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思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

光明に照らされて

2014年01月27日 | おひさま

 今日は、1月27日。

 当然日は過ぎて行くのですが、光陰矢の如し、はやい。
 
 新年早々には6件の新年会があり、お酒が苦手な私にとってはゆうつな日が続きましたが、最後の19日から数えても既に1週間が過ぎています。

 けさは月刊NHKの『ラジオ深夜便』1月号を読んでいます。

・オトナの生き方
 響きを極める・・・冨田 勲

・明日へのことば
 娘・翔子のほほえみに支えられて・・・金澤泰子

・明日へのことば
 縄文のこころ・・・上田 篤

と読み進みました。
 昨年の番組ですが、心に残る話です。

金澤泰子・翔子さん親子との出会いは、

光明を探して (1)[2010年01月25日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/1ad97320bf2bac73c59ed73515eaaa4c

光明を探して(2)[2010年08月22日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/d098191100cf25e4aad40512bbecbc12

小さき花・金澤翔子・加島祥造[2010年11月10日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/39d34c14cea83da8be78d7de87b061cf

でした。もう4年が経ったことに驚きます。
 
朝から感涙

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「おひさま (朝ドラ)」・道祖神のある風景その後(9月)

2012年09月17日 | おひさま

 連休の一日をヒマラヤスギの稲垣の手入れに専念しました。年2回これを怠ると大変なことになります。近くの送電用の電柱から分岐され我が家に来ている送電線はこの稲垣の上空を通っていて、自宅への送電線ですからはるか上空にあるのではなく目と鼻の先にあり脚立程度で手が届く範囲にあります。その送電線に並行して光ケーブルも通っていますので伸び放題にすると、切断事態になってしまうわけです。

 植樹して20年近くになろうとするヒマラヤスギは根元は直径20cmを越えていて、剪定をしていなければ優に2階まで届く高さになっていたでしょう(我が家は平屋ですが)。業者に頼めばそれなりの料金がかかるわけで我が家にはその余裕はありません。従って私がやるしかないわけで午前7時前から始めましたが、残暑が身に沁みるような天気で、快晴そのもの。長さ10mはきつい。剪定は稲垣横の出た部分ではなく、上部の突き出た部分で高さが電線とほぼ同じ、脚立を使い、幅1.5mの剪定、剪定量は軽トラック1台半ほどになりました。

 コンクリートやブロック塀ならばこんな苦労はするまいに、なのですがそこは自然美、終了後は疲れも消えるというものです。

 自然美ついでの話しなのですが、馬頭観音とともに連続テレビ小説の“おひさま”の道祖神がある風景、水車小屋とともに道の傍らにあった道祖神はどうなったのか気になり、土曜日に行ってみました。


(NHK連続テレビ小説“おひさま”から)

 残っていました。夏休みも終わり、紅葉の季節には早いのですがそれでも10人ほどの人たちがことずれていました。近くの田んぼの一角を10台ほど置ける駐車場にしたところに3台ほど駐車され、すべてが県外車でした。見ごろは9月のはじめなのですが、そば畑の風景の中に道祖神のある風景のセットがありました。セットとわかっていても、何度となく訪れても飽きない風景です。


(ソバ畑)

ソバの花で思い出すのが“NHKスペシャル「クニ子おばばと不思議の森」”。今も残る焼き畑農法、最初に播くのがソバの種。牛乳のテトラパックのような種、自然とはうまくできているもので種をまくだけで生き物のように土に馴染んでいくんですね。やせ地でもしっかり収穫することができ気候変化にも強い。宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』にもブドリが農家で働きていたころに不作で、直ぐにソバを撒き次の一年はソバを食べる、そのような内容が書かれていました。

 ソバの根元近くの茎は赤いのが特徴ですが、昔絵本で寒さに耐える物語がありました。

 下の写真が、土曜日の風景です。これが本物ならばと思うのですが、いつかは朽ちて公開終了となるのでしょう。その朽ち方を見ると近いような気がします。実際の撮影は一昨年で、放送は昨年、2年近くになるのですから仕方がないことです。

 どんなドラマであったのか、ご存知でしょうか。ご存知でしょうかには、番組内容の他に「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」の掲載記事です。

「おひさま (朝ドラ)」で、「この項目には、過剰に詳細な記述が含まれているおそれがあります。 百科事典に相応しくない内容の増大は歓迎されません。内容の整理をこちらで検討しています。内容過剰の基準、解決法、このテンプレートの除去基準を説明しているページもご覧ください。(2012年1月)」という警告文といっていいのでしょうか、まぁ注意書きでしょう。

 一度検索ドライバーで「おひさま (朝ドラ)」を閲覧してみてください詳細の意味するところがよく理解できます。

 女優の井上真央さんが主人公(このように書くと正解ではないのですが)の東京から真宗安曇野に移り住んだ家族の物語。



双体の道祖神、安曇野はどこへ行っても見ることができます。


道祖神のある風景 安曇野(4)

2011年11月18日 | おひさま

 常念連峰にも間も本格的な雪で白くなる季節になってきました。白馬方面の北アルプスの山々は白くなり、そろそろ防滑タイヤに履き替えなければならないと考えています。

 昨朝は本格的な霜。朝から太陽の光がそそぎ、地表に粉がふくように辺り一面に霜が降りていました。

 霜が降りるようになると紅葉の季節も終盤。昨朝は家を出る時間を早め、双体地蔵と馬頭観音のあるわたしの安曇野の定番の場所に立ち寄り撮りました。

 連続テレビ“おひさま”が終了し二ヶ月。世の中の流れが速いのかだいぶ昔のような気がします。

 牧歌的な夜明け。

 そして水車小屋と双体地蔵のある“おひさま”の撮影セット現場。



 紅葉したカラマツの山を背景に馬頭観音のある風景。


(この風景は”おひさま ”と関係ありませんが私の好きな風景です)

 代わり栄えのない風景ですが、こころを惹きつけられます。

 輝きの向こうに見えるあの風景。


(NHK連続テレビ小説“おひさま”から)


(NHK連続テレビ小説“おひさま”から)



(NHK連続テレビ小説“おひさま”から)

 なつかしい。

 今日は千曲市の外国の方の面倒をみなければならないので早めの出発。まだ夜は明けません。

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連続テレビ小説“おひさま”・道祖神のある風景・霧の中で

2011年11月01日 | おひさま

 安曇野に住んでとても好きな風景は、春ならば霞、秋ならば霧の向こうにうっすらと見える自然の姿です。

 NHK連続テレビ小説“おひさま”が終了し一ヶ月が経とうとしています。平原綾香さんが歌う「おひさま~大切なあなたへ」のCDを購入し、いい歳をして恥ずかしいのですが、通勤時間帯に時々聴きながら、道祖神のある水車小屋の山麓線を松本へ向かっています。

 昨朝は雨上がりの湿った空気に薄らと霧が立ちこめていました。テーマ音楽とともに15分ほど早く出発、こうなると撮影現場の道祖神のある水車小屋に行きたくなってしまいます。

 5分ほどで到着。人っ子一人いない静かな山麓の風景。駐車場にっ車を止め、付近の風景を撮りながら向かいます。

 この道祖神も含むセットは来年3月まで契約更新され残されることになっています。



 双体道祖神の石肌が朝陽を受けて光っています。



 今まで水車は動いていませんでしたが、静かに水を受け動いていました。

 セットだったのですが、いつの間には昔からある風景になっています。

 間もなく霧も山に引き上げあたりが朝陽に照り出されてきました。

 いまだに紅葉狩りの観光客をはじめ多くの人が訪れるこの場所。

 出来るならば思い出の地として、

 思い出の風景として、

 残したいものです。

 すぐそばにある豪農山口邸のモミジの紅葉が輝いていました。


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内なる神の記憶・心を救う言葉、詩

2011年10月17日 | おひさま

[思考] ブログ村キーワード

 NHK総合で10月10日に“不幸の津波に負けないで”100歳の詩人 という番組が放送されました。東北日本大震災の被災地で広がる心を救う「詩」その詩を書いた100歳になる詩人の柴田トヨさんとその詩に励まされている被災者の人々のお話でした。

 被災地で広がる心を救う「詩」~100歳の詩人

 被災者のあなたに
 最愛の人を失い
 大切なものを流され
 あなたの悲しみは計り知れません
 
 でも生きていれば
 きっといいことはあります

 お願いです
 あなたの心だけは流さないで
 
 不幸の津波には流されないで

 被災地の人たちを勇気づけているその「詩」を静かに一語一語をゆっくりと語る柴田さん、語り手は女優のあの“おひさま”の若尾文子さんでした。

 この番組のあまりにも心に沁みわたる内容にしばらく噛みしめたいと思いますので、詳細は後日改めて掲出しようと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 なぜこのような出来事が起こるのか。3.11の大震災や福島原発の事故以降、とても考えさせられています。そしてこのような出来事は、この世に永遠というものがあるとするならば、いったい誰が総括して記憶にとどめているのかと。

 そんなことを考えながら日を過ごしていると次の出来事がありました。

 mixiサイトで以前サンデル教授教授の政治哲学で、トンデモナイ罵声を浴びせる御仁がいてしばらく参加しないでいました。最近はどのようなものかと「万葉集」のサイトがあり好きな犬養孝先生の著書の額田王画を立てているグループがあり、最近の日めくり万葉集の話をサイト紹介したところ、・・・参りました。「Fc]という御仁から「自己満足しました?」のコメント攻撃を連続的に受けることになってしまいました。

 どうもブログに「自己満足」という言葉を付け足したのが、その御仁の気に障ったようです。人が他人にエネルギーを使う時には、相当な対人的問題を抱えている場合が多く、その原因を引き出すにはこちらも相当なエネルギーを必要とします。

 私にはどうもmixiは合わないようです。そういうことで当面コメント欄は事前承認に設定変更しました。先ほど言いましたが、こういうことは前にもあり嫌な思いをしたのですが、どうもこういう経験をわたしは忘れる傾向が強いのでいけません。
 
 今回はしっかり記憶にとどめ近づかないことにしようと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 柴田さんお素晴らしい詩から、「自己満足」の結果がもたらした、つまらない話をしてしまいました。

 話を変えて、今朝は、最近とても感銘を受けた言葉に「神の記憶」という言葉があります。この言葉はサイトで知り、これも考え続けていることなので、その話をしようと思います。

<世界で起こる悲惨な事件・事故・災害、そして日本の・3.11以降>

不幸な出来事はどこに記録されるのか?

自然による未曽有の災害、人の手による驚愕、残虐な行為。

身体の暗黒の闇の中からの嘆き、叫び。

ひたすらの神を信じることで、個的に救われるのか?

超越的な存在があるとするならば、その存在はその記憶の中に留めるのか。

記憶されるとして、その記憶の必要性、その存在理由は何なのか?

<いっさいの出来事は「神」のうちに記録されている>

という言葉を知って、その神は何を求めているのか?

人はどうしても自分に似せた相似的な他者を想像する。

 全ての起りうる出来事は全て、自分に起因するか、他人によるものか、不可抗力という自分に似た相似的な、第三者的な存在、超越的な存在にその原因を置く。

これ等のすべての想いは、自己の手による認識、認容の結果であるような気がする。

 確かに私たちの思考の限界を越える何かがあると思うが、その思うこと自体がそもそも人に起因する。

あえていうならば“忘れずに、幸せになろうね”なのかも知れない。

※この言葉は、“おひさま”で教えられました。

「忘れずに、幸せになりたいよね・おひさま」
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/9cc0c6cf2d3a3db0157c3cbe388eab99

番組では「忘れずに、幸せになりたいよね」ですが、“忘れずに、幸せになろうね”にしました。

話がそれてしまいました。

 内なる超越者の記憶として留めつづけ、幸せの物語の創造とその実践に努力、頑張らなければならないのかもしれない。

 なぜ、<記憶として留めつづけ>る必要があるのか?

 必要性という(概念の)存在、事実(そのように必要性という概念)を想起するのか?

 そう考えると、「人間はそう創られている」と言う他にないように思う。

 それが真理であり、善悪の二元に立つ理性ではなく、そう成らざるを得ないものだろう。

ということを今朝は思ったわけです。

 災害を天罰という言葉で語った人がおられました。

 空(そら・からっぽ)を見上げれば天(あま・てん)がある。

 間違いなく天空から雨が降り注ぎ、海を作り、天は地と対比し黄泉を創る。

 水・火・風・土・光

 天と地を構成するものたちは、時に荒れ、時に和ぐ。

 喜びも悲しみも全てはそこにある。

 干ばつには水を欲し、寒さにはぬくもりがほしい。
 
 心地よい風に当たりたいし、肥沃な土地に実りが欲しい。

 そして今日を作る光を!

 「天罰」は自己の心中にある攻撃的、動物的、想念ではないだろうか・・・私はそうはなりたくない。

内なる超越者の記憶として「忘れずに」、そして「幸せになろうね」の優しい言葉が欲しい。

 他人を折り伏したいという話ではなく、本当に自己満足の思考なのです。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 何だかんだと時を過ごしている柴田トヨさんの詩と柴田さんお姿に出逢うことになりました。最後に「くじけないで」という詩を紹介したいと思います。

「くじけないで」

 ねえ 不幸なんて
 ため息をつかないで
 陽射しやそよ風は
 えこひいきしない
 夢は
 平等に見られるのよ

 私 辛いことが
 あったけれど
 生きていてよかった
 
 あなたもくじけずに

<『くじけないで』(柴田トヨ著詩集 飛鳥新社)から>

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安曇野の“おひさま”

2011年10月04日 | おひさま

 出勤前のひと時。安曇野の“おひさま”を待つ。



 今朝は初霜です。タラの芽も寒そうです。来年の春先には身の長を超えて立派なタラの芽がなるに違いありません。

 葉には大きな蜘蛛が夜明けを待っています。





 安曇野の“おひさま”はちょうど6時ごろ昇りました。

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NHK連続テレビ小説“おひさま”終わりました

2011年10月02日 | おひさま

 朝の連続テレビ小説“おひさま”が、遂に昨日最終回を迎えました。

 安曇野が舞台ということで、昨年の8月から安曇野、松本で撮影が始まり、今年の4月4日からスタート







 私は真冬のこのシーンの撮影の日に初めてこの番組を知りました。本当に寒い日の撮影でした。



 8月23日に丸山家の日向子ちゃんの有明山小学校の入学式に自宅である万水川のほとりに建つ百日花庵前での見送りシーンで撮影が終了になったとの話で、ちょうど一年間出演者の皆さん大変ご苦労様でした。







 安曇野の春夏秋冬。



 ちょうど安曇野の稲刈りの風景の中に須藤家の人たちは東京から引っ越してきました。





 「道祖神のある風景」と題してよくブログにリヤカーに乗って来た田舎道、道祖神、水車小屋を紹介しました。





 安曇野では地元の人々も参加し、普段は保母さん、会社員の皆さんがごらん姿に変身し緊張の面持ちで画面に登場していました。






 放送開始4月4日の第1周目のタイトルは「母のナミダ」で、10月1日の最終週のタイトルは~すべての母より~でした。



常念岳登山から帰って間もなく母が死に、



母の言葉の「太陽のように明るい子」・・・・母を思う心は、おひさま(母)に向かって「おはよう」のあいさつの習慣となり、最終回の画面終了はこのシーンでした。



 NHKサイトの番組紹介にはこの物語は、

 ヒロイン・陽子が「たいようのようにいつも笑って世界を照らす」という亡き母との約束を胸に、信州・安曇野、松本を舞台に戦前、戦中、戦後を生きていくさわやかな一代記。

と紹介されていましたが、本当にさわやかな物語であったと思います。

 ロケ地は安曇野ばかりではありませんでした。サイトによると、

<撮影協力>
 長野県安曇野市、大町市、松本市、池田町、松川村、塩尻市奈良井宿、茨城県大子町、茨城県立土浦第一高等学校、茨城県常総市、神奈川県鎌倉市、千葉県君津市、栃木県宇都宮市

で、コメントで主人公の陽子が通う安曇野高等学校は、茨城県土浦市真鍋四丁目にある旧茨城県立土浦中学校本館 で国の重要文化財に指定されているということも知りました。

 今後気になるのは撮影現場の「道祖神のある風景」です。水車小屋の裏側の藁ぶき屋根が崩れるなど痛みが激しくなってきてしまいました。

 一過性の観光場所で間もなく撤去されることになると思いますが非常に残念です。

 サイトを見ると賛否両論ですが、私個人としては一生忘れない番組になりました。

 最後の登場人物に陽子の友人として、黒柳徹子さん、司葉子さんイメージ的に外れていない人選に製作者の努力に脱帽です。

 私は涙もろいほうなのでこの番組には泣かされました。

 ありがとうございました。

 参考までにすべてを録画しました。

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 NHK連続テレビ小説最終週「おひさま」の「道祖神のある風景」の今

2011年09月28日 | おひさま

 いま「終活(しゅうかつ)」という言葉が流行っているようです。言葉がはやるというよりも終活そのものが高齢者の意識の中に芽生えてきているという話です。

 自分押しを迎えるにあたっての心構え、姿勢と言ったところで終活イエー(遺影を取る)、終活墓地友達(死後一緒の場所に埋葬してもらう仲間)、遺言教室・・・ネガティブになりがちな老いの世界を明るく生きようという積極的な死を迎えるための活動、そう言った意味の活動で、就職率100%ならぬ終職率100%の世界に置ける現代人の新しいニーチェのいう価値の転換ブームと言ったところです。みなさんとても明るいのです。

 エンディング、必ず始まりがあれば終わりがある。連続テレビ小説「おひさま」も間もなくエンディング。真近くなると寂しさが湧いてきます。

 「おひさま」の最終週を迎えた昨日の安曇野は朝から濃い霧に包まれました。

 朝外気を浴びるために外に出るとごらんのとおりの霧、刈取りが終わった田の向こうに薄らと木々が見える幻のような風景となっていました。

 霧の風景が好きな私の脳裏に浮かぶのは、あの「道祖神のある風景」です。
 
 おひさまの主人公の須藤家の人々が東京から病気の母とともに安曇野に移り住む時に迎えてくれた双体道祖神、その道祖神のある風景です。

 たびたび紹介している風景ですが、昨朝9月27日午前6時30分ごろの国営アルプスあづみの公園近くにある道祖神と水車小屋のセットがある撮影現場の今です。

 現場にたどり着くころには後方に下がっていました。



今朝は人っ子一人いません。





昼間は今も観光客が絶えないところですが、本当に静かに双体道祖神がそこにありました。

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 NHK連続テレビ小説最終週「おひさま」の有明山の風景・北アルプス燕岳

2011年09月26日 | おひさま

 NHK連続テレビ小説「おひさま」も最終週に入りました。当ブログでは管理者が安曇野在住で「おひさま」大好き人間ですので時々番組に登場する安曇野風景を紹介してきました。








 
 東京から始めて安曇野に引っ越してくる風景があります。有明山の見える風景の右側に稲刈りの風景が折り込まれていて、「はぜ掛け」の風景が見えます。

 しかし今は大型コンバインで刈り取り農協の大型乾燥機で乾燥させてしまいます、従ってはぜ掛けの風景は今はありません。

今年の春先の田植え前の風景です。


田植え後の風景です。左側後方の山が燕岳です。


9月25日現在の風景


まだ稲刈りの済んでいない田もありました。

 今朝は、今ははぜ掛けのない「有明山のある風景」昨日9月25日の風景と有明山の後方に見える燕岳(つばくろ・だけ)2763mを紹介したいと思います。

 富士山はすでに初冠雪となりました。北アルプスも今週中には初雪が降るような気温が続いています。











槍ヶ岳が見えます。










燕岳山荘です。

 燕岳も間もなく写真の風景となります。番組では常念岳登山が紹介されましたが、地元の中学校では今は燕岳が中心です。理由は時間はかかりますが、さほどきつい坂道ではありません、従って危険を避けるためです。

 常念岳が危険な山道という意味ではありません。ゆっくり自分のペースで足元に注意しながら登れば、写真の風景が見られます。

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忘れずに、幸せになりたいよね・おひさま

2011年09月09日 | おひさま

(写真:NHKおひさま8月26日から)

 今朝もNHK連続テレビ小説「おひさま」の話をしようと思います。

この番組の紹介サイト、


(NHK番組紹介サイトから、「真央の部屋」です。)

#21 「忘れないままで」|真央の部屋|連続テレビ小説「おひさま」|NHK ...
http://www9.nhk.or.jp/ohisama/room/interview21/

 この「真央の部屋」で井上真央さんの番組中で一番心に残っている言葉が紹介されています。

 番組は、戦前、戦中そして戦後、現代と番組は続け10月1日で終わりとなります。今月のはじめに井上さんが他のNHKの番組にゲストに呼ばれ、アナウンサーの「心に残る言葉は何ですか?」という質問に、

「忘れずに、幸せになりたいよね」

という言葉ですと答えられていました。その内容が上記のサイトで紹介されていました。


満州から引き揚げてきた川原、偶然に丸庵を訪れ丸庵のみんなの楽しげな姿に、「どうなってんだ、この国は・・・」と叫びます。その後の陽子夫婦の語らいの中で、交された言葉です。


(上記に同じ。ぜひ見てください)

【井上真央】

 「つらかったときのことは忘れてしまいたい。でも、忘れていく自分がちょっと怖い」 陽子が、そんな後ろめたさを抱えていると、

 和さんは「忘れずに、幸せになりたいよね」と言ってくれました。

川原さんのことを考えると、この言葉がとても胸に響きます。

川原さんは、失ったものが大きすぎて、忘れることができないまま、つらい気持ちのまま、ここまでずっと生きてきたのです。
だからこそ、日本国中全体が戦争を忘れて新しい時代へ向かおうとしていることが、 彼には耐えられなかったのかもしれません。

あの時代は、川原さんと同じ思いを持った人が大勢いたのだろうと思いました。

<以上>

というないようです。

 大変な経験をしてきた。それは消せることでもなく、決して忘れてはならないこと。しかし、でも、幸せにならなければならないし、幸せになろうよ、という話です。

 東日本大震災の被災者の話の中で「私たちは食糧難をのり越えてきたから」「チリ地震の体験があるから」・・・・「災害も乗り越えていこう」と答える方が多くおられました。

 災害によってこれまでの生活が一変する。これまでのストーリが根底から覆させられます。以前哲学者鷲田清一先生の話の中で語られたことですが、悲惨な体験をのり越えて行くには新しいストーリーを作らなければなりません。

脚本家の作りだした言葉ですが、とても的確に表している言葉に思いました。

 「忘れずに、幸せになりたいよね」

とても心にしみました。

今朝も今現在の「道祖神のある風景」の残りの写真を最後に紹介します。

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