No.2です、引き続き書いてみます。
>最近は借用語(外来語)のラ行音が特に忌避されなくなったのは、
>気候的に舌がかじかまないようになったからでしょうか?
発音は、幼い時期に習慣で体得し、また代代受け継がれていくものだとおもいますので
単に気候が温暖になったからといって、ラ行がない語族の人間がラ行を使用するようになるものではない
と思います、ラ行がない状況で何の不都合もなく生活できるわけですから。
ロンドンの霧を詩人が発見するまでロンドンに霧が存在しなかったように、
たとえ語頭ラ行が存在したとしても、これらの語族内の人々間ではまったく認識できないはずです。
語頭ラ行を認識できるためには、ラ行無しではなんらかの混乱・不都合あるいは矛盾が発生する状況が必要です、
それが気候温暖となって人口が増えて民族が移動するようになった時、
すなはち他の語族の人々との交流がはじまったころだとおもいます。
したがって、借用語(外来語)のラ行音が特に忌避されなくなったのは、
これを忌避すると他の語族の人々を交流する際、なんらかの混乱・不都合が発生するからで、
温暖となって舌がかじかまないようになったためではないと思います。
---
アルタイ語族の発祥地は、現ロシアのツンドラ地方です。
当時の地球気候で(何万年前か知りませんが)、その地域は人の顔の形が変わるほどの寒さだったようです。
(鼻のようにとがっている部分は凍傷でやられますので顔ものっぺりとした人間が有利です)。
そこから南下して現在のようにこれらの語族が広まったといわれています。
現在のようでない生活環境、すなはち、エアコン・ストーブ等の火気が全くなく、家もなく、乗り物もなく、
まともな服もなく、親戚以外の人間にほぼ一生会う機会がない、雪・氷・寒い風ヒューヒューの環境、
防寒と食物確保だけの一生という人間を想像すると、前回書いた、かじかんだ舌をうまくあやつれないことに加えて、
下記もアルタイ語族の語頭r音が無い理由かなとも思っています。
ラ行音を発音するとき舌を内側に丸めますよね、
このとき少し外気を吸い込みませんか?
この外気が非常に冷たくて死ほど身体を冷やすのものだとしたら、
そこに住んでいる人間は語頭のラ行音を自然と避けるような気がします。
ラ行音以外の子音は語頭では息を吐き出しますので語頭で避ける必要はありません。
発音は、赤ん坊のころ、極狭い生活空間内で極小数の特定の人間が話す言葉を聞くことで、
音を分類学習します。一旦この学習が完了すると、全く聞いたことのない発音でも無理やり、
ちょうど数を四捨五入するように、学習完了した音分類のどれかに強制的に割り振って理解します。
そして、代代ずーっと、アルタイ語族の人は語頭r音なしでなんの混乱・不都合もなく生活できているわけですから、
したがって、単に気候が温暖になって、防寒服、家、ストーブ・エアコン等が利用できるようになっても
やはり、r音は使用しないでしょう(無駄なことはしない)。
そもそも、r音そのものがアルタイ語族の人間にとっては存在しないので
忌避しようにもr音を忌避できないと思います(忌避するまえに存在を認めなければならない)。
空気みたいなもので意識しない限り、あっても本人には存在しません。
---
あと、No.1のお礼に、下記が書いてありました。
>発音は複雑から簡素へと変化してゆき、扱える音素は少なくなってゆくのが法則だとすれば、
>その流れに反した現象が起きているのが不思議です。
これが法則だとすれば、上記法則の極みはその語頭ラ行発音を完全なくしてしまうことではないでしょうか?
したがって、この法則に沿っているとも考えられますよ。
もっとも、アルタイ語族のr音の場合、最初から無かったと思いますのでこの法則の結果ではないでしょう。
なぜr音が語頭に無いのか?に答えることができるなら下記もわかるかもしれませんね。
なぜ、ラテン語族には語頭にh音がないのか?
なぜ、ラテン語は死語となったか?
なぜ、アラビア語にはアイウの3母音しかないのか?
なぜ、ヘブライ語やアラビア語に喉音があるのか?
なぜ、われわれ日本人なら子供でも理解できる下記発音をアメリカ人が理解できないのか?
『あっさり』『あさり』の違い(促音)、『美容院』と『病院』の違い(声門閉鎖音)
語頭r音がアルタイ語族に無いのと同様に、他の言語にもそれぞれ理解できない発音が存在しますので
語頭r音が無いのが特別だとは私は思いません。
お礼
重ねてのご教示ありがとうございました。 質問をここにアップしてからいろいろ自分なりに調べまして、 この質問はどうも、禁断の質問ではなかったかと思うようになりました。 おっしゃるとおり、他の言語にもそれぞれ理解できない発音が存在しますので、それをいちいち「なぜ?」と質問することに意味はないのではないかと。 たとえば山を見て、「あれはなぜ『やま』というのか」という質問と同じようなものですね。 これは質問するほうが愚かでした。ご教示ありがとうございました。