はてなキーワード: 脳内お花畑とは
新卒そこそこヤングレディを採用したのはボス達で、即戦力としての仕事引き継ぎ計画したのはボスたちと上層部だ。
即戦力として働きが満たないヤングレディのフォローと教育するのはシモジモである。
ボス達は上層部に計画を修正する気がなく(説明能力がない)進むからシモジモの仕事に支障がおきてるぞ。
ヤングレディが覚えるまでは教える+自分の仕事でダブルワークだ。
このままうまくいかないとヤングレディがクビになる。(たぶん鼻の下伸びてるボスたちはクビに出来ないが、シモジモを脅すネタにする)
どんな罰ゲームか?
新卒同等の人間が即戦力になるのに1ヶ月2カ月で育つわけなかろう。
ヤングレディも即戦力に直ぐに成るれると思っるわけ、デキルってボス達に答える→ホラ、デキルッテイッテルゾ、シモジモの教え方だろう。ヤングレディに嫉妬しているのだろう(ボスらの脳内お花畑)
仕事がそんなに直ぐにできるわけなかろう。知識が直ぐに付くわけなかろう。会社と幼稚園の区別もつかないくらいのご様子だ。
あれもこれもやりたい。あれもこれも知りたい。反射的に行動する。5歳児か?!。(今の大卒早々ってこんな感じなのか?)
間違い指摘されるのが恐いらしく、教えてて分からないことがあると涙目で震えて縮こまる…。(どんな環境で生きてきたのか?!)
その調整をシモジモがする。
これについて結構危険性とか思うところがあるんだけど、なかなか明文化できない。
脳内で練っているのをちょっとまとめるためい、書き出してみるか。自分用まとめノートなので文章はまあ…。
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「MMOロールプレイ」や「Vtuberのガワ」このあたりも同じような類似性があると思うんだなぁ。
これをでっかくイメージしてて、練度精度はぜんぜん違うけど、おままごとに分類されると思うんだよなぁ…。異論めっちゃ認める。
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うちよそ… 自分用の架空のキャラクターを作成し、他の人と交流をもたせる関係性を作ったおままごと
なりきり… 版権キャラなどになりきってロールプレイをし、他の人(の同作品のキャラなどと)と、シチュエーションなどを作って演技するおままごと
MMOなどのRP(ロールプレイ)…自分が作ったゲームキャラを操作し、その設定に合わせて自身が演じるおままごと
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で、何に引っかかってるかと言うと、このおままごと遊びのヤバさについて…。
ヤバさと言うと何がやばいんだってなりそうなので、もうちょっと細分化してみると…。
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・快楽物質出まくって、かなりの依存状態になる、脳内お花畑になる
・うまくいくと究極の推し活、自分に対して反応してくる推し最高、生きるのがハッピー
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・演技やキャラ想像が行き過ぎて、自分がそのキャラに同化していく
・演技が行き過ぎて自分を見失う
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良い悪いどっちもめちゃくちゃありそうだけど、どっぷり浸かりこんだときの快楽とその反対の感じやばくないですかね…
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もともとこういうのにほとんど興味がなくてそういうひともいるんだな~くらいに見てたのに
MMOなどでキャラを作り、それが実際の自分ではなく憧れのキャラだったり好きなキャラだったり
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本来のだっさい自分がなくなった感じ、もしくは直視できなくなった感じ、
のめり込みすぎて失ったときの欠乏感とか
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今までこういう界隈をしらなくてたまたま踏み入れて大事故した感じなんでしょうねこれは…。
恐ろしい。
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多分こういう界隈のドが付く初心者。依存しすぎとか云われるやつ。
いやはやびっくりした、こんなふうになってしまうのかと。
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あと改行かってにつめられるんだけどどうすりゃいいのこれw
障害者が子供産んでもほぼ確実に障害があるし、今はもう世間にも当たり前に知られるようになった学習障害だってほぼ遺伝するだろ。
まあ、なんでこんなこと言うのかと、それは俺が、俺の兄弟が全員両親から学習障害を遺伝してるからなんだな。
まー生きづらい、世の中にそういうものがあると知られたって許されるか受け入れられるか認められるかは全くの別問題だしな。俺が生きてきたこれまでの間で、まだそんなに知られてない時と今とどっちがいいかって言われてもどっちも生きづらい。生まれたくなかったって何度も思った。
それでもまだ学習障害なんだって思われて諦められる今の方がまだマシかもしれない、小学生の頃や中学生の頃は何の理由もないようなものだったから、できないことややってしまうことを責められるだけだった。俺もだけど注意する周りもしんどかっただろうなと思う。
しかもうちは両親がどっちも学習障害だ、障害は父親からの遺伝がほぼらしいけど、母親もおかしいから抜け目ない感じで遺伝した。
俺はまだ長男だから頑張れた、もう古いかこれ、次男は頑張ってしまった俺と比較されてダメになった。できないわからないを全部怠けだと言われて引きこもりに、家にいても父親とはうまく行かなかったからその内家を出てしまった。今何をしているのかわからない。
三男は性格が呑気だからか、逆に次男と比較されたせいか、これも障害のせいなのかわからないけど、周りからできないキャラ扱いにしてもらったおかげでうまいことサポートされて生活してた。ただやっぱ人と話す仕事は無理みたいで整備士の仕事をしてる。
俺と三男は親ガチャは失敗したけど周りガチャにはそこそこ成功したおかげで今なんとか仕事してる。でも自覚あるだけ俺ら子供はいいんだ、いっそ肩身が狭い方が楽なんだ、両親は2人とも自分の障害に無自覚で、だから子供のできないを責めるんだけど、もう大人になった今だからこそお前らのせいだよと言いたくなる。何で俺らを産んだんだよ、しかも立て続けに、大した給料もらってなかったのに。障害もやばいけど、本当に貧乏だったなーうちは、障害者だからその辺の算段ができないんだろうな。おかげで俺ら三兄弟は貧乏三兄弟と馬鹿にされることも多かった、キッツい、トラウマ。反動で俺はブランドもの買い漁るようになっちまったwww
三男は満足に食べられなかった反動が強いのかジャンクフード依存で部屋を選ぶ基準がマックとコンビニへの距離だった、いかに歩かずに食えるかとか言っててわろた。いや、笑えんがもう俺らは俺らで死ぬしかないからまあいいんだ、しっかり納税して消費もして好きに生きよう。
優生思想、いいじゃないか、反対してる人はそんな苦労してこなかったか、うちの両親同様自分の障害に無自覚なだけだろう。能力は才能だ、優秀な人にこそ子供を産んでもらうべき、技術と一緒でちゃんと継承すべきと思う。
俺らはいいよ、まだ、これでもっと酷い障害があるような人が子供を産んだらその子供は生まれてから死ぬまで誰かのサポートなしでは生きられない。そう言う人にも生まれたら生きる権利はある、でもその中での苦しみをなかったことにしてしまうのは無責任だと思う。障害なんてわざわざ残す必要はない、生まれてなければ俺はいないのに、生まれる前から俺に生きる権利があるように思うのはそれこそ脳内お花畑じゃないか。己の欲求で誰かに不幸を背負わせる行為だ。
生きててよかった、ないわけじゃない、それでもあるかわからない幸せよりも確実な不幸がわかっているなら、優生思想の方がよっぽど健康的だと思う。
【中学生くらいの頃】
・純粋に子どもが好き。将来はお父さんとお母さんみたいに結婚して子ども産んで生きていくのだろうと思っていた。
というか、子ども欲しいとか欲しくないとか、そんなことはただ考えず漠然と家庭を築いているんだろうなぁと想像妄想していたと思う。
【高校生くらいの頃】
・メンタルがやられ、なんて自分はダメ人間なんだと本当に落ち込む。絶対来世は人間にならないと誓う。絶対に人間なんかなるもんか。自殺は痛いから嫌だけど、本当に消えたかった。
・もしかしたら、いじめられるかもしれないし、人をいじめるかもしれないし。すごく理不尽な目に遭うかもしれないし、悲惨な事故に巻き込まれるかもしれない。可哀想で辛すぎる。そこまでひどくなくても、まぁ生きていれば辛いことがある。そんな酷い仕打ちを我が子にはさせたくない。が、かといって辛いことが何もありません、というふにゃけた人間になっても生きづらいだろうな、と思う。
・自分は子どもを産むことが許されるほど、能力を持っていない。子どもに受け継がれる全ての遺伝子が可哀想。ごめんね。
・絶対に子どもは産まない!と固く決意し、兄弟に子どもを産みたいと言ったら全力で止めてねと言っておく。いや〜止めないよ。と和やかに言われる。
・なんと好きな人ができて、この人に子どもを抱っこさせたい、でも私の子どもは嫌だという大問題に直面。ただ好きな人の子どもは私だって見たい。
・自分の遺伝子が問題なんだよ。でも好きな人に他人の卵子と受精させ子を育てさせること、養子をとることは違う気がする。代理母出産も申し訳ない。その痛み経験したい気もする。なんてわがままなんだ。
彼に失礼。自分のメンタル治せ!いや性分か?自分を愛することで他人を愛することができる!と自分の中の修造が言っている気がする。
・ごちゃごちゃ言いつつ、なんだかんだ今とても幸せで、人と環境と運に恵まれたと感じている。今の人生と同じ人に巡り会えるならもう一度人間をやってもいいかな、と思えるようになった。
・生まれてくる子は絶対大変だ、辛いはずと決めつけてしまっていたが、それは私が決めることではないし、今わかることではない。辛いかもしれないし、辛くないかもしれない。それは本人のメンタルの持ちようにもよるだろうし。まぁそのメンタルの基盤を作るのは、本人の性分と、親がいかに関わるか、周りの環境がどうであるかではあるのですが。遺伝と環境の相互作用。辛いか辛くないか、それは私達の努力も大切ではあるが、それが全てだと思わなくてもいいのかな?と考えるようになった。
・周りの子は経済的に不安を感じて出産を悩んでいた。私も友人もありがたいことに何不自由なく育ててきてもらっており、親がしてくれたような水準で子どもに関わってあげられる自信がない。そう思うと、大学まで金銭的援助ができる自信がないのに産んでいいのか?と不安になる。だって大学のお金まで出してあげたいと思ってしまう。理想としては。
「身の丈をわきまえろ」「脳内お花畑か」「奨学金制度使えばいいじゃないか」と言われそうだが、奨学金を借りない方向で子育てをしたいと考えている為、何不自由なく過ごせる経済的自信がないのなら産まない方がいいのかな?と思っているが、そもそも経済的自信満々で子育てをしている人はごく僅かだと思う。なんだかんだうちも「家計が火の車だよ」と言っていた。親のやりくり力すごい。
・優生思考、資本主義社会のこの世の中で戦い抜ける我が子を産み育てる自信がない。そもそも遺伝子に自信がないのだから、ね。親はちゃんとしていたのに、親に申し訳ない。
・私ものらりくらりと生きているということは、なんとか楽しく生きられる可能性50%、毎日死にたく生きる可能性50%?そもそも人間の人生って白か黒か、くっくり色分けできるものではなくグラデーションなのでは?なので何とも言えないのか?
【今の考え】
・この先100年辛そうだし、子どもが可哀想だからあんまり産みたくはない。しかし彼の人生にも関わることだから、申し訳ない。彼のことを考えると産みたい。多分いいパパになれると思うから。