【nuance(ヌュアンス)O-EASTへの道 第1回】佐藤嘉風×フジサキケンタロウ
横浜発の4人組アイドル・グループ、nuance(ヌュアンス)。4月25日にグループ最大規模の会場、渋谷TSUTAYA O-EASTでのワンマン・ライヴ 「はじめましてヌュアンスです。」開催を記念し、今回から隔週で3回に渡り【nuance、O-EASTへの道】と題した短期連載をお届け。初回を飾るのはサウンド・ディレクターと所属事務所の代表兼、プロデューサーのスタッフ対談です。
グループ最大規模でのワンマン・ライヴ開催!
nuance 2nd anniversary 4th oneman
4th minialbum「town」 レコ発ワンマンライブ
〜はじめましてヌュアンスです。〜
2019年4月25日(木)@渋谷O-EAST
OPEN 18:00 START 19:00
ADV 3,000円 DOOR 3,500円(+1D)
チケット発売中
https://eplus.jp/sf/detail/2825200001-P0030001P021001?P1=0175
INTERVIEW : 佐藤嘉風×フジサキケンタロウ
横浜にnuance(ヌュアンス)ほど洗練されたアイドルはいなかった。神奈川県民である私がnuanceの登場に衝撃を受けたのは、神奈川県のアイドル史を書き換えるほどの存在だったからだ。
2017年に結成されたnuanceは、misaki、珠理、わか、みおから構成される4人組。彼女たちが最近メディアでもSNSでも話題になっている理由は、「タイムマジックロンリー」という、異様な情報量と昂揚感とポップさをあわせもつ楽曲をリリースしたからだ。2018年末に7インチ・アナログのみでリリースされると、リリース・イベントの途中でレコードは完売。2019年に改めてCDがリリースされた。
2018年には、いきなり〈SUMMER SONIC 2018〉に出演して話題を呼んだnuance。彼女たちは、2019年4月25日には渋谷TSUTAYA O-EASTでのワンマン・ライヴ 「はじめましてヌュアンスです。」を開催する予定だ。正気か。そう思ってしまうことを繰り返しているグループなのだ。
なぜnuanceは、そうしたスタンスで横浜から発信し続けるのか。nuanceの4枚目のミニ・アルバム『town』が2019年4月17日にリリースされる前に、サウンド・ディレクターを務めるシンガー・ソングライターの佐藤嘉風、所属事務所・ミニマリング・スタジオの代表にしてプロデューサーのフジサキケンタロウに話を聞いた。
取材場所のCAFEシトカは、佐藤嘉風がオープンさせた古民家カフェ。横浜市南区八幡町というディープ横浜を訪れるところから、この取材は始まった。
インタヴュー& 文 : 宗像明将
自分が根を張れる場所は横浜しかないなと思って
──このCAFEシトカは、2019年1月5日にグランド・オープンしましたが、このお店を作ったきっかけって何だったんですか?
嘉風 : ここは2階が自分の音楽事務所で、作曲スペースでもあるんです。普通はマンションの一室を借りるんですけど、それだとちょっと面白みがないんで、カフェとアトリエを一緒にして、情報発信基地になるといいなと思ったんです。
──横浜にこだわったところもあるんですか?
嘉風 : そうですね、やっぱり自分が根を張れる場所は横浜しかないなと思って。中学もこっちですし、ライヴもこの辺ばっかりなんで。
──嘉風さんは1981年生まれで、バンドの湘南探偵団を結成したのが2003年。そして、2004年にメジャー・デビューして、解散後の2006年にソロのシンガー・ソングライターとして活動するようになったわけですね。湘南が拠点になったのは何でなんですか?
嘉風 : 学生時代に親父とふたりで横浜に住んでたんですけど、喧嘩して出ていくことになって、たまたま見つけたアパートが逗子にあって。逗子や鎌倉でライヴをやっていたら、いろんなミュージシャンに出会ったんです。それで湘南のプレイヤーたちと一緒に組んだのが湘南探偵団なんです。
──湘南は当時から今に至るまで、ミュージシャンの層が厚いんですか?
嘉風 : 厚いですね。林立夫さんや上原裕さんもいるし、そういう人たちとありがたいことに普通にコミュニケーションがあったんです。
──嘉風さんが、桑田佳祐さんのサポートをやるようになったきっかけは何だったんですか?
嘉風 : 湘南探偵団の頃からお世話になってるスタッフさんからご縁をいただいたのがきっかけでして。桑田さんと出会ってなければ、ものづくりもできてなかったと思います。誰よりも音楽に詳しいし、そのクリエイティヴを見たので、自分は本当にすべてを教わったって感じですね。
──最初に桑田佳祐さんに関わったのは何年頃だったんですか?
嘉風 : 〈ひとり紅白歌合戦〉の初回(2008年の『昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦』)ですね。
──作家としても、乃木坂46の「渋谷ブルース」を作曲していますが、作家志向はあったんですか?
嘉風 : そこまで考えてはなかったですけど、やっぱり音楽で食っていきたかったのでコンペに応募させてもらいました。
──反響も大きかったですよね。
嘉風 : すごかったですね。仮歌詞だったメロディーに、秋元(康)さんが歌詞を書いて、「あっ、こんなふうに言葉が乗るんだ」って、ショッキングなぐらいで。周囲にはいろいろ言われもしたけど、自分的にはめちゃくちゃ嬉しかったです。
──フジサキさんは何年生まれなんですか?
フジサキ : 1974年ですね。
──何歳ぐらいから横浜にいるんですか?
フジサキ : 小学2年生のときからですね。
──高校時代からバンドの手伝いしてたそうですね。
フジサキ : バンドブームの世代で、自分でもバンドを始めて、安くいろんな音楽に触れるためにはどうしたらいいかと考えて、ライヴハウスで働きました。そのときは横浜ビブレの上にライヴハウスがあって、そこで照明で働きはじめたんです。そのときに、nuanceでカヴァーしている「サーカスの来ない街」を作曲したkaoruさんにも出会って。それをやりながら、デザインの専門学校にも行って、1回デザイン事務所に就職したんですけど、10か月くらいで辞めて、独立しました。
──いろんなバンドのローディーもやっていたんですよね?
フジサキ : スタッフ系をやってたのは25歳ぐらいで、自分の会社を立ちあげてからですね。
──それも若いですよね。デザインの専門学校を20歳ぐらいで出て、そこから25歳ぐらいまでは何をやっていたんですか?
フジサキ : 飲食店でずっと働いてましたね。
──どんな飲食店だったんですか?
フジサキ : 横浜にSAMADHI (サマーディー)ってお店があったんですけど、そこはレゲエが大好きな店長がいて、音楽がずっと流れているお店で、3年ぐらい働いていたのかな。
──25歳で会社を作ったのも思いきってますね。
フジサキ : それまで飲食店で未経験だったから、「なんでもできます」って嘘をついてデザイン事務所にはいったんですが、いざはいると何もできないじゃないですか(笑)。デザイナーから営業に移されて、昼間に営業をやって、会社に帰ってきたら終電までデザインを教わって。そのうち、受けた仕事を自分でやるようになって、得意先を全部抱えて辞めて会社を立ちあげました(笑)。
嘉風 : やっちゃいけないやつですね(笑)。
フジサキ : 会社を立ちあげたぐらいのとき、僕は新横浜に住んでて、新横浜ベルズっていうライヴ・ハウスがあったので、そこのブッキングを少し手伝うようになって。そこでMiyuMiyuやピストルモンキー(ズ)(現:漣研太郎とピストルモンキーズ)に出会うようになって、手伝いはじめました。
──後にnuanceがカヴァーするアーティストにそこで出会ったわけですね。
「なんか変な人だな」みたいな(笑)
──そんな嘉風さんとフジサキさんが出会ったのはいつなんですか?
嘉風 : フジサキさんがMiyuMiyuをやってた頃ですね。10年ぐらい前。
フジサキ : MiyuMiyuをやるようになって、そのときに僕がGOOD LOVIN'というユニットのスタッフをずっとしていて、そのGOOD LOVIN'にプロデューサーがつくんですよ。それが平井堅さんやorange pekoeをやってたURUさんで、そのURUさんがちみんっていうシンガー・ソングライターの女の子のマネジメントも始めたんですよ。そのときにちみんと仲良かったのが嘉風くんで、たまたま遊びにきてたところで初めて会ったのかな。
嘉風 : そうですね。僕はすごいちみんが好きで、一緒にツアーを回らせてもらって、そのときにフジサキさんが同行してて、「なんか変な人だな」みたいな(笑)。
フジサキ : ちみんとMiyuMiyuと嘉風くんのスリーマンで、大阪も行きましたね。で、それっきりだよね?
嘉風 : 何年か間が空いて、フジサキさんがLily(yoshidamachi Lily。横浜市中区吉田町にあるコミュニティ・スペースで、nuanceの定期公演『ヌュマ』の開催場所)を作って、1年ぐらいしてから意を決して行って。
フジサキ : そんな意を決さないとこれないんですか。
──Lilyは何年にできたんですか?
フジサキ : 2015年ですね。
嘉風 : それで5、6年ぶりぐらいに会って。漠然とフジサキさんが「ガチ!」シリーズ(食べ物の商品ごとに横浜の商店街でNo.1の店舗を決める企画)のテーマソングを歌うアイドルをやってみたいって言ってて、僕もぜひやってみたいって言って。そっから話がいきなり進みだして、あれよあれよという間にメンバーに出会って。
フジサキ : もともとは1曲だけお願いしようと思ってたんですよ。「曲書いてくれない?」って言ったら、「全面的に関わらせてほしい」と言ってくれて、こっちとしてはシメシメという感じなんですが(笑)。
嘉風 : あはは。
──フジサキさんがアイドルを作るきっかけは「ガチ!」シリーズだったと。
フジサキ : 「ガチ!」シリーズは毎回テーマソングを周りのミュージシャンに作ってもらってて、2017年の「ガチチョコ!」のときに、「チョコだからスイーツだし、次のテーマソングは女の子に歌ってもらいたいね」なんて話をしてて、「じゃあアイドルを作ってみましょうか」っていう感じで始めたんです。わりとぼんやりした感じだったけど、やるって決めたから、ずっと続けるものを作ろうとは思っていましたね。
──フジサキさんは、アイドルにそれまで興味はあったんですか?
フジサキ : まったくない。ゼロですね。
──嘉風さんはアイドルに興味はあったんですか?
嘉風 : 曲には興味がありましたね。作曲家の伊藤心太郎さんにずっと作曲を教えてもらっていて、その人がAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」も書いていらしたので、「人の心を動かすメロディーをどうやって書いてるんだろう」とか、すごい面白かったんです 。
──嘉風さんが、全面的に関わらせてほしいとフジサキさんに言った理由は何だったんですか?
嘉風 : コンペは100曲書いて1曲が世に出ればいいほうだけど、自分でグループを作って、自分の曲を歌ってもらえば、作ったものを世に出して、世の中に問うこともできますから。
──フジサキさんが嘉風さんに「ガチチョコ!」の曲を頼んだ理由は何だったんですか?
フジサキ : もう小野瀬(雅生。クレイジーケンバンドのメンバー。『公勝良』名義でnuaceの『Love chocolate?』を作曲)さんやN.U.(nuanceの『yokohama sweetside story』『WE LOVE商店街』の作詞作曲)が決まってたので、毛色は違うけれど、どこか横浜感がある人というところでお願いした感じですね。それで嘉風くんが全面的にディレクションしてくれるって話になったから、そのときにふたりで、どんなイメージにしようか話しましたよね。
──それはどんな話になったんですか?
嘉風 : 横浜のイベントだし、横浜のアイドルだし、横浜らしさをどうやって出すか、どこまで出すかっていうのは考えました。音楽的にどういうものにしたら、横浜らしさを直接的すぎずに伝えられるんだろうとも考えましたね。「80年代の洋楽サウンドの感じなんですかね」みたいな話しあいがあって。
フジサキ : けっこう詰めたよね、あの頃は。横浜の地図を描いてて、いろんなかたにもその地図を見せて、地図に音楽を乗せていくみたいな感じでスタートしました。
──それがあってこそ、「クレイジーケンバンド、Suchmos、nuance」と並ぶ横浜の系譜があると。
嘉風・フジサキ : あはは。
フジサキ : それは宗像さんに言い続けてほしい。
──そういう横浜の系譜とは別に、nuanceはフジサキさんの関わってきアーティストのカヴァーもしていて、「フジサキケンタロウの名曲ルネッサンス」みたいなところもありますよね。
フジサキ : それは宗像さんしか言ってない(笑)。
──具体的には、kaoruさんの「サーカスの来ない街」、MiyuMiyuの「sanzan」と「wish」、ピストルモンキー(ズ)の「駅とブランコ 〜恋のステイション〜」をカヴァーしています。自分が関わった名曲を世に出したいっていう気持ちも強いんですか?
フジサキ : 強いですね。自分がスタッフをやって、一緒に頑張ってきたけど、今ひとつ伸びなかった。でも、曲はいいと思っている。それを大勢の人に聴いてもらうチャンスがあるんだったら、それはやりたいんです。それが結果に結びつくのが最高で、作曲者や作詞者に少しでも還元できたらいいなと思いますよね。
地元の人に認められて初めてローカルアイドルという称号がつくんです
──横浜をテーマにしていたら、「yokohama sweetside story」みたいな曲を作っていくのが手堅いと思うんですよね。でも、「セツナシンドローム」や「ミライサーカス」みたいな近未来的な曲もありますね。
嘉風 : あれも地図からなんです。「セツナシンドローム」は、新山下エリアの埠頭の工場エリアをテーマにして作っているんですよ。「ミライサーカス」は、サーカスがみなとみらいにくることがあるんです。みなとみらいの何もない土地に、大きなサーカスのテント立てて。そうすると、サーカスのテントと近未来の都市の夜景が一緒になってて、自分の中ではその場所のテーマソングだったりするんです。横浜に住んでる人はそういうのもわかるし、そうじゃない人は単純に楽曲の面白さで聴いてくれてるのかな。
──2017年のファースト・ミニ・アルバム「gachi choco!」は、説明を聞いていると完璧な構成ですよね。2017年のセカンド・ミニ・アルバム『mirai circus』も同じような方向性ですか?
フジサキ : どちらかというとサーカス縛りで作っているから、全部歌詞の中にサーカスなり動物なりをいれてますね。
──そして、2018年のサード・ミニ・アルバム『ongen』は?
フジサキ : 「セツナシンドローム」ができたとき、ちょうど山下埠頭沿いを車で走ってて、「これはやばいな」って思って。そのときに「こういう路線でいいのかな」って僕の中で思ったんです。あえて横浜っていうワードを出すんではなくて、少し考える余白も持っていこうってなった流れで、『mirai circus』と『ongen』がある感じなんですよね。シウマイや銘菓を出す必要もないですし、「ご当地です」って言う必要もなくて。地元の皆さんに認知されて、「この子たち、横浜のご当地アイドルなんですよ」って言ってもらえるようになったら、初めてご当地アイドルなのかな、っていうのが僕の中の認識なんですよ。どこかしら必ず横浜っぽい素材を入れて、それを横浜の子たちがやってるんだから、もういいでしょう、っていう。
──nuanceに対して、私も「横浜のローカルアイドル」という表現をしますが、そこに対する違和感はありますか?
フジサキ : 自分から言う必要はないと思うんですよ。地元の人に認められて初めてローカルアイドルという称号がつくんです。ようやく最近、いろんなかたが「nuanceって横浜のロコドルなんでしょ?」みたいな言いかたをしていただけるので、少し認知されたのかなという気がします。いちばん初めの頃は、「私たちはご当地アイドルです」とは絶対に言わないように、メンバーに箝口令を敷いてましたね。
──横浜というのは、戦後歌謡史においては、たとえばいしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」や五木ひろしの「よこはま・たそがれ」のようなエキゾティックな題材として扱われてきた面もあると思うんです。それに対してnuanceからは、メランコリーも強く感じます。
嘉風 : そこまでの意識はないんですけど、クリフサイド(横浜市中区元町にある1946年創業のダンスホール。nuanceは2017年12月21日にワンマンライヴをして以来、フェス『フェヌュ』も開催している)とか場所のエネルギーは勝手に受けちゃいますね。フジサキさんの関わってる、横浜のいろんなレストランとか、そういう場所に行くと、やっぱり歴史を感じちゃうんで、そういうのが知らないうちにはいってるのかもしれないですね。僕らにもはいってるし、メンバーにも知らないうちにそれは滲んじゃってるのかなって。
──じゃあもう過剰に「横浜」っていう意識を持っているわけでもないと。
嘉風・フジサキ : そうですね。
フジサキ : もうメンバーたちも僕も、あまり横浜がなんなのかっていうのを、逆にちょっとわかってない部分はあるんじゃないかな。
次はどんなのをやろうかっていうワクワクが増えましたね
──クリフサイドは、nuanceの2度目のワンマン・ライヴをした重要な場所だと思うんですが、そこを舞台にした「タイムマジックロンリー」のような傑作が出てきたのは、もう意味がわからなくて。
嘉風・フジサキ : あはは。
──音楽的な系統として、今までとは全然違うものが出てきた衝撃があったんですよね。
嘉風 : 普通だと大衆に向けて行くときにわかりやすさって大事だと思うんですけど、nuanceは逆に遊ばせてくれるんですよ。フジサキさんからもファンのかたからも、「もっと変なのも投げてきてよ!」っていう期待を感じていて。だから「タイムマジックロンリー」は、「変なコード進行にできないかな」とか「裏切るような感じにならないかな」って作っていって、あの曲もう1回作れって言われてもできないんです。目をつぶって、ギターをバンッって押さえて、そのヘンテコなコードをいれてみようとか。間違ってる和音を音楽的に成り立たせるために、フレーズを見つけていったんで、すごい不思議な曲なんですよね。
──イントロが始まって、サビが始まって、セリフがはいって、やっとAメロが始まるんですよね。あの構造がまったく意味がわからない。
嘉風・フジサキ : あはは。
嘉風 : 自分でもそう思いますよ。自分で作ってるっていうか、メンバーに「タイムマジックロンリー」を引きだされた感じですよね。nuanceの4人とフジサキさんの空気感が曲を引きだすって感じですかね。めちゃくちゃなものを楽しんじゃうんで、それがすごく刺激になる。
──イントロの時空をエディットするような感覚って、どこから降ってきたものなんですか?
嘉風 : 最初打ち込みだけでやってたんですけど、やっぱり綺麗なんですよね。なんか足りないので、西岡ヒデローさんを呼んできたんです。トランペットのプロだし、パーカッションも超最高なんで、どっちも発揮してもらって、トランペットは特に「めちゃくちゃ下手に吹いてください」って言って。音程もちょっとフラットしてたりシャープしてたりするニュアンスをいれたいから、めちゃくちゃ下手なトランペットを2、3個重ねてもらって、あの感じになったんですよ。レコーディングのとき、もうみんな興奮しましたね。
フジサキ : あのレコーディングは狂ってたよね。
嘉風 : そこでカオスが完成した。
──「タイムマジックロンリー」は、まず2018年に7インチ・アナログでリリースされましたが、その段階で反響があったわけじゃないですか。
フジサキ : もう完全に予想外。
──多くのファンは、「セツナシンドローム」や「ミライサーカス」を超える曲を作れるのかと心配していたと思うんですけど、軽々と超えちゃったんですよ。
嘉風・フジサキ : あはは。
嘉風 : でも、転機でしたよね。「nuanceってリミッターがないから遊べるね」って。西岡ヒデローさんもラテンやジャズでずっとやってきた人だけど、nuanceの場合は音楽的にそこまで行けるんだなって。そこまで音楽的なものをやっても、あの4人を通すと、すごい大衆的なものになるのが面白いし、「タイムマジックロンリー」を経て、次はどんなのをやろうかっていうワクワクが増えましたね。
──アナログはリリースイベントの最中なのに完売したほどの勢いでしたが、あれも予想外でしたか?
フジサキ : いやー、予想外でした。
嘉風 : でも、即完したっていう気持ちよさありましたね(笑)。
僕は常に「この4人で続けたいと思ってる」って言ってます
──はたから見ていると、フジサキさんとメンバーの関係性って、すごく不思議なんですよね。nuanceについて「ゆるい」と言っているけれど、メンバーに自分で考えさせるから、いちばんスパルタだと思うんですよね。メンバーとは今どういう関係なんですか?
フジサキ : あんまり好かれてはないですよね(笑)。
──でも、メンバーは特にmisakiさんは毎日のように配信をやっているし(O-EASTの100日前からメンバーの個別配信が開始された)、そういうところは信頼関係があるのかなと思います。
フジサキ : 信頼はしてます。年齢は倍ほど違うけど、やってる作業は一緒だから、メンバーにもそれなりに責任はあると思うんですよね。だけど失敗した時に、ケツを拭くのがプロデューサーの役目だと思っていて。だからといってそれを強要するというのも違うなと思っていて、ある程度自主性には任せつつ、ケツは叩くという関係性ですかね。
──アイドルの運営としてはすごく珍しいパターンですよね。
フジサキ : どうなんでしょう? 他の運営の仕方がわからないのでアレですけど、アイドルの環境ってすごい独特だと思うんですよ。ある日突然板の上に立って歌って踊って、みんなに「よかったよ!」って言ってもらえる関係って、普通に働いてたら絶対にない環境だから、それをちゃんと自分で背負ってほしいんですよね。とは言っても、オーディションのときって、みんなショットで終わると思ってたはずなんですよ。商店街のイベントだから、そんなに長く続くと思ってなかっただろうし、初めからいろんなことを強要してもすぐ嫌になっちゃうだろうって思ったから、最初はいろんな現場を体験して、「今のアイドルさんはこういうことをやってるんだ」って確認しながら「今うちの子たちはできるかな?」とか。配信もずっと前からやりたいと言ってた子もいるんですけど、O-EASTの100日前で始めようって。で、あれを告知した2日前に決めてるんで、物事を決めるのが早々すぎるってメンバーは思ってるんじゃないですか?
──チェキも初期はありませんでしたよね。
フジサキ : チェキの存在意義が僕の中でわからなかったんですよね。やる必要性とずっと対峙してたというか。利益だけを考えると、たしかにチェキをやったほうがいいというのはわかるけど、「でもそこが本筋か?」って言われると本筋ではないから。約半年ぐらい、ずっといろんなユニットさんを見ていく中で、「これはwin-winの関係なんだろうな」っていうのが僕の中で落としどころになったんです。お客さんも、伝えたいことがあるんだなっていうのがわかって。それだったら、やらないほうが失礼だなって思って始めましたね。
──嘉風さんはメンバーとどんな話をしているんですか?
嘉風 : 僕、あまり話さないですよ。
フジサキ : めっちゃほめるよね。
嘉風 : なんか音の素材を録りにいってるおじさんみたいな(笑)。misakiちゃんは最初からギターの弾き語りをしてたし、曲のことや打ち込みのことを話すけど、他のメンバーとはちゃんと話したことはなくて。レコーディングで自分の曲を歌ってもらうときに、少し話をする感じで。ライヴも見にいくし、終わった後にちょっと話しますけど、それ以外のことは逆に知らないんです。4人のそれぞれのパーソナリティの部分を把握していなくて、アーティストしてのnuanceだけをとらえてるからいいのかな。個人的な背景とか、家族像とか、部活の話とか知ってたら、ちょっとできる曲が変わってくるかもしれないですね。ちょっとドライな感じでいるので、自分も変なボールを投げられるのかもしれないですね。
──2018年は、misakiさんと珠理さんが抜けそうな時期もあったじゃないですか(詳細)。あのとき、フジサキさんはどう対応していたんですか?
フジサキ : あのときもいつも僕は常に「この4人で続けたいと思ってる」って言ってますね。もともと5人でしたけど(笑)(2017年の結成からお披露目前にひとり脱退)。だからmisakiと珠理が辞めるって言いだしたときも、ふたりの前でも「この4人でやることに意味があると思っている」と言ってたと思います。
──あのときって、メンバーが抜けたら、新メンバーを公募する予定だったんですよね?
フジサキ : でも、僕は辞めないほうに賭けてたんです。経営面でビジネスライクなところもありながら、人間という部分では、あの4人でやりたいし、なんだかんだ辞めないはずだって信じて。当時いたスタッフが尽力してくれたおかげで、今残ってるんだと思いますね。
──今のワンオペ体制で同じことが起きたら、もうダメだという。
フジサキ : もうだめかもしれない、嫌われてますからね(笑)。
嘉風 : 壁が1枚(笑)。
フジサキ : 壁が1枚ある(笑)。
すべてにおいて通過点でないといけないと思っている
──嘉風さんは、nuanceが〈SUMMER SONIC 2018〉(2018年8月19日)に出たときに、「エンジニアリングでもっと音の隙間を作ればよかったかもしれない」って言っていましたね。
嘉風 : もちろん「おめでとう!」って感じではあったんですけど、やっぱり先を見てるから、表現や商品のクオリティは自分的にはもうちょっと上げられたのかなって。やっぱりああいうところまで行くと、小さなスピーカーで聴いて作ってる音ではダメだし、そんな経験があんまりなかったので、その点ではもうちょっとできたなって、サウンド面での反省しかないんです。
──フジサキさんは、〈SUMMER SONIC 2018〉でのnuanceを見ていかがでしたか?
フジサキ : 「次どうしようかな?」っていうぐらいですかね。最近のアイドルさんって、大きなイベントをゴールにしがちじゃないですか。でも、僕の中では全然ピンときてなくて、すべてにおいて通過点でないといけないと思っているんです。「サマソニに出られた、やったー!」っていうのはあるけど、じゃあサマソニでのライヴが成功だったかというと、集客もそんなにできなかったし、僕の中では全然成功ではないんです。だから、「この場所は踏めた!」っていう感じですね。「じゃあ、次はどこを踏めるだろう?」って、僕がナビゲートできるかどうかですかね。僕はライヴが終わったときに「はい、おつかれさまー」って言って終わっちゃうから、たぶんメンバーは不服なんだと思うんですけど、全部が通過点だから、「おーっ!」というところにたどり着かないんですね。
──アイドルって、夏は〈アイドル横丁夏まつり!!〉〈TOKYO IDOL FESTIVAL〉〈@JAM EXPO〉という3大アイドル・フェスに出たがるじゃないですか。フジサキさんは、はたから見ていると興味がないんだろうなって思うんですよね。
嘉風 : あはは。
フジサキ : なくはないですよ。出ないといけないんだなとは最近思いはじめました。tipToe.の躍進を見て。
──最近?
フジサキ : そう(笑)。チェキと同じなんですよね、僕がちょっとねじれていて、納得するまで時間がかかるんだろうな。だから、「出られるんだったら出たい」っていうのが最近の気持ちですね。お客さんが求めてるんだったら、そこに出るべきだっていう考えかたですね。
──ワンマン・ライヴは、横浜O-SITE(2017年8月20日)があって、クリフサイド(2017年12月21日)があって、渋谷TSUTAYA O-WEST(2018年6月27日)があって、次はTSUTAYA O-EASTに行きます。当時、クリフサイドでO-WEST決定と発表されたときには「正気かよ」と思ったんですよ。
フジサキ : そうですね(笑)。
──O-WESTが埋まったのも衝撃を受けたんですが、なぜあそこまで勢いよく規模を拡大しているんですか?
フジサキ : 大きくわけるとふたつあって。ひとつは、パンパンの会場で見てほしくないというのがあるんですよね。女性のかたとかが見にこられた場合、いちばん後ろのほうだとまったく見えない環境もあるじゃないですか。それだったら極論を言えば、埋まらなくてもみんながちゃんとステージを見られる環境を設けたいんです。もうひとつは、常におかしなことをしてないとダメだろうなと思うんです。安全策で行けば、まあO-SITEやO-WESTをもう一回やるとか、同じキャパのところを押さえるとかもあると思うんですけど、それだと見てる人がワクワクしない。アイドルを1年半やってきて思うのは、お客さんが一緒に楽しめるかどうかで、O-EASTを「ドン!」ってブチあげて、「ほんとバカだなー」って思ってもらえるかどうか(笑)。そのバカに付きあってくれる人が多くなってくれるといいなって思いますね。
──O-WESTのときは、嘉風さんはnuanceと初めて一緒のステージに立ったわけですよね。しかも、バンマスとして立ってみるというのはいかがでしたか?
嘉風 : 単純にミュージシャンとして楽しかったですね。生演奏でどれぐらいできるのかなっていうのは心配してたんですよ。グルーヴが変わるし、音量感も変わるし。いつもは前からモニターで聴いてた音が、後ろからも飛んできちゃうので、やりづらいだろうし。でも、そんなことはあまり気にせずやってたから、自由にこっちもやらせてもらって。ずっと一緒に音を出してるミュージシャン仲間と一緒にできたっていうのもあって、すごい面白い化学反応だったな。
──バンド・メンバーの反応はいかがでしたか?
嘉風 : ひとつの曲をやるにしても、演奏してる人もいれば踊っている人もいるっていう輪が、サーカスみたいにでかくなっていって、そのグルーヴ感はオケでやるよりもあったんじゃないかなと思うし、メンバーも感じてくれてたんじゃないかな。nuanceが踊って、くるって回ると、その途中で僕らが見えるし、そのときに一瞬目が合ったりとか。それだけでもなんか「うお!」ってなるんで、お互いを支えあえたのかな。
nuanceと一緒に世界にも行きたい
──そして、misakiさんの生誕祭(2018年12月19日『ニニンガミサキサン』)でO-EASTでのワンマン・ライヴが発表されました。それと同時に、新しいミニ・アルバム『town』のリリースも発表されましたね。
フジサキ : 曲のデモはもう出はじめてます(取材は2月初旬)。いいアルバムになるっていうのは、もうある程度確信しているんですよ。曲は僕が選んでるし、嘉風くんがアレンジしてくれれば、ちゃんとしたものになる。
──タイトルを『town』にしたのはなぜでしょうか?
フジサキ : 今回のテーマは、横浜っていう土地ではないんだけど、横浜っぽい街のお話を1枚作りたいんです。「横浜なのかな?」って思う人もいるだろうし、「自分の街にも同じようなシチュエーションがあるな」と思う人もいるかもしれない。聴いて自分の人生と照らしあわせたときに、ハマる1枚になればいいなと思ってるんですよ。「街」っていう最小の単位の世界観の話ができたらいいなと思うんですよ。
──とはいえ今、2月だから、4月に出すとなると嘉風さんも大変なんじゃないですか?
嘉風 : そうなんですよね(笑)
フジサキ : そうなんです。でも、意外といつもこのタームでね。
嘉風 : ドタバタ、大変。
──O-EASTが失敗するんじゃないかという恐怖はないんですか?
フジサキ : もう全然ありますよ。8割5分あります(笑)。
──85%もあるんですか!
フジサキ : 興行的には失敗するかもしれないけど、内容的には絶対面白いから、見にこなかった人が「行けなくて残念だった」って思えるライヴになればいいなって思いますね。
──フジサキさんがO-EASTでやるって言いだしたときに、嘉風さんはどう思いましたか?
嘉風 : 「また何か言いだしたな」って感じですね。フジサキさんみたいに、自分から未開の地を歩いていくような人も必要だし、「らしいな」っていう感じはありますね。でも、「すごいことを言いだしたな」っていう感じでした。
──しかも、埋めるって、ブチあげちゃってますからね。
フジサキ : ブチあげてますね、misakiが。僕はそんなこと言ってないんですけどね。埋めるってミサキサンがおっしゃってる(笑)。問題は、何をもって成功なのかですよね。きた人とやってる人が、みんな楽しかったら成功といえば成功だし、それを自己満足と言えば自己満足だし。そこにお金がついてくるのがビジネスだと思ってるから、僕としてはなんとかしてお金がついてくるように頑張るってます。あとは、板の上に乗ってくれる人が面白いことをやってくれるんで。でも、あと80日ぐらいしかないから、なかなかの必死感ですよね。
嘉風 : なかなかですねー。
フジサキ : 告知で2バンド・セットにするとも言ってます。メンバーはちょっと変わるんですけど、嘉風バンドのNIHONGO DANCEもはいりますね。
──嘉風さんはどういうライヴになると思いますか?
嘉風 : 今まででいちばん最高のライヴになると思いますね。会場のサイズが変わればサウンド感も変わるし、生楽器はサイズがでかくなればなるほど威力を発揮すると思うんですよね。nuanceらしい音で埋め尽くす。音楽的にも、今まででいちばんかっこいいし、しびれるものになるんじゃないかな。あとは、O-WESTのときメンバーに「はじめまして」だったミュージシャンたちも、今nuanceのこと大好きなんですよね。nuanceのツイートをみんな見てるし、次の曲をみんな待ってるし。ミュージシャンたちもnuance愛が深いので、すごいみんな楽しみにしてる空気感がすでに伝わってきてますね。あとは曲さえできれば。
フジサキ : 頭の中では完成してるんですけどね(笑)。
──頭の中で完成しているっていうのがいちばん心もとない(笑)。
嘉風 : いちばんやばいパターン(笑)。
──おふたりは、nuanceの活動に関して、どのぐらい先まで考えていますか?
フジサキ : 2020年末までは明確なものがありますね。その先はどうかなー。
嘉風 : 自分的な要求で言えば、nuanceと一緒に世界にも行きたいなって。どんな世の中になるのかわかんないから、ワクワクしてるっていうのもあるじゃないですか。同じような日々が続くなんて誰も思ってないですよね。混沌とした時代だけど、だからこそ世界にも行って、「nuanceは最高だ」っていう認識が世界の人たちに伝わればいいんです。自分の活動も含めて世界に出たいな。
──最後に、おふたりにとって今まででいちばん想定外だった出来事って何でしょうか?
フジサキ : 「タイムマジックロンリー」がこんなに人気になるのは想定外でした。あとはだいたい想像がつくんですけど、これはびっくりしましたね。
嘉風 : 嬉しいな、それは。
フジサキ : ありがたい。
嘉風 : 僕はメンバーが辞めなかったことですかね。もう絶対やめるって思ってたんですよ。
フジサキ : 確かに(笑)。
嘉風 : 最初の構成はなかったことにして(笑)、4人でスタートして、どこかでメンバーがいれ替わるものだと思ってたんですよ。「やっていくうちに、nuanceに憧れてはいりたいって言う人が現れたりして、どんどんメンバーは変わっていくんだよ」って音楽業界の詳しいかたに言われてたんで、「そういうもんか」って思ってたんですけど、いまだに同じメンバーでやってることがすごい。それはいちばん嬉しいし想定外だったことかな。
DISCOGRAPHY
LIVE SCHEDULE
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4th minialbum「town」 レコ発ワンマンライブ
〜はじめましてヌュアンスです。〜
2019年4月25日(木)@渋谷O-EAST
OPEN 18:00
START 19:00
ADV 3,000円
DOOR 3,500円(+1D)
https://eplus.jp/sf/detail/2825200001-P0030001P021001?P1=0175
PROFILE
nuance
2017年結成。思わず口ずさみたくなるメロディと心に残るコトバ。舞台のようなパフォーマンスでお茶の間から業界人までをトリコにしている4人組nuance(ヌュアンス)。
1st ミニアルバムに収録された『セツナシンドローム』で一気に脚光を浴び、2018年8月にはSUMMERSONIC 2018 ジャングルステージのトリを飾り、周囲は疎か自分たちが一番驚く。
これまでに3枚のミニアルバムと2枚のシングルを発表。
4月25日(木)には4度目のワンマンライブを渋谷TSUTAYA O-EASTにて開催。
無謀とも思われるチャレンジと異常とも思われる制作スピードとは真逆にどこかフワッとしてる、それがnuanceです。