Location via proxy:   [ UP ]  
[Report a bug]   [Manage cookies]                

2022-05-04

リーナスLinuxを開発したというのは、どれほど「技術的に」すごい偉業だったのでしょうか?

生越 昌己

, 日本Linux協会で元会長 (2001~2002年)

回答日時: 2022年4月23日 · 執筆者は841件の回答を行い、180.3万回閲覧されています

なんか呼ばれてる気がした。

技術的に」はどうってことなものです。別の回答で私の書いた記事引用されているので、その辺の歴史的なことはそっちを読めばわかると思います。「やればできる」範囲のことです。実際、あの記事には書きませんでしたが、そのちょっと前くらいに私の知人(日本人)がフルスクラッチUNIX互換マイクロカーネルOSを独力で書いてます。これも彼に言わせれば、「教科書通りに実装しただけ」とのことです。なお、UNIXOS実装は、いくつか教科書が出ています。また、「NET2」という4.3BSDのフリー(ってことになっていた)な部分のコードも公開された後です。つまり、参考にするもの結構あったんです。

実はOSのものは、「技術的にすごい」必要はないです。もちろん、いろんな点で「技術的にすごい」ことをする必要性のあるところはありますが、「普通実装」であれば「教科書通りに実装しただけ」で作れます。「ぼくのかんがえたさいきょうのプロセスモデル」なんてもの必要ありませんし、「マイクロカーネル技術」なんてのも、あればあったでメリットありますが、なければなくても困りません。UNIXのその辺は普通人達が思っているよりもずっと単純で、実装もそんなに難しいものではありません。ですから特に「何かの互換品を作る」というのであれば、動かすだけであればそんなに大変ではありません。バランス感覚要求されて難しい部分は既に他人実装しているわけですし、「教科書」や「参考コードはいっぱいありましたから。

Linuxが凄かったのは、一つは「運」です。多くの人が求めているタイミングで、まがりなりにも動くものを出すことができた。これは多分最大最強の「すごいこと」です。

Linuxリリースするちょっと前に、AST(Andrew Tanenbaum

)はMinixの「次のバージョン」についての「やらないことリスト」を作っていました。野良で作られたMinix386を使っていた人達を始めとする「MinixもっとUNIXになって欲しいと思っている人達」は、それを見てガッカリしたものです(私も)。Minix実用品にしようとする流れに完全に背を向けた形で「教材としてのOS」に力点を置いたもので、ASTの立場を考えれば当然とは言え、いろいろ残念な思いをしました。Linuxリリースされたのは、そのショックから覚めやらぬ時期だったので、それを見た人達は、まさしく

キタ――(゚∀゚)――!!

と思ったものです。本当にグッドタイミングだった。

その次に凄かったのは、「それを実用品に持って行けた」ことです。「動く」ということと「実用品になる」ことの間には、とんでもなく深い「谷」があります。これを超えるのは、「運」も大事だし「技術」も不要じゃないんですが、それだけでできるものでもありません。そもそもLinus自身が「最初はそんなつもりはなかった」的なことを言ってますからね。それでもどこで気が変わったか、あの「隙だらけのカーネル」でも、なんとなく実用品として使えないことはない程度にはなっていた。

そして、「隙」も凄かった。Ver 0.01のカーネルなんて、本当に隙だらけ。たとえば、システムコールエントリテーブルがあるのですが、その先の「実装」部分には「未実装」ってコメントが1行書かれているだけなんて状態だったのです。これは結構後の版でもありました。でも、その「隙」ゆえに、多くの人に愛され、「俺が何とかしてやろう」と思わせる。当然意図したものじゃないにせよ、これがなかったら「今」はなかったかも知れない。

等々、いろんな「凄さ」はありますが、それは技術のものではありません。「凄さ」は別のところにあったのです。

独自に似たものを作ってた人達(私も含まれる)が、一斉に自分の作っているものを投げ出して協力しようと思うくらいには「凄く」また、「隙」があったんですから。「マイクロカーネルこそが」とか、まぁとりあえずマトモに他人の使える自前実装作ってから言ってよね。ちなみに当時の私はMach

をいろいろいじくってました。Ver 3.0になっていろいろいじれるようになってて、MS-DOSの上からbootする版を作った人がいたんで、「これでユーザ空間OS書けるじゃん」って。

そんなわけで、「ぼくのかんがえたさいきょうのOS」を作らなかったのが、Linusの偉かったところ。愚鈍に「どうにかこうにかUNIXとして使える程度のもの」をちゃんと作っていいタイミングリリースした。そこが全ての始まり

「毒にも薬にもならない昔話」とはこのことではないだろうか。

技術的にも思想的にも誰の参考にもならない。

老人ならせめて1行くらいは誰かの役に立つ言葉がにじみ出るものだが・・・

そういう生き方としてきたということだろう。

PCWatchの山田祥平さんに似た臭いを感じる。

  • Quora自体がそういう場所だから・・・

    • 全部ではないけど、 どちらかというと実名で自己顕示したいだけの人が集まる場所だから、 傾向として毒にも薬にもならないポストが増えるのではないか。

  • カーネル書こうぜ

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん