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思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

安曇野の秋

2007年10月28日 | つれづれ記
 中房渓谷の紅葉がとてもきれいな季節になった。渓谷の道路を燕岳登山口に向け車を進めると赤や黄色の色鮮やかな風景が続く。行きかう車も多く注意が必要。
 
 穂高山荘(中房温泉郷)のキノコがすごいとの話を聞き見に行く。

 「ひら茸」「なめこ」こんななめこがあるのです。

今年も北から鴨や白鳥の飛来が始まる。
 犀川の河川敷と御宝田池に向かう。

 犀川は、昨日の雨で濁っている。
 
 「続古代日本人の精神構造 平野仁啓著 未来社」の「古代日本人の人間意識P123」に次の一節が書かれていた。
 古代ギリシャ人は生命の自由を合理的な法則に発見したのであり、古代日本人は生命の自由を自然に発見したのである。さればこそ、古代日本人にあっては、自然によって美が存在しえたのである。

一顆明珠

2007年10月28日 | 仏教
 森羅万象、事物や自然現象も含め人間との関わりの中で、古代日本人がどのような感覚で自然を捉えていたかについて、「やまと言葉」を中心に考察している。その中で仏教が、古代の神国日本に大陸からもたらされ、今日のように根付くに至った不思議に古代日本人の姿をみる。

 仏教には「山川草木悉皆成仏」「一切衆生悉有仏性」という言葉がある。思考の視点は、自然物や人間の中に「何ものか」、この場合は「仏心、仏性」の「在(有)る」や「無しや」に向けられる。

 この場合には、この世に存在する事物や自然現象においてそこに存在する全てのものが同一、平等(仲間的な)に存在する姿として見る姿勢がなければ成立しない言葉である。 仏教の慈悲という言葉には、原語的に「平等、仲間、兄弟」の意味があるが、古代日本人にはそのような言葉のもつ意味が支障なく受容できる感覚があったからだといえる。

  「やまと言葉」に「からだ」という言葉がある。漢字で表記すれば「体」である。
 「から」という言葉には、稲の殻(から)、亡骸(なきがら)の骸(から)の意味がある。この意味から「から」には、国文学者中西進先生の解釈によると、彫刻の「トルソー」のように手足を付けない骨組みのような、物の根幹の部分を表す発音なのだそうである。

 すると「からだ」の「だ」は何を意味するんか。「やまと言葉」の「えだ」という発音には、「木の枝」や「手足・四肢」の意味があることから、中西先生によると、これは採トルソー的なものに「えだ」を付け、元々は「からえだ」と発音していたものが、日本人特有の日本語の発音を短縮するところから「からだ」と発音するようになったということである。

 中西先生の「『やまと言葉』とコスモロジーの世界」になるのだが、実に古代日本人の自然物(やまと言葉では、「もの」)との関わり中で、精神世界の重要な部分に事物の認識を「動的な働き」で捉える傾向を見ることができる。
 草木の枝も身体の手足も古代人にとっては同じ働きという性質であるという直感で捉えることができた。

 「花・鼻」は、「やまと言葉」では「はな」と発音される。これを「働き」の視点からみると、そこには「他よりも先にあるもの」という意味がみえる。
 人間の鼻は、顔の中ではさほど突き出ている形状ではないが、犬や猫などの動物を見るとその意味するところが解る。さらにそこには古代人が動物をどのように関わりの中でみていたかも解る。

 思うにこのような発想の根源は、物事の捉え方を統一の場という全体の中でみるからではないだろうか。すなわち「己」と「他」の別のない主客が統一された世界観で、物事をみているということを意味するのではないだろうか。

 匂える「色」も匂う「香り」も漂いの働きにおいては、同一であると認識する感覚、植物も人間の体も同一の働きの中でみる感覚、この古代人の感覚は、世界というものが「何ものか」によりネットワーク化されていることを意味する。中西先生は、そこに「け」という「やまと言葉」の存在を考えている。漢字で書いてしまうと「気(き)」という中国語を想起してしまうが、「もののけ」の「け」がそれである。言語学的に「か行」だから「き」が「け」に変化したと思いがちだが、そもそも「気(き)」という言葉が入る前に既に「け」という発音とその言葉の意味する概念が成立していたのである。

 今朝のNHK教育の「こころの時代」では、「自然」という言葉が板橋興宗禅師から禅的な説明されていたが、まさに古代人は西洋的な単なる存在、作為のない存在の意味の「natura」の視点で「自然」を観ない。
 「け」という働きでネットワーク化された「自然(もの)」として見ていたのである。

 このように観ていくと「仏心・仏性」が、大乗仏教の「色」という今現在の現象の中で素直に受け入れられるのは、正に日本的なのである。
 そこには明滅なき光の源である「何ものか」に照らされ、明滅する、ぎらぎらと輝く「われ」がある。

「もの」という「やまと言葉」

2007年10月22日 | 古代精神史

 「にほふ(匂ふ)」という「やまと言葉」を古語辞典(三省堂 全訳読解古語辞典)でみると次のように書かれている。

 「にほふ」の「に」は「丹」で、赤い土を意から転じて赤い色。赤い色が浮き出て目立つ意が原義で、本来視覚的なものに関して使用されていた。あたり一面に明るく華やいだ美しさがあふれているさまをいう場合が多く、この用法が、嗅覚に転用されて。中古以降になると嗅覚での用法も一般的になり、やがて視覚的な用法は忘れられた。

 「やまと言葉」について国文学者の中西進先生の「自然」という漢語と「もの」という「やまと言葉」の関係についての話がある。

 そもそも日本には、「自然(しぜん・じねん)」という言葉がなかった。「自ずから然り」という言葉が「自然」になったという学者もいるが、「日本には自然という言葉がなかった。」と主張する学者もいる。しかし人間が「自然」というものを認識しないわけがなく、中西先生は「やまと言葉」の中に探し出せないだけであると結論し、見つけ出した言葉が「もの」という言葉である。
 中西先生は、「『もの』という言葉は、一つ一つの品物を表現するとともに全体をも表現し、「魂」を意味することもある。その意味からすると「自然」という言葉が日本に入ってくる以前の「自然」に対するものが『もの』ではないか。」というのである。

 前回のブログで中国六朝時代は「自然」と概念の表現に「物色」という言葉を使用してたと書いたが、中国語の「物(ぶつ)」が日本語では「もの」と対応するが、非常に興味深い。

 ネイチャーは、自然と訳されても本来の概念は、事物の存在を示すだけで、単語には属性がない。即ち「やまと言葉」の「もの」のように「魂」の意味を含んだ「何ものかの働き」は含まれていない。ネイチャーに「心」の属性・働きをも含めた表現をするためには、ネイチャーに働きの語を付けなければならないことになる。

 中西先生の「もの」という「やまと言葉」が古代の人々の「自然」を意味するという解釈は、古代日本人の「こころ」を知る手がかりの一つであるような気がする。
 ちなみに古語辞典で「もの」を引くと次のように書かれている。

 五感によって感知したり考えたりすることができる対象を、漠然と一般的な存在として表現した語。人や動物、鬼神・怨霊・物の怪、物、ある物・・・・。


 


逐物為己、逐己為物

2007年10月21日 | 仏教
  山国の人間にとって海は特別な感覚を受ける。海風もさわやか、夕日はなんともいえない。

 潮風に「におう」風景。「やまと言葉」の「いろ・色」は、目と鼻で感ずる世界を表現している。カラーも「におう」の内にある。古代日本人は、香りを色と同じように感じていたのである。

 「にほひやか(匂いやか)」という古語には「つやつやと美しいようす」という意味があるようだ。
 古代人は、色も漂うものとして捉えていたのである。「にほふがごとく今盛りなり」「にほふような美しい人」という表現は、古代日本人の感覚表現になってしまった。

 中国六朝時代には、「自然」という言葉を「物色」と書いた。「物色」は「大字源」では、「ありさま、風景、景色、万象」と訳されている。

 この日は、日没が午後5時丁度。飛行機雲は人工だが、移ろいの時間は違っても、現前の風景として私には「而今従此来」今現在この場である。

 尽十方というのは、「自己が対象を捉えて自己となり、自己が自己を捉えて対象たらしめる相互交換して間断のない時の世界(石井恭二著 河出書房 道元 正法眼蔵1)」

 宿泊したホテルが、とても夕日が美しいという話であったが、確かに伊豆半島松崎の日没の風景はとても美しいものであった。

柿崎弁天島

2007年10月19日 | 歴史
  松陰は、重之助と顔を見合わせた。・・・幕府の代表林大学頭と、ペルリが、日本とアメリカの条約をとり結んだから、勝手な渡航はうけつけない、というのだ。
「三月とは、今月からか? 来月からか?」
「あなたの名は、なんといはれるか?」
「自分の名、ウイリアムスある。」
「ウイリアムスどの。・・・われわれは、禁を犯してまいったものである。今かえれば、われわれの一命はない。もはやどうしても、かえることはできないのでござる。」
「くらい夜、いま帰る、誰も知らない。早くかへるよろし。あなたがた、アメリカ行くこと、下田大将黒川嘉兵衛知ってるか? 知らない、だめある。嘉兵衛ゆるす、つれて行く。」
「では、われわれは、ここにいりから、嘉兵衛にかけあっていただきたい。」
「それ、出来ない。はやくかえるよろし」
昭和17年3月25日発行「神国魂吉田松陰 村崎毅著 学習社から」
 
 松陰を主人公にした小説は数多くあるが、上記の小説のこのウイリアムスとの会話部分は松陰の日記にかなり忠実に表現している。
 安政元年(1854年)3月27日夜半2時柿崎弁天島から吉田松陰と金子重輔はは密航を決断。上記の会話は、米艦ポーハタン号の艦上でのウイリアムス通訳官と松陰との会話である。

 この一夜の出来事が、松陰の「留置まし大和魂」から出たもので、後に、その身は武蔵の野辺に朽ちることになった。

 18日、19日の一泊二日で伊豆に旅に出た。
 18日は、二度目になるが下田の弁天島に行った。前回訪れたときは台風が通過したばかりで天候が悪かったが、この日は最高の青空であった。

 

悪行の報い

2007年10月15日 | 仏教

 前回のブログ「良心」で、「善悪を判断して悪事を避けること」と憲法上の「良心」解釈を中心に述べてみたが、この善と悪について「お釈迦様」はどのように話されているか、原点に戻って「ダンマパナ」を読んでみた。今回読んだ本は、「シリーズ仏教のエッセンス ダンマパナ 心とはどういうものか 松田愼也著 NHK出版」である。NHKでは、ラジオ第2放送「宗教の時間」で片山良一先生による「ダンマパダをよむ」が放送されており、このところNHKは「原始仏典」に力を入れている。

 ダンマパダ第五章「愚者」
 
ある行為をしたのちに、そのことで悩み苦しみ、顔に涙して泣きながら、その報いを受けるならば、そのようになされた行為は善くない(67)。

 ある行為をしたのちに、そのことで悩み苦しむことなく、喜んで心地よく、その報いを受けるならば、そのようになされた行為は善い(68)。

 愚者は、悪行の報いが熟しない間は、それを蜜のように思いなす。しかし悪行の報いが熟したときには、苦しみを受けるに至る(69)。

 悪しくなされた行為は、牛乳と同じように、すぐには固まらない。灰に覆われた火と同じように、じわじわ燃えながら、愚者につきまとう(71)。

 まだ悪の報いが熟しない間は、悪人といえども幸運に出会う。しかし悪の報いが熟したときには、悪人はもろもろの凶事(まがごと)に出会う(119)。

  報道によるとプロボクシング試合における亀田家の蛮行に処分が、間もなく協会から下されるという報道がなされていた。
 報道ではこれまでの、彼らの極道的な強圧的な言動、罵りと横柄な態度のビデオが流されていたが、「恥ずかしい」に尽きる。

 この68番の
「ある行為をしたのちに、そのことで悩み苦しむことなく、喜んで心地よく、その報いを受けるならば、そのようになされた行為は善い。」
は、深みのある句である。

 あの亀田家の人々は、リング上の出来事を今どのように思っているのか。
 その後の亀田家の人々の言動が紹介されていたが「そのことで悩み苦しむことなく」のようである。

 「喜んで心地よく、その報いを受けるならば」であるが、「喜んで心地よく」は、第三者が見ても「喜んで心地よく」である。したがって「誠に不徳のいたるところで申し訳ない。」「深く反省し、皆様に模範となるような人間になりたいと思います。」「なぜあのような、相手に嫌な思いをさせる言葉や、青少年に悪影響を与えるような態度をしたのか・・・・・」などの反省的心情の吐露であろう。

 けっして「ふて腐る」「投槍的な態度」は「喜んで心地よく」ではない。
 経験が、反省とともに成長の礎になるならば、その時の蛮行は彼らにとっては「善い」ことになるが、「それを蜜のように思いなす」のごとくに「ののしり」を快と思うならば、「悪行の報いが熟したときには、苦しみを受けるに至る」とあるように「苦しむ」ことになる。

 この「苦しみ」は、誰が見ても「苦」であって例外はないことを意味している。

 今日の写真は、松本市梓川地籍(旧梓川村サラダ街道)から見た風景です。遠くに見えるのが松本市街です。


良心

2007年10月13日 | こころの時代

  The still,small voice of conscience.
   良心の静かな細い声。
   「ハートで読む英語の名言(上)平凡社ライブラリー加島祥造著26番

 「良心」という言葉は「良心に訴える」とか「良心の呵責」などというときに使うが、仏教の系の本ではあまり見かけない言葉のような気がする。

 「良心」といえば「良心の自由」という憲法第19条の規定がうかぶ。国民の基本的人権の中の一つだ。
 久しぶりに憲法の教科書を開いてみると次のように書かれていた。

 「思想」の自由と「良心」の自由との区別については、思想の自由はいわば論理的に何を正しいと考えるかの判断についての自由であり、良心の自由はいわば倫理的に何を正しいかの判断についての自由であるということができる。また良心の自由は、思想のうちその道徳的判断に属する部分であり、さらに根底的な部分であるともいえるであろう。しかし、両者の関係は密接不可分であって、その境界はつけ難く、特に両者を密接に区別する必要はないというべきであろう(日本国憲法概説学陽書房佐藤功著P176)。

通説は、このように説かれほかの教科書にも

 倫理的な性格を有する問題についての考え方が「良心」であり、そのほかの問題についての考え方が「思想」であると一応区別できるが、憲法19条で両者が全く同じに扱われている以上、しいて両者を区別する必要はないと解するのである(憲法Ⅰ有斐核閣野中俊彦他共著P282)。

と書かれており「良心」とは、「倫理的な事柄」に属する言葉である。

 要するに「良心」は、善悪を判断して悪事を避けることであり、「良心の自由」という権利については、国家も絶対に犯してはならないことになっている。しかし、善悪の判断により、自分の外にその結果が、「悪(例えば犯罪行為)」的行為結果として出た場合については、責任を取ってもらうことになる。
 あくまでもこの権利は、「内心の自由」であり、害悪判断の結果には「個人責任」をとってもらうということである。

 加島さんは、「内なる声を良心の声としたい」と他人への思いやりについて述べている。 
 憲法は、「内に秘めた自由」と個人に善悪判断の全責任を持たせ、「社会生活はその信頼の原則の中にあるということを規定している」と勝手に解釈してよいもか判らないが、穏やかに生きたいものだ。

 ボクシングのタイトル戦を観てこの「良心」が気になった。「欠片(かけら)もない」とは、このことと思った。最初から最後まで「出ない人」がいるのである。「若いから」という考えで「良し」とできない状態である。

 某所で「我が心、鬼と仏があい住めり」と言った人がいるが、相当な覚悟を要する境遇に遭遇して得られた言葉である。
 相当な覚悟とは、凄いことだ、豪いことだ。


無差別殺人

2007年10月12日 | つれづれ記
 早朝の山々の風景を見ながら庭の掃除する。新聞を見ると長野県出身の女性が殺害(殺害を依頼)された「嘱託殺人」の記事が今日も掲載されている。
 新聞に「殺人」の記事が載らない日がないほどに、「人を殺した」という報道がなされている。

 事件の内容からみると「殺害された人間から生前に、身体的な、または肉体的な虐待を受け精神的窮地に落としめられた。」などの犯行理由を動機にしている、裁判員制度になれば罪一等を減ずる判決が出そうな事件は少ないように思う。

 経済的利益のため、精神的肉体的快楽のためなどの理由ではない、一時的な感情の激怒、興奮によるものが目立つ。
 殺害相手の選択に要する時間は、長期的な時間経過を経たものではなく短期間のもので、短時間と表現したほうが妥当であるものもある。

 「短時間」の殺害相手の選択は、ある面では「誰でもよい」ということになり、「無差別殺人」と表現できると思う。そのように考えると世の中には「無差別殺人」が目立つということだ。

 「テロ・ゲリラ・虐殺」による「殺人」がある。自己のまたは集団の政治的、思想的な主義主張の正当性を主張するために、対立相手または民衆を殺害するものである。この場合の殺害相手は、女、子供も含め「無差別」である。

 「多・少」の差はあるが、この世の中では「テロ・ゲリラ・虐殺」と同じ「無差別殺人」が、殺される被害者からすれば「理由なき殺人」が行われているのである。
 しかし、日本人は寛容である。「母子殺害」というよりも「母子虐殺」の法廷でも明らかだが、「法の正義」が高らかに主張され、不自然に思わない人がいるのである。

 橋爪大三郎先生の「心はあるのか(ちくま新書)」という著書がある。社会学者である先生は同書で

  日本人は、人を殺す、殺さない、というところに線がある、「殺さないように、殺さないように」と思っている。これはまあいいことでしょう。しかし悪い点もある。と言うのは、いったん殺すとなると、殺す方法に無頓着になり、殺し方の区別がなくなってしまうということです。9・11テロの犠牲者も、広島の原爆で殺された人も、まったく区別がつかなくなる。

と書かれている(P64~65)。

 先生は、「テロ」と「戦争」に対する悪の程度について日本と外国とでは差があると述べている。
 日本人には、戦争状況下で行われる「虐殺」も平和時で敢行される「虐殺」もその悪に対する憎しみ、被害者に対する同情心に差がないように思う。

 外国の人々は、平和時に行われる「テロ」は、戦争よりも悪の認識程度が高い。戦時下の「無差別殺人」よりも「テロ」による「無差別殺人」の方に外国人はより憎しみを感ずるらしい。
 日本人は、もう少し平和時の「無差別殺人」に怒りをもつべきであると主張するものではないが、何か考えさせられるものがある。

 ちなみに戦争に関してだが、ハーグ陸戦条約というものがあって、「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること」などと規定され「鉛だけの弾丸は使用禁止」になっており、それをしっかり守って戦争は行われている。この条約は狩猟には適用されない。
                  

叡知的現象

2007年10月09日 | 仏教
 「積極的孤独」ということばを津田和壽澄先生が提唱され、積極的孤独の時間の楽しみに惹かれている。

 「孤独感」という言葉は、ネガティヴなイメージが強い。これほど他者を意識している精神状態はなく、ある種の危険性を孕んでいるなどと思ってしまうが、積極的孤独とは「孤独の価値」の見直しから生まれたことばで、分別心で相互依存の立場からはみれば反対概念あり上記の孤独感は「消極的孤独」である。

 「思考の部屋」ブログにおいて、独我的な愚見を展開するに、思考する時間をもつには、この積極的孤独が必要不可欠である。

 「孤独であるためのレッスン」というカウンセラーの諸富祥彦さんの著書(NHK BOOKS)にモンテーニュの「私たちは、すべてが自分のためだけである、完全な自由になれる、小さな、人目から隠された庵を確保しなければならない。そして、そこでは本当の自由と本質的な退却と孤独とを達成できる」という言葉が紹介され、同書では「積極的孤独」という用語は使われてはいないが、「静寂に身を任せた孤独」という「孤独」のポジティヴな面について書かれている。

 この書の「人間を越えた何かとの出会い」の節に次の文章がある。

 孤独の精神を持って生きている人だけが、誰からも束縛されない自由な立場を保ちうるから、外的な要求や圧力に屈することなく、また、ほかの誰かの犠牲になったり逆に誰かを犠牲にしたりすることなく、この世にいのちを与えられた限り追求すべき「ほんとうの人生」を求めていくことができるのです。
 そして、自分にとって「ほんとうの人生」を求め続けるすべての人に、最後に与えられる出会いがあります。「人間を超えた何か」との出会い。超越的な世界との出会いです。

 
この「人間を超えた何か」について同書では,、さらに次のように語られている。

 この「人間を越えた何か」はしかし、いわゆる宗教的な超越者で、もっとていねいに言うと、集団的な宗教の信仰の対象者としての超越者である必要はありません。<中略>それを「神」とよんでしまうなら、もちろんそう呼ぶこともできます。しかし、そう呼んでしまうと、あらゆる理解を越えたその何ものか、「言語を絶した」あの感じがうまく伝わらない・・おそらくそうした動機づけからでしょう。さまざまな人が、実にさまざまな言葉をその何ものかを表現してしています。
 たとえば、実存哲学で著名なヤスパースという人は、それを「世界そのものである包越者」という独特の言葉で表現しています。

 ここまでくると西田幾多郎先生の「絶対無の場所」との関係と重なる。

 西田哲学は難解である。理解の近道は「解説書を」と西田哲学の関係書に記載してあったのでという訳ではないが、小坂国継著「西田幾多郎の思想」講談社学術文庫P169から次の記述を引用したい。

 「場所」とは、文字どおり「ものが(於いて)ある場所」のことである。ものを自分のうちに包むもののことである。例えば、物がある場所が「有の場所」(自然界)であり、意識現象がある場所が「意識の野」(意識界)であり、さらに叡知的・人格的自己がある場所が「絶対無の場所」である。このように、「そこに於いてあるもの」が何であるかによって、「有の場所」「意識の野」「絶対無の場所」の三種類の場所が考えることができる。また、「そこに於いてある場所」が何であるかによって、自然的現象、意識的現象、叡知的現象を考えることができる。
 しかし、このように三つの場所を考えることができるといっても、三つの異なった場所が独立に存在しているというわけではけっしてない。むしろ三種の場所は相互に重なっており、相互に結びついている。意識の野は、有の場所およびその場所においてあるものを自己の対象とするという意味で、有の場所を包む場所であり、また絶対無の場所は、意識の野を無限に拡大していったその極限に見られるという意味で、意識の野を包む場所である。

「人間を超えた何か」のある場所を主題にしているが、これには大前提がある。
 思考の世界は、あくまでも主観の世界である。大乗起信論でいうところの心生滅(有意識界)がその場所である。したがって、そこにおいては自分は、自分であることを自覚し自覚する意識が生成する事象であり、自己の外に決して出ていない。
ということである。

 過去・現在・未来を照らし出す仏性は、而今のわたしを作り出し、わたしは積極的孤独の中で思考する。

写真は、燕岳からの風景である。