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2013-01-01から1年間の記事一覧

哺乳瓶のあれこれ 16 <ミルクも『自律授乳』が基本といいつつ>

「哺乳瓶のあれこれ」 としてしばらく書いてきました。 哺乳瓶の必要性があるからこそ開発されてきたのに、哺乳瓶の弊害が強調されたり、乳頭混乱や過飲症候群のような医学的コンセンサスのない医学用語のようなものが広がってしまうのはなぜでしょうか? お…

新生児のあれこれ 43 <新生児の腹囲の変化>

身長や胸囲は日常的に変化するものではありませんが、腹囲に関しては一日の中でもかなり変動するのではないかと思います。 たとえば食後であれば腹囲はそれほど変化なかったとしても、もう少し上の上腹部がぷっくりと出っ張っていることは感じると思いますし…

新生児のあれこれ 42 <新生児のおなか>

新生児や乳児のゲップや吐く、あるいはそりかえるなども異常ではなく腸蠕動に伴うもので、「溢れてくる(溢乳)」胃結腸反射とのタイミングで説明できるのではないかということを前回の記事まで書いてきました。 それでもまだ、不安にさせる表現が残っていま…

新生児のあれこれ 41 <「溢乳は胃結腸反射」でおおよそ説明がつくのではないか>

年の瀬も押し詰まったのに、毎日、新生児の『吐く』話題ですみません。 新生児は「吐いている」という表現を使うのではなく、「胃結腸反射の大きな腸の動きの時に、飲んだものが口まで溢れて来る(溢乳)」というように表現を変えてみたら、お母さん達を不安…

新生児のあれこれ 40 <なぜあふれてくる(溢乳)のか>

たしかに新生児期にも、異常な病的な「吐く」という表現が必要なこともあります。 たとえばこちらの記事に書いた消化管閉塞の場合や、嘔吐(おうと)の<小児科領域の嘔吐>に書かれている、生後2〜3週間頃から目だってくる肥厚性幽門狭窄症に伴う噴水状の…

新生児のあれこれ 39 <溢乳とげっぷと胃結腸反射>

「30分ぐらい背中をさすっているのですが、ゲップがでません」 お母さんたちの悩みです。 前回引用した「周産期相談318 お母さんの回答マニュアル」の「よく吐きますが?」の回答でも次のように書かれています。 赤ちゃんはよく吐きますが、機嫌が良くお乳を…

新生児のあれこれ 38 <「初期嘔吐」は腸の動きの始まり>

お産が終わってほっとして、しばらくしてから赤ちゃんと一緒に過ごし始めるのはお母さんたちにとって緊張もしますが、本当にうれしいものでしょう。 出産直後には赤ちゃんを抱っこどころか顔をみるのも精一杯なぐらい大変だったお母さんたちも、赤ちゃんを連…

新生児のあれこれ 37 <異常な「嘔吐」と「初期嘔吐」>

出生直後の新生児がゲボッと「吐いた」場合にはこちらの記事に書いたように、まず看護スタッフはそれは病的な嘔吐(おうと)なのかそれとも生理的な「初期嘔吐」なのか観察することでしょう。 そして、生後1日2日ぐらいでそこそこに母乳やミルクを飲めるよう…

哺乳瓶のあれこれ 15 <乳児の様子がうまく通訳されないと・・・>

さて、少し間があいてしまいましたが、なぜこちらの記事まで新生児の表現を通訳する難しさやまだ十分に通訳されていない話を書いてきたかというと、「過飲症候群」という言葉が生み出された背景にもこの新生児の通訳の間違いがあるように思えたからです。 「…

「本質の歪み(問題の根本)」はどこにあるか

なぜ松井やより氏や鶴見良行氏のことを思い返していたのかというと、アピタルというサイトの「妊婦は患者?!」という記事がきっかけでした。 人が何かを書くのは誰かに何かを伝えたい、そして相手の行動に影響を与えたいからでしょう。 そこには社会をよくし…

「感情移入という自分中心主義の手法」

「エビと日本人」(村井吉敬(よしのり)氏、1988年、岩波新書)の題名について、私が感じたことを以下のように書きました。 「エビと日本人」 この感情を抑えた題名と内容だからこそ、今では必ず書店で目にするほど多くの人に読まれる本になったのだと思い…

「バナナと日本人」

ある食品を食べないことにこだわりを持っていた時期があったことは「ヴェジタリアンをやめた訳」に書きましたが、もうひとつ食べるのをやめたものがありました。 それはバナナです。 1990年代初めに東南アジアで暮らした時に、バナナプランテーションで働く…

何のために書くのだろう

あまたの書籍があり、あまたのブログが世の中にあります。 時々、ふと、みんな何のために書いているのだろうと思うことがあります。 私は・・・というと、最初に書いたように、医師のいない分娩場所がなくなるように願って書いています。あるいはこちらに書…

境界線のあれこれ 19 <新生児の正常と異常をどのように認識するか>

前回までの記事に書いたように、助産師になったばかりの頃は新生児の世話についてはそれなりにできていましたが、「異常」に対しては不安がたくさんありました。 「異常を見逃しているのではないか」と。 ですから、少し新生児の呼吸が速いと「多呼吸か?感…

新生児のあれこれ 36 <新生児の通訳になる>

前回の記事に書きましたが、助産師になって働き始めるとそれなりに新生児の世話はできるようになりました。 でもしばらくは、こちらの記事に書いたような状態でした。 まだその頃の私は、「泣けばおっぱい」「泣けば授乳」「泣けばおなかがすいた」と新生児…

境界線のあれこれ 18  <新生児の「言葉」をどこまで理解できているか>

「過飲症候群」について考える前に、新生児や乳児はどれだけ理解されているのだろうということを少し考えてみようと思います。 私が初めて新生児に接したのは、今から三十数年前の看護学生の時でした。 哺乳瓶でミルクをあげさせてもらった日の記憶がうっす…

哺乳瓶のあれこれ 14 <過飲症候群とは?>

前回の記事で、「『授乳・離乳の支援ガイド』実践の手引き」(母子衛生研究会、2008年、母子保健事業団)の中に「過飲症候群」という言葉が使われていることを紹介しました。 この手引きは、2007年に厚労省から出された「授乳・離乳の支援ガイド」をより実践…

哺乳瓶のあれこれ 13 <医学用語のようでないもの>

前回紹介した母子衛生研究会から出されている「『授乳・離乳の支援ガイド』実践の手引き」(2008年、母子保健事業団)には、「育児用ミルクの授乳間隔・授乳回数と授乳量の目安」(p.31)が掲載されています。 たとえば以下のようです。 出生後〜3,5日ほしが…

哺乳瓶のあれこれ 12  <哺乳瓶の弊害や効果を考える時に必要なこと>

「忘れてはいけないこと」で書きましたが、世の中には生まれてからミルクだけが成長の糧であり、そのために哺乳瓶と人工乳首が不可欠な赤ちゃんがいます。 哺乳瓶や人工乳首の「効果の宣伝」も「弊害」も、そのどちらにも欠けている視点が、こうした最初から…

哺乳瓶のあれこれ 11 <経産婦さんの赤ちゃん・・・哺乳瓶のような飲み方>

前回の記事のような「哺乳瓶の弊害についての一般論」を読むといつも思うのが、「経産婦さんの赤ちゃんなんておっぱいも哺乳瓶並みの早さで飲んでいるのに」という点です。 生後2〜3日頃までの<新生児のうんちとの闘い>と私が勝手に命名している時期がすぎ…

哺乳瓶のあれこれ 10 <哺乳瓶の弊害の一般論>

実際に哺乳瓶と人工乳首が必要な場合があるし、その恩恵で元気に育っている子どもたちが現にいるのに、それでもなお「弊害」が強調されるのはなぜなのでしょうか。 哺乳瓶の弊害として一般的に言われていることはおおよそ、3つに分けられるのではないかと思…

哺乳瓶のあれこれ 9 <「哺乳瓶禁止」法案?>

WHOコード「母乳代用品のマーケティングに関する国際基準」と聞いて思い浮かぶ最近のニュースが、「ベネズエラ議会が『哺乳瓶禁止』を審議 反発の声も」というものです。 南米ベネズエラの議会で、母乳育児推進派の一環として哺乳瓶の使用を禁止する法案が審…

哺乳瓶のあれこれ 8 <メデラ社・・・人工乳首をやめた?>

2000年頃からでしょうか、ヌーク社に変わってメデラ社というスイスで1961年に始った会社の製品を目にするようになったのは。 そのHPの最初には、以下のように書かれています。 「母乳が一番!」 「母乳育児製品を使用したトータル・ケア」 「母乳育児は赤ち…

哺乳瓶のあれこれ 7 <さまざまな商品の宣伝>

私が助産師になった1980年代終わり頃から現在まで、さまざまな人工乳首が発売されています。 私が勤務していた病院では、1990年代には一般的な形のものヌーク、2000年代に入ってからは一般的な形のものと「母乳相談室」ぐらいしか使っていませんでした。 そ…

哺乳瓶のあれこれ 6 <「アヒルの口」のように大きくあけさせる>

前回の記事で紹介したピジョン社とオケタニ企画が共同開発した「母乳相談室」という哺乳びんと乳首は、従来のものと大きな違いがありました。 ヌークの乳首も独特の形ではありましたが、その人工乳首を哺乳びんにはめこむネジの部分はそれまでのどのメーカー…

哺乳瓶のあれこれ 5 <1991年「母乳相談室」発売と広がるまでの時間差>

アフリカへの郷愁に浸っていたので随分と間があいてしまいました。 1990年代に勤務していた産科施設ではヌーク社の独特の形の人工乳首が主流だった話の続きです。 こちらの記事で紹介したピジョン社の「哺乳びんの歴史」では、1991年に「母乳育児トレーニン…

世界はひろいな 7 <あるところにはある>

電車の中でカメルーンの女性と話したきっかけだけで数日分のブログを書けてしまうのも、インターネットのお陰だとつくづく思います。 ソマリアとかエチオピアと検索するだけでたくさんの情報を知ることができるので、しばらく回想の世界に入り込んでしまいま…

世界はひろいな 6 <アフリカからほうほうのていで帰って来た>

1986年、東南アジアのインドシナ難民キャンプの任期のあと、東アフリカのソマリアに行くことになりました。 ・・・と書くと、何だかとても勇敢に活躍したかのようですが、タイトルの通りでした。 憧れのアフリカでの医療救援参加に、意気揚々として飛行機に…

世界はひろいな 5 <We are the world>

以前は家にいる時には必ず何か音楽をかけていたのですが、最近、すっかり音楽と離れた生活をしています。 こちらの記事の<正義感と理想>やこちらの記事の<強い感情は、新しい世界への扉>に書いたように、私はどちらかというと感情の部分で強く反応しての…

境界線のあれこれ 17 <肌の色>

1986年に2ヶ月ほど、アフリカの某国の医療援助活動に参加しました。 その直前まで住んでいた東南アジアでは、どこに行っても子どもたちが集まってきて仲良くなりました。 最初ははにかんで遠回しに「外国人」の私を観察しているのですが、ちょっとのきっかけ…