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2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する⑥

【前】anond:20250102211547

3-01「わたし英国王給仕した」ボフミル・フラバ阿部賢一訳★★★

才覚でナチス共産主義の嵐を生きぬいた給仕お話経験から相手本質を見抜き、最高のサービスをする、ってのは序盤だけで、あとは東欧諸国悲惨歴史の中で話が進む……はずなんだが、文章全体にユーモアが漂っていて、ナチス政権下でも結構いい思いをしていて、「歴史をこんな風に扱っていいのか?」とその大胆さに驚かされる。当事者からいいのか? いや、そんなことはないのか? 最近は意外なことで炎上したり叩かれたりするので何もわからん(なんか、アジア人のふりをして小説を書いたらバズって、そのままアジア人のふりをする羽目になる、みたいなキャンセルカルチャーネタにしたアメリカ風刺文学があった気がするんだが、思い出せない。キーワード検索しても新しい価値観についていけないで炎上ちゃう六十代教授の出てくるアベルカンタン「エタンプの預言者」という別の文学しか出てこない。で、pretending to be an Asianでググってやっと見つけた。R. F. KuangのYellowface」。洋書だった。たぶんどっかの文芸評論家が紹介してたんだろう)。

関係ないけど、ナチスが優秀な子孫を作るための女性たちのためのキャンプヌーディスト楽園のような外見を持っていながら(いや、記憶いかも)発想がそもそも家畜改良みたいで、恐ろしすぎて「これは露悪的なSFか?」ってなる。しかし、殺戮こそしていないものの、今では人権意識の高いとされる北欧諸国でも、かつては平気で障害者異民族の断種が行われていたのだ。Whataboutismは建設議論にとっては有害だが、人間原始的感情に訴えかける強い説得力を持つ。「確かに俺も悪かったけど、お前にだけは言われたくねえよ」的なね。結局、政治感情で動く。

話を戻せば、この作品映画にもなっているらしい。というか、このエントリ全体で映像化された作品結構あるらしいのだが、全然見ていない。

3-02「黒檀」リシャルト・カプシチンスキ 工藤幸雄/阿部優子/武井摩利訳★★★

ポーランドアフリカって接点があると普段ほとんど考えないのだけれど、きわめてよいルポタージュ。こうして独立してから何十年経つのに、アフリカ諸国とひとくくりにされがちな国々の個性を伝えてくれる。

しかし、出来事基本的に救いがない。人類史の多くは悲惨連続だが、アフリカで起きたことは桁の振れ幅が一つ違う。世界経済システムとの不幸すぎる出会いから五百年余り、まだ立ち直れていない大陸という印象を持った。とはいえ、暗澹たるルポタージュと言うわけでもなく、人々が村の中心の樹々に集まって生活するところや、市場の活気などは生命力にあふれ、まるでそこで暮らす人々の顔が浮かぶようだ。破綻した国家状態は目を覆うようだが、そこから復興して何とかやっている人々の姿もある。……と、当時の日記に書いてあった。

ところで、ヘミングウェイはよくアフリカ狩猟に出掛けているけれども、それは所詮旅行者の目で、上っ面でしかないと批判しているのがこの本だった。そう思っていたのだが、日記を読み返すとそれはポールセロー「ダーク・スターサファリ」だった。著者はマラウイウガンダで教鞭をとっていただけあって、アフリカに対して遠慮が無く極めて率直だ。時として情のこもった叱責や、人々へのまっすぐな好意も出る。きれいごとのないアフリカを知りたい人にオススメ

遅延する電車、かつての豊かな文化個性を失い広大なスラムと化したそれぞれの国の首都、高い失業率飢餓地元民のやる気を削ぐ支援窃盗強盗犯人へのリンチ放置されて本が残っていない図書館。親切な人や旧友もたくさん出てくるがいささか気が滅入ってくる。……と、当時の日記に書いてあった。

今はスマホも普及していてアフリカの様子も少なくとも都市部では大分違うと思う。ただし高野秀行は今でも地方市場では窃盗が起きると犯人リンチされると書いていた。

3-03「ロードジムジョゼフ・コンラッド 柴田元幸訳★★

沈没事故で船を見捨てた船員が、延々と続く良心の呵責に苦しみもがいて生きる話だったはず。

試練に敗れ、卑怯者のレッテルを貼られた人物独白を、別の語り手を通じて聞くという不思議構成だけれど、緊迫感が良い。最後には西欧世界の手の届かないところに引っ込んでしまうんだけれど、これって著者の中で「闇の奥」をどのように発展させてここに至ったのだろう。「闇の奥」の内容をあまり覚えていないので困る。語り手が「闇の奥」と同一人物だと全然気づかなかった。やはり覚えていないのは心細い。これは、たとえ敵意ある世界から逃れても……、的な話なのだろうか。……と、日記に書いてあった。「黒檀」と違い、こちらは日記を読み返しても当時の気持ちほとんどよみがえってこなかった。

3-04「苦海浄土石牟礼道子 ❗

この全集では最重要作品かもしれないのだが、実はこの作品だけ読めていない(だからこのエントリタイトルは「理系池澤夏樹世界文学全集を全部読んだから五段階評価する」ではない)。何かで水俣病患者が苦しみながら「これを垂れ流した企業の連中にメチル水銀汚染水を飲んでもらいたい」と心の底から呪っていたというのを読み、これほどの憎悪自分の中に受け止めるだけのエネルギーが無いと感じたためだ。もしかしたら社員だけでなく、その家族にも呪詛を向けていたかもしれない。記憶にない。あるいは、これはどこにも書いていないのだが、本当はこうして水俣病にかからなかった全ての人に向いていたのかも。

こういうことを言うと結局自国中心主義なのかと言われるかもしれないが、それをはっきりと自覚したのが石黒達昌「或る一日」を読んだ時だ(伴名練が編集した短編集がある)。戦争事故かはわからないが、強烈な放射能汚染で次々に子どもが死んでいく話で、読んでいて相当しんどかったのだが、特にきつかったのは名前が「美優」とか「翔」みたいに死んでいくのが現代日本の子もの(それとも自分と同世代人間の?)名前だった点だ。おそらく「亀吉」や「トメ子」だともっと冷静に読めただろうし、「サッダーム」とか「ウルスラ」とかだったらかなり距離ができる。

僕がこうして世界文学を読めていたのも、他人の苦しみが言語文化の壁によって希釈できているからでは、という疑念を僕に抱かせるに至った。

3-05「短篇コレクション Ⅰ」コルタサル他★★★★★

今にして振り返れば錚々たる作家ばかりだし、気に入った作家の(あるいは、ドナルド・バーセルミみたいによくわからなかった作家の)短編集を借りて読んだりもした(バーセルミは結局全然からなかった)。一方で、後になって適当に手に取った本の作者だったと後で気づくこともあった。当たりはずれがあるのがアンソロジーの楽しみである

フリオコルタサル南部高速道路東日本大震災の際に、災害時にできるコミュニティに関連して話題になったが、震災を知らない世代にも刺さる普遍性があるコルタサル作品の中で一番面白いものの一つ。金達寿「朴達の裁判は前提となる知識ほとんど知らずに読んだのだが、したたかに生きる庶民の話で、吉四六ばなしとひがみ根性のない「阿Q正伝」を足して割らない印象を受けた。官憲に殴られて卑屈に笑ってみせても、決してへこたれることのない強さがある。アリステア・マクラウド「冬の犬」は悲しいけどいい。この人の作品は何を読んでもカナダ東部の寒さが伝わってくる。新潮クレスト・ブックスで出ているので是非読んでほしい。レイモンド・カーヴァーささやかだけれど、役にたつことはわざとらしいが嫌いじゃない。村上春樹訳だ。最近村上春樹は一つの権威なっちゃってとうとう早稲田名誉博士にまでなって、「俺たちの反体制村上はどこに行っちまったんだ」みたいな気持ちになるが、翻訳は好きで、いまだに村上訳の本をたまに手に取る。それに、村上春樹小説男性中心的でときどきレイモンド・チャンドラーみたいにマッチョとはいえ、「メンヘラ」という言葉が広まるはるか前にもかかわらず、メンタル病気で苦しむ人の描写解像度が、身近にたくさんいたんじゃないかってくらい極めて高い。彼の最大の美点だ。もっとも、今では精神を病んだ当事者文学が出てきたので、「じゃあ当事者が書いた作品を超えるにはどうしたらいい?」ってのが次の文学課題だ。ガーダ・アル=サンマーン「猫の首を刎ねる」は、フランス移住したアラブ系青年が、男にとって都合のいい女がどれほど魅力的かを語ってくる叔母の幻影に悩まされる話で(たとえば恋する女性がもう処女じゃないことに苦しむと、脳内の叔母が「かわいくて素直で恥じらいのある処女を紹介するよ」と延々と語る)、あまりに男の欲望むき出し、即物的で笑っちゃうところもあるんだけれど、その都合のいい幻を切って捨てることもできないあたりがリアルで生々しい。男性向け・女性向けのポルノのぞき見ると、みんな都合のいいことばっかり望んでるよね(だがそれがいい)。

余談だが、自分恋人嫉妬深いので恋愛経験はあまり多くない方が好みだが、フォークナーを勧めてくれた友人は、むしろ経験豊富なほうが面倒くさくなくていいと熱く語っていた。このあたりは好みの問題だ。

閑話休題しかしこの叔母が独身だってのがミソで、「女の幸せ結婚だ」という社会独身女性は、こうやって世話焼きおばちゃん的な立場サバイブしてきたのだ、という指摘をどこかで読んだ。

目取真俊面影と連れて」は一番面白かった。自分の中では生涯読んだ短編の中の上位十位に入っている。ウチナーグチの語りなのだけれど、ひたすらいじめられ続けて、抵抗もできずにいる女性が、皇太子暗殺事件犯人関係して不幸になって、そのまま死んでいくという虚無の話なのだけれど、心が深く動かされる。世間ではタフになれとか戦って抗えとか言うけれど、抵抗するすべを知らず、その体力も能力もなく抵抗できずにそのままの人だってたくさんいる。弱い人間が弱いまま幸せに生きて死んで行けるようになってほしい。

3-06「短篇コレクション Ⅱ」A・グリーン/G・トマージ・ディ・ランペドゥーサ他★★★

前項は南北アメリカアジアアフリカが中心だったが、こちらはヨーロッパ作品が中心。こちらの巻はやや印象が薄い。

記憶に残っているのはサルマン・ラシュディ(ルシュディ)「無料ラジオで、人口対策で断種されてラジオをもらった男の話。どうもラシュディはこの政策に反対だったらしく、「真夜中の子供たち」でも断種・不妊手術を極めて否定的舞台装置として扱っているし、実行したインディラ・ガンディーを始め、権力を持った女性に対してうっすらとした嫌悪を持っている気がする。「真夜中の子供たち」でもアパート管理人の意地悪な姉妹とか出てきたし。

あとはミシェル・ウエルベックランサローテだけれど、ウエルベックはどの作品人権意識の高まりをはじめとした社会の変化について行けない中年男性の悲哀と愚痴が基本にあって、どれを読んでも感想が大体一緒になる。前にも書いたが要約すると「俺は非モテから思春期の頃には思いっきセックスできなかったし、処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ!」「こうなったのもぜーんぶヨーロッパ文明進歩に見せかけた自滅のせいだ! みんなカルトに狂って不幸になっちまえ!」「人類所詮本能には抗えないサル並みの動物なので、あらゆる不幸はポストヒューマン進化しないと解決しないんだよ! アヒヒヒヒ!」。これはひどいもっとも、こういう反動的に見える作品にも賞をあげちゃうフランス文壇の度量の広さはすごいけどね。もしかしたら「セロトニン」はそこから一歩進んだかもしれないが読むのがめんどくさいし、これまた自分にとって輝きを(こんなものを読んでわざわざ憂鬱になりたいという暗黒の吸引力を?)失った作家だ。ウェルベックは悪くない。変わってしまったのは僕だ。

カズオ・イシグロも収録されていたはずなのだ記憶にない。

ところで、最後まで読んでみて見て思うのだけれど、このシリーズって表紙に毎回鳥が銀色印刷されているんだけれど、これってすべてポーズが違うんだろうか。重複したりしていない?

以上。

あとは同じように読んだ人のブログ探して読んでみようっと。

完読総評! 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 全冊 - ウラジーミルの微笑

池澤夏樹の世界文学全集は、何が読まれているのか? - ボヘミアの海岸線

おまけ

余談だけど日本文学全集は第10巻「能・狂言説経節曾根崎心中女殺油地獄菅原伝授手習鑑/義経千本桜仮名手本忠臣蔵」だけ読んだ。長いがめっちゃ面白い

岡田利規「能・狂言」の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「荷六駄」の「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが(たぶん「太郎冠者、あるか」「御前に」あたりが原文だと思う)、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。現代語訳したのが演劇の人なので、声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。

同時に収録されている狂言には視覚障害者おちょくるとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者団体も作っていたみたいだし、ただの弱者ではない。だから近江絵みたいに風刺対象ともなっているんだろうか。

おしまい

anond:20250102093048

この記事書いた人は舞台専門の通訳からそもそも海外の人が来るもしくは海外に行く時に依頼されるんじゃないか

コロナで一番ダメージ食らうタイプのやつだ

書籍翻訳とは畑が違うっぽいけど、まあそもそも翻訳を依頼するパブリッシャー機械翻訳を推進してるからどうにも

だいたい、日本で売れそうだと思われた洋書は大体翻訳されるけど、売れないかもしれない洋書コストかけて翻訳しようなんて所あんまないしね

俺もこういう人には個人ゴリゴリ営業かけて翻訳していってほしいけどな

将来的にそういう本もAI翻訳になるんだろうな

2024-12-19

Kindleって任意洋書が安く買えるクーポンとかセールとかやったりする?

欲しい本があるんだけどKindle版でも9000円くらいするんだよなあ

安く買えるタイミングがあるなら待つんだけど

2024-12-04

anond:20241204133231

道長日記漢文で書かれてるけど字きたねえし、誤字とか文法誤りとか多い(有名なのは一条天皇が亡くなった時、崩給(崩じ給う)ってのを萌給って間違えてるやつ)

あと、一条天皇漢文大好きだから、存命中道長もご機嫌取りに漢詩の会とか開きまくってたんだけど、亡くなってからはぴったりやめちゃったりとか

現代でいうと、社内公用語英語会社英語日報書いてたり、洋書を原文で読むのが高尚とされてたりとかそういうやつだな

2024-12-01

ルームデスクツアー動画わっかんないよ!!

YouTubeCookieが消えたのかログアウト状態で開いたら幾つかルームデスクツアー動画が出てきたからなんとなく幾つか見てみたんだが、最初に出てきたのが意識他界マウンティング成功者みたいなのだたからそれ系ばっかりに。

それも家賃高そうなオサレ部屋だなーとみてたが、幾つか見てると段々わかんないわかんないわっかんないよ!言いたくなってきた。

年齢マウントやめてよ!

20代〇○デスクツアー」は若いのに高級物件・高級ガジェット使ってますマウンティングばかりだし、「30代〇○デスクツアー」は部屋に珈琲とかのちょっとオサレ趣味アピール付け加えただけだし年齢層アピールする意味特にないよね?40代も50代も特に知りたい情報じゃないよ!!

昇降デスクって何がそんなにいいの?

みんな揃いも揃ってほぼ同じところの昇降デスク使ってるのおかしいよ!「ずっと座ってると身体によくないので、ボタン一つでスタンディングにするんです(笑)」とか言うけど疲れたら一息入れるべきだよ!デスクの後ろにケーブルラックモニターアームはエルゴトロンLXまでみんなお揃いなの怖いよ!

間接照明推しやめてよ!

なんで部屋が薄暗いと雰囲気あってカッコイイの?目に悪いし足元も暗くて危ないし、代わりにエジソン電球(風)の間接照明を沢山おいてたら電気代も掛かるじゃん!モニターライトも同じのばかりで見飽きたよ!

本棚はどうしてダメなの?

殆ど出てこないし、あっても表紙を見せるオサレ本棚ディスプレイされた洋書意識高いビジネス新書数冊しかないじゃん!

円盤も置いてないじゃん!

映画好きなのでこのテレビでよく映画見てますスピーカーも大きいの買っちゃいました(笑)」とか言ってるくせに映画円盤を入れたラックの一つもないとかおかしいよ!サブスク配信されてない名作映画だって沢山有るんだよ!

小物系アイテム山崎実業じゃん!

山崎実業Towerシリーズはちょっぴりオサレでいいよね、私も使ってる!

2024-11-08

電子書籍

本棚がいっぱい並んだ体育館みたいなところで

受注はいりましたー!って

アルバイトの子が空いてるコピー機さがして

右往左往しながら

注文の入った本を開いてスキャンして

わ!上下間違えた!とか、斜めになっちゃった

とかバタバタ苦労して

社員さん!できましたー!

おっ?みきちゃんもだいぶ慣れてきたねぇ、おつかれおつかれ

なんて感じでまとめられたファイル

読んでるかと思うと

みきちゃんバイトはいいけど、単位大丈夫なのかなぁ

とか思っちゃって

少し感慨深い。

時給は1100円から。たぶん。

あと洋書ならメアリー担当ね。まぁ買わないけど。

2024-11-03

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エンタメ

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人気なものだけ流れてくる。

前はTogetter登録していたが、X→Togetterはてな→X→(以降ループ)で話題が被るので、はてなだけ見ている。

オモコロ

Youtubeも観ている。

RSS眺めながらラジオの相性はいい。

GIGAZINE

インターネット雑誌

AIに頼らない人が書いた記事というだけで信頼がある。

クラウドファンディング

Makuake

掘り出し物市みたいで面白い

財布とバッグと爪切りスマホリングナイフジャケットと石が定番

健康

パレオな男』

サプリとか健康情報で参考にしている。

洋書の内容もまとめてあるのも面白い

ゲーム

『Game*Spark

『AUTOMATON』

ゲーム情報は大体ここ。

他にも色々登録していたが、大作の話題は被るし、インディーも知りたいとか思って2つに絞った。

IT系

Qiita

『Publickey』

記事の9割は自分が使わない情報だけど、眺めてるだけで面白い

たまに個人開発のサービスがあると「おー」と気になって見に行く。

よくわからん

WIRED.jp

なぜ登録たか覚えていない。

興味が湧く記事でも会員限定で読めないこともある。

RSSは気になった記事アーカイブして、週末のこういう時間に一気に読むのが好き。

Inoreader無料会員だけど大満足

2024-10-13

文化資本

代々木紀伊國屋洋書フロアで本買ったこと無い人は全員文化資本足りてないかネットで口動かす時間あったら英語読めるようになった方がいいよ

消費・受動型の余暇しか過ごせないくせに文化資本がどうとか笑いも出ないから全員筋肉つけるか勉強して能動的に資本を身に着けないとダメ

スポーツやってる人とかはワイより上なので偉い

2024-09-30

 三四郎はこの時ふと汽車水蜜桃をくれた男が、あぶないあぶない、気をつけないとあぶない、と言ったことを思い出した。あぶないあぶないと言いながら、あの男はいやにおちついていた。つまりあぶないあぶないと言いうるほどに、自分はあぶなくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。世の中にいて、世の中を傍観している人はここに面白味があるかもしれない。どうもあの水蜜桃の食いぐあいから、青木堂で茶を飲んでは煙草を吸い、煙草を吸っては茶を飲んで、じっと正面を見ていた様子は、まさにこの種の人物である。――批評家である。――三四郎は妙な意味批評家という字を使ってみた。使ってみて自分うまいと感心した。のみならず自分批評家として、未来存在しようかとまで考えだした。あのすごい死顔を見るとこんな気も起こる。  三四郎は部屋のすみにあるテーブルと、テーブルの前にある椅子と、椅子の横にある本箱と、その本箱の中に行儀よく並べてある洋書を見回して、この静かな書斎の主人は、あの批評家と同じく無事で幸福であると思った。――光線の圧力研究するために、女を轢死させることはあるまい。主人の妹は病気である。けれども兄の作った病気ではない。みずからかかった病気である。などとそれからそれへと頭が移ってゆくうちに、十一時になった。中野行の電車はもう来ない。あるいは病気が悪いので帰らないのかしらと、また心配になる。ところへ野々宮から電報が来た。妹無事、あす朝帰るとあった。  安心して床にはいったが、三四郎の夢はすこぶる危険であった。――轢死を企てた女は、野々宮に関係のある女で、野々宮はそれと知って家へ帰って来ない。ただ三四郎安心させるために電報だけ掛けた。妹無事とあるのは偽りで、今夜轢死のあった時刻に妹も死んでしまった。そうしてその妹はすなわち三四郎が池の端で会った女である。……  三四郎はあくる日例になく早く起きた。  寝つけない所に寝た床のあとをながめて、煙草を一本のんだが、ゆうべの事は、すべて夢のようである。椽側へ出て、低い廂の外にある空を仰ぐと、きょうはいい天気だ。世界が今朗らかになったばかりの色をしている。飯を済まして茶を飲んで、椽側に椅子を持ち出して新聞を読んでいると、約束どおり野々宮君が帰って来た。 「昨夜、そこに轢死があったそうですね」と言う。停車場か何かで聞いたものらしい。三四郎自分経験を残らず話した。 「それは珍しい。めったに会えないことだ。ぼくも家におればよかった。死骸はもう片づけたろうな。行っても見られないだろうな」 「もうだめでしょう」と一口答えたが、野々宮君ののん気なのには驚いた。三四郎はこの無神経をまったく夜と昼の差別から起こるものと断定した。光線の圧力試験する人の性癖が、こういう場合にも、同じ態度で表われてくるのだとはまるで気がつかなかった。年が若いからだろう。  三四郎は話を転じて、病人のことを尋ねた。野々宮君の返事によると、はたして自分の推測どおり病人に異状はなかった。ただ五、六日以来行ってやらなかったものから、それを物足りなく思って、退屈紛れに兄を釣り寄せたのである。きょうは日曜だのに来てくれないのはひどいと言って怒っていたそうである。それで野々宮君は妹をばかだと言っている。本当にばかだと思っているらしい。この忙しいものに大切な時間を浪費させるのは愚だというのである。けれども三四郎にはその意味ほとんどわからなかった。わざわざ電報を掛けてまで会いたがる妹なら、日曜の一晩や二晩をつぶしたって惜しくはないはずである。そういう人に会って過ごす時間が、本当の時間で、穴倉で光線の試験をして暮らす月日はむしろ人生に遠い閑生涯というべきものである自分が野々宮君であったならば、この妹のために勉強妨害をされるのをかえってうれしく思うだろう。くらいに感じたが、その時は轢死の事を忘れていた。  野々宮君は昨夜よく寝られなかったものからぼんやりしていけないと言いだした。きょうはさいわい昼から早稲田学校へ行く日で、大学のほうは休みから、それまで寝ようと言っている。「だいぶおそくまで起きていたんですか」と三四郎が聞くと、じつは偶然、高等学校で教わったもとの先生広田という人が妹の見舞いに来てくれて、みんなで話をしているうちに、電車時間に遅れて、つい泊ることにした。広田の家へ泊るべきのを、また妹がだだをこねて、ぜひ病院に泊れと言って聞かないから、やむをえず狭い所へ寝たら、なんだか苦しくって寝つかれなかった。どうも妹は愚物だ。とまた妹を攻撃する。三四郎おかしくなった。少し妹のために弁護しようかと思ったが、なんだか言いにくいのでやめにした。  その代り広田さんの事を聞いた。三四郎広田さんの名前をこれで三、四へん耳にしている。そうして、水蜜桃先生青木堂の先生に、ひそかに広田さんの名をつけている。それから正門内で意地の悪い馬に苦しめられて、喜多床の職人に笑われたのもやはり広田先生にしてある。ところが今承ってみると、馬の件ははたして広田先生であった。それで水蜜桃も必ず同先生に違いないと決めた。考えると、少し無理のようでもある。  帰る時に、ついでだから、午前中に届けてもらいたいと言って、袷を一枚病院まで頼まれた。三四郎は大いにうれしかった。  三四郎は新しい四角な帽子かぶっている。この帽子かぶって病院に行けるのがちょっと得意である。さえざえしい顔をして野々宮君の家を出た。  御茶の水で電車を降りて、すぐ俥に乗った。いつもの三四郎に似合わぬ所作である。威勢よく赤門を引き込ませた時、法文科のベルが鳴り出した。いつもならノートインキ壺を持って、八番の教室はいる時分である。一、二時間講義ぐらい聞きそくなってもかまわないという気で、まっすぐに青山内科玄関まで乗りつけた。  上がり口を奥へ、二つ目の角を右へ切れて、突当たりを左へ曲がると東側の部屋だと教わったとおり歩いて行くと、はたしてあった。黒塗りの札に野々宮よし子と仮名で書いて、戸口に掛けてある。三四郎はこの名前を読んだまま、しばらく戸口の所でたたずんでいた。いなか物だからノックするなぞという気の利いた事はやらない。「この中にいる人が、野々宮君の妹で、よし子という女である」  三四郎はこう思って立っていた。戸をあけて顔が見たくもあるし、見て失望するのがいやでもある。自分の頭の中に往来する女の顔は、どうも野々宮宗八さんに似ていないのだから困る。  うしろから看護婦草履の音をたてて近づいて来た。三四郎は思い切って戸を半分ほどあけた。そうして中にいる女と顔を見合わせた。(片手にハンドルをもったまま)  目の大きな、鼻の細い、唇の薄い、鉢が開いたと思うくらいに、額が広くって顎がこけた女であった。造作はそれだけである。けれども三四郎は、こういう顔だちから出る、この時にひらめいた咄嗟の表情を生まれてはじめて見た。青白い額のうしろに、自然のままにたれた濃い髪が、肩まで見える。それへ東窓をもれる朝日の光が、うしろからさすので、髪と日光の触れ合う境のところが菫色に燃えて、生きた暈をしょってる。それでいて、顔も額もはなはだ暗い。暗くて青白い。そのなかに遠い心持ちのする目がある。高い雲が空の奥にいて容易に動かない。けれども動かずにもいられない。ただなだれるように動く。女が三四郎を見た時は、こういう目つきであった。  三四郎はこの表情のうちにものうい憂鬱と、隠さざる快活との統一を見いだした。その統一の感じは三四郎にとって、最も尊き人生の一片である。そうして一大発見である三四郎ハンドルをもったまま、――顔を戸の影から分部屋の中に差し出したままこの刹那の感に自らを放下し去った。 「おはいりなさい」  女は三四郎を待ち設けたように言う。その調子には初対面の女には見いだすことのできない、安らかな音色があった。純粋の子供か、あらゆる男児に接しつくし婦人でなければ、こうは出られない。なれなれしいのとは違う。初めから古い知り合いなのである。同時に女は肉の豊かでない頬を動かしてにこりと笑った。青白いうちに、なつかしい暖かみができた。三四郎の足はしぜんと部屋の内へはいった。その時青年の頭のうちには遠い故郷にある母の影がひらめいた。  戸のうしろへ回って、はじめて正面に向いた時、五十あまり婦人三四郎挨拶をした。この婦人三四郎からだがまだ扉の陰を出ないまえから席を立って待っていたものみえる。 「小川さんですか」と向こうから尋ねてくれた。顔は野々宮君に似ている。娘にも似ている。しかしただ似ているというだけである。頼まれ風呂敷包みを出すと、受け取って、礼を述べて、 「どうぞ」と言いながら椅子をすすめたまま、自分は寝台の向こう側へ回った。  寝台の上に敷いた蒲団を見るとまっ白である。上へ掛けるものもまっ白である。それを半分ほど斜にはぐって、裾のほうが厚く見えるところを、よけるように、女は窓を背にして腰をかけた。足は床に届かない。手に編針を持っている。毛糸のたまが寝台の下に転がった。女の手から長い赤い糸が筋を引いている。三四郎は寝台の下から毛糸のたまを取り出してやろうかと思った、けれども、女が毛糸にはまるで無頓着でいるので控えた。  おっかさんが向こう側から、しきりに昨夜の礼を述べる。お忙しいところをなどと言う。三四郎は、いいえ、どうせ遊んでいますからと言う。二人が話をしているあいだ、よし子は黙っていた。二人の話が切れた時、突然、 「ゆうべの轢死を御覧になって」と聞いた。見ると部屋のすみに新聞がある。三四郎が、 「ええ」と言う。 「こわかったでしょう」と言いながら、少し首を横に曲げて、三四郎を見た。兄に似て首の長い女である三四郎はこわいともこわくないとも答えずに、女の首の曲がりぐあいをながめていた。半分は質問があまり単純なので、答に窮したのである。半分は答えるのを忘れたのである。女は気がついたとみえて、すぐ首をまっすぐにした。そうして青白い頬の奥を少し赤くした。三四郎はもう帰るべき時間だと考えた。  挨拶をして、部屋を出て、玄関正面へ来て、向こうを見ると、長い廊下のはずれが四角に切れて、ぱっと明るく、表の緑が映る上がり口に、池の女が立っている。はっと驚いた三四郎の足は、さっそく歩調に狂いができた。その時透明な空気の画布の中に暗く描かれた女の影は一足前へ動いた。三四郎も誘われたように前へ動いた。二人は一筋道廊下のどこかですれ違わねばならぬ運命をもって互いに近づいて来た。すると女が振り返った。明るい表の空気の中には、初秋の緑が浮いているばかりである。振り返った女の目に応じて、四角の中に、現われたものもなければ、これを待ち受けていたものもない。三四郎はそのあいだに女の姿勢服装を頭の中へ入れた。  着物の色はなんという名かわからない。大学の池の水へ、曇った常磐木の影が映る時のようである。それはあざやかな縞が、上から下へ貫いている。そうしてその縞が貫きながら波を打って、互いに寄ったり離れたり、重なって太くなったり、割れて二筋になったりする。不規則だけれども乱れない。上から三分一のところを、広い帯で横に仕切った。帯の感じには暖かみがある。黄を含んでいるためだろう。  うしろを振り向いた時、右の肩が、あとへ引けて、左の手が腰に添ったまま前へ出た。ハンケチを持っている。そのハンケチの指に余ったところが、さらりと開いている。絹のためだろう。――腰から下は正しい姿勢にある。  女はやがてもとのとおりに向き直った。目を伏せて二足ばかり三四郎に近づいた時、突然首を少しうしろに引いて、まともに男を見た。二重瞼の切長のおちついた恰好である。目立って黒い眉毛の下に生きている。同時にきれいな歯があらわれた。この歯とこの顔色とは三四郎にとって忘るべからざる対照であった。  きょうは白いものを薄く塗っている。けれども本来の地を隠すほどに無趣味ではなかった。こまやかな肉が、ほどよく色づいて、強い日光にめげないように見える上を、きわめて薄く粉が吹いている。てらてら照る顔ではない。  肉は頬といわず顎といわずきちりと締まっている。骨の上に余ったものはたんとないくらいである。それでいて、顔全体が柔かい。肉が柔かいのではない骨そのものが柔かいように思われる。奥行きの長い感じを起こさせる顔である。  女は腰をかがめた。三四郎は知らぬ人に礼をされて驚いたというよりも、むしろのしかたの巧みなのに驚いた。腰から上が、風に乗る紙のようにふわりと前に落ちた。しかも早い。それで、ある角度まで来て苦もなくはっきりととまった。むろん習って覚えたものではない。 「ちょっと伺いますが……」と言う声が白い歯のあいから出た。きりりとしている。しかし鷹揚である。ただ夏のさかりに椎の実がなっているかと人に聞きそうには思われなかった。三四郎はそんな事に気のつく余裕はない。 「はあ」と言って立ち止まった。 「十五号室はどの辺になりましょう」  十五号は三四郎が今出て来た部屋である。 「野々宮さんの部屋ですか」  今度は女のほうが「はあ」と言う。 「野々宮さんの部屋はね、その角を曲がって突き当って、また左へ曲がって、二番目の右側です」 「その角を……」と言いながら女は細い指を前へ出した。 「ええ、ついその先の角です」 「どうもありがとう」  女は行き過ぎた。三四郎は立ったまま、女の後姿を見守っている。女は角へ来た。曲がろうとするとたんに振り返った。三四郎赤面するばかりに狼狽した。女はにこりと笑って、この角ですかというようなあいずを顔でした。三四郎は思わずうなずいた。女の影は右へ切れて白い壁の中へ隠れた。  三四郎はぶらりと玄関を出た。医科大学生と間違えて部屋の番号を聞いたのかしらんと思って、五、六歩あるいたが、急に気がついた。女に十五号を聞かれた時、もう一ぺんよし子の部屋へあともどりをして、案内すればよかった。残念なことをした。  三四郎はいさらとって帰す勇気は出なかった。やむをえずまた五、六歩あるいたが、今度はぴたりととまった。三四郎の頭の中に、女の結んでいたリボンの色が映った。そのリボンの色も質も、たしかに野々宮君が兼安で買ったものと同じであると考え出した時、三四郎は急に足が重くなった。図書館の横をのたくるように正門の方へ出ると、どこからたか与次郎が突然声をかけた。 「おいなぜ休んだ。きょうはイタリー人がマカロニーをいかにして食うかという講義を聞いた」と言いながら、そばへ寄って来て三四郎の肩をたたいた。  二人は少しいっしょに歩いた。正門のそばへ来た時、三四郎は、 「君、今ごろでも薄いリボンをかけるものかな。あれは極暑に限るんじゃないか」と聞いた。与次郎はアハハハと笑って、 「○○教授に聞くがいい。なんでも知ってる男だから」と言って取り合わなかった。  正門の所で三四郎はぐあいが悪いからきょうは学校を休むと言い出した。与次郎はいっしょについて来て損をしたといわぬばかりに教室の方へ帰って行った。

anond:20240930192717

2024-09-02

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hayatoito.github.io/2024/book-99/

もう脱稿してるだろうし意味ないぼやきだけど、出版するからには参考文献をしっかり書いてほしい

記事面白くて、インデックス周りの理論(マーコウィッツ理論とか)勉強したけど、文献探しが大変だった

ネット検索しても投資絡みはノイズだらけでマジ役に立たんし

いわゆる「入門書」とか本当に数式出てこないお話で終わっちゃうのも多いし

専門書探すしかないんだよね

結局自分ルーエンバーガーの「金融工学入門」とかいう本読んで数式いじってある程度満足したんだけど

Googleエンジニアがどの程度の専門書読んでるのか気になるんだよねー

いい感じの洋書でもあるんかね?

2024-07-24

anond:20240724171231

デリバリープロバイダだけのせいじゃないけど、箱とか包装がビリビリに敗れた状態で来た、

そもそも梱包などしておらず、製品の箱むき出しに伝票張り付けたやつが来た、しか製品の箱はシールされてないので開封しようと思えばできてしま状態

ぶっちゃけ、一度開封されて返品されたんじゃないかと思われる製品が来た、でも面倒なので返品しないで泣き寝入りしてそのまま使ってる

本も乱丁ほどではないが、表紙に軽く傷が付いてるとか当たり前になったので、

多少汚れててもすぐ読みたい、どうせ外で持ち歩いてるうちに汚れる、みたいな本とか製品Amazonで買ってる

あと、Kindleは重宝してる

タオルとか消耗品みたいなものを買う場所としてはアリなのかもしれない

でも、家電とかはヨドバシとか他を使うようになった、本もできるだけAmazonを避けるようになった

あとは怪しい中華製品日本現金で決済したければ、Amazonはアリなのかもしれない

重度のAmazonユーザーだったのに、今はどうやったらAmazonを避けられるか考えるようになってる

Barnes&Nobleから洋書を買ってた時代が懐かしい

リアル本とかリアル書店に関しては、あの頃に戻りたいよ、ほんと…、神田の街も活気があった😟

2024-06-17

Wikipediaにおけるホロコーストについての歴史修正主義者との戦い

2021年1月はてなブックマークで以下の記事が多少話題になった。

 

日本語版ウィキペディアで「歴史修正主義」が広がる理由と解決策   - 佐藤由美子の音楽療法日記

 

佐藤氏が気にかけていたのは、あくまでも日本語版Wikipedia日本の歴史認識問題についてのみだったようだが、私は当時から、いわゆるホロコーストに関しても、歴史修正主義者のWikipedia上での活発な活動を知っていた。奴らは、ちょこちこちこちょこ、関連記事編集していたのを目撃していた(実際にはネットで知り合った人から教えてもらったw)。その時から、私の奴らとの孤独な戦いが始まった。本当に孤独で、誰か他におらんのか?と思うほどである

 

そんな戦いをしているのは私(と他に何人かはいるかもしれんがよく知らない)くらいかもしれないが、とにかく日本語版でのホロコースト否定派に属するであろう歴史修正主義者はWikipediaで暗躍し続けている。

 

例えば、ニュルンベルク裁判記事では、「被告に対する暴行弁護団への不法行為」という項目で、ヴェルナー・マーザーというドイツ人歴史学者による著書『ニュルンベルク裁判 ナチス戦犯はいかにして裁かれたか』だけを使って、ニュルンベルク裁判被告らが暴行拷問を受けるなど不当な行為が行われたと書かれている。少し調べると、ヴェルナー・マーザーは歴史修正主義者と見做されており、ドイツ語版のWikipediaにあるヴェルナー・マーザーの解説には次のように書かれている。

しか1977年以降、マーザーは歴史修正主義に分類されるようになった。特にニュルンベルク:勝者の法廷』(1977年)、『言葉の破れ』(1994年)、『ヒトラースターリンに関する改竄虚構、そして真実』(2004年)といった著作のせいである。ヒトラー国家社会主義に関する彼の全体的なテーゼは、ナチス研究によって否定された[4]。

残念ながら、マーザーの著述批判するほどの知見は私にはないので、Wikipedia記述修正することは今の所無理だが、同ドイツ語版ページには上の引用の直前にこうも書かれている。

メーザーの文書館での作業資料二次文献の知識、同時代証人専門家との接触調査方法は、初期の著作では歴史学基準を満たしていたため、ナチス歴史に関するこれまで知られていなかった詳細を文書発見したことは、研究衝動として認められた。例えば、マーティンニッセンは、事実をつなぎ合わせることに関しては、メーザーが多くの専門的な歴史家よりもはるかに優れていると見ていた。

しかし、多くの専門家たちは、彼のこうした事実の扱いを批判した:例えば、カールディートリッヒ・ブラッハー、ロバート・G・L・ウェイト、ジークフリートシュヴァルツは、ナチス時代に関する著書の中で、彼が他の著作からバラバラの詳細を集め、歪曲したやり方でそれらをつなぎ合わせ、本質的事実とそうでない事実区別をつけなかったと非難した。

ドイツ歴史研究界隈で物議を醸す歴史家だったことは確かなようではあるが、マーザー自身ホロコースト否定していないようではあるが、ニュルンベルク裁判被告拷問をしていたと記述していた点は、どうも日本人歴史修正主義者にはかなりのお気に入りのようではある。

 

そして、「被告に対する暴行弁護団への不法行為」より下の項目を読んでいくと、もはや修正主義者の独演会になっている。例えば「不起訴になったカティンの森事件」という項目があるが、カティンの森事件修正主義者・ホロコースト否定派の大のお気に入りで、何故かといえば、ソ連ゴルバチョフ書記長時代実施された情報公開政策グラスノスチ」により、カティンの森事件ソ連犯行であることが、ソ連自身によって文書証拠付きで示され、ソ連がそれまでナチスドイツ仕業だ!と言っていた、そのソ連の主張が嘘であることが確定したかである

 

ホロコーストに関しては、ユダヤ人絶滅ほとんどが、ソ連地域第二次大戦結果的終戦まてにソ連占領した地域で起きたとされていることから否定派はホロコーストソ連捏造だ!と主張してきたので、カティンの森事件ソ連による嘘だと確定したことには大喜びなのだ。つまり修正主義者たちは「ほらみろ!ソ連は嘘つきだと判明したじゃないかホロコーストだってソ連の嘘に違いない」と言いたいのである

 

からこそ、ニュルンベルク裁判の内容にはほとんど関係のない、カティンの森事件についてまで記述されているとしか考えようがない、だいいち記事中に書かれている通り、ニュルンベルク裁判では審議の対象にすらなっていないのだからほとんど書くべき内容はないはずである事実英語版ウィキペディアのニュルンベルク裁判の記事では、たった一文「西側検事たちは、審理全体に疑念を投げかけることを恐れてカティンの罪を公に否定することはなかったものの、懐疑的であった[160]」と書いてあるだけで、日本語版のように項目にすらなっていない。

 

続く項目は、カティンの森事件以上にホロコースト否定派が大好きな「発見されなかったヒトラーユダヤ人絶滅命令計画書」だ。ホロコースト否定派はヒトラーユダヤ人絶滅命令書は存在しない!というテーゼを抱えて絶対に離さない。個人的には、もしホロコースト連合国ユダヤ人による捏造なら、それこそヒトラー命令書が捏造されていないことは、極めて不自然ペラ一枚捏造するくらい造作もないだろw実際、文書資料として残されているT4作戦ヒトラー命令書(承認書)は簡素ものだった)だと思うのだけど、ホロコースト否定派はそんなコマケェ話は気にも留めない。命令書が存在していないのだからナチスドイツユダヤ人絶滅など作り話に違いない!、という鬼の首なのである

 

しかし、そこには書いてないが(何故それを書かないのかわからないが)、歴史家のほとんどは「ヒトラーによる命令は口頭でなされたのであろう」と考えている。詳しくはここでは書かないが、それなりに間接的な証拠がいくつか存在するからだ。ヒトラー自身が強烈な反ユダヤ主義者だったことを否定する研究者は存在しない。それは修正主義者ですら認めている(アホなネット否定派の中には認めない人もいるが)。ナチ党自身反ユダヤ主義者の集まりであった。「ユダヤ人を殺す」とする趣旨記述を持つ当時のドイツ文書は腐るほどあるのである。例えば、リトアニアユダヤ人を殺しまくっていた親衛隊将校によるイェーガー報告書という文書を読んでみるといい。そこにはユダヤ人を全員殺したかった」とさえ書いてある(全員はその地域労働力の保存の意味で殺せなかったから不満を言っているのである)。それら諸々の記録などを調べていたら、ヒトラー命令がなかったことは非常に考え難いのだ。

 

ともかく、日本語Wikipediaニュルンベルク裁判に関する以降の記述項目もほぼ全て、ホロコースト否定派・修正主義者による記述だと断定していいだろう。ニュルンベルク裁判についての解説として、まともなのは記事の前半くらいなのだ。それが、履歴を多少確認する限り、かなり以前から放置されてきたようなのだ日本人ニュルンベルク裁判などほとんど関心がないからだろうか?

 

私自身は、このニュルンベルク裁判を大幅に書き換えるほどの知見はまだ持ってない(細かいことな可能ではあるが…)し、他のホロコースト関連記事で多少活動している程度である。それらの他の記事でも、実際のところホロコースト否定派と思しき奴らの記述散見されるし、しかも奴らの記述をあまりにも大幅に書き換えたり、あるいは削除したりすると「削除しないでください!」と履歴欄でクレームをくらうことは頻繁だし、最悪な時は編集合戦と認められて、保護状態にされてしまたことすらある。Wikipediaは厄介で、敵対する相手とも共同編集せざるを得ないため、とんでもなく面倒なのであるしかも、ホロコースト否定に対抗する場合、「要出典」とならないように、可能な限り出典を明示するべきなのだけれど、日本語圏では壊滅的にホロコースト文献を得るのは至難の業なのである。どうにかこうにか、若干の日本語文献と、ネット上の文献を駆使してはいるが、とにかく図書館に行っても、適切な文献を見つけることは困難なのである。稀に洋書を見つけることはあるけれど、そもそもすらすらとは読めない…。

 

ところが、否定派の連中ときたら、平然とその出典部分を修正主義者のサイトから持ってくるのである。有名なのは歴史修正主義研究会で、こちらには大量の欧米修正主義者による論文日本語訳が公開されていて便利なのだ。そして、もう少し知恵の働く修正主義者はこの歴史修正主義研究会のサイトを経由して、欧米修正主義者サイトにある資料典拠としたりする。あるいは酷い人になると、どこの誰が作ったのかもよくわからない怪しげな歴史修正主義者のサイトにある記述を出典とする人もいて、Wikipediaのガイドラインなんざガン無視していることすらある。

 

多分、語圏の広い英語版だと、修正主義者よりはるかにそれに反対する人たちが多いかなのだと思うけど、英語版ホロコースト関連記事ではほぼそんなことにはなってない。英語版修正主義者の記述を見つけることはほぼ全くないと言っていい。しかし、日本では以上の有様なのだ。私はここ増田で何度も日本にもホロコースト否定派は多い」と言ってきたと思うのだけれど、それを問題に思う人も少ないのかもしれない。実際、ホロコースト否定日本ネット上での存在を知って、ホロコースト否定論への反論ほぼ日本語では存在していないことを知ったから、数年前から、主に海外記事翻訳してnoteを通じて公開してきた。

 

アンチ・ホロコースト否定論のマガジンまとめ|蜻蛉

 

勝手翻訳公開するのは著作権がどうのと言われたこともあるが、人力でAI翻訳しているだけとでも思って欲しい。私の翻訳がしばしばハルシネーションを起こしているのは私が生身のAIである証拠(笑)

 

誰か手伝って欲しいという気持ちは正直なところだし、ここ数年、大量のネット上の海外記事翻訳し続けてきたし、それら記事に辿り着く人もそこそこ増えてはいるようだし、最近はもういいかなとも思い始めてはいる。結局、多数の賛同を得られないのであれば、それはそれでしょうがいかなという気もしている。ネット上の否定派たちは、私からみる限り、どこからでも湧いてくるように増殖する、ように見える。正直、キリがない。一応趣味でもあるから、完全に辞めることはないとは思うけど、ともかく、どうしてこんなにデマに弱い人が多いのか、よくわからない。

 

オマエモナー」と言われるかもしれないが。

2024-05-31

anond:20240531095923

ごめんな、今は平社員だけど一流大学通ってたか文化資本受けてたんだわ

嫌味になるから言わなかっただけで

英語の本も好きだから五十冊くらい洋書屋で買って読んだり、都立多摩図書館でお硬い洋雑誌片っ端から読み漁って知的生き方してた


資格教養必要な界隈に入れない底辺コンプレックス刺激しちゃってほんとにごめんな

努力もしないし人を殴りたいだけの田舎のド底辺が読む事を想定してなかったからさ

ほんとに悪かったな

東京文化資本百番煎じ

そもそも文化資本定義とは

フランス社会学者ピエール・ブルデューによって提唱された社会学における学術用語の一つであり、金銭によるもの以外の、学歴文化的素養といった個人的資産

とのこと

東京には個々人が様々な文化資本教養体験を積める場所が多くある。以下例を挙げると

A. 一流大学で行われる授業や研究、一流の文化人講師を務める講座、芸能人が集まるテレビスタジオクラブ

  日本リーディングカンパニー経営者が集まる会合大型書店の専門書・洋書コーナー、

B. 野球サッカーコンサート等が頻繁に開かれる球場美術館博物館、かつては若者文化の発信地だった渋谷原宿オタクが集まる秋葉原、金と欲望暴力歌舞伎町六本木

  デート観光釣り野宿もできるお台場マルチ商法詐欺師がカモを連れ込む新宿喫茶店外国人と話ができるカフェバー瀟洒議員会館の威容

等々、文化的体験を積める場所は数え切れない

また、一流大学や一流タレントだけでなく、準一流大学アイドルの卵など、場は階層も深い

資格教養が無いと参加できない場もある(主に上記Aで挙げた場所)し、誰でも参加できる庶民場所もたくさんある(上記Bで例に挙げた場所

多様な経験ができる事と、その厚みが厚い事(日本語が下手)が東京文化資本とやらだと思う

なので美術館博物館以外の東京文化資本と言えば、たくさんありすぎて列挙する事すら大変だと思います以上終わり

2024-05-30

anond:20240530175720

プロ代々木駅近くの紀伊国屋洋書売り場で過ごしてるから

あれが新宿一の文化資本だと思うよ

美術館やら博物館やらの薄っぺら文化資本論してる人達と違って真の教養ある人間しか楽しめない場所だし(増田のお手本みたいなマウンティング

昔は全フロア書店楽しい場所だった

2024-04-22

高卒派遣(21)に張り合われてしんどい

アラサーになり、人生で初めて高卒指導する立場になった。

東北田舎で生まれ育った彼女の考え方が新鮮すぎたのでログを残しておく。

まず、彼女が話す雑談家族の話が多い。次に自分のこと、そして最後地元の話。

そして、それら以外の話題が極端に少ない。

すでに18で成人し、社会人になって数年たつというのにいまだに「母親に○○って言われて云々」」「母親ダメって言われたから云々」と、

成人した女性であれば親に許可を取る必要もなさそうなことまですべて母親にお伺いをたてているようである

また、基本的コミュニケーションの取り方は

会話の中で出てきた単語を拾って「「○○って言えば~」と会話の流れをぶった切り、

自分語りを始めるというものである

例えばワイが上司東京の美味しいフレンチのお店を教えてほしいと頼み、

上司がお店の名前を挙げながらそれぞれの特徴を話していたとしよう。

私がふんふんと相槌を打ちながら上司を持ち上げながら話を聞いているところに

突如として彼女は「東京っていえば私中学生の時に修学旅行でいって、それで○○っていう出来事があって...」と話し始めるのである

もちろん大人なので口に出しこそしないが、あたり一帯に戸惑いの空気が流れたことは一度や二度ではない。

かにもやたらと張り合われるのは単純に仕事ノイズになるのでやめてほしいのだが、これもどう伝えたらよいかからない。

本社から派遣された大卒総合職地方出身高卒派遣社員よりも知識経験が上回るのは当たり前で、

今できないことをきちんと認識して、できるようになればいいだけの話。できないことをできると偽り、やったと報告されたタスクは未完了で、

何度尻拭いをしたかからない。

私は背が小さくからよく羨ましいって言われる(どやあ)っと宣っており、結構なことである

ワイは背が高くてすらっとした自分の体型が気に入っているし、親に感謝してるよ。口には出さないけどね

地方出身なので休日ちょっと美術館に行くとか、洋書を多く取り扱う本屋が近くにあるとか、

そういった状況にないことが当たり前なので、そもそも不便を感じてなさそうである

2024-03-07

anond:20240307032818

単純に海外比較すると文化が違い過ぎて日本にはフィットしないと思う。考え方が古い新しいに関係なく文化の違い。

日本の本の装丁を見れば分かるけど海外の本と比べても豪華。帯付き、箔押し、見返し、PP加工、

洋書の汚れてても破れてても字が読めればいい的な味気なさに比べて所有欲も満たせてくれるのが日本の『書籍』。

本好きにも2種類あって文字が読めればいいという活字中毒タイプと、本を所有することで心の隙間を埋める積読タイプがいる。

活字中毒は読むものがなければ中刷り広告も読むみたいなジャンキーなので電子書籍文化と相性がいいけど

積読ラーはやっぱり紙の本買ってなんぼなんだよな。

セールポイントにしてもジュンク堂は各種ポイントに加えてhontoポイントも2重で付けて実質値引き販売してるけど、

町の小さな書店手数料バカらしくてやってられないだろう。みんながみんな大手amazonのようにはできないよ。

後生き残るにはどうすればいいか普通に買ってやる、万引きしないは大前提として、顧客管理キモなのかなと。

固定客、リピーターを増やしてその人に合いそうな本を勧める(amazonですでに導入されてるが)。

2024-02-27

洋書技術書とか読んでると

最近の時勢を反映して人称代名詞she統一してる本とかによく出くわすんだけどtheyとかthe personとかじゃ駄目なんかって思う。

単純に1文字追加するだけだから楽なんだろうけど。

あととりあえず批判されない安全な方向に倒しておけばいいみたいな感じなのがなんか嫌。

2024-01-02

英語学習界隈で辞書引きながら洋書ガンガン読みまくるのを推奨されてるけど

センテンス全部に対訳ついてる洋書なんぞほぼないのにこれやってるのリスク高くね?

大学入試院試英文もそうだけど、たった1Pそこらよ英語長文でも辞書使って誤読せず読める受験生なんぞほぼおらんぞ

2023-12-27

anond:20231227135116

それは単にヨーロッパ人日本人より英語の習熟が速いか自国語でやる必要がなかっただけだね

英語論文文学を読むための英語参考書」は普通にいっぱいあるよ

英語圏のネイティブでも何の訓練もなしに論文文学は読めないから当たり前だけど

 

日本英語本が「英語論文文学だけを読むのに特化した日本語の参考書」になってるのは、

リーの上の方でも言ったけど明治大正昭和日本知識階級洋書を輸入してそれを読むのに使った英語下地になってるからだね

ドイツ語文法書とかも同様の事情

anond:20231227031513

スラム向けもビジネスパーソン向けも単なる社会方言の違いであってコミュニケーションのための英語という点で同じだよ

それをいくら勉強しても文学や高度な論文は読めるようにならない

 

逆にそういうのを読むのには日本英文法書は向いてるというか、もともとそういうのを読むために整備された英文法から

明治大正昭和知的階級洋書を取り寄せて技術科学を学んだり英文学研究するのに使った文法

2023-12-01

プログラミング関係以外の書籍って、電子書籍含めてなくなるんかねぇ

まず和書はなくなるでしょ。

皆が洋書読めってなるけど、数万もするような洋書を皆が買えるわけがない。

から書店はなくなって、日本電子書籍漫画だけになる。

税金表現の自由に関わるから書籍に注ぎ込めないでしょ。

動画?そんなアクセス数稼げんでしょ。

2023-11-26

anond:20231126104833

俺が大学生の頃、理解できないのは俺の頭が悪いだけなんだろうなとか思っていたんだけど、洋書最近日本語教科書は分かりやすいんだよな。

普通に昔の日本語教科書が分かり辛いだけだった。

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