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川村湊『原発と原爆 「核」の戦後精神史』

 3月の原発事故から8月の原爆投下前後の時期を経て、「原発と原爆」をめぐるテーマがずいぶんとさかんに論じられた。
 バルセロナでの村上春樹のスピーチで、日本人はそもそもすべての核を捨てるべきだったと主張されたあと、この主張はぼくの周辺の左翼に実にスンナリと受け入れられた。それまで核兵器原発についての「区別」を論じていた身としては戸惑ってしまった。


 同時に「朝日新聞」的なものの周辺では、「こんにちの原発の悲劇をのりこえられなかったのは、核兵器の惨禍を味わったにもかかわらず、その対抗思想が『核の平和利用』であり、これを克服できなかったせいだ」という議論がおこなわれた。


原発と原爆---「核」の戦後精神史 (河出ブックス)
 本書はタイトルとサブタイトルにもあるように、「核」をめぐる戦後日本の精神史である。冒頭に、日本がアメリカに輸出した「文化」として『ゴジラ』『アトム』『AKIRA』をあげ、


アメリカにとって、いや日本を除く全世界にとって、日本という国は“原爆が落ちた国(原爆を落とされた国)”ということに特異性があるのであり、日本から学ぶべきものは、何といってもその“被爆=被曝”の体験から生まれた文化、いわば「原子力(原爆、放射能)による被害の文化」なのである。(p.7)


と「まえがき」に書いて、カルチャー、サブカルチャーに反映した戦後日本の精神史を検証していく体裁をとっている。


 ぼくの結論から言っておく。
 戦後精神史としてさまざまな勢力が隘路にはまっていく中で、「原発と原爆」をめぐる理論的・精神的な整理が結局できていなかったのかといえば、そんなことはない、というのがぼくの結論だ。本書はあまりに悲観的すぎる。というか、戦後の社会運動について悲観的にすぎる
 まず、核の平和利用と区別して、「核の軍事利用」すなわち原爆・核兵器の廃絶をかかげた運動を提起したことは日本においてまぎれもなく正しかったし、こんにちでもこの区別は重要なものだ。また、核の平和利用といったさいに、商業利用を現実に認めるグループと、商業利用の現時点での危険性を警告し研究にとどめるべきだとするグループでは、ぼくは雲泥の差があると考える。後者をすべて「核の平和利用」という言葉で一色に塗ってしまうやり方にぼくは反対する。


 こうした区別がなければ、日本の反核運動も、それによってきずきえた到達点ももっと弱いものになっていたにちがいない。




ゴジラピカドンの息子ではないのか?


 本書第一章「ゴジラ放射能の恐怖」では、

ゴジラは、ストレートには「ピカドン」の息子ではない。(p.14)

ただ、ここで確認しておきたいことは、ゴジラがそうした科学万能の(時代の)“象徴”となる以前の原子力(核エネルギー)の暴力的な表象であり、その口から放射能の光線を吐き出して、すべてのものを炎上させる(?)存在でありながら、現実の原子力の破壊力を証明した原子爆弾、すなわちヒロシマナガサキで炸裂した「ピカドン」の直接的な後継者ではないということだ。(p.13)

スクリーン上でゴジラを観た日本国民は、すでに終わってしまった「戦争(原爆)」に怯えたのではなく、今、ここにある平和と繁栄を脅かすものとしての「核兵器」の生み出す“破壊力”に怯えたのである。(p.17)

とのべていることが象徴的で、ゴジラヒロシマナガサキ被爆体験の直接の所産ではないことをくり返し強調する。

 
 『マタンゴ』『美女と液体人間』など東宝の特撮シリーズがその後に生み出す同種の映画は「放射能恐怖映画」とでもいうべきジャンルになっていると川村は指摘する。


ゴジラ [DVD] 『ゴジラ』の公開は米国のビキニ環礁での核実験被害=第五福竜丸事件と同じ年である。ふつうなら「原爆の被害にあった日本国民が、またもや核爆発の被害をうけ、反核世論が高揚した」と総括すべきところを、川村はヒロシマナガサキの体験を切り離して、「放射能恐怖」にすぎない、とまとめるのである。その「放射能恐怖」は戦争体験とは切り離され、すでに戦後10年たって築かれつつあった平和と繁栄を保守するためのものとして描かれている。
 その根拠として、GHQの弾圧下で日本国民はヒロシマナガサキの惨禍を十分に共有されていないことをあげている。
 東京・杉並から始まったとされる原水爆禁止運動も、主婦の生活要求(放射能への恐怖)から始まったとされ、原爆体験との断絶が強調されているのだ。


 ただ、川村の書いていることは、ところどころで動揺がさしはさまれている。

ゴジラは、戦後日本の平和を脅かす“敵”であり、それはヒロシマナガサキに落とされた原爆(あるいは「戦争」そのもの)という悪夢の再来ではあったのだが、……(p.16〜17)

このように、ゴジラ(や、アンギラスラドンモスラ、ドゴラなどのその他の怪獣)という象徴(表象)は、アジア・太平洋戦争の戦死者や被災者(空襲などの)たちの怨恨を表していると同時に、……(p.20)

ここ〔ゴジラのワンシーン――引用者注〕では「お父ちゃま」は明らかに日本軍兵士として死んだ戦死者である。映画『ゴジラ』には、そうした明白な「戦争」の影がある。戦争被害――原爆被害――水爆実験被害に対する告発という明確なメッセージがあって……(p.47〜48)


 『ゴジラ』には、第二次世界大戦や、ヒロシマナガサキ被爆体験というものが反映されているとみるのが当然ではないのか。「直接的に『原水爆』の恐怖を表象したものではない」のは、直前にビキニ環礁での水爆実験があったせいにすぎない。それなのに、なぜ「繰り返しいっておかねばならない」ほど断絶が強調されるのかぼくにはわからない。


 川村がこのテーゼにこだわるのは、30ページから始まる「唯一の被爆国」論批判とかかわりがあるように思える。
 日本国民は「三たび核兵器の惨禍をうけた『唯一の被爆国』であるから…」というロジックで核にたいする態度を問うのが国民常識となっているが、そもそもその3つをの体験をトータルにとらえる視点なんて初めはそんなに強くなかったんじゃねーの、という懐疑。あるいは、唯一の被爆国とかいってるけど、そこにはビキニ環礁で核実験の被害を受けたロンゲラップ島の人たちのことなんてすっかり忘れられているんじゃねーの、という疑問。
 その批判のために、川村のこだわりがあるような気がしてならない。川村はこの本全体を通じて、日本の反核の精神史に見られる脆弱性を指摘したいのだろう。


 しかし、原水爆禁止運動が日本全体に広がっていったのを、戦争体験やヒロシマナガサキ被爆体験から切り離して、「放射能マグロへの恐怖」だけから説明するのはいかにも無理がある
 川村が典拠としている『原水禁署名運動の誕生』の著者である丸浜江里子自身でさえ、

人々の「戦争はもうこりごり」という気持ちに依拠し、再軍備賛成の人とも「水爆反対」の一点で結びつく運動をつくりあげた

http://www.psaj.org/html/resume2011autumn/bunkakai7.pdf


と、起点となった杉並の署名運動の広がりを総括している。
原水禁署名運動の誕生 これは『原水禁署名運動の誕生』そのものにあたってみればわかることだが、なるほど出発点は、静岡を起点にした漁民や東京でも魚商たちの「放射能マグロへの恐怖」についての運動であるが、「原水爆禁止署名運動発祥の地」である杉並での広がりは、まさにヒロシマナガサキの惨禍をふまえての都市住民の動きがその重要な原動力になっている。丸浜の本に紹介されている住民の生の声や運動団体の声明、その前のストックホルム・アピール運動などの資料をみれば、戦争や被爆体験が重要な前提になっていることがすぐわかるだろう。


 さらに、丸浜は、『ゴジラ』について、四方田犬彦の『日本映画と戦後の精神』の「ゴジラ」評を肯定的に次のように紹介している。

映画史家の四方田犬彦は自著の『日本映画と戦後の精神』で、“ゴジラ”には核爆弾の脅威、日本と同じような核兵器の犠牲者、広島・長崎の惨禍を経て生き延びた戦後日本社会の隠喩が込められていると述べ、さらに民俗学者赤坂憲雄の「南方で非業の死を遂げた兵士たちの怨霊の隠喩」という解釈を紹介した。(丸浜『原水禁署名運動の誕生』p.218


 なお「南方で非業の死を遂げた兵士たちの怨霊の隠喩」という「ゴジラ」解釈は、加藤典洋『さようなら、ゴジラたち』を思い起こさせる。



80年代の反核運動総括がひどすぎる件

 第二章は『鉄腕アトム』論を軸にした原子力の平和利用論の考察である。

 まず川村は、『アトム』はもともと手塚治虫が「原子力の平和利用」について構想したものだった「アトム大陸」にいちゃもんがついてヤケになった「アトム大使」というネーミングからできたという紹介しつつ、できあがった『アトム』はそれほど「平和利用」については描いておらず、むしろ科学技術への警鐘などの色合いが濃い、というむねのことを書いている。

実は、『鉄腕アトム』には、「原子力の平和利用をテーマにして話をつくろう」という作者・手塚治虫の意図にもかかわらず、原子力の平和的側面や、その安全性や利便性についての言及が少ないと感じざるをえないのだ。(川村p.63)

つまり、アトムがむしろ例外的であって、手塚治虫のなかには、「科学文明」に対する手放しの礼賛や、「原子力科学」に対する絶対的な信頼(信仰!)は見当たらず、むしろ「原子力科学」に関する疑念は、彼の中では根本的なところで払拭されていなかったのではないだろうか。(同p.66)


 これにはぼくも賛成である。


 川村は“科学技術が善にも悪にもなりうる”という戦後の命題を、科学技術そのもののなかの「善悪」ではなく、使う人の心のなかの「善悪」の問題にしてしまった、と書いている。川村は原子力の平和利用(原子炉の商業的利用)にひっかけて、「戦後の日本人は、自分たちの心が『善』であることを疑おうともしなかった」(川村p.70)と述べているように、「原子力の平和利用」=原子炉の商業的利用は技術的に未熟な「悪」であるにもかかわらず、「善意をもった日本人」が使えば「問題ない」とした日本人のメンタリティを批判しようとしたのだろう。*1


 つまり、「軍事利用はダメだが平和利用はいい」という使い分けをすることは、分裂した対応であり、テクノロジーの危険性を見ずに「人の心の持ちよう」がよければきちんと使えるのだ、という思想こそが戦後日本の思想だった、と川村は言いたいのではないか。分かりにくいんだけども。
 川村は80年代の反核運動を「マスターベーション」「政治的に何の効力もない空虚なお祭り騒ぎ」(川村p.74)などと口をきわめてののしり、原子力の平和利用そのものへの深いさかのぼった統一がないことを批判している。*2


 すべての科学技術は、社会的利用のもとでしか実現しないのだから、「人の心」を媒介せざるをえない。「人の心」などと書いてしまえば、たしかに川村のいうように「精神主義的」に聞こえるが、実際に科学技術の利用は、個人の心理状態ではなくどのような社会制御のもとにおかれているのかで決まるはずだ。
 だから、科学技術を正しく、人間に奉仕するよう、あるいは人間と調和するように使えるかどうかは、社会をどうよりよく設計するかにかかっている。『アトム』に流れるオプティミズム楽天主義)は「(自然)科学オプティミズム」(川村)ではなく、「人間が望む社会は創りだし得るという社会的なオプティミズム」なのである。
 川村は北朝鮮のミサイルの例をあげて「平和利用としてのロケット、軍事利用としてのミサイル、などという区別は無意味だ」というむねのことを言っているが、弾頭が搭載されているかどうかは途方もなく大きな分岐であるし、そもそも北朝鮮政府という「人の心」(実際にはその政治システム)こそが問題のはずである。「ある技術そのものが悪」だという川村の思想の延長では「ロケットも全廃しろ」という結論にしかならんではないか。


 また、80年代の反核運動についての総括があまりにひどすぎる。
 まず、核兵器廃絶運動としての反核運動は、非核自治体を生み出し、神戸方式のようなすぐれた遺産を残した。こんにちまで核武装をゆるさず、非核三原則を少なくとも公式には堅持させてきた原動力、戦争体験の風化にもかかわらず日本の中に依然として反核感情が根強いのは80年代の運動の一定の成果である。
 そして80年代の原発にかんする運動。
 よく、80年代の原発批判の運動はまったく無意味だった、国民に根づかなかったというような議論をする人がいるけども、80年代に原発立地で断念においこまれている地域は決して少なくない。
 もちろん、80年代の反核運動原発反対運動も、多くの課題を残したことは事実だが、川村のいうほどひどいものだったとは思えない。



「平和利用」には「研究」もあれば「商業利用」もある

 第三章は「ナウシカAKIRAの戦後世界」と題されている。
 この章では、「原子力の平和利用」そのものに反対する学問世界の潮流にたいして、「平和利用」を唱えた武谷三男坂田昌一が断罪されている。

戦後の日本の科学者たちの原子力研究に対する立場は、三つに分類される。(1)原子力研究は、原爆被害国として全面的に放棄すべきである。(2)原子力研究を、平和利用に限って、部分的に再開すべきである。(3)原子力は、未来のエネルギー開発に結びつくものだから、研究・開発を進めるべきである。〔…中略…〕原則的に、この三つの立場以外のものはありえず、日本の科学者たちはこの(1)〜(3)の分類の中に分けられざるをえなかった。(川村p.108)


 いやいやいや。
 「原子力の平和利用」といったさいに、研究のみにとどめ、早急な商業炉の実用化を容認するかどうかで、対応に天と地ほどの差がある。なぜこの3つにしか分類できないのか、理解に苦しむ
 ここには「原子力の平和利用」という言葉では、隠蔽されてしまう重大な分岐があることがわかる。繰り返すが、「商業炉の早急な実用化」と「当面研究のみ」という立場では雲泥の差があるのだ。たとえば「安全な原発はできないだろうか」と研究すること自体を封じ込めることに何の合理性もあるまい。
 「原子力の平和利用」という概念ですべてを括りたがるのは、原発推進派と、原発批判派を過去にさかのぼって批判したがる「朝日新聞」的視点派である。両者はこの問題では一味なのだ。


 武谷や坂田のような立場を批判する川村は、要するに、(1)派のように放射能被害への「恐れ」をもっと持つべきだといいたいのだろう。

われわれ庶民が持たなければならないのは、すでに『鉄腕アトム』の項でいったことだが、「こわがる心」を大事にしなければならないということだ。(同p.121)


AKIRA(1) (KCデラックス 11) 『AKIRA』について、川村は次のような評価をあびせている。

核戦争以後の社会なのに、爆心地という巨大な空虚だけを残して、そこには放射能の被害や被曝の影響はまったくといっていいほど見当たらない。もちろん、放射能の影響もなければ、そもそも作品の最後でアキラが核爆発(これは自爆だ)を起こしてしまうように、核爆発に対する恐れも抵抗感も、この作品にはないのだ。(同p.143〜144)


風の谷のナウシカ 1 (アニメージュコミックスワイド判) 『風の谷のナウシカ』にたいしては、放射能汚染を思わせる「瘴気」の存在はあるものの、それがやがて浄化されていくという展開に、川村は批判を加える。

自然による自浄作用や、人為的な環境浄化、また人間の体が持つ自然治癒力というのが希望であることはもっともだが、残念ながら、それは限りなくファンタジーに近いものといわざるをえない。(同p.140)


 『AKIRA』『ナウシカ』がここで引き合いに出されているのは、放射能を「恐れる心」がないゆえに、「平和利用」だの「自然治癒」だの「再度の核爆発」だのといったくだらないファンタジーにからめとられるんじゃねーの? という例証ということだ。


 しかしだね、その「恐れる心」だって、正しい科学理解にもとづいて、厳密に考えればいいだけの話ではないか。揚げ足取りみたいで恐縮だが、川村が、自然の浄化能力にはまかせられないとしている話のなかで、放射性物質半減期を次々にあげて、

多くの放射性物質は、いったん体内被曝すると、一生かかってもその放射線量はほとんど減らないのだ(セシウムは、三十年かけてようやく半分)。(同p.140)

といっているのは、明らかな間違いである。セシウム137、セシウム134の有効半減期はそれぞれ100日に満たない、ということを川村は知らないのだろうか。

 ことほどさように、「平和利用」については「研究」と「商業利用」をきちんと区別すればいいのだし、放射能を「恐れる」といっても、「正しく恐れる」ことがやはり重要ではないのか。



結局戦後反核運動を悲観的に見すぎ

 結局本書を通して見てみると、その主張は、原爆のしっかりした総括もせずに「唯一の被爆国」などという脆弱な基盤で始められた反核運動は無力となり、さらに「原子力の平和利用」という言葉の前に絡めとられ、原発を容認するものになってしまった、原爆と原発は同じように危険なものだったのに、それをコインの裏表として把握し、同時にそれを抑え込む有効な思想や運動をもたなかった――というようなことになるだろうか。
 しかし、それにたいするぼくの批判は、戦後の反核運動にたいする評価があまりに辛すぎるし、「平和利用」という言葉で乱暴に括りすぎている、ということになるだろう。
 戦後の反核運動が一定の到達点をもっているという評価に立てば、原爆(核兵器)廃止運動と、原発廃止運動は、全く違った一致点、やはり別々のものとしてとらえられなければならない、ということは明白だろう。
 いやだってさ、世界ではまだまだ「原子力発電は要るんじゃないの」という人はいるけども「核兵器という残虐兵器はなくさないとね」ということで一致できる人ってたくさんいるでしょ。「そんなこといって、戦後日本も戦後世界も何にもかわらなかったじゃないか」という人がいるかもしれないけど、少なくとも日本が非核三原則を維持し、世界でも核戦争を起こしていない、という事実は重い。つまりこの区別を軸にした思想と運動が一定の成果をおさめているということなのだ。
 日本は今後「フクシマ」を経た国としてたしかに原発をやめるよう訴える道義的立場を持ち得るかもしれないけども、それは原爆(核兵器)をなくそうという議論とは区別して語られざるをえない。
 そうでなくて、村上春樹のようなスピーチをたとえば国連の舞台で日本政府代表がしてしまえば、「まあ被曝も被爆も体験した日本はそういうでしょうけどもね」というくらいの扱いしか受けなくなる。どちらも巨大な被害を受けた立場として語るのは当然だとしても、そのロジックは区別されたものでなければ、あまりに乱暴すぎる、ということだ。


 まあ、主張の根幹の是非は別としても、本書はカルチャーとサブカルチャーにおける「原爆と原発」の歴史をたどるうえではいろいろ役に立つ資料が多い。そういう点では使える1冊である。

*1:川村は前者の代表例をリモコンの所有でロボットの働きがかわる『鉄人28号』、後者の代表例を『アトム』に見ているが、この違いは、いかにもわかりにくい。

*2:ここの川村の論旨もわかりにくい。チェルノブイリ事故などをうけて脱原発運動やすべての原子力に反対する運動は起きていたと川村も書いているけども、それが十分に深められ、趨勢にならなかったという意味だろうか。