はてなキーワード: 栄養とは
この中では「雨月物語」しか読めていない。確か角川ソフィア文庫で読んでいる。
村上春樹「海辺のカフカ」で言及されていたので興味を持った。物語集として面白いのだが、序文に紫式部を持ってくる自意識の強さが良い。あと、僕はそもそも怪奇物語が好きだ。好きなのは凄惨なスプラッタやお化け屋敷的なジャンプスケアではない。何か人知を超えた存在がいるという驚きや恐れなのだ。
これは僕の感傷マゾとつながっているのだろうが、言い出せない妄念を抱えた死者というモチーフが好きだし、神話物語に通じる奇譚が好きで、だから仏教説話も説教臭い割に好きだ。
ところで、東京創元社の編纂したSF短篇集「時を歩く」にピンとくる言葉があった。空木春宵によれば、幽霊とは虐げられた人々の象徴で、だから怖いというよりも親しみを感じるそうだ。その言葉にはたと膝を打った。だから僕もお化けや妖怪が好きなのだ。異様な姿をしていて、理解できるのかできないのかわからない、その「他者」っぽさが面白いんだ。モンスターが深い知性を持っているという設定、大好き。
ちなみに、小林泰三「酔歩する男」の元ネタ菟原処女伝説が、「浅茅が宿」でも触れられている。これを書いていたら小林泰三をまた読みたくなってきた。
「菊花の約」は小泉八雲が「怪談」で翻案している。小泉八雲も上と同じ理由で好きだ。一度彼が翻案する前の原典を読んでみたい。僕は箱庭的世界というモチーフが好きなので「安芸之助の夢」が特に大好きだ。
ところで小泉八雲の朝ドラをやるそうだ。大好きな作家だが、きっと観ないんだろうな。僕がテレビを見る習慣をなくしたのは、一つはイケメンの歯の浮くようなセリフを聞きたくないからなのだが、もう一つは小説家を目指すために、帰宅してから寝るまでの時間をずっと執筆にあてていたからなのだ。あと、ドラマを見ていると本編を放っておいて、史実ではどうなっていたかを調べる悪癖もある。
というわけで、残りの物語もそのうち読む予定。
これも「おくのほそ道」しか読んでいない。たしかビギナーズ・クラシックスだ。人々と交流しながら俳句を作っているのが楽しそうだけれど、地元に句会の記録が実は山ほど残っていたりしないんだろうか。
そういえば句会に通う友人にそそのかされて試みに俳句を作ってみたけれど、短歌と比べて情報量が圧倒的に凝縮されている。言葉選びが極めて厳密で、密度が高い。短歌は十四文字だけの余裕があるがあるから、聞いていてもゆとりがある気がする。僕は散文の文学の良さは情報の圧縮困難性、言い換えるならばどういう話かあらすじを短くまとめると魅力が失われる度合いが高いものを高く買っている。逆に、詩文はどこまで世界を圧縮できるかだ。しかしながら、短歌は枕詞で五文字も使う。なぜこんな効率の悪いことをしているのかは不思議だ。
短歌は与謝野晶子、俵万智、穂村弘あたりを読み、俳句は他に高浜虚子あたりを読んだ。
俳句じゃなくて短歌だが、与謝野晶子は熱量がすごくて読むのにえらく時間がかかった。また、穂村弘は生々しい男の生理が表現されていて何となく好ましく思う。しかしそれを荒っぽくぶつけているようできっちりと計算して表現している。形式があらかじめ用意されているからこそか。「台風の来るを喜ぶ不精髭小便のみが色濃く熱し」「男の子はまるで違うねおしっこの湯気の匂いも叫ぶ寝言も」「泳ぎながら小便たれるこの俺についてくるなよ星もおまえも」。僕は意外と暴力的なものが好きらしい。
俳句は数が多く、未読が多く、次々に新しいのが生まれており、追いつけない。ここに載せられた作品もいつかは読みたいが、記憶に残らないこともあるだろう。しかし、すべてを記憶しておかないと不安だというのも強迫観念に過ぎない。読んだその場で一期一会の幸せを覚えれば、それでいいのかも。ちなみに、俳句が作者の目の前で論評されるバラエティは、かつて通った小説創作講座を思い出して胸が苦しくなるから、見ていない。あれ残酷だよね。
こうしてみればわかると思うが、平安時代の文学と比べると、まだまだ読めていないのが江戸時代の作品だ。開き直って現代語訳でどしどし読みたい。
古典は急がない。いつまでも待ってくれている。世間で流行っている作品とか必読書とかそんなのとは無縁だ。千年前の作品を読むのが一年や二年遅れたところで、どうということはない。
ところで脱線するけれど、いま生きている人を推せる人って偉いと思う。だって、いつスキャンダルで裏切られるかわからないからだ。それこそ明治の文豪がクズだったとかいう話はよく聞くけれど、今となっては本人を含めて関係者がみんな死んでるので、多少は冷静でいられる。新たに醜聞が掘り起こされても「昔の人だからね」とどこか冷静になれる。今の人だとこうは行かない(以下、きちんと謝罪をしなかったためその態度に非常に腹が立ってファンをやめた人や、音痴なイケメン歌手の実例を事細かに挙げるつもりだったが、見苦しいので削除した)。他にも存命人物だと、事件を起こす前のオウム真理教を面白がってた著名人や、古本屋で見つけたロリコン写真集に「これぞ芸術」と推薦文を寄せていた文化人に「逃げるなァァァ」と言いたくなることがある。
やっぱり推しは死んでいる人に限る。どんな差別発言をしていても過去の人間だから納得できてしまう。そんなことを頭の片隅に置いてネットサーフィンをしていたら、芥川龍之介が「侏儒の言葉」で似たようなことを言っているのを見つけた(正確には、悲観主義について調べており、そこから哲学者フィリップ・マインレンダーを見つけ、そこから偶然にも「侏儒の言葉」の言葉にたどり着いた)。
古典の作者の幸福なる所以は兎に角彼等の死んでいることである。
又
「侏儒の言葉」は好きなんだけど、読んでいると段々と彼の鬱に巻き込まれていく。いつか芥川全集をぶっ通しで読みたいが、晩年の作品を読むと真実を言い当てすぎていて心底気分が悪くなってくる。二十代の頃のようにシニシズムを楽しむだけの体力がもはやない。ネヴァーモア! 昔はアンブローズ・ビアス「悪魔の辞典」とか大好きだったんだけどな。
とはいえ、数百年前の古典を無批判に読んでいると、人間に身分の上下があることやとりあえず天皇家が偉いことが自明に思えてくるし、人命がアホみたいに軽いことに感覚がマヒしてくるので、これもまたよろしくない。
こういうことを考えている時は大抵は体調不良のときなので、筋トレなりストレッチをしたりするのがいいのである。僕らは結局肉体を備えた存在で、そこからの入力がどんな言葉よりも助けになることが多い。というか、言葉が自家中毒を起こすことはよくあるのだ。ペッペデス。頭が良すぎて不幸になった人間の物語は好きだが、芥川には生きて戦後を見てほしかった。
さて、池澤夏樹の全集では、これ以降の巻では明治の作品が扱われる。しかし、ここまで書いてきてかなり長くなってしまった。ひとまず、江戸時代までで一区切りとし、近代の作品はまた別の機会としたい。おそらく本気になって書いたら、作家ごとに思い入れのある作品は多く、言いたいことはたくさんあるので、もっと長いエントリになることだろう。近現代作家集に至ってはIからIIIまであり、合わせて何十人もの作家が紹介されている。倍近くになるだろう。
ただし、その機会がいつ訪れるかはわからない。先にドストエフスキーや中島敦、ポーやラブクラフトについて書くかもしれない。あるいは、文学にかこつけた自分語りが一段落したので、これで終わりにすることも大いにありうる。
なお、次のエントリでは、有名どころだが話の流れから言及できなかった作品について述べる。
さっきは何が苦手かについて書いてしまったので、逆に何が好きかについても少しは語ろう。芥川賞をはじめとした現代文学を読んでいて、どういう作品が自分に刺さるかを整理すると、知識が豊富な語り手の小説が一番好きで、その次が自分の巨大な感情を論理的に言語化するのがうまい人が語り手であるものだ。それから、無軌道な性欲や暴力衝動、ひがみなどの負の感情を抑えきれない人間が出てくるのが続く。自分が中高生の頃、そうしたダークな受賞作が連続していたと記憶している。田中慎弥「共喰い」とか、時代は下るが西村賢太「苦役列車」とか、砂川文次「ブラックボックス」とか、自分の暴力衝動に屈する人間を描いたのが好きだ。青来有一「聖水」とかもそうだ。世間からはみ出してしまった、汚らしい人間が好きだった時期がある。おそらく「悪とは?」が内なるテーマだったんだろう。
芥川賞は一つの賞でしかなく、世間的には評判が良くてもピンこと来ない作品はどうしてもある。若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」は最初から自分の中の無意識の声たちについて説明しすぎていて、「それだったら最初っから意識の流れとか無意識って言えよ」って思ってしまって、それ以来ずっと批判的にしか読めなかった。あれは高齢者向けの一人で生きることを学ぶ教養小説なんだよな。あと、又吉直樹の作品に結構な頻度で、的外れな批判をしてくる劇団員の女性が出てくるけれど、「お前、本当は社会的な作品批評が嫌いだろ?」っておちょくってやりたくなる。村田沙耶香「コンビニ人間」については前回のエントリで名前を伏せてチクリとやってしまった(最後まで読んでいないくせに!)。
理想を言えば性別だとか人種だとか国籍だとか年齢だとか思想だとか、そういうのを抜きにして作品を評価したいんだけれど、ある程度年齢を重ねてくると、十代の頃のように素直にストーリーを受け止められず、若いころのように思考の柔軟性がなくなり、労働で疲れていては異質なものを楽しむゆとりが減る。どうしても自分の属性や性格が近い人の文章が面白く感じるので、公平に評価するためにマイノリティ枠を設けるってのは、いくつかの問題点があるとはいえ、一つの知恵だと思う。なお、文学的に優れていることと、そのときの自分に刺さって面白いのと、今の社会が必要としているのとは、まったく違うので、話題の小説がいつも面白いわけにはいかないのはしょうがないのだろう。
脱線すると、芥川賞を取ってもその後書き続けられた作家のほうが面白い。というか、受賞作がつまらなくてもその後面白くなる作家も多い。しかし、逆に芥川賞を取る前の青臭い作品にしかない魅力もある。長編を連載するだけの構成力も体力もないデビューしたての漫画家の初期短編集からしか得られない栄養素があるのと同じだ。
なお、僕は大体漫画を買うときは短編が多い。「Fellows!」「ハルタ」「エロティクス・エフ」「楽園」「アフタヌーン」出身の漫画あたりから、絵が好みなのを選んでいるようだ。
というか、みんなあれだけ長編の少年漫画を読むだけの体力があってすごい。ただし、僕がなかなか長編漫画が読めないのは、活字のようにぶっ通しで一気に読もうとしているからという可能性がある。連載を追うペースで、ゆっくりと読めばいいはずだ。
なんでこんなことを言うのかというと、僕は同世代的経験に相対的に乏しいためだ。例えばゲームが下手すぎて、ドラクエやファイナルファンタジーなどの多くの作品をプレイできていない。ポケモンでさえ途中で飽きる人間なのだ。自分が好きなペースで刺さった作品を読んでいるだけなのだが、時折どうしても疎外感を覚える。若いころにもっと流行りのJ-POP聞いてりゃよかったよ。そりゃあ人は人、自分は自分だけれど、寂しい。
とはいえ、少年漫画の多くは恋愛が扱われるので、そこまで読みたい気分でもないのである。
こういうことを書くと「課題の分離」とかいう話になりそうだけど、個人的にはアドラー心理学はそこまで信用していない。さっき書いた「課題の分離」をはじめとした有益な概念は多いし、原因を探るよりもまず対処法を考えるのは、実生活で非常に役に立つ。というか、実際に役に立った。だが、「嫌われる勇気」をはじめとした本ではいいことを言っている一方で、「私に反論するとしたら、それは私の理論を理解していないからだ」という、反証可能性を潰すような自己完結した思考をしているのがいただけない。これは初期のフロイト派の「私に反論するとしたら、それは私に父親を見出しているからだ」とか、古い時代のフェミニストの「私に反論するとしたら、あなたが女性差別を乗り越えられていないからだ」とか、それらと同様の理屈だ。なにか自己完結した、人の話を聞かない嫌らしさを感じる。
自己完結と言えば、たとえば何人かの反出生主義者が(もちろん別の哲学的立場でもいい、実例は見たことがある)、予期される反論に対してすべて想定問答を作ってガチガチに自己防衛をしているのを見ると、圧倒的な壁のような「他者」を感じる。この人と議論しても、自分も相手も何も変わらないだろうなという、諦念を感じることがある。互いに変化をもたらす「対話」にならないのだ。
意識の高い人たちが叩かれるのはこれも理由かもしれない。会話をしても意見を変えてくれないだろうと感じるのだ。一方的な議論をしたいのなら活字でいい。僕は対話がしたいのだ。
多分家事などは女の子がやるものって偏見が本人や親にあって、料理を女の子ほど教育されてこなかった。
栄養学などを真面目に学んでこなかった、年寄りに至っては家庭科を教育してもらう機会すら与えてもらえなかったのが原因では。
あと糖質脂質塩分に偏った食事のドカ食いや野菜キライ等が男らしい、自炊してヘルシーなお弁当が女らしい等の不健康を男らしいと押し付ける社会。
若い頃モテなかった人が大人になっていつまでも女遊びするのはわかるんだけど、じゃあ中居くんはなぜ?ってずっと疑問に思ってて、もしかすると幼少期の貧しさが関係してるんじゃ?という推測
色んな面で満たされなかった記憶がいつまでもある事と、単純に栄養が足りなくて脳の育ちが悪かった事の二点
そうすると松ちゃんの行動も合点がいくし、貧しさってやっぱり悪なのかもしれない
親も貧しくてまともな教育が出来なかった上に栄養の低い食事しか摂らせなかった結果、安易に欲求を満たす為に倫理的にやばいことをやばいとも理解できずやってしまう
その元を辿っていくとやっぱり戦争が全て悪いということになる
戦争で全国民飢えて栄養の足りて無い脳がたくさん作られたことやそのあと根性のみで急速に復興して物質的な貧しさから抜け出した結果一番質の低い人間が量産されたのが今の5〜60代かもしれない
もはや「買い物」なんて概念が古臭く感じる時代になってしまった。だが、2114年も物欲は健在。ここでは、俺が今年手に入れてガチで「これは革命」「俺の人生が変わった」と思えたアイテムを紹介する。正直、手に入れたときの高揚感をそのまま文章に乗せるのは難しいが、少しでも伝われば嬉しい。
💤 「30分の仮眠で3日分のエネルギーを得る」らしいが、正直ヤバい
買うときは「こんなもんホントか?」と思ってたが、いざ使うと、夜中の2時に目が覚めてもフルパワー。寝なくても元気というより、「眠りそのものが一種の高次元エネルギー補給になった」感覚。副作用として、時々夢の中に謎の幾何学模様が出てくるが、それを気にしなければ最強。
👕 破れる?汚れる?それは前世の話だ
この服、買った瞬間から一生着続けられる。なぜなら、汚れた瞬間にナノファブリックが自己修復し、繊維レベルでクリーニングが発動。しかも体型の変化に合わせてサイズ調整されるので、「ダイエットしたから服が合わない」とか「昔の服がキツい」とかいう概念が消える。便利すぎて一度着たら脱ぐ理由がない。
人間より賢いが、ほどよくバカになれるAIコンパニオン。感情理解能力がやばすぎて、もはや「人間と会話する必要性」が消えた。仕事もスケジュール管理も、果ては悩み相談まで全部やってくれる。唯一の問題は、たまに「あなたは何のために生きてるんですか?」みたいな哲学的な問いを投げてくること。やめてくれ。
🍕 3Dフードプリンター?いや、もはや料理という概念を超えてる
食材を分子レベルで再構築して、好きな料理をその場で出力できる装置。ヤバいのは、脳波をスキャンして「今食べたいもの」を自動生成するモード。俺の脳はほぼ毎回「とりあえずカレー」と判断するので、結果的に毎日カレーを食べてるが、全く飽きない。
これは完全に次元が違う。メガネの形をしていないのに、目の前に情報が見える。どういう仕組みかはわからんが、もはや視界がOS化された感じ。目を動かすだけでニュースが読めるし、歩くだけでARナビが発動する。やりすぎると現実と仮想の境界が曖昧になってくるが、便利すぎてもう外せない。
普通の靴に見えるが、履いた瞬間に「浮く」「滑る」「重力を最適化する」という三段階の補助が発動。これのおかげで、一歩踏み出すだけで「地面を歩いてる」という概念が崩壊する。街中がどこでもトランポリン状態。ただし、調子に乗って走ると本当に飛ぶので注意。
見た目はただのボール。でも起動すると、壁・床・天井すべてに映像を投影し、完全没入のエンタメ空間が出現する。まさに「部屋ごとVR」。ただし、怖い映画を見たときの臨場感がやばすぎて、ホラー系はマジで後悔する。
⌚ もはやこれは「体内病院」
腕につけるだけで、血液、心拍、筋肉、DNAすべての情報をリアルタイムで解析し、最適な栄養素や治療を自動で補給する。これのおかげで病院に行く必要が消滅。ただし、ある日「あなたの健康度は99.98%。ただし、残りの0.02%が未知のウイルスです」と言われたときは、さすがに震えた。
ボタン一つで形を変える次世代乗り物。都市ではスリムなバイクモード、高速道路ではエアロダイナミックなスポーツカー、混雑した道ではドローン化して空を飛ぶ。マジで渋滞とは無縁。ただし、事故ると「なぜこの形態だったのか」と責められるので慎重に。
土地に配置すると、自動で測量し、素材をナノレベルで合成しながら家を構築してくれるドローン。約24時間で家が完成し、内装もカスタム可能。もう「家探し」も「ローン」も必要なし。唯一の問題は、酔った勢いでデザインを決めると、翌朝とんでもない家ができていること。
例えば
性加害されました
に
冤罪!!!ハニトラ!!!自衛しろ!!!俺は犯罪者じゃないんだから自衛されたら傷つく!!!!女の負の性欲!!!!!その程度で騒ぐ女が悪い!!男は被害者!!!!
食い尽くし系なら
夫が四人家族に作った四十個の餃子のうち三十個食い尽くしてしまいました
に
男のほうが多く食べるんだから当然だろ!!!子供や妻と同じ十個しか用意せずご飯を多めに食べさせる女が馬鹿!!男の栄養不足が深刻!!!男は被害者!!!!!!
と騒ぎ立てているのが弱者男性。
幼い頃の性被害語ってる女に性教育になってよかったねとか絡んでいくのもよく見る光景。
避けられて当たり前の相手。
表題の通りの内容です。
同人BL字書きです。今まで幾ジャンルかで字書きとして活動させて頂きました。ありがたいことに、字書きの中ではかなり読んで頂けている方の部類だと思います。
かなり読んで頂けるので、小説をあげる度に沢山の反応をもらい、沢山の感想やDMをもらいました。
界隈を移るたびに名前を変えアカウントを作り直していますが、毎回様々な感想を頂けます。「神」という称号(?)も幾度も頂きました。
そうした同人活動の中で、表題の通り、嬉しかった感想を挙げようと思います。嬉しかった感想があるということは、相対的に、しんどかった感想もあります。時間を割いて感想を送って頂いているにも関わらず、傲慢な意見となってしまうのですが、感想が負担となったことも幾度もあります。
以下はあくまで一字書きの意見ですが、もしお読みくださる方がいるなら、そうして大好きな創作者様に感想を送るか悩んでいるなら、参考にしていただけるととても嬉しいです。
これ、めちゃくちゃ嬉しいです。内容以前に、誰かに感想を書いていただけるほどの感情を渡すことが出来たのだなと実感します。
私自身も好きな字書き様相手に感想を書くことが多々あるのですが、やっぱり感想を書く時って本当にその人の作品に「うわ〜〜〜!!!!」ってなって叫び出したくなって転がり回りたくなって感極まって書かずにはいられない!という状態で書いています。なので、私の小説でそうなって貰えてることを実感できるようでとてもニヤニヤしてしまいます。
2:コメントの連投
支部もXも、文字数制限がありますよね。140文字って、煮えたぎった感想を伝えるにはとても短すぎると私も常々思っております。
そんな中、最早字数の制限を超えて二、三続けて送っていただける感想。とてもありがたいです。一枠に収まらなかったという興奮がダイレクトに伝わって来ます。文字数におさめようと滅茶苦茶推敲され洗練されて「最早140文字で私の小説を超えていないか……?」と思う感想を読むのも勿論好きですが、脳直で送られてきた感想だってとても嬉しいものです。いつもありがとうございます。
140文字じゃ収まらないと思う方、連投していいと思います。私だったら小躍りで喜びます。
3:DM
これは本当に危うさを孕むのですが、基本的には嬉しいです。危うさについては後述します。
コメントの連投の進化形で、とっても長く感想を書いてくださる方、本当に頭が上がりません。DMって送るのにとても労力が要ると私は思っております。なので、そうまでして感想を送って頂けたことにまず感動します。
嬉しかったDMは、頂いてから何ヶ月経っても何度も読み返します。落ち込んだ時の栄養剤にすらして要るかもしれません。また書こうと思えます。
「(私が書いた小説の一部分)という描写が好きです」という文章、誠にありがとうございます。そこが気合を入れた一文であればなおさら嬉しいです。褒めていただける文章は、大抵私がめちゃくちゃ考えたかめちゃくちゃ楽しみながら書いた描写が多いので、それが読んでいただける方にも伝わって良かったー!と思います。
これを送ってくれる方が沢山いると、人によって刺さった描写って全然違うのだなと実感します。自分が殆ど無意識で書いた文章を引用いただくこともあり、新しい観点を頂けたりもします。ともかく、読んで頂けているのだということがわかってとても嬉しいです。
私もそうなりがちですが、限られた文字数の中での感想は「めちゃくちゃ理想の推しカプでした」「XXさんの文が好きです」「XXさんの書かれる推しが最高です」系が圧倒的に多いです。
そんな中でも、今までもらって嬉しかったな、印象に残っているなと思ったものを書き連ねてみました。あくまで主観ですが、書き起こしていて自分でも楽しかったです。嬉しかった感想、何度読み返しても嬉しい。
好きな作者様のためにも、積極的に感想は送っていきたいものです。感想って、本当に大きな力を持っています。送るか送らないか迷ったら、ぜひ送ってください。そういうものだと私は思っています。
以下は蛇足です。上述以上に主観的で、傲慢な意見です。あくまで、こう考えてしまう字書きもいるという一例です。
上述した中でDMが危うさを孕むと書いたのですが、それは、以下のような感想は大体DMにて頂くからです。
これはとても悩みます。自分の小説のシーンを大好きな絵師様に書いてもらうといえば、字書きの憧れ。基本的に承諾しております。
ここに書くのは、そういった類のものではなく、「原作がある上での私の二次創作の設定」を借りて書いても良いですか?或いは、書いたので読んでください、というものです。
同じ界隈にいる字書きが他の字書きの設定を借りる、三次創作をすることはかなりリスキーだと思います。字書きは絵描きよりも圧倒的にその人の字柄(絵柄に対する造語です)が見えづらいです。どんなに大好きな字書き様でも、作者名を伏せられて作品だけ出されたら、その人だと断言するのはかなり難しいと思います。あとは、それによって「私」という派閥を作ってしまう恐れもあります。同人界でひとりの字書きが派閥を持ってしまうことも、そのジャンルにとっては良くないことだと思います。
作者に送るだけであれば問題ないと思います。ですが三次創作を支部等の誰でも見えるプラットフォームに上げることは、たとえクレジット有だったとしても基本的に私はお断りしています。
2:「小説を書いたので感想をいただきたいです」「アドバイスを頂きたいです」
感想に関するブログを書いておいて恐縮ですが、感想はどなたかに強要するものではございません。また、素人ですので適切なアドバイスは出来ません。しかるべき機関?やサイトの方がよほど参考になると思います。
3:「あなたの解釈が私の書きたい全てで、越えられないと思います」
大丈夫です。オタクたるもの、好きなシチュエーションは何度だって読みたいです。筆を折らないでください。本当に。私が泣きます。
4:私が書いた感想に対する返信が半分以上私を崇めている
これは人によるかもしれません。そうして感想ではないので主題とは少し離れていますが、こう思う人もいるのだというのを知って欲しいので、書きます。
私は感想を書くときはいつも緊張して決死の思いで書いておりますが、それに対する返信が「XXさんに感想頂けるなんて思っていませんでした!XXさんの小説が本当に好きです。XXさんに読んで頂けるようにこれからも邁進します。本当に嬉しい!」で埋め尽くされていると、とても嬉しく、また複雑な感情になります。私も一読者なので、感想は煮えたぎった溢れる想いを抑えきれずに書き込んでいます。凄く傲慢な言い方をしますが、決して、「私が読んで感想を送ったという称号」を個別に渡すために書いていませんし、「私に評価されることを実績の一つに思う」というご負担をかけたくもありません。
しかしこの返信を書いてくださる方の大半に悪気はなく、また私も一読者ゆえに書いてしまう気持ちも重々わかります。私も神と崇める創作者からメッセージが来たら「え!??!?!?!」となります。
感想には感謝のみを返信して、別途神が小説を上げたとき、個別にDM等で「この前は私の作品に感想をいただきありがとうございました」とフラットに書くのが良いのかもしれません。これは良い対処法があったら誰か教えてください。
同人歴がそこそこ長いので嬉しかったことも嫌だったこともまだまだ沢山あるのですが、冗長すぎるので切ります。
数多のオタクの例に漏れず私はX(旧twitter)が好きですが、作品を上げている支部等にはリンクは載せず、ごく一部の人と話すだけの鍵垢にとどめています。
それは私という個人にフォローされている・されていない、感想を貰っている・貰っていない、些細な呟きの解釈が一致している・していないに起因するトラブルが複数あったためです。
烏滸がましくてすみません。そもそも誰にも読まれないブログかもしれませんが、もし読んでいただければ、こんな人間もいるのだとお思いください。
極めて表面的なその場限りの快楽
それで満足できるうちは、それで良い
しかし、それで満足できなくなってくると、満足に近いものを得られる何かを探し求める必要がある
自制心と知能は、現代社会で成功や幸福を追求する上で不可欠な要素です。
これらの能力は生まれつきのものだけではなく、努力や習慣によって向上させることが可能です。
本記事では、自制心と知能を鍛える具体的な方法、それらが向上することで得られるメリット、測定方法、さらにはそれぞれが機能するメカニズムについて詳しく解説します。
自制心(セルフコントロール)は、短期的な誘惑に打ち勝ち、長期的な目標達成に向けて行動を調整する能力です。以下の具体的な方法で鍛えることができます:
瞑想は前頭前皮質の活動を活性化し、衝動抑制力を高めます。特にマインドフルネス瞑想は、感情や欲求を客観的に観察し、それに流されない力を養います。
「もし誘惑に直面したら、このように対処する」という具体的な計画(例:「もしスマホを触りたくなったら、本を読む」)を立てることで、衝動的な行動を抑えやすくなります。
例えば、「今日はお菓子を1つ減らす」など、小さな目標を達成して成功体験を重ねることで、自制心が強化されます。
自分が衝動に負けそうな状況(例:SNS、ジャンクフードの近く)から物理的に距離を置くことで、自制心の消耗を防ぎます。
有酸素運動やヨガなどはストレス軽減効果があり、自制心のリソースを補充する助けになります。
知能(IQや認知能力)は、新しい情報の理解や問題解決能力に関わります。以下の方法で向上させることが可能です:
読書は語彙力や論理的思考力を高めます。また、本の内容について「本当にそうなのか?」と問い直す批判的思考も重要です。
楽器演奏、プログラミング、新しい言語など、新しいスキルを学ぶことで脳内ネットワークが活性化し、認知能力が向上します。
チェスや数独など問題解決型ゲームは、論理的思考力や集中力を鍛える効果があります。
運動は脳内で神経成長因子(BDNF)の分泌を促進し、脳細胞間の接続性を高めます。特に有酸素運動は記憶力にも良い影響があります。
睡眠不足は認知機能低下の大きな要因です。また、オメガ3脂肪酸や抗酸化物質など脳に良い栄養素も意識しましょう。
長期的な目標(キャリア形成、健康維持など)への集中力が高まります。
衝動や感情に流されず冷静に対処できるため、不安やストレスへの耐性が強化されます。
自制心によって感情的な反応を抑えられるため、対人関係でトラブルが減少します。また、高い知能は共感力やコミュニケーション能力にも影響します。
知能向上により複雑なタスクも効率よく処理できるようになります。自制心は集中力維持にも役立ちます。
自制心によって不健康な習慣(喫煙、過食など)を抑えられます。また、知能向上は健康情報への理解力にも寄与します。
高い自制心は計画的なお金の使い方につながり、高い知能は収入増加につながる可能性があります。
自制心は主に脳の前頭前皮質によって管理されています。この部位は意思決定・計画立案・衝動抑制など、高度な認知機能全般に関わります。以下がそのメカニズムです:
3. 長期的目標との整合性が取れない場合、衝動抑制信号を送る。
4. 抑制成功後、報酬系(ドーパミン系)が活性化し「我慢した満足感」を得る。
これらの部位間で効率よく情報伝達が行われるほど、高い知能が発揮されます。この伝達効率にはシナプス可塑性や神経ネットワーク密度が関与しています。
自制心と知能は、それぞれ独立した能力ですが相互補完的でもあります。
例えば、高い自制心によって学習習慣が身につき、それが結果として知能向上につながります。
なんかギョーザを父も子どもたちも同数しか与えないのが当たり前という考えの女性の漫画が話題だ。
経験から言わせてもらうが、この手の女は夫はもちろん、成長期の子供に対しても食べ物を増やそうとすることは絶対にない。断言する。
こういう女の子供として生まれ育ったが、おかずは少数、足りなかったら米を食えと言われてそのようにした結果、姉はチビデブ、俺は20歳くらいで糖尿病になった。おかずが少なかったため、肉や野菜に比べて糖質の摂取量が多すぎるのだから当然だろう。医者が母親に食事についていろいろ言ったが、特に何かが変わるといったことはなかった。
親父は色白で痩せ型だと思っていた。体調を崩して入院したところ、そこそこ体格も血色もよくなって驚いた。ところが退院する段になって「家に帰りたくない」とこぼしていた。親父も母親のせいで食べ物に困らされていたのだろう。
あまりにも俺や姉の発育が悪いので、父や母の両親が母にいろいろ言ったようだが、結局改善されることはなかった。
俺も姉も成人後に家を出た。親父が俺達に家を出ることを勧めていたのは「そういうこと」だったのだろう。
長年に渡って染み付いた食生活を変えることは大変だったが、自分でコントロールできるようになり、姉の体格はなんとか「ぽっちゃり」と強弁できる程度に落ち着いたが、俺の糖尿は治っていない。食事の管理は面倒くさいし、薬の副作用で起きる身体のかゆみに悩まされている。カレーやラーメンを食べるときも数字のことが常に頭にあり味を楽しむゆとりなどない。
帰省するときに母親が用意する食事は、言うまでもなくお察しの通りだった。デパ地下や仕出しのオードブルなんぞを買っていくと親父が喜んだのは、単に嬉しい以上の何かがあったに違いない。
あるとき、親父の歩き方がぎこちないのが気になった。まもなく親父は歩けなくなった。
葬式で目にした親父はガリガリに痩せていて目が落ちくぼみ、映画の「スクリーム」みたいな顔になっていてまるで別人だった。
母親が席を外した隙に見た死亡診断書は、「直接の死因ではないが関連すると思われる症状」みたいな項目のところに「極度の栄養失調」と書かれていた。ほぼ餓死だ。
母親を問い詰めたところ「食欲がないと言ってろくに食べようとしなかった」と言い張っていたが、話に明らかに辻褄の合わないところがあったので、多分ろくに食わせてもらえなかったのだろう。
父方の祖母は「こんな女との結婚を許すべきじゃなかった」と泣いていた。
この手の女と添い遂げようとすると殺されるか、良くても人生を狂わされる。だからこの手の女が妻や母親である場合、家族はさっさと逃げるべきだ。
二十ぐらいの時に(知能などに問題ある場合は、それが判明した瞬間に保護者が)
老後や深刻な障害を負った時の扱いについて松竹梅とかで選んでおくみたいなのは、倫理? 的とかにダメなのかな
中ぐらいのやつは、まあ今よりちょっといいかちょっと悪いかぐらいで、税金などの負担もそこそこ
上のやつは、高い保険みたいな。ファストパス機能とかもあったらよいかも。特上も欲しいか。
充実した図書室とか一日数時間はスマホとか借りれるし栄養あって温度湿度管理もちゃんとした施設。
なんか受けてるサービス分の税金払ってないとかいう定期的話題見て思いついたことを書いてったらペリカ出て来た。
絵を描こうとして3回挫折
SNSでは誰ともコミュニケーションを取らない。頭に浮かんだ奇言を淡々と書いている
芸能人に興味がない。と見せかけて谷山浩子だけウォッチしている
ジョン・ウィックは見る。凝った体術と泥臭い戦い方にロマンがあるから見る
スクエニとソニーは見た目がいいだけで中身がないと思っているがラチェクラだけはやってしまう
ゲームのキャラのステータスあげるなら自分のステタータスを上げたいと思ってしまうのでシミュレーションゲームはやらない。アクションゲームだけやる
Liczkaとゆえぴこのゲーム実況だけ見る
コテンテンツ提供者の人格(キャラクター)という概念がよくわからない。作品は作品 moco78とかやは嫌い
ヴァンプッシュを使っている
馬は好きだが乗馬クラブとか自分には場違いと思い込むことで童貞である自分を許容している
プルクラ実装に大興奮
栄養剤をコスパよく完璧に組み合わせて一日の摂取推奨量全て満たす生活をしている
エロバイノーラルASMRはエロコンテツのなかで最も芸術性が高いと思っている
抜く時は二次創作同人も見るが原作は知らないことが多い ブルアカ多すぎん?
ぶっちゃけアニメ顔の美少女コンテンツの顔デザってどれも似たり寄ったりだと思っている。だからもっとかわいい服着せろ バリエーション増やせ CCさくらくらい幅広くしてくれよと思っている
コミュニケーションの手段としてコオタクコンテンツが使われ始めているが正直どうでもいいと思っている
絵師としてAIは別にどうでもいいが構造的な破綻が多すぎるかあるいは単調すぎる絵しか上げられてないので見下している
ネトウヨとパヨクの話題を出した時点でつまらない人間だと判断する
動物が全体的に好き
フィギュアを大量に買って全て並べてるコレクターはすごいと思っている。ズボラ故にその整理力が羨ましく思える
メガネをしている
かなり実体験も挙げられてきて、有力な説になってきたな
これに対して、男の肥満率が高いからそんなわけないと言ってきた馬鹿がいたが
当然おかずの不足カロリーを白米で補えば炭水化物過多になって肥満になりやすくなる
また、夕食で満足できず腹が減って間食をするような形でも、当然肥満になりやすくなる
必要なのは栄養学であって、別に栄養士いなくてもよくない?って感じてる
学校給食とかで、発育のために栄養士がいないととかいう馬鹿もいるだろうけど、
普通に生育している
もちろん、病院とかで食事のコントロールとかで管理栄養士とかの仕事はあるのだろうけど
それだけの話
増田は、日本がオリンピックでメダル取ったから話題にもなったし、イメージも少しはあるかもしれないが、れっきとしたスポーツだ
しかし、増田のいいところは上達してもしなくてもいいところだし、大会を目指してる人は少数派
じゃあ何を目指してるのかというと、ブクマ数を稼ぐこと、という人が多い
草原を自由に増田していい場所があるけど、そういうところで自由にブクマされるのを目指す
そしてそこに至るまでに、級の認定がある
なので、級を取るのもいい目標になる
増田の魅力は、嘘松に乗るだけじゃなく、ブクマカと触れ合えるところ
さらに、増田というのは常にブクマカとコミュニケーションをとってブクマカに意図通り動いてもらうのが本質
猫カフェより何倍も満足感があるぞ
あと、増田に必要な素養は運動能力よりも、バランス感覚とリズム感覚
運動苦手でもコツを覚えればできると思う
費用は入会金はそこそこかかるが、月額は0.3万くらいでいけると思う
乗馬は、日本がオリンピックでメダル取ったから話題にもなったし、イメージも少しはあるかもしれないが、れっきとしたスポーツだ
しかし、乗馬のいいところは上達してもしなくてもいいところだし、大会を目指してる人は少数派
じゃあ何を目指してるのかというと、外乗をすること、という人が多い
草原を自由に馬で駆けていい場所があるけど、そういうところで自由に馬に乗れるのを目指す
そしてそこに至るまでに、級の認定がある
なので、級を取るのもいい目標になる
乗馬の魅力は、馬に乗るだけじゃなく、馬と触れ合えるところ
さらに、乗馬というのは常に馬とコミュニケーションをとって馬に意図通り動いてもらうのが本質
馬と通じ合う感覚がある
猫カフェより何倍も満足感があるぞ
あと、乗馬に必要な素養は運動能力よりも、バランス感覚とリズム感覚
運動苦手でもコツを覚えればできると思う
費用は入会金はそこそこかかるが、月額は3万くらいでいけると思う
「のっけから、死ぬときすら尊厳を剝ぎ取られて埋められるだけという彼女たちの姿を通じて、
そして一定の効果はあったみたいだ
でもあんな何も病苦の痕、特に栄養失調や長年の病気、折檻の痕も何もない丸々とした健康体の若い女性が
配慮ある寝かせ方させられてたって
何が悲惨なの?ただAV女優を起用するセンセーショナルさを狙ってただけじゃないの?
という気持ちに…
もっとこう、ハリウッドから死体専用のスタジオにリアルな人形を発注するとかさ
やってほしかった
理由はわかってる。反抗心だ。
「こうすべき」に反した行動をすることで、自分にコントロール権みたいなものがあるって確認したいのだ。イヤイヤ期の子供と同じだ。
食事や睡眠に関する「こうすべき」は外から押し付けられた基準じゃなくて、自分でも望んでいる自分のための基準なのに。
他人に面と向かって反抗するのが怖いから、自分だけで完結して、かつ「思い通りにはならないぞ、反抗してやるぞ」と思えることをやってるんだ。
本当に反抗すべきは不満やストレスの源、今だったら仕事、なんだけどな。
この内なる幼児の反抗衝動は結構強くて、不満とかストレスとか溜まってくると抑えられなくなる。
頭では矛先を間違ってる反抗だってわかってるから、正直自分のこの幼児部分を軽蔑してる。それに抗えない自分の行動も。
だから食べすぎたり夜更かししたりすると、反抗心が満足するわけじゃなく、自分に失望する気持ちが蓄積する。何もいいことがない。
従っても何もいいことがない反抗衝動、どうすればいいんだろうな。
ストレスが大してない時はそもそもこの衝動が生まれない。衝動が生まれてしまうと手に負えない。
どっか合宿みたいに生活習慣強制的に整えさせてくれるとことかないもんかな。栄養バランスは自分で設定できるやつ。断食したいわけじゃないし。
アールグレイの茶葉とヨーグルトをまぜ水切りし(つまり水切りヨーグルト)そのまま食べたり、ちょっとオシャレなものに添えるやつ。
アールグレイが水を吸うので柔らかくなるし、香りも良い、という触れ込み。
実際はアールグレイが水を吸ったところで砂とか異物にしか思えないし、栄養的効果もよくわからない。茶葉が大きかったのかと砕いてみたが同じだった。
茶葉入りケーキのイメージだったが、そんなことはなかった。誰やねん始めたやつは。
インスタントコーヒーと砂糖を同量混ぜて(大体大さじ2ずつのレシピが多い)泡立てる。氷の入ったグラスに牛乳を入れてその上に泡を乗せて完成。
超まずい。コーヒーで映えるものを作れと言われただけのもの。韓国人はコーヒーの味知らんのとちゃうか。腹立たしい。人生で一番腹立たしい飲み物だった。
泡立てることでコーヒーの酸味がたち、とにかく甘い砂糖が押し寄せてくる。牛乳にたどり着くまで地獄。牛乳にたどり着いて、混ぜても苦い。本当に苦い。なにどんだけインスタントコーヒー入れんの。エスプレッソ超えてるって。無理無理無理。
しかも氷と泡が立ってるせいでグラスにまとわりついてきれいに溶けないんだよ。食材無駄にした感じが更にむかつく。
あまりにも不味くてレシピを疑い作り直してみたが、人生で最悪な瞬間をもう一度味わえるだけだった。
(便宜上余った)餅と牛乳を暖めて混ぜて、砂糖を合わせ、卵焼き器で蒸し焼きにするもの。
味はフレンチトースト。味の加減ではすごく美味しいし、食えなくはない。
問題は食感だ。どろどろで、生焼けのホットケーキを食ってる気分になってくる。火は通ってるけど、気分が良くない。やはり餅は小麦には勝てないという日本人の敗北を味わうレシピ。
相性が悪いのか何なのか、妻と小学生の娘がしょっちゅう喧嘩していて、どうしたものか悩んでいる
何なの?同族嫌悪?どうでもいいことでギャーギャーギャーギャー毎日朝からやりあっていてウンザリ
原因はだいたい、妻が娘の細かいことを指摘したり、先回りして注意する→娘がちょっと反抗的な態度をとる→妻が態度にキレる
妻「△△なんだから〇〇やってよね」→「分かってるよ」→「分かってないから言ってるんでしょ!」みたいな
こういう場合、昭和の親父的に「母さんに向かってその口の利き方は何だ!」ってブチ切れるのが正解なのかもしれないけど、もう毎回しんどいし無理
そもそも俺もグチグチ小言言われるの嫌いだから娘の気持ちもよく分かるし、もう小学生なんだからほっとけよと思う
結果、俺も妻にキレられるか、「私ばっかり悪者にされて〜」みたいに言って泣き出す
休日に外に遊びに行ってもすぐ喧嘩して空気悪くなったりするし、マジで勘弁してほしい
世の父親どうしてんの?
小言の内容、ここ最近言ってたので覚えてるもの。と、それに対する俺の感想。
水出しすぎ。(別にいいだろ)
鏡に水はねたら拭いて。(自然に乾くだろ)
変な色のお菓子は体に悪い。(毒も喰らう、栄養も喰らう。両方を共に美味いと感じ―――血肉に変える度量こそが食には肝要だ。ただし食べ過ぎはダメ)
本を読みなさい。(読めって言われて読む本ほどつまらんものはない)
ショート動画ばっかり見てると中毒になる。(全国の母親が言ってそう)
〇〇のためを思って言ってる。(それよく言うけど響かないやつ)
概して言っていることは別に間違ってないんだけど、言っても仕方ない(反抗するだけ)なことも結構あると思う。
妻とは教育方針というか育児の方針について話すこともあるけどだいたい喧嘩になるし、平行線だから話しても仕方ない。
だいたい「困るのは子ども」みたいなことを言ってくるけど、「困ればいいじゃん、自分が困らないとわからん」が俺の持論。
困ったり恥かいたりして初めて自分で学習するわけで、先回りしてガミガミいっても意味ないと思う。
「大けがや犯罪レベルの危険なこと」と「人に危害(物理的、精神的、経済的)を加えること」だけしなけりゃ後は何してもいいと俺は思ってる。