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嶋基宏(しま もとひろ、1984年12月13日-)とは、岐阜県出身の元プロ野球選手(捕手)である。現在は東京ヤクルトスワローズのコーチを務める。
概要
東京ヤクルトスワローズ #73 ヘッドコーチ兼バッテリーコーチ |
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嶋基宏 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 岐阜県海津市 |
生年月日 | 1984年12月13日 |
身長 体重 |
179cm 82kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 捕手 |
プロ入り | 2006年大学生・社会人ドラフト3巡目 |
引退 | 2022年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
プレミア12 | 2015年 |
プロ野球選手テンプレート |
中京大中京高、國學院大學を経て2006年大学生・社会人ドラフト3巡目で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。
中学時代は野球部主将で生徒会役員、成績オール5という優等生。高校、大学でも主将を務めたリーダー適性抜群の人材だった。捕手には頭の回転も必要であると考える当時の監督野村克也に見いだされる。
楽天時代
2007年はルーキーながら積極的に起用され、藤井彰人らと正捕手の座を争い、125試合に出場したが、打率は.183だった。ファン投票で選出され、オールスターに出場したりもした。
2008年は打撃は少し改善されたものの藤井彰人や井野卓の台頭などにより、出場機会が減少。
2009年前半戦は実質的な正捕手になり、藤井彰人から岩隈久志の正妻の座も奪ったものの、今度は中谷仁の台頭によってレギュラー定着は至らなかった。
2010年に突然打撃が覚醒。3割をキープしオールスターにも出場。終盤は2番を打つこともあった。最終的に打率.315をマーク、パ・リーグの捕手では2005年の城島健司以来の打率3割を記録した。一方守備は悪化。ライバルの負傷もありベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得したが、今までとは打って変わって守備に課題を残すシーズンとなった。
2011年は選手会長を引き受けシーズンを牽引していく役割を与えられたが、ペナントレース開幕を控えた矢先に東日本大震災が発生。ホームグラウンドである宮城・仙台のみならず東北全域が壊滅的な被害をこうむることとなる。結果、被災地のプロ球団である東北楽天イーグルスは野球の成績のみならず注目を集めることとなり、その中心には選手会長として息を吐く嶋があった。後述のチャリティーマッチでのスピーチをはじめ、楽天の代表としての重責が特に重くのしかかり、不本意ながら嶋本人の知名度も「野球以外の部分で」上がってしまった。
そのような事情もあり打撃成績は去年の三割到達には遠く及ばず、ストレスで円形脱毛症を発症するなど不振に喘ぐ。更に、そんな成績であるにもかかわらずオールスターゲームには前述のような「時の人」扱いもありトップクラスの得票数を集めて選出。嶋自身もそれを複雑に受け止めていた。
その後、シーズン終盤に行くにつれて調子を若干ながら回復したが最終的には打率.229、2本塁打、失策数11(パリーグ捕手最多)という不本意な成績に終わってしまうが、その一方でこの年沢村賞を受賞した田中将大の女房役として最優秀バッテリー賞を受賞するなど成績こそ不本意ではあれ、実りもあったシーズンとなった。
2012年は第1子が誕生。しかしシーズンでは5月に右親指を骨折し、離脱した間に岡島豪郎が台頭。復帰後は岡島と併用される。シーズンオフには日本プロ野球選手会の第8代目会長に就任。
2013年は開幕後から打点を荒稼ぎし、4月の時点で去年の打点(8打点)を越すなど、打撃が好調だった。自己最多の134試合に出場し、楽天史上初のリーグ優勝、日本一に貢献した。
2015年オフにWBSCプレミア12の日本代表に選出された。シーズン中に海外FA権を取得したが、行使せずに残留した。
2016年5月18日のオリックス・バファローズ戦でファールチップで左手首を骨折し2ヶ月戦線離脱。80試合に留まった。
2017年はWBC日本代表に選出されたが、右ふくらはぎの張りで調整が遅れたため辞退した。4月下旬に腰痛で一時戦線を離脱したこともあったが、112試合に出場し、4年ぶりのCS進出に貢献した。
2018年は113試合に出場したが、10年ぶりに本塁打が0本だった。
2019年は腰痛の影響で57試合の出場に留まり、後半戦でのスタメンマスクは1試合のみ。オフに減額制限を超える減俸を提示された上で、石井一久GMから今後は若手育成のため正捕手としての出場機会はないことを告げられ、出場機会を求めて自由契約となった。
ヤクルト時代
2019年11月15日に東京ヤクルトスワローズと契約したことが発表された。背番号は45。
2020年は練習試合で右手親指の骨折のアクシデントに見舞われたものの、開幕スタメンを勝ち取る。しかし7月11日の巨人戦で右足を骨折。3ヶ月近くの離脱を余儀なくされ、自身キャリアワーストの20試合の出場に留まった。
2021年は3番手捕手としてベンチにいることが多かったものの、ベンチでの盛り上げ・チームメイトへのアドバイスなど献身的な姿勢でチームのリーグ優勝・日本一に貢献した。オフにはそういった取組が評価され、2022年より選手兼任コーチ補佐を務めることとなった。
2022年はコーチとしての役割が大きく、選手としての出場は2試合に留まった。10月3日に引退試合が行われた。
引退後
2023年からは、ヤクルトの一軍バッテリーコーチ兼作戦補佐を務めた。2024年からは一軍ヘッドコーチ兼バッテリーコーチに配置転換される。
プレースタイル
最大の売りは強肩と正確なスローイング。1年目には盗塁阻止率リーグ2位、2年目もリーグ3位を記録している。一方で捕球にやや難があり、肝心な場面でパスボールを犯し失点したりピンチを広げることがしばしば。リードは割と強気に攻めるが返り討ちに遭うことも多い。
捕手としては珍しく俊足で、セーフティバントや盗塁を決めるシーンがしばしば見られる。打撃自体はあまり得意ではなく右打ちと小技で伏兵的な活躍をしていたが2010年には突如打撃が覚醒し、打率3割台を成し遂げるなど打撃面での飛躍も期待される。
嶋をプロの世界で開花させたのは入団当時の監督、ノムさんこと野村克也であった。
配球の根拠などを問い、常に傍に置かれて野村流の英才教育を施される姿はいつしか「説教」と呼ばれるようになり、ファンに定着していった。公開説教とも言えるそれはリードして打たれたときのみならず、上手く抑えようが、さらにはベンチ入りスタートでも行われ、結果それは嶋に野村流のキャッチャー論を刷り込むことになった。
東日本大震災を受けて 選手会長として
2011年3月11日、楽天の地元・仙台を含む東日本の広い範囲で未曽有の大震災が発生。
後に東日本大震災と呼ばれる地震や津波がもたらした甚大な被害は楽天の本拠地Kスタも例外ではなく、多大な被害をこうむってしまう。
その後、予定されていた3月25日開幕が延期となり、楽天は4月2日、3日に日本ハムとチャリティーマッチに挑むことになり、その際に行われた、嶋のスピーチはメディア各方面で取り上げられた。
※スピーチ全文はこちら
この中でも語られる
見せましょう、野球の底力を。
見せましょう、野球選手の底力を。
という言葉には、野球人として、被災地の希望を背負って戦っていこうとする嶋をはじめとした楽天の選手達だけではなく野球に携わる選手、関係者、そしてファンの決意が込められたフレーズであった。
そしてその言葉通り、嶋は4月12日に行われた千葉ロッテマリーンズとの開幕戦にて捕球ミスで1点献上するものの逆転3ランホームランを放ち、そこから更にベテラン達の猛攻をはじめとする全員野球で、楽天は東北の被災者へ開幕勝利を届けた。それはまさに「野球の底力」を楽天選手が一丸となって体現したものであった。
シーズン終わりにどうしてこうなったとは書かせないでくれよ・・・w
と書いてしまったら嶋の本塁打はこれを含めて二本という結果になってしまった。が、記録よりも記憶に残るホームランであったのは間違いないだろう。
東北のファンのためにも、来年はさらなる飛躍を目指して底力を見せて欲しい。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
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楽天(旧) | 応援歌のピコカキコ一覧#230 | 8902 | |
楽天 | パシフィック・リーグの応援歌のピコカキコ一覧#143 | 17664 |
成績
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
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2007年 | 楽天 | 125 | 354 | 312 | 33 | 57 | 6 | 0 | 2 | 16 | 3 | 20 | 1 | 20 | 1 | 74 | 6 | .183 | .234 |
2008年 | 85 | 223 | 196 | 20 | 45 | 13 | 0 | 0 | 19 | 4 | 11 | 0 | 16 | 0 | 40 | 6 | .230 | .288 | |
2009年 | 106 | 294 | 249 | 27 | 58 | 9 | 0 | 1 | 14 | 1 | 20 | 0 | 22 | 3 | 55 | 5 | .233 | .303 | |
2010年 | 127 | 485 | 422 | 33 | 13 | 17 | 0 | 3 | 43 | 9 | 17 | 1 | 45 | 0 | 90 | 15 | .315 | .380 | |
2011年 | 129 | 421 | 362 | 33 | 81 | 16 | 1 | 2 | 28 | 7 | 24 | 2 | 30 | 3 | 85 | 7 | .224 | .287 | |
2012年 | 91 | 316 | 265 | 32 | 77 | 4 | 2 | 1 | 8 | 3 | 13 | 1 | 33 | 4 | 51 | 5 | .291 | .376 | |
2013年 | 134 | 507 | 447 | 44 | 115 | 13 | 1 | 4 | 48 | 3 | 16 | 3 | 39 | 2 | 92 | 14 | .257 | .318 | |
2014年 | 126 | 432 | 350 | 43 | 92 | 13 | 0 | 1 | 36 | 6 | 11 | 5 | 65 | 1 | 84 | 13 | .263 | .375 | |
2015年 | 117 | 411 | 338 | 28 | 74 | 9 | 1 | 4 | 18 | 6 | 11 | 1 | 60 | 1 | 69 | 11 | .219 | .338 | |
2016年 | 80 | 256 | 199 | 26 | 54 | 9 | 1 | 2 | 17 | 4 | 17 | 0 | 40 | 0 | 43 | 6 | .271 | .393 | |
2017年 | 112 | 369 | 281 | 34 | 56 | 9 | 0 | 3 | 28 | 2 | 27 | 1 | 57 | 3 | 62 | 8 | .199 | .339 | |
2018年 | 113 | 361 | 315 | 21 | 65 | 12 | 1 | 0 | 21 | 2 | 15 | 0 | 30 | 1 | 89 | 3 | .206 | .277 | |
2019年 | 57 | 131 | 110 | 12 | 23 | 5 | 0 | 3 | 15 | 0 | 7 | 0 | 13 | 1 | 20 | 3 | .209 | .298 | |
2020年 | ヤクルト | 20 | 45 | 41 | 2 | 4 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 19 | 1 | .098 | .159 |
2021年 | 17 | 15 | 10 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 1 | 1 | .200 | .385 | |
2022年 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | .000 | .000 | |
NPB:16年 | 1441 | 4622 | 3899 | 390 | 936 | 137 | 7 | 26 | 315 | 50 | 212 | 15 | 476 | 20 | 875 | 105 | .240 | .325 |
表彰・その他
表彰 | ||
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ベストナイン | 2回 | 2010年、2013年 |
ゴールデングラブ賞 | 2回 | 2010年、2013年 |
最優秀バッテリー賞 | 2回 | 2011年(田中将大)、2013年(田中将大) |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 8回 | 2007年、2010年-2015年、2017年 |