はてなキーワード: 非難とは
【Google翻訳】
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Pot calling the kettle black...
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目糞鼻糞を笑う。。。
推しがキショおじだったよ
推しといえど人間、人間だから清廉潔白じゃない、いっぱい耐えたけど最近ついにダメになった
このあたりまではそういう人なんだな~で済んでた。
昭和のおじさんってこんな感じの人多いし。
このあたりから雲行きが怪しくなってきました。
右翼とか反ワクとかが可愛く思える。
作品と人間性は別、と思いたかったけど、もうこの人の参加してる作品ってだけで鳥肌立って無理。
この人を何も知らずにいまだに応援してる人たちを見ると悲しくなる。もちろん作品に罪はないんだけど。
しかも手口がいつも一緒で、「仕事は頑張ってるけど辛くて死にたいと思うときもある」って弱みをみせてすり寄って、慰めると「君のおかげで明日も頑張れる」って言って毎日DMが来るようになる。
そのうち「癒されたい」とか「抱きしめたい」とか「やわらかそう」ってベタベタした内容になって、それにはっきり「やめてください」って言わないと「一生懸命好きでいてくれるって伝わった」、「俺に全部捧げてくれるって気持ちが嬉しい」、「本気で好きになったから付き合おう」って言う。
その感じ取った気持ちが全部全部勘違いで、「そういうつもりじゃなかったです、ただファンなだけです」って断った私も友達もブロックされた。
「実はこういうことがあって」って相談した友達から「え、私も…」って言われたときのゾッとした気持ち忘れられない。
「ファンとして好き」と「恋愛対象として好き」は違うからね??
「ファンとして好き」でいるだけの純粋な人間を「本当のファンじゃない」って傷つけて切り捨てて「みんなを笑顔にする作品を作りたい」って語ってるのホント寒いからね??
家族と、純粋なファンを悲しませることしてる時点で、何言っても薄っぺらいからね?????????
単なる目先の生活のためが圧倒的に大多数
経営者はみな頭を抱えることになる
***
***
『市川房枝集』に収録されてる
1930年に書かれた『現代の婦人問題』という文章にはこうある
まったく見られないといっても差し支えはない。」
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黒澤明が戦時中に監督した国策映画『一番美しく』を見るとわかる
***
そのころの大学進学率はせいぜい30%台な
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『「育児休職」協約の成立 高度成長期と家族的責任』(勁草書房)
という本によれば、1968年の専売公社職員の女性比率は43%(1万5600人)
平均年齢は35歳、平均勤続年数は16.4年、半数以上が既婚、82%が製造職
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東京商工会議所は女性の軽労働について時間外労働(1日2時間)の制限を撤廃
左翼フェミではなく資本の側が女性労働の制限撤廃を主張していた!!!!
***
実際にあったのは「すでに働いてる女も男と同待遇にしろ運動」な
それが実現したのが1985年の男女雇用機会均等法なのだが……
***
「この法そのものが、職場での男女平等を進める労使の合意によって生み
だされたものではなく、国連の婦人差別撤廃条約を批准するため政府が成
立を急いだという色彩が強いことから、「お役所仕事として、性急にコト
を運ばれては困る」(大手通信機メーカー)という批判も出ている。」
「西欧諸国の中には「安い女子労働で支えられた日本の集中豪雨的な輸出
が貿易摩擦を生んでいる」と非難する向きもあり、同省は「こうした誤解
――雇用機会均等法の成立は左翼フェミや労働組合の要望もあったが
俺も当時の事情を調べ直してこの辺の経緯を知ったら驚いたが
***
という論旨なのであるが
***
いまだに定期的に
論者がくり返し何度も飽きずに出てくるが
悪いけど完全に的外れなんだよ
ま、絶対に信じたくないだろうけどね
もっとも手っ取り早い解決策として、「柚子湯やリンゴ湯など物を浮かべるイベントそのものを廃止する」案が多く見られる。
しかし、「本来の楽しみを奪うのは残念」という人も多く、完全中止には抵抗がある。
果物を壊されないようネットや鉄籠に入れて鍵をかけて浮かべる。
しかし「壊される可能性が残る」「そもそもそこまでコストかけるほどの価値があるのか」という疑問が多い。
「監視カメラはプライバシー上設置できない」「一度潰した人間を出禁にできればいいが特定が難しい」という指摘。
張り紙やスタッフ巡回で注意喚起を強化する方法を提案する声もあるが、行為そのものを未然に防ぐのは難しい。
そもそもイベントとして果汁抽出を前提にしてしまい、最初から潰した柚子や入浴剤で香りを演出する形にする。
ただし、皮や繊維が散らばる問題は解決できないため、掃除の大変さは残る。
掲示板の書き込みを見る限り、店側には「マナー違反者を見つけて罰する手段がなく、防犯カメラも設置できない」という無力感があり、利用者も「潰すのは非常識」という意見と「果汁を出してあげる善意」という認識が混在し、対立が生じている印象です。そのため、根本的に解決するには次のような点が議論され続けています。
いずれの方法にもデメリットがあるため、「事実上の解決策がほとんどない」という投稿者の嘆きが目立ちます。一部の迷惑行為が原因で、すべての人が快適に過ごせなくなるという点が、本問題の最大のジレンマといえるでしょう。
私たちは兄妹でありながら、あることをきっかけに深い関係になってしまいました。この話は、私たちが経験したことを正直に綴った体験談です。読んでくださる方々には、私たちの気持ちや状況を理解していただければと思います。
私たちは幼い頃に両親を亡くし、祖父母に育てられました。祖父母は愛情深く、私たちを大切にしてくれましたが、経済的には厳しい状況が続いていました。兄の私は、妹の面倒を見ることが当然だと思っていました。妹は私を慕い、何かあればすぐに相談してくるほど、私たちの絆は深かったです。周囲からも「仲の良い兄妹」と言われることが多く、私たち自身もその関係を当然のことと思っていました。
幼少期の思い出は、今でも鮮明に覚えています。妹が初めて自転車に乗れるようになった日、私が後ろで支えながら何度も練習したこと。雨の日に傘をさして一緒に学校へ行ったこと。祖父母が忙しい時には、私が妹の食事を作り、彼女が泣きそうになると必ずそばにいて慰めました。私たちはただの兄妹ではなく、互いの支えであり、心の拠り所でした。
時が経ち、私たちはそれぞれ大学生になりました。私は地元の大学に進学し、アルバイトをしながら家計を支えていました。妹は遠方の大学に進学し、寮生活を始めました。物理的な距離ができたことで、私たちの関係にも少しずつ変化が現れ始めました。妹は新しい友人や恋人を作り、自分の世界を広げていきました。しかし、彼女はいつも私のことを気にかけていました。私もまた、妹のことを心配しつつも、自分の人生を歩み始めていました。
大学生活は、私たちにとって新たな挑戦でした。私はアルバイトと学業の両立に追われ、妹は新しい環境での生活に慣れるのに必死でした。それでも、私たちは定期的に連絡を取り合い、お互いの近況を報告し合っていました。妹が初めて彼氏ができたと報告してきた時、私は複雑な気持ちになりました。彼女が幸せそうに話す姿を見て、嬉しい反面、どこか寂しさも感じていたのです。
ある夏休み、妹が実家に帰省した際、私たちは久しぶりに一緒に過ごす時間を持ちました。その中で、私たちはお互いに対する感情が以前とは違うことに気づきました。幼い頃からの絆はそのままに、そこに新たな感情が芽生えていたのです。最初は戸惑い、混乱しました。兄妹としての関係を越えることは、社会的にも倫理的にも許されないことだとわかっていました。でも、その感情を抑えることができませんでした。
私たちは長い時間をかけて話し合いました。兄妹としての関係を壊すことなく、この感情をどう扱うべきか。最終的に、私たちは事実婚という形を選びました。法律上の婚姻関係にはならず、社会的な承認も得られないことは承知の上でした。でも、私たちにとってはこれが最善の選択でした。
事実婚を選んだことで、私たちは多くの困難に直面しました。周囲の理解は得られず、非難や中傷を受けることもありました。祖父母は当初、私たちの選択を理解できずにいました。彼らにとって、兄妹が事実婚するというのは受け入れがたい現実でした。しかし、時間をかけて話し合い、私たちの気持ちを伝えることで、少しずつ理解を示してくれるようになりました。
友人たちの反応も様々でした。中には私たちを支持し、応援してくれる人もいましたが、多くの人は困惑し、距離を置くようになりました。特に妹の友人たちは、彼女が兄と事実婚するという選択に驚き、戸惑いを隠せないようでした。でも、私たちはお互いを支え合い、この道を歩み続けました。
兄妹としての絆と、パートナーとしての愛情を両立させることは簡単ではありませんでした。私たちは常にバランスを取りながら、お互いの役割を見つけていきました。例えば、家庭内での役割分担や、お互いのプライバシーを尊重すること。兄妹としての関係を保ちつつ、パートナーとしての信頼関係を築くことは、時に難しいこともありましたが、私たちにとってはそれが自然なことでした。
経済的な面でも、私たちは協力し合いました。私はアルバイトを続けながら、妹の学費をサポートし、妹もまた自分のできる範囲で家計を助けてくれました。私たちは共に目標を立て、将来の計画を話し合いました。例えば、将来的には家を購入し、安定した生活を築くこと。そして、可能であれば子供を持つことも考えていました。
社会的なプレッシャーは常に付きまとうものでした。私たちは時には世間の目を気にしながら生活しなければなりませんでした。でも、私たちはお互いを信じ、この関係を守ることを誓いました。兄妹としての絆はそのままに、新たな形の愛を見つけることができたと思っています。
今では、私たちはこの関係を受け入れ、前向きに生きています。兄妹としての絆はそのままに、パートナーとしての愛情を育むことができました。この体験が、誰かの心に何かを残せればと願っています。私たちの選択が正しかったかどうかは、時間が証明してくれるでしょう。でも、今この瞬間を大切に生きることが、私たちにとっては一番重要なことなのです。
最後に、この体験談を読んでくださった方々へ。私たちの選択は、必ずしも全ての人に受け入れられるものではないかもしれません。でも、愛の形は一つではないということ、そして家族の絆がどれほど深いものであるかを、少しでも感じていただければ幸いです。私たちはこれからも、お互いを支え合い、この道を歩み続けます。
私たちは兄妹で事実婚をしました。この話を聞いて、多くの人は驚き、戸惑い、あるいは拒絶反応を示すかもしれません。でも、これは私たちの現実であり、私たちが選んだ道です。この体験談が、誰かの心に何かを残せればと思い、正直に綴ります。
私たちは幼い頃に両親を亡くし、祖父母に育てられました。祖父母は愛情深く、私たちを大切にしてくれましたが、経済的には厳しい状況が続いていました。兄の私は、妹の面倒を見ることが当然だと思っていました。妹は私を慕い、何かあればすぐに相談してくるほど、私たちの絆は深かったです。周囲からも「仲の良い兄妹」と言われることが多く、私たち自身もその関係を当然のことと思っていました。
幼少期の思い出は、今でも鮮明に覚えています。妹が初めて自転車に乗れるようになった日、私が後ろで支えながら何度も練習したこと。雨の日に傘をさして一緒に学校へ行ったこと。祖父母が忙しい時には、私が妹の食事を作り、彼女が泣きそうになると必ずそばにいて慰めました。私たちはただの兄妹ではなく、互いの支えであり、心の拠り所でした。
時が経ち、私たちはそれぞれ大学生になりました。私は地元の大学に進学し、アルバイトをしながら家計を支えていました。妹は遠方の大学に進学し、寮生活を始めました。物理的な距離ができたことで、私たちの関係にも少しずつ変化が現れ始めました。妹は新しい友人や恋人を作り、自分の世界を広げていきました。しかし、彼女はいつも私のことを気にかけていました。私もまた、妹のことを心配しつつも、自分の人生を歩み始めていました。
大学生活は、私たちにとって新たな挑戦でした。私はアルバイトと学業の両立に追われ、妹は新しい環境での生活に慣れるのに必死でした。それでも、私たちは定期的に連絡を取り合い、お互いの近況を報告し合っていました。妹が初めて彼氏ができたと報告してきた時、私は複雑な気持ちになりました。彼女が幸せそうに話す姿を見て、嬉しい反面、どこか寂しさも感じていたのです。
ある夏休み、妹が実家に帰省した際、私たちは久しぶりに一緒に過ごす時間を持ちました。その中で、私たちはお互いに対する感情が以前とは違うことに気づきました。幼い頃からの絆はそのままに、そこに新たな感情が芽生えていたのです。最初は戸惑い、混乱しました。兄妹としての関係を越えることは、社会的にも倫理的にも許されないことだとわかっていました。でも、その感情を抑えることができませんでした。
私たちは長い時間をかけて話し合いました。兄妹としての関係を壊すことなく、この感情をどう扱うべきか。最終的に、私たちは事実婚という形を選びました。法律上の婚姻関係にはならず、社会的な承認も得られないことは承知の上でした。でも、私たちにとってはこれが最善の選択でした。
事実婚を選んだことで、私たちは多くの困難に直面しました。周囲の理解は得られず、非難や中傷を受けることもありました。祖父母は当初、私たちの選択を理解できずにいました。彼らにとって、兄妹が事実婚するというのは受け入れがたい現実でした。しかし、時間をかけて話し合い、私たちの気持ちを伝えることで、少しずつ理解を示してくれるようになりました。
友人たちの反応も様々でした。中には私たちを支持し、応援してくれる人もいましたが、多くの人は困惑し、距離を置くようになりました。特に妹の友人たちは、彼女が兄と事実婚するという選択に驚き、戸惑いを隠せないようでした。でも、私たちはお互いを支え合い、この道を歩み続けました。
兄妹としての絆と、パートナーとしての愛情を両立させることは簡単ではありませんでした。私たちは常にバランスを取りながら、お互いの役割を見つけていきました。例えば、家庭内での役割分担や、お互いのプライバシーを尊重すること。兄妹としての関係を保ちつつ、パートナーとしての信頼関係を築くことは、時に難しいこともありましたが、私たちにとってはそれが自然なことでした。
経済的な面でも、私たちは協力し合いました。私はアルバイトを続けながら、妹の学費をサポートし、妹もまた自分のできる範囲で家計を助けてくれました。私たちは共に目標を立て、将来の計画を話し合いました。例えば、将来的には家を購入し、安定した生活を築くこと。そして、可能であれば子供を持つことも考えていました。
社会的なプレッシャーは常に付きまとうものでした。私たちは時には世間の目を気にしながら生活しなければなりませんでした。でも、私たちはお互いを信じ、この関係を守ることを誓いました。兄妹としての絆はそのままに、新たな形の愛を見つけることができたと思っています。
今では、私たちはこの関係を受け入れ、前向きに生きています。兄妹としての絆はそのままに、パートナーとしての愛情を育むことができました。この体験が、誰かの心に何かを残せればと願っています。私たちの選択が正しかったかどうかは、時間が証明してくれるでしょう。でも、今この瞬間を大切に生きることが、私たちにとっては一番重要なことなのです。
最後に、この体験談を読んでくださった方々へ。私たちの選択は、必ずしも全ての人に受け入れられるものではないかもしれません。でも、愛の形は一つではないということ、そして家族の絆がどれほど深いものであるかを、少しでも感じていただければ幸いです。私たちはこれからも、お互いを支え合い、この道を歩み続けます。
この世代は、就職難や経済的困窮といった課題に直面し、その影響が雇用や金銭面だけでなく、人間関係にも大きな影響を及ぼしていると思う。
以下、そう思う理由を挙げる。
就職難によって正社員としての道を閉ざされた人が多く、その結果、親との関係が悪化しているケースが多いと思われる。
この世代の親は「努力すれば報われる」と信じる価値観を持っている。逆にいえば正社員になれなかったのは子が怠けているからだろうと考える。
そのため、親が子どもが正社員になれないことに対して苛立ちを感じ非難し、子が嫌気をさし、親子関係が疎遠になったケースは多いのではないだろうか。
氷河期世代は、同じ年代でありながら、正社員として安定したキャリアを築いた人と非正規雇用やフリーターに留まった人に明確に分かれた。
この格差により、学生時代の友人と価値観や話が合わなくなり、疎遠になるケースは多いと考えられる。
正社員として安定した生活を送る人と、非正規雇用で厳しい状況にいる人が集まると、生活水準や将来設計の違いから微妙な空気が生まれ、お互いに気まずくなり疎遠になったケースは多いのではないだろうか。
就職氷河期の経験から、企業や社会そのものへの不信感を抱える人が多いように思う。
この世代は希望の職種に就けなかったり、過酷な労働環境で使い捨てられるような経験をもっている人が多い。
結果として職場の人間を心の底から信じてはおらず積極的に関係を築こうとする意欲を失った人が多いと思われる。
ネットニュースではZ世代が職場の飲み会に来ないと話題になることがあるが、筆者の観測範囲では氷河期世代の方が職場のイベントに淡泊な人が多い気がする。
悪党が被害者を口封じし、知らん顔してテレビに出演し続けていた
全国に知れ渡るような不祥事を働いたけど非難されたくないは無理だわ
そして全国に知れ渡っている以上、大勢があれこれ騒ぐのも当たり前
これをリンチと呼ぶのなら、犯罪者を悪く言うことだってできなくなる
きったねえキンタマパチパチぶつけられてむさ臭い体引っ付けられてきっしょい吐息ハァハァ聞かされて体液流し込まれる女性の苦しみを思い知れ!
終わったと思ったらお腹が重くなってイライラするし太るし働けなくなるし体ボロボロになって毎日泣けよ!
挙句の果てには出産とか言うこの世の拷問の極みが待ってて情けなくて恥ずかしい姿を視姦される屈辱を耐えてみろよ!
その後は目を離したら死んでしまう動物を年がら年中朝から晩まで休みなく弱音吐く間もなく育てる人生を全うしてみろ!
少しでも選択をミスれば子供が死んだり、チー牛になったり、虐待扱いされたりして、何とか育てても親の教育が悪かったと非難される理不尽を味わえ!
非難の目が向けられると、自己愛は物凄い勢いで、ありとあらゆるところに訴えて回ります。
先述の、子どもが夢中になっているゲームを突然オフにしてスコアを飛ばした自己愛親を例にとるならば、みんなが同じように嘲笑っていないと分かると、急に自己弁護にはしり出します。
「ゲームばかりするのは子どもの健康によくないですよね? 外で遊んだほうがいいですよね? 子どもが公園で遊ばないほうがいいというのですか? それは知りませんでした。ゲームが優先なのですね。これからは絶対に子どもを日光の下では遊ばせません。外に子どもがいたら家に帰ってゲームをしろ! と叱らなければなりませんね。学校にもあなたがそう言ったと伝えておきますね。あなたが正義なのだから日本中の子どもがそうならないといけませんよね。あれはしつけと教育だった。善意を誤解された」
「フジパンはなぜCMを差し止めないのですか」というご質問ですね。
この質問は、過去に歌手の倖田來未さんが「35歳を過ぎると羊水が腐る」と発言し、大きな問題となった際に、フジパンを含む多くの企業が倖田さんを起用したCMを自粛したという出来事と関連していると思われます。
なぜフジパンがCMを差し止めなかったのか、という明確な理由は公表されていません。 しかし、考えられる理由としては以下のようなものが挙げられます。
倖田さんとの契約内容によっては、一定期間のCM放映が義務付けられていた可能性があります。
契約解除には法的・経済的な手続きが必要で、すぐにCMを中止できない場合もあるでしょう。
今回の発言が、自社のブランドイメージに与える影響を総合的に判断し、CM継続を決めた可能性も考えられます。
多くの企業がCMを差し止めたのは、以下の理由が考えられます。
倖田さんの発言は、多くの女性から批判を受け、企業イメージの低下につながる可能性が高かったため。
契約内容やタイミングによっては、比較的容易に契約を解除できた企業もあったと考えられます。
誤った情報に基づいた発言を容認することは、企業の社会的責任に反すると判断した企業が多かったと考えられます。
メディアは、このような問題に対してどのような役割を果たすべきなのか。
企業がCMを差し止めるかどうかは、その企業の判断だけでなく、社会的な状況や契約内容など、様々な要因が複雑に絡み合っています。一概に「なぜ?」と問うことは難しく、それぞれの企業が独自の判断に基づいて決定していると考えられます。
この件は、芸能界だけでなく、社会全体に大きな影響を与えました。
しかし、男性、特に中年男性に対してはいまだに言いたい放題が許されており、当の中年男性もそれを受け入れている面がある。具体的には、チビ、デブ、ハゲ、短足、ブサイク、キモメンなどである。見た目だけでなく、クサい、暑苦しい、ダサい、汗かくな、風呂入れ、などもある。
さらには短パンに長い靴下を履いていたり、パーカーを着たり、ネルシャツを着たり、ズボンにシャツinしても恰好を揶揄される。だったら……とばかりにベルサーチのスーツでも着ようものなら「成金」「似合ってない」「中身とスーツが釣り合わない」など散々な言われっぷりである。
属性や生活スタイルについても中年男性は酷い扱いをされる。子供部屋おじさん、無職、40過ぎてバイト、引きオタニート、低年収、軽自動車所有、駐車する時にハンドルを何回も切る――。正直「余計なお世話だ!」と言いたくなるようなものですら、揶揄の対象として十分成立するのである。
しかし、同様のことを女性に向かって言えば間違いなく非難殺到となるだろう。さらに、そんなことをメディアで発言したら、そのメディアは謝罪するに至るし、発言者は謹慎となることだろう。
昨今男性芸能人の女性に対する接待に関する問題とその対応に大いなる疑問を抱いている。
男性芸能人だけでなく、おそらくその裏を仕切って居る誰か…TV局や何かしらの組織やコミュニティーも含めてだ。
まず、前提として女性側が望まない行為を要求されていたかもしれないとすれば、それは犯罪行為であり罰されるべきだ。
これは法律で定まって居る以上犯してはならない罪だと思っている。
しかし、何故加害者とする男性ばかりが責められる事態になっているのか?ここに問題があると思う。
一般女性、女性アナウンサー、女性芸能人問わず、接待に参加する女性は何らかの意図を持って参加しているはずである。
有名人と仲良くなりたい、権力者に気に入られたい、それにより何かしらの「おこぼれ」のようなものを期待して参加しているはずである。
リスクを承知の上で接待に参加しているのであれば、必ず何かしら「自分にとって好都合だから」という理由があるはずだ。
そこでもし、参加した女性自身が被害的な行為を受けるだけ受けて、期待していた「おこぼれ」に与れなかったとしたら、そりゃあ訴えたくもなるだろう。
恐らく、被害を訴えた女性達は、このような状況下にあったと思われる。
美しい容姿や才能に恵まれた女性は、その「女性性」を活用し、出来る限り良い思いをしたい、という本音が何故か無視されているような気がしてならない。
他の女性達や同業者の女性達より「良い立場」に立つ事を全く考えず接待に参加する女性は皆無だと思っている。
自分は選ばれた人間であり、有名人に気に入られる事で自己肯定感を上げ、さらに悦に浸り、最終的には出世や仕事や金銭の獲得を目論んでいるはずである。
つまり、接待に参加している女性は多かれ少なかれ「自分にとって利益がある」と思って参加していると思う。
もし、仮に全くそのような「自分にとっての利益」などが皆無で、強制的に接待に参加させられた女性が居たのであれば、それは大問題であり、
しかし、そうでない場合、女性側も自身の判断を今一度振り返るべきなのではないだろうか。
何故男性側だけが非難され、多額の示談金を支払う、という構造になっているのだろう。
何故女性側は、その目論見の甘さを追求される事はないのだろう。
女性はこういう場合、裁判でも世論でも「可哀想な被害者」として多くの擁護を獲得する事が出来る。
大きく世の中が変わっている。
そして、その変化のスピードはとてつもなく速い。
そんな時代という名の猛スピードで走る超大型トラックと激しい衝突事故を起こす人がいた。
もちろん褒められたものではない。
それが立派な行いだとは言えないだろう。
しかし、ほんの少し前、ひょっとしたらそれこそ数年前であれば、
で済んでいた可能性も大いにある。
世の中、そんなもんだよね、と被害者の女性自身が納得していたかもしれない。
それはもう許されなくなってしまった。
それまでの業界の慣習で、それは行われていたのだろう。
決して正しいことではない。
だが、それは許されていたのだ。
「通っていた」のだ。
厳密に言えば正しくないことだってたくさんしているはずだ。
彼らの行いだってそうだったと言えば言いすぎだろうか?
と思いつつ、犯罪になることではないし、
彼らも時代と激しく衝突した。
それでも彼らを愚か、と断じる気持ちは私にはない。
それまでは許されていたことが、ある日、それは許されざることとなっているのだ。
ただそこにある変化。
私は正直言うと怖い。
あやふやな根拠、単なる雰囲気、そのときの空気みたいなもので、
それまでは許されていたものが、
当たり前の世の中がやってくるのかもしれないと想像すると。
私達が住む、社会は危うい。
気づけないまま。
これは兵庫県知事が当選してしまったことなんかともリンクしている話だ。
もちろん直接的な関係ではないが、社会の変化という意味合いでは共通している。
無関係ではない。
私は本気で怖がっている。
ワイ:何故嘘松は嫌われるのでしょうか? たしかに嘘の話ではありますが、創作作品という視点で見れば嘘松は非難されるものでは無いという意見があります。ちなみに私も個人的に嘘松には不快感があります。
ChatGPT:嘘松が嫌われる理由にはいくつかの要素があり、人それぞれの感じ方によって異なります。以下に主な理由を挙げます。
1. 誠実さの欠如への反感
嘘松の問題点は、「創作であることを明示せず、実話として投稿する点」にあります。創作物として楽しむのであれば嘘であることは問題になりませんが、実話と偽ることで「読者の信頼を裏切る」行為と受け取られます。この「欺瞞」が、人々に不快感を与える主な原因です。
嘘松は多くの場合、「自分を良く見せるため」や「注目を集めるため」に投稿されます。そのような意図が透けて見えると、読者は「自己陶酔」や「構って欲しい」という動機に対して嫌悪感を抱きやすくなります。
読者は投稿が実話であると信じて共感したり、感情移入したりします。しかし後から「嘘では?」と感じた場合、その共感が「無駄にされた」と感じ、不快感に繋がります。
嘘松のエピソードは現実離れしていることが多く、「ありえない」「話を盛りすぎ」という印象を受けます。この「不自然さ」に違和感を覚えると、話そのものを楽しめなくなり、不快感を覚えます。
嘘松が特定の社会的状況や人物を舞台にしている場合、それが偏見や誤解を助長する可能性があります。このため、対象に関する不適切なイメージが広がることを懸念する人もいます。
嘘松が創作物として評価されるかどうかは、「虚構であることを正直に認めているか」に大きく左右されます。嘘松が非難されるのは、創作だと明示せずに事実であるかのように振る舞うからです。
ユーザーが不快感を覚えるのは、おそらく以下の要因によるものではないでしょうか
1. 「誠実さがない態度」に嫌悪感を感じる。
3. 嘘松投稿者の自己中心的な行動が、自分の価値観と合わない。
嘘松に不快感を持つのは自然な感覚ですし、その気持ちを大切にすることは悪いことではありません。ただ、他者の価値観や楽しみ方も尊重しつつ、適切な距離を保つのが良いかもしれませんね。