企業の採用活動が12月1日からスタートした。2010年までは9月下旬開始だったから2~3ヶ月遅れとなったわけだが、
一部の識者や学生の中には、未だ企業の一括採用を批判する声が少なくない。
勉強する時間を削って、就職活動を行うことに意味があるのか。景気によって職業選択のチャンスが変わるのはおかしい。
たった一度の就職活動で人生が決まるのは、社会の硬直化を招くetc.などがその理由だ。
こうした方々は新卒一括より通年採用を行なえというお考えのようだが、人材が流動的なファッション業界では、通年採
用がかえって学生の就職意欲を削ぎ、モラトリアムを助長するように思う。それどころが、通年採用になったからと言って、
人気のブランドやショップへの希望者が減るとはとても考えにくい。
結局、身の丈に合った現実的な就職先が見いだせないままダラダラ就活を行なう学生が増えていく。そして、卒業しても
フリーターを続けたり、無職のままだったりして、時間だけが過ぎ去っていくのだ。
逆に考えると、とにかく洋服が好き、洋服を作って多くの人に着てほしい。そのために織りや編み、染色や加工、デザイ
ンやパターン、縫製、MDや管理、卸し、仕入れや販売までのいずれかに興味があって、少しでも理屈がわかっている学生
こそ、業界に入っていくべきなのだ。就職と言うより「自己実現」だ。
それには一括採用も通年採用も何の意味も成さない。働きたい人間でないと仕事ができないからである。
未だに階級社会が残る英国やフランス、また徒弟制度で技術伝承が行なわれるイタリアやドイツなら、学校で学んだこと
で一生食っていけるかもしれない。しかし、グルーバル経済と環境変化に左右される日本で、そこらの学校で身につけた技
術や能力がいつまでも通用するとは思わない。
まして夢を安売りしてパフォーマンスで終わる専門学校や、浮世離れのマスターベーション的講義を押し付ける大学で、
業界で仕事ができる人間なんか育成できるはずがないのである。
先頃、京都の繊維加工のプロ集団が大学服装学部の教授や学生90名を受け入れ、グループ所属の各企業で技術研修を行な
った。内容は捺染や絞り、プリーツ、製品プリント、整理など多彩な分野にわたり、国内外の著名デザイナーや有力ブラン
ドの受注をこなすノウハウに触れるものだ。まさに職人的でありながらたえず進化する高度な技術の体験学習こそ、業界で
仕事をする上で不可欠な勉強だと思う。
企業側も一括だの通年だの画一的なスタイルで学生を選抜するのではなく、志し高く自己実現したい人間を集める方がよ
ほど戦力になると思う。新卒だろうと、既卒者だろうと、フリーターだろうと誰でもいい。こんな服を作りたい、こんな店
で商売したいという人間を集めていくべきだ。
そして、企業は彼らに「なぜ、そうなのか」と問い質す。彼らは「そのなぜに答える」。そうしたやり取りで双方は考え
る力を育み、仕事の機会を増やしていけるのだ。企業は社員の自己実現を通じて、存在価値を認め、やり甲斐を提供する。
社員も一生懸命仕事をして、自分の立ち位置を見つける。
大卒で染色工になっていもいいじゃないか。専門学校卒で店舗経営者になれなくはない。環境の変化が激しい業界だから
こそ、挑戦的な人間の方が柔軟に対処できるはずだ。そうした門戸を自ら狭めるようでは、業界の将来にとても光明は見い
だせないと思う。
一部の識者や学生の中には、未だ企業の一括採用を批判する声が少なくない。
勉強する時間を削って、就職活動を行うことに意味があるのか。景気によって職業選択のチャンスが変わるのはおかしい。
たった一度の就職活動で人生が決まるのは、社会の硬直化を招くetc.などがその理由だ。
こうした方々は新卒一括より通年採用を行なえというお考えのようだが、人材が流動的なファッション業界では、通年採
用がかえって学生の就職意欲を削ぎ、モラトリアムを助長するように思う。それどころが、通年採用になったからと言って、
人気のブランドやショップへの希望者が減るとはとても考えにくい。
結局、身の丈に合った現実的な就職先が見いだせないままダラダラ就活を行なう学生が増えていく。そして、卒業しても
フリーターを続けたり、無職のままだったりして、時間だけが過ぎ去っていくのだ。
逆に考えると、とにかく洋服が好き、洋服を作って多くの人に着てほしい。そのために織りや編み、染色や加工、デザイ
ンやパターン、縫製、MDや管理、卸し、仕入れや販売までのいずれかに興味があって、少しでも理屈がわかっている学生
こそ、業界に入っていくべきなのだ。就職と言うより「自己実現」だ。
それには一括採用も通年採用も何の意味も成さない。働きたい人間でないと仕事ができないからである。
未だに階級社会が残る英国やフランス、また徒弟制度で技術伝承が行なわれるイタリアやドイツなら、学校で学んだこと
で一生食っていけるかもしれない。しかし、グルーバル経済と環境変化に左右される日本で、そこらの学校で身につけた技
術や能力がいつまでも通用するとは思わない。
まして夢を安売りしてパフォーマンスで終わる専門学校や、浮世離れのマスターベーション的講義を押し付ける大学で、
業界で仕事ができる人間なんか育成できるはずがないのである。
先頃、京都の繊維加工のプロ集団が大学服装学部の教授や学生90名を受け入れ、グループ所属の各企業で技術研修を行な
った。内容は捺染や絞り、プリーツ、製品プリント、整理など多彩な分野にわたり、国内外の著名デザイナーや有力ブラン
ドの受注をこなすノウハウに触れるものだ。まさに職人的でありながらたえず進化する高度な技術の体験学習こそ、業界で
仕事をする上で不可欠な勉強だと思う。
企業側も一括だの通年だの画一的なスタイルで学生を選抜するのではなく、志し高く自己実現したい人間を集める方がよ
ほど戦力になると思う。新卒だろうと、既卒者だろうと、フリーターだろうと誰でもいい。こんな服を作りたい、こんな店
で商売したいという人間を集めていくべきだ。
そして、企業は彼らに「なぜ、そうなのか」と問い質す。彼らは「そのなぜに答える」。そうしたやり取りで双方は考え
る力を育み、仕事の機会を増やしていけるのだ。企業は社員の自己実現を通じて、存在価値を認め、やり甲斐を提供する。
社員も一生懸命仕事をして、自分の立ち位置を見つける。
大卒で染色工になっていもいいじゃないか。専門学校卒で店舗経営者になれなくはない。環境の変化が激しい業界だから
こそ、挑戦的な人間の方が柔軟に対処できるはずだ。そうした門戸を自ら狭めるようでは、業界の将来にとても光明は見い
だせないと思う。