はてなキーワード: 無料とは
サービス名 | 月額 | 年額 |
Amazon Prime(年間プラン) | ¥408 | ¥5,900 |
ChatGPT Plus(為替変動有) | $20(\3143) | $240(\37,726) |
Conoha Wing | ¥990 | ¥11,880 |
DeepL Pro | \750 | \9,000 |
Google One(100GB) | \250 | \3,000 |
Netflix | ¥1,490 | ¥17,880 |
mineo(スマホSIM) | ¥1,247 | ¥14,964 |
NURO 光(インターネット) | ¥2,740 | ¥32,880 |
NordVPN | \708 | ¥8,500 |
U-NEXT | ¥2,189 | ¥26,268 |
合計(概算) | ¥13,207 | ¥167,998 |
・Amazon Primeで画像は無制限保存ができるものの、動画については容量制限があるため、Google One(100GB)を新たに契約した
・ちょっと前にGoogle OneとNASのコスト比較グラフみたいなのを見たけど100GBプランだとGoogle Oneに軍配がある模様 今はどうなんだろう
・おま国ジブリ in Netflixを見る機会がほぼないので、NordVPNは2025年で一旦解約しようと思う→これを書きながらGoogleの定期購入管理画面からOFFにした
・「U-NEXTの株主優待」(【元本割れリスクあり】サブスク前払い方式)が気になる。自分と家族の誰か名義でそれぞれ100株ずつ持ってれば年2回の判定で90*4=360日分利用できる
・1株1745円*100株*2名義=349000 349000/26,268=約13年となる。この株主優待を受けるために、13年分のサブスク料金を前払いする必要がある
・株主優待廃止リスク、株価変動リスク、など考慮すべきポイントが幾つかあるけども、株主優待廃止までのn年間は恩恵が受けられるなら、やる価値はありそう
・みたいな思考でとりあえず100株を1600円ぐらいのときに買いまして、約6年分を前払いしました 5月1日or6月1日になったら月額プラン解約して7月1日or8月1日から90日間無料に切り替え予定
もう完結してるらしい
ネタバレサイトをちょっと見てみたが、やっぱり完全なネタバレはしていない、飛び飛びに対象話を部分的にチラ見せという感じ
そんなチラ見せでもまとめて読むとまあ分かるところはあり
うーん結局真犯人は誰だったんだ
止めをさしたのは悠、凶器はおそらく制服のリボン、動機は森家の養女である音羽に罪を着せるため
悠は森の実子(たぶん私生児)、メンタル病んだシンママの母親の面倒みつつ貧乏生活
森家は悠を迎える用意があるらしく
みたいな関係のようだった
強盗して逃亡中のアホカップルが忍び込んだ家がサイコパスな夫婦が住んでる家だった
カップルはサイコパス夫婦につかまってしまって何とか逃げようとするけど・・・って映画
つべのコメント欄が評判よさそうだったからみて見たけどまあ確かにそこそこ面白かった
めっちゃ有名な人も出てないし派手なアクションもCGもない、どっちかというと日本の低コスト実写映画に近いつくりだった
しょっぱなコメディかと思ったら最後あんまり気持ちよくない終わり方で微妙だった
サイコパスっぷりも思ったほど突き抜けた感じはなかったし
今まで住んできた街はこんな感じ
・社会人7~9年目:港区白金・広尾・恵比寿らへん(具体的な場所でいうと、北里大学のすぐそば。) ※←この時の話
とりあえず、一回、港区に住んでみるってのはいい経験だったなぁと思う。基準ができる感じ。
一旦、高級(?)な街に住んでみることで、無駄に憧れ続けることもないし、そういう所に住むメリデメを実感を伴って理解することができるしね。
あそこに住んでいる人達はやっぱりお金持ちが多いね。多分 スーパーとか値段見ずに買ってると思う。スーパーの価格帯高すぎ。
老人が歩いてない、というかいない?
自転車に乗ってる人をあまり見かけない(坂が多いのもあると思うが)
ちなみに白金には明確なヒエラルキーがあって坂の上の民(白金台の民)か坂の下の民(渋谷川の民)かに分けられる。坂の下の民はいたって普通の人たちが結構いる(僕みたいな)。そして家賃も目が飛び出るほど高いってわけでもない。100円ローソンもある。坂の下ならね。
パンはいいお店がたくさんあった。たぶん欧米系の外国人が多いからだと思う。
高輪台「セイジアサクラ」、広尾「ブーランジェリーブルティガラ」、広尾「ベーカリー&レストラン沢村」ここらに行っておけば間違いないかな。
広尾「トリュフベーカリー」は行かなくても全然良い。悪い店じゃないけど、特に良くもない。
白金台の「ア コテ パティスリー」は正直全然良くない。高いだけのクッキー屋。同じお金を出すなら尾山台「オーボンビュータン」でクッキー買おう。
正直あまりお金なくて楽しめなかった感がある。僕だと何かの記念日でしか行かないようなお店がゴロゴロ転がってる笑
とりあえず行ったお店書いておくと、
白金「中華料理 勇」はすごく良かった。そこで食べたアワビステーキが今のところ一番のアワビステーキ。予約すると来店何回目?って聞かれるんだけど コースを予約の回数別に変えてるらしくて何回も行っても楽しめるっぽい。僕は1回しか行ってない。
白金「ラ クレリエール」は正直楽しめなかった。理由はお店ではなくて自分。僕がフレンチのコース料理がどういうものかってのを知らなかった。あとコースの選択をミスった。とりあえず高いやつ!って感じでコース選んじゃったんだけど、料理のボリュームが僕のキャパシティを遥かに超えていった。(※ラーメン二郎で初来店で大盛り頼むようなもん)
白金「RAMA」もかなり良かった。とにかくインテリアがおしゃれやね。お店の人も気さくで好感もてた。お店の外からだとガラス張りで丸見えで動物園状態なんだけど、カウンター座ると外は気にならなくなる。まぁだけど、お店の人は大変だろうなぁと思う。オープンキッチンの度が超えてて所作がすべて丸見えだし。換気がかなり考慮されてるっぽくて厨房側の臭いは全くしないもの良かったね。(オープンしたてだから綺麗だっただけ?)
白金台「八芳園」のカフェは良かったな。景色が良いし、庭を散策できるのも良い。盆栽とか並べてあって楽しい。
ご飯食べるのが好きで、お金持ってる人は、白金おすすめだと思う。全然開拓できてないけど、いいお店沢山あると思う。
恵比寿はいいお店そんなに無い笑。あそこは合コンか初めてのデートで行く街だね。ご飯を楽しみたい人が行くべきお店は全然ない。
広尾もそんなにいいお店あった感じは無いかなぁ。(これは行ってない・調べてないだけだと思うけど)
ちなみに白金らへんはファストフード店はほぼなし。普段使いできるお店がない…。吉野家もマックも全然ない、ラーメン屋も無い。恵比寿まで行けば結構いろいろとあるが…。
僕が買い物してたのは
・ドン・キホーテ(一応、日配品とお肉はある)。納豆・卵とか日配品を買う。調味料とか。
・まちの八百屋さん的なとこ。びっくり屋。比較的良心的な価格。
・肉のハナマサ。正直高い。冷食買うくらい。
魚を買う場所が全くなかったなぁー。魚を全然食べられなかったなぁ。
公園はあまり無いね。あっても小さい。正直微妙。有栖川公園はまぁまぁ大きいが、高低差があるし、木々が茂っていて日当たりがあんまり良くないし、ゆっくり過ごす場所って感じでもなかった。東京都立有栖川図書館は最高だったね。だけど本は借りられないし、高校生とかの自習スペース的な使われ方がメインだったりする。
そこら辺にある建物が結構お金掛かってそうな感じだった。ヤバそうな建物(バラック小屋みたいなの)が比較的少ないかなぁと思う笑
白金台に、庭園美術館とか、東大の医学研究系のキャンパスがあった。かと言って、別に1回くらい見学したくらいだし、そんな良いものでもなかったかな。
SBIアートオークションの下見会が代官山でやってて、かなりいい作品が無料でみれるっていうのは都会ならでは。チャリで行ってた。
白金に住んでるってドヤ顔するつもりだったのに全然白金っぽい生活できなくて白金に住んでますって言うの恥ずかしかった。
まぁでも、白金に住んでるって言うだけで笑いを取れたから、良かった笑
今YouTubeで劇場版イデオンの2部作が無料公開されてるから観たんだ。何気なく始めたんだけど想像以上に凄かった。というか一昔前の作品でこんなに衝撃を受けるとは思わなかったんだよ、正直なところ。
この作品がつくられたのって1980年代ぐらいだと思うんだけど、当時のアニメって今みたいに市民権を得てなかったはず。大人がアニメを観るなんて異常だ、みたいな風潮が普通にあったと思うんだ。
だけどこのアニメは群像劇として、ちゃんと人間ドラマをやってる。一人一人がそれぞれの立場や感情で動いてて、それが複雑に絡み合うから単純な善と悪の構図になってないし、むしろこれでもかってくらい人間の業が描かれてる。
登場人物たちの生き様や、どうしようもなくすれ違ってしまう感じに、正義とは何か?って問いを突きつけられた。
当時は大人がアニメを観るなんて異常、みたいな風潮だったかもしれないが、でもイデオンはまさに大人のために作られたアニメというか、大人が観てもおかしくないようなそんな重厚な物語性があるように感じられたんだよ。
でもさ、現代って当時と違ってアニオタに対する偏見もだいぶなくなってきて、大人でもアニメ観るのは普通だよね❕みたいになっている癖に、現代のアニメこそむしろ大人が観賞するようなものじゃないというか…子供っぽくない?
最近のアニメなんて異世界に転生して最強になってモテモテとか、そういうのばっかりじゃん。もちろん、そういう作品もそれなりに楽しいし気楽に観れるから好きだよ。でも、イデオンみたいに人間の本質に迫るようなアニメって今どれくらいあるんだろう?ってつい思ってしまう。
今はアニメ自体が一般的なエンタメとして認識されてる時代だけど、逆にそれが問題なんじゃないかって思ったりもする。アニメが「普通」になったことで、挑戦的な作品とか、重厚なテーマを扱う作品が減ってるんじゃないかって。
だから昔のアニオタなんて異常!と言われていた時代のアニメの方が本当は大人向けの作品が多くて、人間の本質に迫るような尖った作品が多かったんじゃないか?ってイデオンを観て、アニメって本来こういうものだったんじゃないかって、娯楽として楽しむだけじゃなくて、人間について考えさせられたり、自分自身に問いを投げかけたりできるもので、だからこそ大人が観ても楽しめるし大人こそ観るべきものだったんじゃないのかって、ついそんなことを考えてしまった。
もちろん時代が違うから同じようなものを作るのは難しいかもしれない。でも、せっかくアニメが広く受け入れられるようになった今だからこそ、もっと深いテーマを持った作品が増えてほしいなって心から思ったよ。イデオンみたいなアニメ、現代でも作れるはずだし、それが今の時代の新しい価値観や問題意識を描いたものだったら、きっとまた新しい感動が生まれるはずだ。
いや…改めてイデオン、すごい作品だった。無料公開されてる今のうちに、もっと多くの人に観てほしいなって思う。
これを観たら、アニメってこんなにすごいんだ!って感動すると思うんだよね。
関係あるよー
ラーメン食べたらそりゃ肌荒れるから食べないようにしようって考える能力があるかないか、の話だよ。
小麦粉や油が内臓、特に腸にダメージを与えるって話に直結してるよ。もちろんそれは寿命と健康の話になる。
音がいろいろ画策してるけど…そして物語はより複雑に予想外の展開に、といった風に進んでるけども
この話の肝である、自分たちが罪を犯してしまった 誤って女教師を殺してしまった という認識が崩れた時点で、物語に引き込まれる力はけっこう薄れた、主人公たち視点で読んでると
また、殺したわけではない・別に犯人がいることが公表情報で分かった時点で、主人公含む女子高校生の3人組は自首が一番手堅いのでは
死体遺棄の罪はあれど未成年だし、作中で音がよくやってる罪のない子供ムーブ、泣いて矛先逸らすくらいのことはできそうだ 下手な体を張った犯人探しよりも
主人公の繭は泣いて怯えるばかりの無力な善人で、物語を積極的に動かしてるのは性格最悪のお嬢様である音なのだが、その音のモチベがそろそろ分からない
作中で音が繭と悠に向かって「おまえら2人は逮捕されても私は大丈夫。何故なら森家の人間だから。父親は警察と繋がりがあるし」とマウントとるシーンがあるが、上級国民ゆえに無問題という流れにはなってない…何かしらの裏取引を匂わせるシーンはあれど
音ちゃんほんと嫌い…
それはさておき犯人予想
主人公の子供3人は埋めたけど殺してはいない、という感じの描写…犯人は複数で生徒と教師が、という推論をイケメン刑事が立ててる
被害者の女性教師の同僚・不倫相手の男(澤木)も同僚・ストーカー男(石井)も今のところどちらもシロという感じの描写…
イケメン刑事の見立てとして、森家のお嬢様、理事の娘でクラスで一番の権力者である音羽はクロ、という描写(女性教師の死が公表されてない時点で音から「良い先生だった」という過去形での発言を引き出すシーンがある・生徒への個別インタビューで音にだけかなり強めのツッコミあり)…
だいぶ話が進んでおり、ここから新しい登場人物が出てきてそいつが犯人、という流れはちょっと厳しい気がする
主人公の繭は除外、人を埋めても平気な顔をしてる音羽だが教師の反応から犯人を特定しようとしており、音羽が絞殺したセンも除外
悠は主人公繭への強い想いを持ってる、病気の母がおり家庭は経済的に余裕が無さそう、繭を音から守るナイト・親友的な立ち位置 ただ言葉が少なく謎が残る雰囲気
ベトナム人向けにこのうちは移民難民賛成で無料で宿泊出来ますって晒すことは可能だよ
お前が住所を晒すかどうかの話
才覚でナチスと共産主義の嵐を生きぬいた給仕のお話。経験から相手の本質を見抜き、最高のサービスをする、ってのは序盤だけで、あとは東欧諸国の悲惨な歴史の中で話が進む……はずなんだが、文章全体にユーモアが漂っていて、ナチス政権下でも結構いい思いをしていて、「歴史をこんな風に扱っていいのか?」とその大胆さに驚かされる。当事者だからいいのか? いや、そんなことはないのか? 最近は意外なことで炎上したり叩かれたりするので何もわからん(なんか、アジア人のふりをして小説を書いたらバズって、そのままアジア人のふりをする羽目になる、みたいなキャンセルカルチャーをネタにしたアメリカの風刺文学があった気がするんだが、思い出せない。キーワードで検索しても新しい価値観についていけないで炎上しちゃう六十代教授の出てくるアベル・カンタン「エタンプの預言者」という別の文学しか出てこない。で、pretending to be an Asianでググってやっと見つけた。R. F. KuangのYellowface」。洋書だった。たぶんどっかの文芸評論家が紹介してたんだろう)。
関係ないけど、ナチスが優秀な子孫を作るための女性たちのためのキャンプ、ヌーディストの楽園のような外見を持っていながら(いや、記憶違いかも)発想がそもそも家畜改良みたいで、恐ろしすぎて「これは露悪的なSFか?」ってなる。しかし、殺戮こそしていないものの、今では人権意識の高いとされる北欧諸国でも、かつては平気で障害者や異民族の断種が行われていたのだ。Whataboutismは建設的議論にとっては有害だが、人間の原始的感情に訴えかける強い説得力を持つ。「確かに俺も悪かったけど、お前にだけは言われたくねえよ」的なね。結局、政治は感情で動く。
話を戻せば、この作品は映画にもなっているらしい。というか、このエントリ全体で映像化された作品が結構あるらしいのだが、全然見ていない。
ポーランドとアフリカって接点があると普段はほとんど考えないのだけれど、きわめてよいルポタージュ。こうして独立してから何十年経つのに、アフリカ諸国とひとくくりにされがちな国々の個性を伝えてくれる。
しかし、出来事は基本的に救いがない。人類史の多くは悲惨の連続だが、アフリカで起きたことは桁の振れ幅が一つ違う。世界経済システムとの不幸すぎる出会いから五百年余り、まだ立ち直れていない大陸という印象を持った。とはいえ、暗澹たるルポタージュと言うわけでもなく、人々が村の中心の樹々に集まって生活するところや、市場の活気などは生命力にあふれ、まるでそこで暮らす人々の顔が浮かぶようだ。破綻した国家の状態は目を覆うようだが、そこから復興して何とかやっている人々の姿もある。……と、当時の日記に書いてあった。
ところで、ヘミングウェイはよくアフリカに狩猟に出掛けているけれども、それは所詮旅行者の目で、上っ面でしかないと批判しているのがこの本だった。そう思っていたのだが、日記を読み返すとそれはポール・セロー「ダーク・スター・サファリ」だった。著者はマラウイとウガンダで教鞭をとっていただけあって、アフリカに対して遠慮が無く極めて率直だ。時として情のこもった叱責や、人々へのまっすぐな好意も出る。きれいごとのないアフリカを知りたい人にオススメ。
遅延する電車、かつての豊かな文化と個性を失い広大なスラムと化したそれぞれの国の首都、高い失業率、飢餓、地元民のやる気を削ぐ支援、窃盗や強盗と犯人へのリンチ、放置されて本が残っていない図書館。親切な人や旧友もたくさん出てくるがいささか気が滅入ってくる。……と、当時の日記に書いてあった。
今はスマホも普及していてアフリカの様子も少なくとも都市部では大分違うと思う。ただし高野秀行は今でも地方の市場では窃盗が起きると犯人がリンチされると書いていた。
沈没事故で船を見捨てた船員が、延々と続く良心の呵責に苦しみもがいて生きる話だったはず。
試練に敗れ、卑怯者のレッテルを貼られた人物の独白を、別の語り手を通じて聞くという不思議な構成だけれど、緊迫感が良い。最後には西欧世界の手の届かないところに引っ込んでしまうんだけれど、これって著者の中で「闇の奥」をどのように発展させてここに至ったのだろう。「闇の奥」の内容をあまり覚えていないので困る。語り手が「闇の奥」と同一人物だと全然気づかなかった。やはり覚えていないのは心細い。これは、たとえ敵意ある世界から逃れても……、的な話なのだろうか。……と、日記に書いてあった。「黒檀」と違い、こちらは日記を読み返しても当時の気持ちはほとんどよみがえってこなかった。
この全集では最重要作品かもしれないのだが、実はこの作品だけ読めていない(だからこのエントリのタイトルは「理系が池澤夏樹の世界文学全集を全部読んだから五段階評価する」ではない)。何かで水俣病患者が苦しみながら「これを垂れ流した企業の連中にメチル水銀の汚染水を飲んでもらいたい」と心の底から呪っていたというのを読み、これほどの憎悪を自分の中に受け止めるだけのエネルギーが無いと感じたためだ。もしかしたら社員だけでなく、その家族にも呪詛を向けていたかもしれない。記憶にない。あるいは、これはどこにも書いていないのだが、本当はこうして水俣病にかからなかった全ての人に向いていたのかも。
こういうことを言うと結局自国中心主義なのかと言われるかもしれないが、それをはっきりと自覚したのが石黒達昌「或る一日」を読んだ時だ(伴名練が編集した短編集がある)。戦争か事故かはわからないが、強烈な放射能汚染で次々に子どもが死んでいく話で、読んでいて相当しんどかったのだが、特にきつかったのは名前が「美優」とか「翔」みたいに死んでいくのが現代の日本の子どもの(それとも自分と同世代の人間の?)名前だった点だ。おそらく「亀吉」や「トメ子」だともっと冷静に読めただろうし、「サッダーム」とか「ウルスラ」とかだったらかなり距離ができる。
僕がこうして世界文学を読めていたのも、他人の苦しみが言語と文化の壁によって希釈できているからでは、という疑念を僕に抱かせるに至った。
今にして振り返れば錚々たる作家ばかりだし、気に入った作家の(あるいは、ドナルド・バーセルミみたいによくわからなかった作家の)短編集を借りて読んだりもした(バーセルミは結局全然わからなかった)。一方で、後になって適当に手に取った本の作者だったと後で気づくこともあった。当たりはずれがあるのがアンソロジーの楽しみである。
フリオ・コルタサル「南部高速道路」は東日本大震災の際に、災害時にできるコミュニティに関連して話題になったが、震災を知らない世代にも刺さる普遍性があるコルタサルの作品の中で一番面白いものの一つ。金達寿「朴達の裁判」は前提となる知識をほとんど知らずに読んだのだが、したたかに生きる庶民の話で、吉四六ばなしとひがみ根性のない「阿Q正伝」を足して割らない印象を受けた。官憲に殴られて卑屈に笑ってみせても、決してへこたれることのない強さがある。アリステア・マクラウド「冬の犬」は悲しいけどいい。この人の作品は何を読んでもカナダ東部の寒さが伝わってくる。新潮クレスト・ブックスで出ているので是非読んでほしい。レイモンド・カーヴァー「ささやかだけれど、役にたつこと」はわざとらしいが嫌いじゃない。村上春樹訳だ。最近の村上春樹は一つの権威になっちゃってとうとう早稲田の名誉博士にまでなって、「俺たちの反体制な村上はどこに行っちまったんだ」みたいな気持ちになるが、翻訳は好きで、いまだに村上訳の本をたまに手に取る。それに、村上春樹の小説は男性中心的でときどきレイモンド・チャンドラーみたいにマッチョだとはいえ、「メンヘラ」という言葉が広まるはるか前にもかかわらず、メンタルの病気で苦しむ人の描写の解像度が、身近にたくさんいたんじゃないかってくらい極めて高い。彼の最大の美点だ。もっとも、今では精神を病んだ当事者の文学が出てきたので、「じゃあ当事者が書いた作品を超えるにはどうしたらいい?」ってのが次の文学の課題だ。ガーダ・アル=サンマーン「猫の首を刎ねる」は、フランスに移住したアラブ系の青年が、男にとって都合のいい女がどれほど魅力的かを語ってくる叔母の幻影に悩まされる話で(たとえば恋する女性がもう処女じゃないことに苦しむと、脳内の叔母が「かわいくて素直で恥じらいのある処女を紹介するよ」と延々と語る)、あまりに男の欲望むき出し、即物的で笑っちゃうところもあるんだけれど、その都合のいい幻を切って捨てることもできないあたりがリアルで生々しい。男性向け・女性向けのポルノをのぞき見ると、みんな都合のいいことばっかり望んでるよね(だがそれがいい)。
余談だが、自分は恋人の嫉妬深いので恋愛経験はあまり多くない方が好みだが、フォークナーを勧めてくれた友人は、むしろ経験が豊富なほうが面倒くさくなくていいと熱く語っていた。このあたりは好みの問題だ。
閑話休題、しかしこの叔母が独身だってのがミソで、「女の幸せは結婚だ」という社会の独身女性は、こうやって世話焼きおばちゃん的な立場でサバイブしてきたのだ、という指摘をどこかで読んだ。
目取真俊「面影と連れて」は一番面白かった。自分の中では生涯読んだ短編の中の上位十位に入っている。ウチナーグチの語りなのだけれど、ひたすらいじめられ続けて、抵抗もできずにいる女性が、皇太子暗殺事件の犯人と関係して不幸になって、そのまま死んでいくという虚無の話なのだけれど、心が深く動かされる。世間ではタフになれとか戦って抗えとか言うけれど、抵抗するすべを知らず、その体力も能力もなく抵抗できずにそのままの人だってたくさんいる。弱い人間が弱いまま幸せに生きて死んで行けるようになってほしい。
前項は南北アメリカ・アジア・アフリカが中心だったが、こちらはヨーロッパの作品が中心。こちらの巻はやや印象が薄い。
記憶に残っているのはサルマン・ラシュディ(ルシュディ)「無料のラジオ」で、人口対策で断種されてラジオをもらった男の話。どうもラシュディはこの政策に反対だったらしく、「真夜中の子供たち」でも断種・不妊手術を極めて否定的な舞台装置として扱っているし、実行したインディラ・ガンディーを始め、権力を持った女性に対してうっすらとした嫌悪を持っている気がする。「真夜中の子供たち」でもアパートの管理人の意地悪な姉妹とか出てきたし。
あとはミシェル・ウエルベック「ランサローテ」だけれど、ウエルベックはどの作品も人権意識の高まりをはじめとした社会の変化について行けない中年男性の悲哀と愚痴が基本にあって、どれを読んでも感想が大体一緒になる。前にも書いたが要約すると「俺は非モテだから思春期の頃には思いっきりセックスできなかったし、処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ!」「こうなったのもぜーんぶヨーロッパ文明の進歩に見せかけた自滅のせいだ! みんなカルトに狂って不幸になっちまえ!」「人類は所詮性本能には抗えないサル並みの動物なので、あらゆる不幸はポストヒューマンに進化しないと解決しないんだよ! アヒヒヒヒ!」。これはひどい。もっとも、こういう反動的に見える作品にも賞をあげちゃうフランス文壇の度量の広さはすごいけどね。もしかしたら「セロトニン」はそこから一歩進んだかもしれないが読むのがめんどくさいし、これまた自分にとって輝きを(こんなものを読んでわざわざ憂鬱になりたいという暗黒の吸引力を?)失った作家だ。ウェルベックは悪くない。変わってしまったのは僕だ。
ところで、最後まで読んでみて見て思うのだけれど、このシリーズって表紙に毎回鳥が銀色で印刷されているんだけれど、これってすべてポーズが違うんだろうか。重複したりしていない?
以上。
あとは同じように読んだ人のブログ探して読んでみようっと。
完読総評! 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 全冊 - ウラジーミルの微笑
池澤夏樹の世界文学全集は、何が読まれているのか? - ボヘミアの海岸線
余談だけど日本文学全集は第10巻「能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵」だけ読んだ。長いがめっちゃ面白い。
岡田利規「能・狂言」の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「荷六駄」の「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが(たぶん「太郎冠者、あるか」「御前に」あたりが原文だと思う)、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。現代語訳したのが演劇の人なので、声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。
同時に収録されている狂言には視覚障害者をおちょくるとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者は団体も作っていたみたいだし、ただの弱者ではない。だから、近江絵みたいに風刺の対象ともなっているんだろうか。
おしまい。
ランキング1位の「あなたが癌になった時に最初に知ってほしい事」が挿入し忘れていたので追加(id:ancvさんコメントありがとう!)
順位をひとつ分変えるのがめんどいので0位とさせてもらいますm(_ _)m
プロンプト?という専門用語は知らないが(今調べた、AIとかに何かさせたいときの質問文の事なのね)、
無料のAIに「このような心理状態に当てはまる専門用語はある?」「そのような人とうまく付き合っていくためには一般的にどんな方法や考え方がある?」って聞いただけです。
自動でやってくれるなら、そのくらいは許すみたいな
今だと猫の配膳ロボットとかもだよね
おっちょこちょいだけどゆるすみたいな
翻訳家の失業がバズってるけど、AI翻訳で質が低いけど許す動きってそういう事だろうなって思う
多少へんでもOKだすみたいな