「とどまる」ことなく一歩進むのが毎日。「とどまる」は、
「止まる」とも「留まる」とも書けますが、思考停止して苦楽も認識せず、食することをしないなどということは、死を経験することはふかのうなことですが、まさに生きる屍になってしまいます。
人間現象などは、他の自然現象と同じように時間と空間の中を現れ消えてゆくもので、消えるといっても性質を変え大地に拡散され、「残りたし」を希求すると永遠の魂を物語ることになるようになります。
宇宙の営み時間の中では一人の瞬間存在は無いに等しいだろうし、もともと何も無いものとして結論付けてもよいだろう。
しかし、その瞬間に私という現象を認め、法灯明・自灯明を味わうことのできるありがたさに感じ「いる」のもよかろうと思う。
「いる」とは「入る」であり「居る」でありさらに「要る」です。
今朝の太陽は私を「射(い)る」わけで、鋳られることは建立することでもあるように思えます。