>歌モノのメロディーハーモナイズをする際(メロの始まりだけ、コードチェンジの時のみ)、メロディ–が跳躍進行すればそれと同時にその下のハーモニーも跳躍しなければ「ハーモニー」になりませんよね?
メロディーハーモナイズなら跳躍して当然です。しかし、「ハーモニー」という言葉の意味からは、跳躍しないからハーモニーにならないということはありません。
ただし「メロの始まりだけ、コードチェンジの時のみ」にハーモニーをつけるのなら、それはメロディーハーモナイズではなく、単なる「伴奏和音」です。メロディーハーモナイズなら、その理論に従って、メインのメロディーの動きに対して影のように付きまとわなければなりません。
メロの始まりやコードチェンジのときにボーン・ボーンと鳴らすのであればそれは「伴奏」です。
>しかし和音の連結では跳躍進行はあまり好ましくないと聞きます。
それは学校のテスト問題に回答するときの話です。
>メロディーハーモナイズと伴奏和音は違うものなのでしょうか?
あったりまえじゃあないですか!ボーンボーンは単なる伴奏です。
メロディーに「影のように付きまとうもの」と、「ボーン・ボーン」が同じはずがありません。
メロディーはメロディー、伴奏は伴奏で両者の間には何の関係もありません。
当然、使う理論・技法も違います。
メロディーを厚くするために下にハーモニーをつけます(メロディーハーモナイズ)が、これはあくまでもメロディーです。
細い紐をより合わせて太くしたようなもので、「メロディー」が太くなったから「伴奏」に名前が変わる訳ではありません。
メロディーを3本や4本のブラスセクションにアレンジする場合の方法(メロディーハーモナイズ技法)は決まっています。ドロップツーなどの技法がそれです。
一方、「伴奏」は、コードとリズムを提供するだけですから、和声学の理論どおりにタテに音を重ねてこれらを滑らかにヨコに繋げていけばよいのです。例えばピアノ伴奏で、わざわざ弾きにくくて失敗する(音をはずす)危険性のある跳躍を鳴らす人がいるわけありません。
ピアノの伴奏の場合、右手でドミソを鳴らしたら、次のFはドファラに決まっていますし、さらにそのつぎのGはシレソに決まっています。右手の各々の指が最短距離の(お隣の)鍵を叩くのです。これを五線紙に書けば和声学の理論どおりになります。ドミソを弾いて次にファラドを弾くことはよろしくないということです。ドミソ→ファラドでは右手が大きく右方向に移動します。これが跳躍です。何のメリットもありません。
とにかく、「メロディーたち」と「伴奏和音」は、まったく別なので、それを頭に叩き込んでください。両者はまったく別物で、役割も違えば、編曲するときに使う理論も違います。どちらも「音を重ねる」ということ以外には共通点はありません。
当初からそれを混同されているからトンチンカンなことになるのですよ。
映画を作るときに、タレントさんと、収録スタッフとを混同しているようなもので、「同じ人間である」という以外に共通性はありません。役割も違えば、やるべきこと・学ぶべきこと・必須要素も違います。「同じ人間である」「両者協働して映画を作ろうとしている」からといって、ひとくくりにしようとすることは間違いです。
あなたの課題とする習作をコードつきのメロディーとして画像にして示されたほうがよいです。希望の楽器編成を書けば、編曲の見本を書いてあげますよ。また私以外にも書いてくれる人がいると思います。2小節示せば十分です。
以前にも同じようなことを言った記憶がありますが・・・
お礼
すみません。文章が難しくしっかりと読んでいませんでした。 頑張って勉強します。 あと、この本の「和声法」と「セクションの書法」とは同じものでしょうか? ポピュラー和声ではどちらも必要でしょうか?