はてなキーワード: 無力感とは
九州の田舎へ帰省中に耳にした、テストの点数が良くなかった中学一年生に対する大人の言葉だ。
私はこの言葉は子供への思慮が足りていない軽率な言葉であると思った。
将来自分が何をするのかまったく分からない子供にこう言っても、その子の無力感を無闇に助長してしまう。
「勉強しないとなれない、つまり勉強できない私にはなれない」。
特に勉強に苦手意識を持っている子供にはそう思わせてしまうと私は思う。
なぜなら子供にとっては現在の勉強と将来との距離があまりにも遠いからだ。
自分の人生の歳月と同じ年月の未来のことなんて大人にだって想像できないのに。
遥かな未来と現時点での落差はその子に何を感じさせるだろうか?
頑張ろうと奮起する人間は少ないだろう、むしろ諦めの感情を抱く人間の方が多い。
大人が子供に対してやるべき事は「勉強しないとxxxになれないよ」という言葉足らずな助言をすることではなく
出来なかったことは急に出来るようになる
出来るようになったときは嬉しい
少しずつ出来るようになった道の先に将来がある
この3点を口で言うだけではなく、一緒に行動で示して上げることだと思う。
せっかく一緒にいるのに悲しい。
・自分も「二人でいるのに一人でいるみたい」とよく言われました
お互いに共有して一緒に楽しみたいんだよと伝えてる。
でも「分からないものは分からない」と突っぱねられて険悪な雰囲気になるので諦めた。
・意見がないのではなくあなたの求める正解がわからないのです、最初は無理やり捻り出してたはず
・ワーキングメモリ不足で前提情報の保持が困難です、毎回定義の宣言してもいいくらい
フレーム問題と似ていて相手の予想する範囲を都度予想するのですがまあ上手いことハズします
彼「テンキー?」
・不意に話しかけらると「窓のそばにいる」というだけではそれが前提条件にはなりません
手間かもですが空を指す、見上げるなどのジェスチャーを添えれば助かると思う
なぜなら感性が死んでて文脈読む能力が低すぎて会話にならないから。
・こちらからすれば回避不可能罰ゲームありノーヒントウミガメのスープという地獄です
なぜ毎回こちらが察するコストを払う前提の話をするのかとすら思います
それでも私のことは大事らしい。
・なので言葉でなく行動で示しているつもりなのです
・ふんわりした誘導は諦めてください、即時性を求めるなら議論の内容を明確に宣言する必要があります
たぶん私が本当に助けを求めたら専業主婦でいいよって言ってくれると思う。
ちなみにセックスは付き合ってる年数の半分はしてない。
・まあ大体そうなります、彼氏さんから声掛け出来る雰囲気ではないでしょう
まじでトップコメみたいな感じで食事中も無言だからテレビとか間が持つものがないとしんどい。よって外食はしない。
・食事は食事する時間という認識なので交流タイムという発想自体がないはず、ここもきちんと教育しましょう
そうやって自分が好きなことについて話してくれるのって嬉しいから、
彼にもそうしてほしいなって思うのって、恋人同士のコミュニケーションとしてそんなにわがままかなー。
・彼はセルフモニタリングができません、してもらってるからこっちも、なんて高度な芸当はあきらめましょう
彼はあなたが上手いこと反応してくれるその努力を一ミリも理解していないはず
おすすめは「俺のターン」と宣言してターン制にして交互に吐き出すこと
その際、話者にいい感じのリアクションを一切期待しないこと、壁打ちだと思ってただ吐き出す
自分がされたいことならまず相手に提供してみるものだと思ってそうしてた。もうしてないけど。
・あなたの努力がうまくて自然に見えてるだけ、意識して頑張ってるとはツユにも思ってないはず、言い聞かせろ
一緒にいる時間を双方向的に楽しもうって歩み寄る姿勢も見せてくれないのって悲しいよ。
・多分彼氏さんの趣味を蔑ろにしてませんか?あるいはそれが無意識に透けて見えるとか
相手の思惑は読めないが機嫌の良し悪しを読むことには人一倍長けているはずなので
なので全ての会話があなたの顔色を窺って意を決して行う一大事になってしまっている
ブコメにもあったけど向こうの家族とか職場ではどうしてるんだろうってのは私も気になってる。
なんてことない日常会話、雑談を「あなたと」したいだけ。映画がつまんなければつまんないことについて話したいし外でご飯食べればお皿綺麗だねーこれなんだろねーとかさ。
・趣味の話ならできるってことは、あなたとのそういう会話が苦痛になった経緯があるはず
ありがとうとごめんなさいが素直に言えるのは本当に良いところ。
・残念ながらこれはもう間違いなくパターン学習の賜物でしかないと断言出来る
この彼氏があなたが許せるタイミングでこれらを上手に吐けるはずがない
こういうタイプは安定するとほぼ増長するんですが、そうなってないのはあなたの努力の賜物です
しかしナチュラルに他人を逆撫でしては裏切ってしまう人種なのです
残念ながらこの溝が埋まることは決してありません
あなたがたにもうまくいく運用方法が見つかればいいなと思います
一応家庭の貯金だったけど、当時は専業だったし元夫が独身時代の貯金にそのまま貯めていたので、実質元夫の貯金だった。
家を建てる為に貯めたお金とか、諸々、2000万円以上溶かしてしまった。
元夫は、俺の金、俺の金、あれだけ頑張って貯めた俺の金が、一瞬で、俺の金返してよ、返してよーーーって、狂った様に泣いた後、うめいていた。
正直キモい、やった事は悪いとは思ってたけど、金への執着が酷すぎてさすがにドン引きして、最後は可哀想なものを見る目でしか見れなかった。
返金を請求されたけど離婚だし無い金は返せないので無理だった。
両親は自営業だったんだけど、コロナがきっかけで経営が厳しくなり、融資の為に貯金額が必要だって言われて、二百万ほど貸したら
そのまま連絡不通になり、心配して実家に行ったら、既に夜逃げしていた。
後で話を聞いた親戚には、そういう趣旨の連絡があったという。
私には一切謝罪無し。今も音信不通のまま、どこで何をしているのか分からない。
生活を立て直そうと思って、必死で働いて頑張って貯めたお金が、一瞬で消えて、何も分からなくなってしまった。
やる気が出なくて無力感と怒りで毎日泣いたり怒ったり悔しい思いをしていた。
ここまで追い詰められて、初めて元夫があそこまで怒り狂っていた理由がわかった。
私も私の金、私のお金返してって毎日夜中に怒り狂って泣いていた時に「同じだ……」って気がついた。
自分が同じになって、初めて私は酷い事を元夫にしてしまった事が分かった。
それまでは、離婚で借金も帳消しになり、寧ろラッキーって思った。
FXもギャンブルも懲りて止めれたから、痛い勉強代だったって思っていた。
何で私は、こんな風に生まれちゃったんだろうか……
元夫とも連絡が取れず、謝罪する事すら出来ない。
辛い……
暇だから
これは難しい・・・例えば仕事に関することも、仕事自体嫌々やっている所があるのでそこまで興味持てない。自分の特性的に興味ないことに自主的に取り組もうとは思わない(思えない)。
そもそも有意義かどうかは誰がどのような尺度で決めるのか?これは自分の主観で決めれば良い。要するにその暇つぶしで自己満足出来るかどうかであるが、何を持って自分が満足するのかという分析をしなければならない。これを完全に明確にすることは恐らく難しいだろうけども、一つの要素としては積み重ねというか、進歩してる感があると満足感を得やすいかもしれない。逆に言うと、変に数値化出来る指標があると、例えそれが本質的に(自分の中では)無意味であっても、それに固執してしまいがちではある。増田でいうとトラバやブクマ(ブコメでいうスター)であるが、これは要するに他者からの評価であるので、本当に自分がそれを求めているのか原点に立ち返って考えなければならない。伸びる増田を書く為のHow to的なことをマニュアル化したり、ブクマ数をコンスタントに伸ばすことが出来れば満足しそうではあるが・・・そこまで増田に熱意を持っていない、というより、根本的に能力が足りていない。何をしていても結局は自分の能力(+知識など)に向き合う必要があって、それは苦痛を伴う作業な訳だけども、それを乗り越えるために必要な一つの要素は、ある種のしつこさというか執着心なのかもしれない。何書いてるのか混乱してきた。とにかく一番書きたいことは仕事したくないというこであろう。おそらく。
・・・ここまで書いてきて自分がなぜ増田やはてブを辞めたがっているのか少しだけ分かった気がする。少なくとも一つの要素としては不満、それは要するに他人に勝手に期待して自分の思い通りにならないから駄々を捏ねているということ、があって、しかし他人の評価は自分ではコントロール出来ないので無力感を感じている、というかもしれない。これはそういうことを(不満に)思うこと自体が理不尽だと頭ではわかっているのだから、他人から評価してもらう為に努力する(それらの方法論について調べるとか???)(←これは自分の特性を考えても無理なのは明らかではないか?)か、あるいは他人への一切の期待を辞めて自分が本当に書きたいことがあるときだけ書く、という感じになるかな。完全に割り切るのは難しいと思うけど。どちらにせよ(←実質、他人に期待しない方法一択)自分を変える訓練というか、苦行を伴う面があるのでそれに耐えられないのであれば結局は辞めることになりそう。いずれは。結論としては、結局最終的には自分の内面とどのように向き合うかという、ひたすら内向きの思考をすることになるのだな。
Ogura.H
@dli_coipchirt
57秒
女性がちゃんと被害届を出した場合、起訴に至るケースは非常に高いです。検挙率も起訴率も高いので。被害女性の意思にかかわらず、警察が積極的に性犯罪を発見して、起訴に持ち込むべきと言いたいのでしょうか。
@nana77rey1
逆転無罪や、軽すぎる量刑、そもそも日本で性犯罪が起訴に至るケースはたったの1.1%。https://newsweekjapan.jp/stories/world/2024/12/530520.php
無力感に苛まれそうになる中で、#言葉つむぐデモ 行われました。
寒空の下、すべて性暴力被害者に連帯する人たちが次から次へ言葉をつむぎに来てくれました。
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※ もしこの文章を読んで不快な気分になる方がいれば、申し訳ありません。
※音声入力でスマホにメモした内容をChat GPTで直してもらった文章なので、読みづらかったらごめんなさい。
今回の年末年始休暇を利用し、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市と福島県双葉町を訪れた。震災当時、私は日本を離れ海外に滞在しており、テレビの画面越しにその映像を見ていたが、心が恐怖で拒絶しているのか、どこか現実感がなかった。
その後10年近く時間が経ち、ようやくYouTubeで津波の映像を目にする事ができるようになったがやはり実感が湧かず、「一度自分の足で現地を訪れ、体感してみたい」という思いになった。
実際に現地を訪れてみると、写真を見て想像通りの部分と想像を超える部分があった。
陸前高田では、津波で壊れた建物が震災遺構として残されている一方、広大な更地が続く風景が広がっていた。津波によって街全体が流され、人々の生活そのものが根こそぎ奪われた跡を目の当たりにし、普段は優しい海の圧倒的な暴力性に言葉を失った。Google Earthで震災前の衛星写真で家が並んでる所を見た後、何もない広大な更地をみると無力感を強く感じた。正直建物が壊れた学校などの震災遺構を見るよりも何もない広大な更地の方が胸にくるものがあった。
福島県双葉町では、駅前でレンタル自転車を借りて街を少し巡らせていただいた。
震災で崩壊した民家が13年経った今でもそのまま残り、帰宅困難地域の看板がいくつかあった。人がほぼ全くいない街の中で巡回する消防車のカンカンという音が響いており、申し訳ないが正直少し怖さを感じた。
今回訪れて学んだこと
一つ目は津波が来たら迷わず逃げること。家族や他人を助けたい気持ちがあっても、まず自分の命を守ることが最優先。高台に向かって一秒でも早く逃げることが必要。(津波てんでんこという言い伝えがあるらしい)
二つ目は、政府や権力者を盲信しないことである。震災や原発事故が起きた時、政府や権力者が提供する支援は「焼け石に水」レベルにもならないことが多い。双葉町の光景を目にして、以前訪れた満蒙開拓団記念館で聞いたエピソードを思い出した。当時政府の宣伝を信じて満州に移住した人々は、「豊かな土地で楽園のような生活が待っている」という言葉に期待を膨らませた。しかし、実際にはゼロから耕作を始め、他民族の土地を奪って生活せざるを得ず、戦争に敗れた後も男性がシベリアに抑留され、女性は酷い目に遭った。
これは政府に限らず、企業経営者や教育機関のトップなどでもどの組織でも同じかもしれないが、「限られた情報の中でも偉い人の言葉を鵜呑みにせず、自分の五感をフルに使って違和感がないかを確認する」とか、言葉通り「歴史に学ぶ事」が改めて大事だと思った。
駅員になって5年くらい、数日前に心が折れて休職中。
お客様対応で酷い目に遭ったとかではなくて、社内の人間で心が折れた。
常にマウント取ってくる男とか、一方的に期待して勝手にあれこれやらせてくる上司とか、改札の大変さを理解せずに仕事を手伝わない総括とか。
今時いんのかよっていう典型的なお局を始め、一度教えたからと放置するやつ急かすやつ、そんなののせいで休職せざるを得なくなった。新入社員のフォロー役をしていた私は今までのフォローには意味がなくて、助けられなかった自分の無力感に苛まれたし、そんな奴らと同じ空間で働くことがストレスだった。何もしない会社もクソだと思った。
そういうのが積み重なって数日前。
制作した書類に上司から指摘を受けたとき、こういう根拠でこう書いたと反論した。反論というかおそらく周りから見たらキレてるようにしか見えなかったと思う。自分でも今更思い出して引いている。あの時は絶対正常じゃなかった。
その件について総括から謝れと言われて、長いこと仲良くさせてもらっている先輩からも「謝ったほうがいい」と言われて、その時に「何故謝らないといけないんですか」と言った。その時くらいに心が折れた。糸がぶっつりと切れた。
休職とりあえず1ヶ月。
1ヶ月でなんとかなるかな。
明日も仕事にいかなくて良いと思うと、心から安心してる。本当によかった。
ここ最近、仕事中ずっとイライラしていた。イライラして、それが理解できなくてまたイライラして、お客様にイライラが出かけて理性でギリ押さえ込んで、自己嫌悪して、イライラしていた。心に余裕が無さすぎた。それから解放されて今はとても楽だし、今思うと自分おかしいとしか思えない。
仕事のことを考えると苦しくなる。時々頭が割れそうなほど痛む。心はいまだに余裕がなくて、呼吸が荒いような感じ。
でも駅の仕事は好き。それは今でも言える。理不尽なこともあるけど、やっぱり毎日ちゃんと動いてて、行った人が帰ってくる、誰かが信頼して使ってくれている駅や路線って良いものだと思う。改札対応も好きだと思っている。それは変わらない。
いつかまた帰りたいなあ。
いつも思うんだけど、こういうこと平然と言ってのける人間マジで了見が狭すぎてきつい
自分が株関連にたまたま適正があって、かつ今のところたまたま当たってるんだって思えないんだろうな
って書くと負け惜しみ言ってるみたいな感情しかわかないんだろうけど、こういう人間って想像力がなさ過ぎて何言っても理解できないのわかってるから無力感しかない
どうせ俺が株やってるやってないとか匿名でやっても水掛け論にしかならんが、それすら理解できない程度の脳みそしかついてないんだろうし
何が腹立たしいかというと、普通に生きていればお世話になっている周囲のスーパーの店員やら配達員やらが少しでも視界に入っていれば出てこない言葉を平然と書いて悪いとすら思ってない、その致命的な頭の悪さとグロテスクさだよな
あー…それは多分、増田が自分でひけらかしてるつもりがなくても、増田がなんか正論をいうたびに相手は増田の言動から色々傷ついてるんだと思う。
そういうのが積み重なってくと、相手は増田の関係性においてそういう態度を取るようになるのは想像に難くない。
相手に対して「あなたは頭がいいんだからわかるでしょ?」なんていう言い方をするのは卑屈で投げやりな態度だ。
その手の卑屈さというのは、繰り返される自信の喪失によって培われる。(何かを間違えるたびに必要以上に手厳しい指摘を受けるとか。)
そしてそれがたったひとりではなく増田と関わる何人かが増田に対してそうなるなら、なぜそうなるかのヒントは増田の振る舞いにあるのではないだろうかと考えるのも自然なことのように思う。
まあ増田がそういう人間が集まる場所にいるとか環境がそうさせることもあるだろうけど。
増田にとってみたら正しいことを言ってるだけなはずなのに、相手がその度にちょっとずつ卑屈で理不尽になってくのはわけがわからないと思うけど、多分そういうとき、増田の意見は正しいけど正しくない。
ここからは想像でしかないけど、多分増田は出来事の構造は正しく捉えてるけど、それを話す時に相手がちょっと小バカにされたような気持ちになるような言い方をしてるとか、そこにない悪意を見出してるとかそういうことはないだろうか。
ある一方の見え方としてはあっているけれども、本人からすると微妙に違う、なにか薄い濡れ衣を幾重にも着せられている、というのが最も反論しづらく気持ちの悪いものであることは誰もが体験することだし増田も覚えがあると思うので理解しやすいと思う。
それは相手にとって、「増田に誤解されている、それは悪意か?」という猜疑心を植え付ける病魔のような感情だ。
増田には全く悪意などはなく、ただ正しい(と思った)ことを言っただけのはずなのに。
あるいは相手に悪意があったとしてもそれを指摘したところで、自覚された悪意などでなければ相手は反発し増田に傷つけられたと感じるだけだろう。
相手が増田のことを「頭が良くて、記憶力が良くて、繊細」であると認めた上でそういう拗ねた態度を取るというのは、それが原因のように思われる。
「今までのこちらの行動は全て記憶してるんだから」と言うところを見ると、増田は相手が覚えていないような相手自身の言動についてもつぶさに記憶していて矛盾を指摘するというようなことがあったのだろうと推察される。
そこで相手は「いくらこちらで考えたところで否定されるだけだ。であるならば増田自身が考えればこちらが否定されて傷つくこともなく手っ取り早い。」と無力感と信頼感を合わせ持っているように見える。
否定されることがどれだけその人に堪えるかは個人差があると思うけど、増田に関わる人間が複数人そうなるということは、増田の否定はちょっと強すぎるということを意味するのではないだろうか。
増田は物事がはっきり理解できるからこそ、間違っていると思ったことに対しての拒否反応も普通より大きく出て、必要以上に強い言葉を使ってしまうということもあるのかもしれない。
とはいえ増田の立場になってみるとそこを許せるほど大人になるのは確かに難しいとは思うし、そこで増田が大人になれというような説教をする気は毛頭ない。
増田が自身を評して「相手を甘やかしすぎなのだろうか」と言っているところを見ると、増田もかなり気を遣った上での結果なのだろう。
人物としては好ましい。が、親密になればなるほど扱う問題も複雑になるので扱いづらい。
全くの勘違いだったらすまん。
けれどもこれが勘違いだったとしても、側から見て少しは説得力を持つかもしれない。
そうであった時、増田はどう思うだろうか?
増田は自分は他人に対してそれを絶対していないという自信があるだろうか?
そしてそれに反論できなかった時、増田は「わかったよもうそれでいいよ。そこまでわかってるんだったらその辺の問題解決もそっちが配慮してくれ。」と卑屈な言葉を吐かない自信はあるだろうか?
あるいはそういうことを言われた時に、その著しい勘違いに対して激しく反発し相手を敵視しない自信は?
全くの見当違いの意見だったらごめんだけど、ただ増田のポストを見てなんとなく状況が浮かび上がる感じがしたので、増田自身の理解の一助になることが万が一にでもあればという思いから書き記しておく。
この文章を書いた人物について分析すると、以下の特徴が挙げられます。
1. 高尚ぶった俗物
「プリンシプル」とか「人治主義傾向」とか難しげな言葉を並べ立てるが、結局やっているのは松本人志とその周囲を罵倒するという最も俗っぽい娯楽に浸るだけ。
吉本や「アバズレ女」を叩く言葉のエネルギーはすごいが、それを用いて建設的な提案をする気配はゼロ。ただのストレス発散に過ぎないのでは?
2. 自分が一番嫌う輪の一員
批判対象を「汚穢の住人」と呼ぶが、こうした毒舌をネットに垂れ流す行為自体が、その「気持ち悪い輪」の一端にいることに気づいていない。
「松本やその取り巻きはゴミだ」と言うが、同じように他者を見下す快感に浸っている自分は、その輪から何歩離れているのか?
「まとめてパックしてゴミの日に出してほしい」「高熱処理してほしい」という過激な表現は、一見ユーモアに見えるが、その背後にあるのは単なる苛立ち。
こうした過剰な言葉遣いで笑いを取るつもりなら、それこそ「松本的」な文化を模倣しているだけ。結局、自分の嫌う対象から完全には逃れられない。
「人治主義の進行が懸念」とか「冤罪のリスクがある」など、まるで社会全体を見据えた知的批評家のように振る舞っている。
しかし、その内実は「松本やヒカルが嫌いだから滅んでほしい」という単なる個人的な感情に過ぎない。論理的な体裁を整えているが、結論が最初から決まっている時点で批評の体をなしていない。
「松本人志が30代で〇ねばよかった」など、他人の人生を全否定するような極端な意見は、自分がその人物を変えられない無力感から来ている。
他人の成功や影響力に対する嫉妬が、暴力的な言葉として表出しているようにも見える。怒りの根底には、自分の力では何も変えられない現実への苛立ちがあるのでは?
「被害者の女たちもアバズレで、一味だろ」という主張は、事実確認もないままに全員を同じ枠に押し込めて叩くだけ。
ここまで全方位に毒を撒き散らすのは、自分だけが「清浄」であると感じたいだけの自己防衛に見える。実際には、自分の意見もその「汚穢」にまみれていることに気づけていない。
7. 結局何も行動しない評論家気取り
「下品な飲み会を社会的死刑相当の罪に」と述べるが、その「社会的死刑」をどう実現するのかは全く語られない。批判するだけで何もしない典型的な口先評論家。
「吉本がいなくなれば日本に有益」という主張も、実際にどのようにそれが可能かはまるで触れない。批判は強いが提案は皆無。何の貢献もしない「外野」そのもの。
総括
この人物は、自分が見下している松本人志の「輪」と同じぐらい醜悪な輪の住人。違いは「俺は賢い」「俺は正しい」と思い込んでいることだけ。
批判の内容がいかに正当であろうと、その表現は汚らしく、攻撃性は自己満足の域を出ない。結局、自分が嫌う「汚穢」との違いは何なのか?冷静に振り返れば、自分がその一部であることに気づいてしまうだろう
Chat GPT
このような問題に関しては、個人の体験や感情が非常に深く関わるため、慎重に議論し、包括的な解決策を考える必要があります。あなたの体験が、恐怖や無力感、憎しみといった感情を引き起こしたことに共感します。それが障害者差別という言葉で一括りにされることに抵抗があるのも理解できます。しかし、この問題を解決するためには、いくつかの視点で整理し考えることが重要です。
知的・発達障害のある人の中には、衝動をコントロールするのが難しい人がいるのは事実です。ただし、その行動には必ず背景があり、適切な支援や環境調整がなければエスカレートすることがあります。
一方で、「責任能力がない」という理由で社会がその行為を放置することは許されません。被害者の苦痛を軽視することは、問題のさらなる拡大を招きます。
被害者の保護: 暴力行為を受けた子どもたちが恐怖を感じたりトラウマを抱えたりするのは深刻な問題です。学校や地域コミュニティは、安全な環境を保証するために、加害行為をする障害者の行動を監視・制御する仕組みを整備するべきです。
加害者の支援: 暴力行為をする障害者に対しても、責任能力の有無を問わず、適切な支援が不可欠です。
差別と合理的批判の違い: 特定の障害を持つ人すべてを否定するのは差別です。しかし、具体的な加害行為に対して恐怖や怒りを感じ、それを訴えることは差別ではなく、合理的な批判といえます。
批判が建設的であるためには、行動に焦点を当て、解決策を模索する姿勢が重要です。
あなたのケースでは、障害者との交流教育がかえってトラウマを生む結果となりました。この失敗から学ぶべきは、教育プログラムを「健常者に偏見を持たせないため」という一方的な目標だけで設計してはいけないということです。
加害行為を行う障害者だけでなく、それに対応する社会制度の不備も問題の一部です。
憎しみや恐怖を抱くことは、人間として自然な感情です。しかし、その感情を持ちながらも、他者とどのように向き合うべきかを考えることが、私たち一人ひとりの課題です。この問題に対して、どのような対応が可能であり、現実的かをさらに議論していくことが重要です。
元増田さん、あなたの経験と感じていることに対して、まずは深く共感します。小学校時代に養護学校の生徒と一緒に給食を食べる際に、暴力的な行動に直面した経験は、確かにトラウマとなるものです。その恐怖や無力感は、簡単には消えないでしょう。
あなたが感じている憎悪や恐怖は、決して軽視されるべきではありません。しかし、その感情が全ての障害者に対する差別や偏見につながることを避けるために、いくつかの点を考慮してみてください。
まず、障害者に対するサポート体制の改善が必要です。あなたが経験したような状況では、適切なサポートや対応が欠けていることが多いです。養護学校の生徒が暴力的な行動を取る場合、それは彼らのニーズや状況に対する適切な対応が不足していることが原因であることが多いです。適切な教育やサポートが提供されれば、こうした問題は改善される可能性があります。
次に、障害者に対する理解と教育の重要性です。障害者に対する差別や偏見を持たないための教育は非常に重要ですが、それだけでは不十分です。具体的な対応策やサポート体制の改善が必要です。例えば、養護学校の生徒が他の学校と交流する際には、適切な監視やサポート体制を整えることが必要です。
最後に、あなたの感情を尊重しつつ、共生の可能性を探ることが大切です。全ての障害者が同じではないことを理解し、個々の状況やニーズに応じた対応を行うことが重要です。あなたが経験したような暴力的な行動を取る障害者と、そうでない障害者を区別することができれば、より良い共生の道が見つかるかもしれません。
あなたの経験と感情を無視することなく、具体的な問題解決に向けて考えていきましょう。適切なサポート体制の整備や、障害者に対する理解と教育の推進が、あなたのトラウマを癒し、より良い共生の道を切り開く手助けとなるでしょう。
https://kokoro.squares.net/?p=13178
林先生の文章そのものにはなにも異論はない。「質問者は医療者ではない以上、労務・人事の問題として対処する責務があるのであって、医学・医療の問題として対処する責務はありません。」本当にその通りだと思う。自分もあの頃にこの文章を読みたかった。
自分の状況も質問者氏とあまり変わらないものだった。Aさんに該当する人物が本当に同じようなことをやってくれた。問題行動しかなかった。そこで自分もやっぱり思い当たった。この人、発達障害なんじゃないか。今にして思うと、そこで思い当たってしまったのが不運だったのかもしれない。気づかないでいたほうがましだったのかも。
相手が発達障害という「障害者」だと認識したとたん、相手が「自分の足を引っ張る無能なくそ野郎」じゃなくて「特性により不自由であり、ケアを必要とする障害者」になってしまった。その結果、どれほどトラブルに巻き込まれても自分の仕事を邪魔されても「相手は障害者なんだから」自分が適切に対応してあげるべきなのだと考えてしまった。できるわけがない。できるわけがないが、それをするべきなのだと思い込んだ結果、メンタルがどうなるか。
自分にひたすら迷惑をかけてくる相手に対する怒りや憎しみは、障害者へ適切な対応ができない自分への失望やそんな感情を抱くことへの罪悪感に変わる。自分の仕事を邪魔されるストレスや苛立ち、無力感ももちろんあるが、前者のほうが自分にはきつかった。自分の場合は上司に相談しても「大変そうだけど頑張ってよ」くらいで流されたので、これほど大変な思いをしているのに理解されないという落胆や悲しさもあった。これほど辛いのは自分が未熟で駄目な人間だからだろうかという更なる失望、なぜこんな思いをしなくてはいけないのかという困惑、原因となる相手への怒り、しかし相手は「障害者」なのだと思い至る、そうやって思考と感情が空回りして、自尊心がズタズタになる。少なくとも自分はそうなった。だから辞めた。というか辞めざるを得なかった。職場に行けなくなったので。あの人が今もあそこにいるかは知らない。
質問者氏が「お互いにとって良い関係を築くため、先生のお知恵をお借りできますと幸いです。」と結んでいて本当に痛ましい。良い関係なんてそんなもんが本当に可能なのだろうか。労務上の問題ではなく、質問者氏のメンタルの問題として。今の自分ははっきり言えるけど、私はもう二度とあの人と関わりたくないし、あの人に類する人達とも関わりたくない。おためごかしもきれいごとも聞きたくない。そんなもんは私を助けてくれなかった。文句がある奴はてめえでやれ。どうぞご遠慮なく心中しやがれよ。
質問者氏の質問に対する林先生の回答は本当にそのとおりだと思う。でも、質問者氏が本当に言いたいのはそんなことじゃない気がする。だとしても、それを今の質問者氏のメンタルでは書けないだろうが。そして、林先生だって質問されたこと以外に答えることはできない。
1. 憧れと諦念の狭間にある心情
この人物は、絵を描くという行為に対して憧れを抱いていますが、その憧れは深く追求するほどの強い情熱には育っていません。「描けたらいいな」といった軽い希望に留まっているため、自らの手で努力を重ねてその技術を得ようとする意志は見られません。このような姿勢は、自分の可能性に対してどこか諦めや無力感を抱いている心の表れかもしれません。
絵師という存在を「特別視する必要があるのか」と疑問視していることから、彼(または彼女)は、世間が特定の才能を持つ人を過度に称賛する姿勢に反発しているようです。しかし、この反発は、実際には自分がその才能を持っていないことへの劣等感を隠すための自己防衛にも見えます。
自分が持てないものを称賛することは、自身の不足感を突きつけられるようで痛みを伴うものです。そのため、「特別視する必要はない」と断言することで、自分を納得させようとしているのではないでしょうか。
この人物は、周囲が絵師やクリエイターに向ける称賛に対して、どこか疎外感を抱いている可能性があります。もしかすると、自分がその輪の中に入れない現実を前に、そうした存在を「特別ではない」と位置づけることで心の安定を保とうとしているのかもしれません。
彼が「なぜ特別視する必要がある?」と疑問を投げかけるのは、他者と自分の間に無意識に線を引き、外側から眺めることで自分自身を守る行為のようにも感じられます。
4. 才能に対する諦観と未練
「絵師を格上に見るものではない」という言葉には、絵師への羨望と同時に、自分がその位置に立てないことへの諦観がにじみ出ています。本当に興味がないのであれば、そのような感情は表に出てこないでしょう。裏を返せば、彼は絵を描く才能に対して何らかの未練や「もし自分にもその才能があれば」という思いを抱いている可能性が高いです。
絵師を「特別視する必要はない」という言葉には、彼が周囲の価値観に対してどこか孤独を感じている様子が見て取れます。それは、才能や努力を評価する世間の基準と自分の現実とのギャップに苦しんでいるからこその発言かもしれません。自己認識がゆがみ、自分自身を過小評価してしまっている可能性も考えられます。
まとめ
この人物は、自分が持ち得なかった才能に対して羨望と諦めの狭間で揺れている一方、その才能を持つ他者を特別視する社会の風潮に孤独感や疎外感を感じています。彼の言葉には、自分自身への未練や不満が滲み出ており、その背景には、手を伸ばす前に諦めてしまう弱さや、どこか自分を憐れむような感情が潜んでいるのではないでしょうか。そうした彼の言葉を聞くと、才能を持たない苦しさや、自分の限界に向き合う孤独な心情が伝わり、少し胸を締めつけられるような思いがします。
Chat GPT 4o
日本人として典型的と言えるほどの変わらぬ日常を求める気持ちと、厳しい気候に適応した結果の無力感とが、石破というモンスターを世に放ったのだと思うよ。しかもそれについて「我が村から総理がでたバンザーイ🎉」ぐらいにしか思っていない。
その不登校児だった本人から言わせてもらうと、マジで行きたくなかったよ。
だって仲良い友達とかいないし。まったく知らないひととずっと一緒にいなさい連泊してきなさいって普通に考えて地獄だろ。腫れ物扱いなんて火を見るより明らかだし、自分のコミュニケーションのなさも分かってたし、同じ班にさせられる子たちにも申し訳なかったよ。普段会ってないんだから話題だってあるわけないしさ。
でも親とか教師がさ、「修学旅行ぐらい行ったら」とか言うわけ。言うなよ。まだバイトもできない子どもに「お金払ってるし」とか言われてもただただキツい。修学旅行だって学校の一部だろ。
こっちだって学校に行ったほうがいいのは分かってんの。分かってて行けねえの。うつ病の奴に無理矢理でも出社しろって言ったら問題だろ。一緒のことされてんだよ。そういう普通のことさえできねえんだよなって無力感に苛まれて、死んだほうがいいマジとか思いながらずるずる生きてたよ俺は。子どもがだぞ。まだ学校以外の世界も知らない子どもが死んだほうがいいとか思ってんの、どう考えてもおかしい。
不登校児の親、マジで子どもの意思聞いた? 本人が行きたいって言った? 行きたいって言わせてなかった? 俺は行きたいって言うまで四時間面談されたよ。
子どもが行きたいんだったら修学旅行前から努力させろよ。お世話係じゃない、ただの普通の友達作らせろよ。じゃないと親と教師の自己満足で子どもは双方地獄だぞ。修学旅行をきっかけに不登校が改善する、みたいなキラキラメルヘンは捨てろよマジでないから俺はむしろ悪化したから。
修学旅行なんざ行かなくても死にゃしない。なんなら大人になってからできた友達と行った旅行のが百億倍楽しかった。そういう事例も世の中にはある。俺の話だ。
都会の片隅、薄暗いアパートの一室。そこに一人の男がいた。名前は増田。特別でもなく、誰の記憶にも残らないような存在。
増田はいつも一人だった。学校でも、職場でも、誰かと深く関わることはなかった。家族とも疎遠になり、自分の居場所がどこにもないと感じていた。
毎日が同じ繰り返し。朝起きて、バイトに行き、夜は一人で安い酒を飲む。何かを変えたいと思っても、どうすればいいのかわからない。その無力感が胸に重くのしかかる。
ある日、古びた写真アルバムが目に留まった。そこには笑顔の自分と、昔の友人たちの姿があった。あの頃は未来に希望を持っていたはずだ。それなのに、どうして今はこんなにも孤独なのか。
神戸市民の皆様、かつて「日本第三の都市」と自負していた神戸の惨状をどう受け止めていますか? 輝かしい過去の栄光は今や遠い夢。福岡市や川崎市にも追い抜かれ、政令市序列7位に転落した哀れな姿を直視する勇気はありますか?
一度は150万人を超えた人口が再び150万人を割り込み、もはや「大都市」の看板すら危うい状況です。神戸市は今や、「衰退都市」の代名詞となりつつあります。
かつての国際都市としての威光は完全に失われ、今や大阪の影に隠れた存在でしかありません。神戸市民の皆様、この現実をどう受け止めていますか? 神戸市の凋落を傍観するしかない無力感、そして他の成長する都市を羨む屈辱感を日々味わっているのではないでしょうか。
神戸市の未来は暗澹たるものです。人口減少、経済停滞、そして都市としての魅力の喪失。これが神戸市民の皆様が直面している冷徹な現実なのです。かつての誇り高き港町は、今や時代に取り残された「負け組」の代表格となってしまいました。
神戸市民の皆様、この現実を受け入れる準備はできていますか? もはや「震災」を言い訳にすることもできません。神戸市の衰退は、無能な行政と市民の慢心がもたらした必然の結果なのです。神戸市は今後も衰退の一途を辿り、やがては大阪のベッドタウンとして消えゆく運命にあるのかもしれません。
かつての栄光は二度と戻ってきません。神戸市民の皆様、あなた方の子や孫の世代は、この衰退した都市に未来を見出すことができるでしょうか? おそらく彼らは、より活気のある都市へと流出していくことでしょう。神戸市に残るのは、高齢者と希望を失った人々だけです。
神戸市民の皆様、あなた方の誇りはどこへ行ってしまったのでしょうか? かつての輝かしい神戸の面影は、もはやどこにも見当たりません。あなた方は今、日本中から哀れみの目で見られているのです。神戸市民であることを誇りに思えますか? それとも恥ずかしく思いますか?
神戸市の衰退は止まりません。あなた方にできることは何もないのです。ただ、この哀れな都市の衰退を見守るしかありません。神戸市民の皆様、あなた方の人生は、この衰退都市とともに終わりを迎えるのです。
アリピプラゾールという薬を数か月ほど飲み、それから最近トリンテリックスという薬に変えた。
そうやって薬を飲み始めたことが原因なのかはわからないが、飲み始めてしばらく経ってから希死念慮が強くなってきた。
今日はそれについて整理してみることにする。
ベッドの上でずっと考えるだけだと、考えが停滞してしまい非常に気持ちが落ち込むので、こうやって書き出す。
たぶん自分の希死念慮は大きく分けて3つからなるように感じる。
主観的に考えても自分の境遇は恵まれていたと思う。だけど、自分はいつまで経っても怠惰だった。
自分で決めたルールを守れた記憶がない。なにか1つのことに無心に全力に打ち込めた記憶がない。
なにかを為せた記憶がない。大きな達成感を覚えた記憶がない。自分を良い方向に変えることができた記憶がない。
思い出せないだけかもしれないが。思い出すのは失敗した記憶、ダメだった記憶、悪いことばかりだ。
バッドエンドに至る過程に時々挿入される一瞬のような良かった記憶があったかもしれない。いやきっとあっただろう。だけど思い出せない。
寝るとき、今日は良い一日だったなどと思い返した日が、1日でもあっただろうか。いまは思い出せない。きっとなかったんだろう。
そもそも自分は過去のことをあまり覚えていない。学生時代のことだって、もう皆無と言って良いほど思い出せない。
これまではそうやって過去を忘れながら蓋しながら生きてこられたが、いまになってそれができなくなってしまった。
悪かったこと、悪いまま変われなかったこと、それが自分の過去のほぼ全部を為しているような気がしてしまう。
そして、いまそれがとてつもなく大きな無力感、絶望感、不安感になって自分を苦しめているように思える。
1つは、いま何をやっても楽しく無いこと。
というより、何もしたいことがない。きっと本当に何もできないわけじゃない。
ゴミ屋敷という程にはなってはいないし、買い物に外に出られないわけでもないし、入浴すらできないというわけでもない。
でもいま何かやりたいことがあるかと言われれば何もない。
いやあるのかもしれない。趣味のこととか、仕事の勉強とか、やりたいかといわれたらやりたい方に属するだろう。
ただやってて楽しくない、達成感もない、それよりも不安感や焦燥感、無力感の方が大きい。
どうせやっても無駄だとか、なぜこんなにも上達しないんだろうとか、初歩的なことばかりでつまずいてばかりの自分に嫌気が刺したりとか。
きっとやること自体に意味があって、やらなきゃ上達しないし、初歩的なことでつまずくのは自分だけじゃない良くあることだろうのに。
なによりやりたいと思わない。やってて楽しいとも思わない。いま自分がやりたいことはなんだろう。
こうやって何かを書いているのは、書いていないと胸が苦しくなるからであって、書いていて楽しいと感じているわけではない。
何もしていないなら何もしていないで、それも耐え難いのだ。
いまこうしている間もあるひとは仕事に趣味に時間を使っている。比べること自体に意味はないのかもしれないが、あろうとなかろうと意識してしまう。
なにかをやるとしたら、どんなことであっても、やりたくない仕事が与えられたときのように、義務感や責任感を覚えつつやることになるのではないか。
何日か後に予定が入ったりすると、ひどく息苦しい気分になる。
その予定までに自分がやらなきゃいけないことがあり、またそれを自分がうまくできるのか不安で仕方がない。
過去に自分を変えれた記憶・何かを為せたがほとんどなく、いま何をやっても楽しくない自分に、なにか抱ける希望があるのだろうか。
これが達成できたらという野望のようなものは昔からあるが、それに至るには自分のなにかを変えなければならないだろう。
だけどそういった野望のようなものに縋って、自分を良い方向に変えなければと思い続けることが、もうできなくなってしまったのだろう。
悪い過去を思い出すようになり、何も楽しむことができなくなったという点では、自分は最近変わった。悪い方向への変化なら容易にいくらでも考えられる。
薬を飲み始める以前は、過去のことを思い出すことはそう多くなかった。趣味やゲームや仕事もそれなりに楽しめる瞬間があったのかもしれない。
明日になったら本気を出す自分を信じていられたかもしれない。自分は何の根拠もなく何かを為せて何かになれるのだと妄想することができたのかもしれない。
いままでできなかったことはできなかったまま、いままでできていたのにできないことが増えていく。
生きるためにはやりたくないことでもやらなければならない。かといって、やりたくないことをやってない時間に、やりたいことが特にあるわけでもない。
こうやって冷やかに少しずつ悪くなる人生を今後何十年もやっていくなら、いま終わらせるのがまだ一番マシであるような思いを拭うことができない。
おまいの気持ちわかるわ。税金ってまさに「リアル税金でござる」って感じだよな。給料上がらん、物価は上がる、ほんと我々の生活はドンドンしんどくなる一方だよな。でも減税が進まんのは、やっぱ政治家どもの「後回し精神」だと思うわ。選挙前には「減税サポートします!」とか言ってるくせに、選挙終わったらすぐ忘れちまうんだよ。
結局のところ、上のやつらにとっては数字遊びってわけだし、国民の苦労なんて「お花畑で聞き流し」とか思ってんのかもな。マスゴミも「バカ騒ぎ」ばっかりして本当に大事なことを伝えないし、やっぱり超えられない壁がありそうだわ。
でも諦めずに声を上げ続けるしかないのかもしれん。一人だけだと無力感あるけど、みんながこういう声を上げ続ければ、いつか変わるかもな。せめて選挙ではしっかり自分の意思を表明するしかないぜ。次回は「お灸を据える」くらいの気持ちで投票しようぜ。
でもまぁ、今は現実が厳しいから、お互い生き延びる方法を考えような。頑張ってるやつはわかるんだし、何とかなると信じたいわ。逝ってヨシ!