ここにきて「10万人の殺人予備軍」という言葉がホットになっている
http://h.hatena.ne.jp/y_arim/9234096833783701106
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100731/1280595764
http://d.hatena.ne.jp/enjokosai/20100801/p1
まぁ、この言葉自体「一人歩きした言説」ってことで流れが出来つつありそうで。
だが、だからといって、30代後半とか40代の「あの日ヲタクだった人間」が味わった苦しみが幻になるわけではない。
ずいぶんあの日々が遠くなったせいか、「あの日々の苦痛とはなんだったのか」が風化しているし、下の世代に「あの苦しみは何だったのか」
が伝わっていないような気がしてならない。
ということで、思い浮かぶことを書き連ねてみる。
あくまで書きなぐった印象論ということで、正確性について勘弁のほどを。
(1)「あの部屋は犯罪者の部屋だ」
ビデオテープと雑誌で壁の四方を囲まれた、圧迫感のある狭い部屋が「犯罪者の部屋」だった。
かつてはネットも無ければDVDもない。ビデオテープと書籍の蓄積がすなわちヲタクとしての記憶の蓄積だった。
友人との口コミ越しに、あるいはイベントでの会話越しにこう聞こえてきた
「あの部屋は俺の部屋とそっくりだ。ああいう部屋にいる人間は犯罪者だとマスコミは言う」
実はあの事件が起こるまで、オタクという言葉は「アニメとか特撮とかホラーとかが好きな、身なりに構わないキモい奴」という意味での
後ろ指をさす言葉ではなかったはずだ。
おたくという言葉の由来は結構あれこれ議論の的になったりするが、あくまで自嘲句とか隣接ジャンルの人間からの当て擦りの言葉でしか
なかった。
だが、あの事件の後からいつの間にかテレビでオタクという言葉が当たり前のよう流布するようになった。そしてそれが、
「彼」をアーキタイプとした「アニメとか特撮とかホラーとかが好きな、身なりに構わないキモい奴」を後ろ指差すための差別語として
当たり前のように使われだしたのだ。
そして、当時のテレビニュース・バラエティ番組は無批判にその構図に乗っかった。
(3) 「彼は本当のマニアではない」
あの日々にテレビに出ていた文科系コメンテーターがよく発していた台詞だ。
(この言葉を吐いてあの時代を乗り切った一人が頭に浮かぶが、ほかの人も似たような発言をしていたので名前あえて出さない)
曰く、「本当のホラーマニアならそんな考え方はしない」とか、「映像を撮るのに凝っているならあんなカメラの使い方をしない」とか。
苦し紛れに、あるいは同類扱いを嫌って吐いたその言説は、つかの間の安心感を得られたとしても、結局は仲間同士をばらばらにする寒い言説だった。
これは今のテレビ番組につながるものである、というかあそこが原点といってもいいのではないだろうか。
連日連夜ニュース番組「報道番組」の美名の下ステレオタイプの映像イメージを垂れ流し、ワイドショーもバラエティ番組も「報道番組化」して
さらにステレオタイプを垂れ流す。
「犯罪者の部屋」「アニメとか特撮とかホラーとかが好きな、身なりに構わないキモい奴」をイメージ化して勝手に犯罪者像をでっち上げ、
したり顔のコメンテータが上っ面の現代の病巣とやらを解説する。
もはや手垢のついた手法が、あの当時は極めて有効だったのだ。
今までオタクなんて言葉を知らなかったおじ様・おば様方までが、「ああ、気持ちの悪い犯罪予備軍のことでしょ」なんてイメージで語ることが
可能となったのだ。
まぁ、何が言いたかったかというと、「10万人の殺人予備軍」という言葉が出てくるだけの時代背景があの時代にはあったということだ。
今の世の中を見ると信じられないが、かつては確かに「あの苦しみ」は存在していたのだ。