズムが心に響かず、全然読めなくなっていた。
少女と言えば、初めて「ロリータ」を読んでいた二十代の頃、一年に数回ほど発作的に年端もいかない少女に対する強烈な憧れが募っていた時期があったのだが、少女と知り合って仲良くなるプロセスを現実的に細かいところまで検討すると、真っ当な手段がどこにも存在しないと気づいて、途端にこうした欲望への嫌悪の情が浮かんび、緩解していった。それに、無知な相手を自分の利益のためだけに利用するのは邪悪の定義に当てはまってしまうしね。
おそらく、当時の自分が憧れていたのは現実の少女ではなく、思春期の頃に空想するような、成長の痛みや性の悩みに寄り添ってくれる同い年の少女で、その記憶を引きずっているに過ぎないのだ。つまり、幼馴染への憧れだ。そういう少女と思春期の頃に出会えるはずはないし、自分の問題は自分で解決しないといけない。そのうえ、よしんば実在したとしても、そんな少女とは「ノルウェイの森」のキズキと直子や、「海辺のカフカ」の佐伯さんと彼女の恋人のように閉じた関係になってしまうだろう。結局は、成長の痛みを引き受けないことによる歪みを必ずや生み出すだろう。そういう空想上の女の子は自分自身の鏡像、ユングのいうアニマで、つまるところこれは自己愛である。今はむしろ年上好きである。
(どうでもいいけどウィキペディアのロリコン写真集の記事、内容がやたらと詳しいんだがこれって倫理的にどうなのよ。誰かが興味持っちゃったらどうすんの)
ピンチョンはよくわからない。陰謀論をネタにしているんだろうが、直接扱ったエーコ「フーコーの振り子」のほうがエンタメとして好き。陰謀論的な思考をちゃんと茶化しているしね。個人的にはエーコが作中で既存の有名どころの陰謀論をすべて統合したオリジナルの壮大な陰謀論を作り上げているあたりがヤバい。あるいは架空史の仁木稔の「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」か。困ったことに、これらの作品が発表されてから陰謀論はネタとして面白い物から現実の脅威となってしまっている。
エーコが楽しめてピンチョンにピンとこなかった理由を考えてみると、たぶん元ネタとなる知識をどれくらい知っていたかに尽きる気がする。自分はキリスト教やオカルティズム、カバラや魔術については多少わかるのだが、六十年代のアメリカのポップカルチャーや現代のエンタメには詳しくない。だが、この作品は実際、死をもたらすツボ押しマッサージが出てきて「あと何日でお前は死ぬ」みたいな「北斗神拳」っぽいネタを扱っている。なんせこの爆弾を埋め込まれるのが日本人サラリーマンなのだ。
文庫本にして三冊の本を無理やり一冊に押し込んで、小さな活字二段組みなので読むのがしんどいし、「早く読み終えなきゃ」って焦ってしまった覚えがある。馬の生首のシーンが有名だよね。
三歳で成長するのをやめたダンツィヒ回廊生まれの少年が主人公の癖に、義母を寝取って子どもを産ませているんだから、とんでもない話だ。純粋無垢なままでいるために三歳よりも大きくなるのをやめた話と思わせて、実は様々な女性と恋愛遍歴をしている。家族が次々と殺されて行ってもね。
そういえば、さっきモテる奴の話を読んで何が面白いのかと書いたけれども、舞台が現代日本でなければ別世界のファンタジーとして享受できるらしい。幼馴染のロマンスだって、別の国や時代が舞台ならまだ受け入れられる。たとえばロンゴス「ダフニスとクロエ」だけじゃなくてコレット「青い麦」も割と好き。どっちも少年側が人妻に性の手ほどきを受けるので、これで多少性癖が歪んだ気がする。村上春樹「海辺のカフカ」と合わせておねショタに目覚めてしまった。あと、青春物があまり好きじゃないのに、「十三機兵防衛圏」はプレイできているの、あれが一つは君と僕みたいだけみたいな閉じた雰囲気じゃなく、感傷ダダ洩れの地の文章が無く、群像劇だからってのもある気がする。
話を戻す。うじうじしているくせに、本当はモテることにすごく憧れているただ。だが、十五分の自慰行為のあいだならエロ漫画の主人公と同一化できるかもしれないけれど、数時間かけて読む文学では自己同一化の魔法は解けてしまう。細かい設定があるのだから、自分との差異がどんどん強調される。自分は到底なれそうにもない、かっこいいキャラがモテても、ちっとも面白くないのである。しかしこんな話を聞かされる読者も面白くないだろうしこのあたりで切り上げる。小説のダメな人間、僕が先に好きだったのにという人間にならなんとか自己同一化できたのである(余談だが、かつての週刊誌の中づり広告のようなエロス無法地帯のウェブ広告で「カラミざかり」が出てきたとき、主人公の来ている服のロゴに「cuckold」と書いてあったが、これは英語で「寝取られ男」という意味である。そういう芸の細かいところ、わかる人にはわかる小ネタは好きよ)。
少し現実的に考えてみれば、滅茶苦茶にモテて複数の女性から同時に交際を求められたら、しかも好みの相手でなければ、それはそれで面倒そうなのであるが、嫉妬と羨望に狂っているさなかにはそれはわからない。同じく、浅ましいことに3Pとかも憧れるけれど、よしんばそんな機会が訪れたとして、絶対気をつかうし面倒くさい。自分が手に入れられなかったものは理想化されて頭の中で猛烈な輝きを持つが、一度頭を冷やしてみよう。
続く。
「なんだよ、もっと誘えよ」
「そういう言い方だから、態度だから、つい言い返したくなってしまうんだよ」
だとかみたいに責任転嫁することもなく、自分自身の問題で、そして本当はどうしたいのか、内心の感情は何なのかも気が付いている。
自分一人だけで解決することは難しそうだと認めて助言も求めている。
婚活したいけど自分の家庭環境がちょっと重いので友人にも話せず、結婚相手としての世間一般での許容レベルが分からない。相談させてください。
・両親のどちらかが在日◯世
・両親のどちらかが懲役刑
在日の件に関しては両親から全く聞かされておらず、成人前後くらいに不意打ちで初めて知った。海外に行ったことすらなかったので普通にびっくりした。
お互いの今後のために帰化してほしいと言ったらすんなり専門家に頼んでくれた。
懲役の件に関しては元々人として相性も悪かったので、出所に際しての面会で身元引受人は請けられないと答えた。以降どこに住んでるのかも生死も知らないし特に興味もない。今後もこちらから連絡を取るつもりはない。
自分自身は戸籍上日本人で借金も前科も持病もなく一社会人として普通に自活してる。
交際経験も人並みにあるし日常生活でこれらを意識することはない。でも結婚となると話が違う気がする。
仮に自分と結婚を考えてくれる相手が現れたとして親族周りの厄介事がついてくるのではってことと、将来子供が生まれたら自身の生い立ちのせいで将来を狭めてしまうのではってことを不安にさせてしまうのが引け目に感じて躊躇ってしまう。
絶対に子供がほしいとは思ってないけど、相手が欲しければ反対するつもりはない。でもそうなった時の子供の将来に関しては自分としても心配ではある。
仮に婚活市場に乗り出すとして、どの段階で相手に切り出すべきと思うかアドバイスがほしいです。
交際開始時の話題としては重い気がするけど結婚の話が挙がった時点では遅いような。
そもそもこんな事故物件は婚活市場に出ていくべきではないのか?
いきなり結婚相談所はハードルが高いので、マッチングアプリで普通のお付き合いを目指すところから始めると思う。
これ以上の情報は伏せたいけど、ほかに懸念点とかもあれば聞きたいです。
【追記】
相手の親族側の存在について、自身が親との関係が希薄&親と子供は別人格だという気持ちが自分自身強くあるためかそこまで思い至っていませんでした。結婚となると全く当人同士だけで完結するのは難しいものですよね。
家族の意見を重視するタイプだと納得させるのは大変そうなので自分と同じ考えの方であることを願うしかないかも。
職業倫理上、公安・金融・法曹辺りはお相手として厳しいだろうなと思っていました。まあそういう方たちとは巡り合う可能性の方が低そうだけど心に留めておきます。でも警察官辺りは割と当たりそうな気もする。
結婚って何から何まで開示しないといけないものだと思ってたので、隠し通せばよいのではという選択肢は目からウロコでした。
少なくとも生きてるうちに懲役刑の方とコンタクトを取ることは皆無だと思うので、誠実かどうかはさておき起こる可能性の低い心配事で余計な波風を立てるよりはそれでもいいような気がする。
調べられたりして後から発覚したときのリスクは大きそうだけど…。
実際に個別具体的な関係にならないとどうしようもない話なのは承知の上で他の人の感じ方を聞いてみたかったので、色々ブコメ等つけてもらって有り難いです。
在日問題の方ですが、軽く触れましたが自分自身は全く日本人として生活してきてて文化的にそちらの国に合わせてほしい部分があるというのはないです。
身内に犯罪者がいることは受け入れ難いというものがあるというのも、諦めと納得感があります。こういう悩みを抱えざるを得ない状況に巻き込まれた自分自身もすごく嫌です。
とは言え全体的には自分が思ってたよりは重く捉えられないような印象でした。これは結婚どうこうとは別に少し気持ちが軽くなりました。
いずれの件も少なからず自分のアイデンティティを揺るがし、心の中で澱となっていたので。自分自身が悪いわけではないと言ってくださった方ありがとうございます。
実際の体験談も参考になりました。いずれにせよタイミングは慎重に図るとしてそこまで悲観的にならず、良い人と巡り会えるよう努力します。
@reckle55abandoN
@reckle55abandoN
あのラーメンレポ?の人が嘘をつく動機に比べたら店の弁明が嘘である動機の方が圧倒的に強いけどな
マジで嘘は言ってないと怒ってたし。なんで双方言い値の好きな方を真実視しとんねん情弱かよ
とりあえず普段から女叩き散らかしてる負け犬が嬉々として「はい答え合わせーー」とかやってるのキモい
https://x.com/reckle55abandoN/status/1874252030795276615
@reckle55abandoN
いいね多い(編注:たかだか7,785)から一つだけ言っとくけど
俺が言いたいのは こんな自分と何の関係も無い店の盛り付けの話ごときで「女サンガー」とかほざける平和さを自分と同じレベルで認識して欲しいというだけなんですよ
自分自身が撮られたり触られたりする不満を唱える女さんと全くイーブンでは無いw甘えてんのか?
奈子
@nacorobin4771
見てきました。以前YouTubeで見かけて、本当にそんなのいるのかなぁと半信半疑だった「女叩き」っていうのの実物なんですね。「女さん」って言ってました、本当に。まさかそんな珍獣が実在するとは………( ꒪⌓꒪)
@reckle55abandoN
彼女なんて夢のまた夢、欲しいのに手に入らない、かといって努力する根性も無い
そういう連中なんだと思います
女にもそういう言っちゃ悪いけど恋愛の負け組みたいなのは同じようにいるのにね。でもそこで逆恨みに走るのが「男」なんだぞと、他でもないこいつらが証明してますね
https://x.com/reckle55abandoN/status/1874514063646232590
@kyoukaisenkin
1時間
@reckle55abandoN
1時間
モテないのを異性のせいにしてる女は見ないなー
「暴力振るう男の方が女は好きだもんな、暴力振るわない俺がモテないのは女が悪い」とか抜かしてる奴いっぱいいるw
@nekopoti3337
42分
逆だろ😮💨
ラーメン好きと企業社員、どちらが嘘をついたときに背負うリスクが高いか。
@reckle55abandoN
というより、あの女性が0から1を起こす動機が見えないって感じですかねぇ
それとカメラとヒアリングであのやり取りを精査できるか?という疑問の天秤の結果のツイートでした
別にこれも個人的な推測だし、反面あの女性が黒だったところで「女」が嘘つきな訳でもない
と言いたかっただけです
@otoshigoro2006
27分
同期が見えないって、「ストレス発散」ってだけでは?
@reckle55abandoN
24分
その店で嫌な思いもしてないのにテロ的に?
Mr.Chairsで買ったゲーミングチェアが故障したので一部パーツを交換対応してもらったことを書く。
これはクレームではなく、問題なく対応が終わったことの記録であり、なぜ記録に残すかと言うと自分自身このサイト(Mr.Chairs通販)で購入したものの交換対応などの口コミがあまり探せず、不安になったのもあり、参考になれば良いなという思いからである。
1年前、利用していたAmazonでGTRacingの安いゲーミングチェアの合皮がボロボロになったり、アームレストも裂けてきたので買い換えようと考えた。もともとゲーム目的で使い出したゲーミングチェアも、環境の変化でリモートワークで利用することがほとんどになった。もともと腰痛持ちであり腰への負担が少ないものが欲しかった。
その他の細かい条件も含めると以下のようになった。
腰を考えるならアーロンチェア一択だとインターネットは言うと思うが、随分と高価でヘッドレストが別売りになっているし、身長に対応もしているようなものが見つけられなかった。
ゲーミングチェアの中でもそこそこ良いものはあった。記憶を頼りにググっているが、当時見つけたのはおそらくnoble chairsの全て黒の奴だったと思う。ただこれは価格が高いのと、合皮なのとで候補から外れた。
調べる中で参考にした椅子好きYouTuber Mr.Chairsの、メーカーの工場に行って解説する動画から知ったウィステリアフリーダムチェアがいい感じだった。
前述の条件をほとんど満たしたものだったのでこれに決定した。特にシリンダーの変更で身長対応できること、全体がファブリックであることが魅力的だった。大手通販サイトと比較して少し不安だったが、購入もそのYouTuber運営のサイトで行った。
ある日座った時にバキッと音を立てて足元のフレームが割れてしまった。シリンダーを挟んでいるキャスターヒトデの部分だ。
買った日を確認すると約1年前だった。このゲーミングチェアがかなり快適でもうずっと使ってるような、前からあったような錯覚があった。
まだこの期間であれば保証も効くだろう。と買ったMr.Chairs通販サイトを見て過去の注文履歴を見る。過去の商品ページを見て保証期間を見たかったのだが、注文履歴からは見れないようだった。ググっても注文した当時のバージョンは無かったからページを使いまわしてるのだろう。
こういうときに必要なのは注文番号/注文日付だ。注文履歴からそれらをコピペして相手がすぐ注文履歴に辿り着ける情報を書き、続けて故障の詳細を書く。
問い合わせを送ったのは夜遅くの時間帯で、大概こういった問い合わせの返事は平日営業時間帯だと思い込んでいたので驚いた。
メーカーへの確認を行なっている旨を連絡いただき、次の日の朝にはメーカーから交換パーツが送られる事の連絡だった。
交換パーツも次の日には到着して無事交換対応。破損パーツは着払いでの返送となる。とても気に入っている椅子なので、メーカー側の製品改善に繋げて欲しいと思いながら次の日には返送を行った。
大手ECサイトと異なり、どのように対応すればよいか、対応してもらえるか、の口コミがなく不安だったが、滞りなく対応してもらえた。
以上、レポっす
同一増田による追加です。
---------------------------------------------------------
なんとなく他人と疎遠になるなと思っていたけど、50過ぎてようやく自分に原因があると認めるようになった
こういう態度や、言葉を発したらどう思われるか、どう判断されるか
考えてこなかった
何を見てもその愚かさを思い起こし
そのしんどさも、傷つけたり、呆れさせた他人への罪の意識というより
興味も持てない人間だから、外からも興味を持たれなくとも仕方ない
そんな自分にも
嫌われるのも当然だ
それがようやっと50過ぎて身に染みるようになった
もう取り戻すことはできない
それしかできない
最近増田で彼女作れる作らない、マッチングアプリ意味ない意味ある系の投稿が多いのでn=1の例を出しておく。
増田はあんま友達多くないタイプで今でも連絡とれる友達は高校で3人、大学で6人ぐらいの陰キャな社会人2年目。彼女は2年前の大学院卒業直前にマッチングアプリで知り合ったひとで、ついこの前のクリスマスにプロポーズして婚約した。
増田のプロフィールをもう少し掘り下げると、高学歴理系の若干ASD入っているタイプと言えばわかる人にはわかると思う。コミュニケーションとれはするけど、所々にやや難な点があり友達とかも多くなく孤立する時もしばしばあった。
マッチングアプリでは全く上手くいかなかった。まず、いいねがほとんどもらえずマッチしてもメッセージ交換がすぐ打ち切りになってしまっていた。上手くいかなかった理由として、普段から友達少ないし、その友達にも遊んだり用事がある時にしか連絡しない習性であったのが大きかったと思う。メッセージのやりとりがまず苦手だった。あと、メッセージ→通話→会うが一連の流れで、メッセージから通話に移行するタイミングを逃すことも多かった。男も女も多数の相手とやりとりするので、いつまでもちまちまメッセージだけの関係性だと打ち切られてしまう。
そんななかで、顔写真を公開してなくてほとんどいいねも付いていない人とマッチした。運良くメッセージ続いて通話もできて実際に会えた。会った時に話を聞くと、
・顔写真を公開するのは怖い
・それであんまりマッチしなかったが、息抜き程度にアプリをしていたので気にせずいた
・増田さんのプロフィールは普通っぽい感じがよくてマッチしようと思った。
・みたい映画があったため、ついでに会おうと思った
そんな彼女に増田からアプローチして、ついこの前婚約できた。最初は彼女は恋愛経験0であったため、こちらのアプローチに気づかず、ということもあったが、こちらが根気よくアプローチして恋人になった。
増田の例は、お互い初めての恋人だったのが良かったポイントと思う。そのおかげでお互い比較したりされることなく交際できたし、マッチングアプリ特有の恋愛駆け引きとかもなかった。
何が言いたいかと言えば、今まで彼女が出来たことがない男がマッチングアプリで彼女を作るには、いいねを全然もらってない顔写真なしタイプに実際会ってみるか、自分自身(プロフィール)のレベルをあげて普通のアカウントの子を落とせるようになるかのどちらかだと思う。