はてなキーワード: 適者生存とは
なんか自然法則という言葉を変な意味で使ってる人がたまにいる気がする。
自然法則は水を冷やせば凍るとか酸とアルカリが中和反応を起こすとか、どうしようもなく覆らない世界のルールだと思うけど。
なんか弱肉強食だの適者生存だの、そういう(人間社会に対する二項対立としての)自然界における傾向や歴史とでも言うべきような概念を以てして「自然法則」という言葉を使う人をたまに見る。男女がつがうのは自然の法則だとかも。比喩表現程度に使うにしても混同を招くし、あんまりスマートな用法ではない気がする。
それもまた決定論というか、全てが必然に連鎖する因果を辿っていけば自然法則の範疇なのかもしれんけど。まあそれを言ったら、自然界の摂理に反するような振る舞いもまた全て等しく「自然法則」ということになる。
これって宗教で世界を理解しようとする(していた)のが関係してんじゃないかって思ってる。
雨が降るのはなぜ?という疑問と人は何のために生きるのか?という疑問は本質的に質が異なる。けどどちらも神様がそうしたから、神様がこう決めたから、で片付いてしまう。
揺るぎない自然法則と規範や傾向という別次元の問題がルール、掟、法則、理とか同じ言葉で扱われるのはそういう所にルーツがあるんじゃないかと思ってる。その紛らわしさが分離されることなく未だ残ってんじゃないかっていう。規範ではなく事実としての世界を理解する役割の方が、もう大分実証的な科学に取って代わられた今も。
雨が降る仕組みは仮定と実証の繰り返しで再現性のある理屈が見つかっても、人が何のために生きるのかなんてのはどこまで「なぜ」を辿っても揺るぎないものに辿り着けない。雨が降る仕組みの前提となるような物事のルールそのものがなぜ存在するのかは、未だ「神様がそう決めた」以上に説得力のあるものがなさそうだけど。
有意な性差見つかってる要素もあるけど統計的分析は限界あるし状況証拠でしかない。正確には性差がないというよりあるという証拠が見つかっていないが正しい。遺伝子レベルの研究は進んでいるから今後明らかになるよ。
太古から歴史的に自分の子供が確定できるメスは相手を選び、確定できないオスはばら撒く戦略を取っている。選ばれる、すなわち競争環境にあるオスの遺伝子の方が適者生存のフィルタにかかりやすい。
動物と異なりヒトは物理的な力よりも頭脳の力で適者が決まるからオスに遺伝する要素をよく使う能力は遥かにメスより強いだろう。まあこれから見つかっていく話だろう。
個人的な経験的からは媚びる力とかテイカー、バラサイト能力ではオスよりメスの方がはるかに上と感じる。女の武器を使って寄生することに長けたメスが生き残ってきたんだから当然とも言える。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463546664
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「自然界は弱肉強食なのに、なぜ人間界では弱者を抹殺しないのか?」という質問。
対する回答は「そもそも自然界は弱肉強食じゃない。適者生存だ。
多種多様な遺伝子を残すことで、環境に適応できる可能性を増やしておく。
それが人間界における生存戦略であり、社会性である」といったもの。
人類の叡智を感じさせる説明に感動したのか、弱者に救いのある言説だから感動したのか、
この回答は絶賛の嵐だった。
「夜の停電時には全盲の人間が健常者よりも活躍できた」などという話もあったが、
いくらなんでもシチュエーションが限定的だろう。目が見えない人間は基本的に弱者だ。
規則正しい生活が送れない、突発的で感情的な行動に走る……そんな特性も配信の世界では有利に働く。
だが配信で飯が食える時代だから適応できているだけで、朝早く起きて日中活動できるアウトドア派がいつの世も社会適合者だ。
健康的な生活を送り、他人とコミュニケーションを活発に行い、食料を得る。
社会を生き抜くために必要な資質は、時代が変わろうと不変のはずだ。
優生思想を是とする主人公・鈴原冬二が、強者の定義を語るシーンがある。
人間は猿から進化したのだから、強者の条件はそれだけで十分なのだ。
すなわち、子供の頃殺されずに済んだという運、病気に打ち勝つからだ、殺し合いに生き残る力、
俺はこっちの方がよっぽど納得できる。普遍的な強者の定義は絶対ある。
年収が低い男、身長が低い男、高齢の男、容姿が醜い男、主導権を握れない男……
どれだけ技術や倫理観がアップデートされようと、子孫を残せない男の特徴は変わることがない。
経済的に困窮すれば、いつだって弱者は切り捨てられる。養う余裕が無くなる。
優生思想が悪いのは当たり前の前提になってる。
誰も説明してくれたりはしない。
僕も説明しない。
「……ウンウン、優生思想に繋がりかねない恐れがあるよな」
こいつ、暗記してます。
優生思想 = 悪い
様々にバラエティ豊かな子孫を育んで、適者生存、たまたま生き残った特性を未来につなげる。
どんな特性が優れてるかは事前には分からないので、偶然に賭ける。
生き残りに絶対有利な特性が現時点で分からないからと言って、思考停止する意味がわからん。
ダーウィンの適者生存を不変の原理にして、そこから先の研究を進めようとしないのは、なぜ?
母親の人権が問題だというのなら、「子どもはこうなりそうです」「こんな風にもできます」って選択肢を示せばいいでしょう。自由が増えるのはいいことに思えるけど、違うのかな。
「子どもを産んだ後の苦労、金銭的な不安、リスクがあるから産まない」
「こんな先行き不安な世の中で不幸になる可能性があるなら産むな」
なんて意見が飛び交ってるが、俺が思うにこれらは全部間違っている。
なぜかというと人間は種を残す事を目的とした動物だから。動物は本能として子を産み自らのDNAを残していく。何十億年も前から繰り返されてきた営みだ。
つまり親は子どもが不幸になろうが淘汰されようが知ったこっちゃない。自分勝手に子どもを産み落として良い。それが自然の姿。
その後に自分の力で勝手に弱肉強食、適者生存で生き残るだけだ。生き残れなかった者は苦しい思いをしながら無惨に死んでいく。
こんなのどうわめいたってしょうがない。地球の生態系はそういうシステムだ。
下手に資本主義の経済活動や人間社会の倫理に基づいて子どもを作ろうとするからチグハグになる。そんなもの人間が勝手に作った上辺のシステムでしかない。まだまだ沢山の問題を抱えた未完成のシステムだ。
お前ら自然界、地球の生態系という視点に立ってもう一度考え直せ。子どもを産むのは人間の本能だ。エゴ以外の何物でも無いし、そのエゴで生態系は成り立っている。エゴというのは生き物の営みそのものなんだよ。動物は倫理観や経済観念に基づいて子どもを産んだりしない。不幸になろうが子どもを作れ。