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事実とは何か 79 「二度と同じことが起きないように」するための報道とは

えひめ丸事故のニュースを検索すると、「米原潜元艦長、えひめ丸事故謝罪」という共同通信の配信した以下のニュースがあります。

米原潜元艦長、えひめ丸事故謝罪 

書簡で責任言及、「今更」と遺族

 

 

【ホノルル共同】米ハワイ沖で2001年、愛媛県宇和島水産高の実習船「えひめ丸」が米原子力潜水艦グリーンビルに衝突され9人が死亡した事故で、艦長だったスコット・ワドル氏(61)が8日、遺族らに向けた書簡を公表した。書簡は事故から20年を迎える9日付。

「事故の責任は自分一人にある」とし、謝罪の言葉を記している。

 

一方、犠牲者の中で1人だけ遺体が見つかっていない実習生水口峻志さん=当時(17)=の父親龍吉さん(68)は共同通信の取材に「遺族にとっては20年前から時が止まっている。謝罪の言葉を述べられても『何を今更』という思いだ」と語った。

 

検索するとほとんどの地方紙がこの記事になっていました。

 

 

*事故から再発防止までの経緯が伝わるような報道になって欲しい*

 

それに対して、愛媛新聞ONLINEは元原潜艦長の書簡を公開する前日に、以下のような記事がありました。

米原潜元艦長 遺族ら宛てに書簡 えひめ丸事故20年 

2021年2月9日

 

 米ハワイ沖で宇和島水産高の実習船えひめ丸米原潜が衝突し、生徒9人らが死亡した事故は10日で発生から20年となる。当時の米原潜艦長スコット・ワドル氏(61)が愛媛県の取材に応じ、犠牲者、遺族、被害者への公開書簡を寄せた。「事故の全責任は私にある」と明言し「最愛の家族を失ったご遺族、同級生を失った生徒、船長、乗組員におわびする」と綴った。米海軍に遮られ、遺族らへの直接謝罪が遅れたことを「もっと早く会えるよう務めるべきだった。申し訳ない」と謝罪。この20年、事故と自身の過ちを世界中の人々の前で話し、共有してきたと振り返った。

 書簡はメールで送られた8枚にわたった。遺族、被害者の間では「広大な海で、なぜあのような事故が」という悔しさ、疑念が消えないが、ワドル氏は書簡で「事故原因は当時の米海軍査問委員会が徹底して誤りと過失を突き止めた」と説明。その上で「事故は回避可能だった。私が艦長として義務を怠った。」と記した。

 事故直後、米海軍と弁護士が作成したプレスリリースに「apologize(おわび)」ではなく、「regret(遺憾の意)」と記されていることを知った時の複雑な思いを吐露。「疑問を呈したが、ベストな言葉だと言われて結局そのままにしてしまった。過ちだった」

 事故直後、直接謝罪しないワドル氏に遺族らは憤り、関係者からは日米の文化の違いとも受け止められたが「上官に止められていた。もっと謝罪の機会を求めるべきだった。速やかな謝罪が重要なことは十分理解していた」と悔いた。

 青森県三沢基地で生まれ、日本に特別な思いを持ちながら育ったことに触れ、事故で「私の一部は死んだ」と書いている。

 ワドル氏は海軍退役後、電力関係会社などに勤務。現在は米ノースカロライナ州ケリーに在住し、講演などで事故の経緯を伝えている。

 書簡は10日以降、愛媛新聞愛媛新聞オンラインで掲載予定。

 

医療事故でも謝罪の難しさを感じるのですが、最初の対応によって気持ちのボタンのかけ違いがどんどんとひどくなる印象です。

 

事故直後には原因がわかっていないこともありますし、ほんのちょっと条件が違えば事故が回避されていた可能性もあるような理不尽な状況で、法は人に不可能を強いてはならないし、個人の責任だけにするのではなくインシデントを認め、報告し、再発予防につなげることが始まりました。

その中で、「事故に遭遇したスタッフがすぐに家族に謝ることはしない」と、最初の頃に教わりました。あるいは、責任者が「そのスタッフ個人のせい」として説明をしてしまわないということも。

ただし、それは「逃げている」とみなされやすいものです。

ですから、謝罪というのは本当にタイミングや方法が難しいものです。

 

今回の「謝罪」の意味は、艦長という責任者の意味での対応からボタンのかけ違いが起きたことについての「再発防止」の視点であることが、社会にまだよく伝わらない可能性もあるかもしれません。

リスクマネージメントという考え方が始まって、たかだか半世紀ですからね。

 

何か事故が起きると「真実を明らかにしてほしい」「二度と起きないようにして欲しい」という言葉が使われます。

今回の報道では、宇和島水産高校の地元である愛媛新聞の報道は、そうしたご遺族の感情とともに20年かけて事実を追ってきたからこそのこの記事と書簡の公開だった、という印象を受けたのですが、どうなのでしょうか。

 

 これから大海原へと出ていく水産高校生も、事故の当事者になる可能性もあります。

失敗を活かすための報道という方向が大事だと、読み比べて感じました。

 

 

 

 

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