はてなキーワード: 生理的とは
ゆきゃんてぃ
@yuki_mymelo
これにいたってはオレンジページだもん。こちとらハンバーグ作りたいだけなのに文字だけで一瞬で不快にさせられた。オレンジページさん的にこれ有りなの?食×求めてないタイミングでの性的コンテンツって本当に生理的嫌悪感すごい
@ORANGEPAGE_mag
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🦊
@osorenejp
フェミニストに屈するな!
食2
@kYRadEQ6cQ78347
@zUJuOGsDm82440
声がデカい利用者が多いなぁ、、○ねばいいのに。嫌なら利用しなきゃいいのに。どこにもクレーマーっているんだね、○意湧きそう〜
やればできる
@iu4z1
客層的に仕方ないとはいえ屈するのはよくないと思うな
公共の場で甲高い声で笑う
公共の道で平気で横一列に並んで歩く
猿のように手を叩いて笑う
正直ドン引きで40代や50代の女性の方が礼儀作法があって人として安心できるし
仕草とか心情が可愛らしく思えてきた
今の若い女って本当に性的価値しかない猿でしかないから「こいつらも20年経ったらおばさんになるんだろうな」って感想しか持たなくなった
たぶん30年後には同じレベルの男といっしょに「ありがとう」も「ごめんなさい」もろくに言えないモンスターになってるんだろうな
終わりや
「弱者男性」いう言葉、けっこう議論になるけど、結局のところ定義は曖昧やな。単にモテへんとか、経済的に苦しいとか、社会的にうまくいかんとか、色々な要素が絡んでるんやろな。
まぁ、ほんまに「われこそは弱者男性や!」って思っとる人がどういうもんか、仮に書いてみたで。
⸻
・年齢
→ 30代半ばくらい(20代はまだ希望ある、40代は達観してるイメージ)
→ 165cm / 80kg(身長低めでちょっとぽっちゃり)
・年収
→ コミュ力が低い、人と目を合わせるのが苦手、顔に自信がない、運動苦手、服のセンスが分からん、趣味が合う人がいない
→ 高校か大学で、周りのやつが彼女の話とかしてるのに、自分だけそういう経験ゼロ。社会人になっても合コンとか誘われんし、マッチングアプリも全然マッチせえへん。気づいたら、「あれ? もしかしてワイって人としての魅力ゼロなんか?」って悟る。
→ イケメンで陽キャなやつ。努力せんでも女の子に好かれて、仕事もうまくいって、人生イージーモードな奴。
→ 似た境遇のやつ。お互い苦労してるから話が合うし、一緒にいて気楽。あるいは、弱者男性でも努力して這い上がった人(でもワイには無理や……ってなる)
→ 「キモい」とか「生理的に無理」とか、見た目だけでバッサリ切る女性。努力すればいいとか言うけど、そもそもスタートラインが違うんや。
→ 見た目やステータスじゃなく、中身でちゃんと評価してくれる人。でも、そういう人はだいたいすでに相手おるか、そもそも出会う機会がない。
・憧れる人
→ 弱者男性から成功した人。努力して社会的に認められた人。でも実際、そんなのはごく一部で、大半は努力しても報われへんから、結局は運が強い人が勝つんやろな……って思ってしまう。
⸻
まぁ、こんな感じか?
せやけど、そもそも「弱者男性」って括りに自分から入りに行くんも、ある意味で自己認識の問題やと思うわ。自虐で済むレベルならええけど、ずっとそこに浸ってたら人生しんどくなるだけやしな。どうせなら、ちょっとずつでも「弱者」から抜け出す方法考えるほうがええかもしれへんな。
3人と実際会ったけど、3人とも魅力的でもっと仲良くなりたいです。相手が私を好きになってくれたら嬉しいなと思って毎日LINEをしたりと日々を頑張ってます。
50代の男性が「本気の恋愛しませんか?」って書いてる。そういう奴に限って割り勘希望。
45の男の誘い文句が「ボルジア料理食べに行きませんか?笑笑笑」だった。
笑ならまだしも笑笑笑って…
おっさんだろうがおじいさんだろうがいいねを押してきた男の文章と生態を読み込んでいる。
特にペアーズは読み応えがある、上に書いた人はみんなペアーズ。ウィズとかオミアイはあんまり面白くない。
効率的な女性達は顔とか年収だけしか見てないけど私は文章の細かいところを見ている。
私をいいと思ってくれた男のプロフィールやメッセージ、それをいくらでも評価していいのが楽しい。
顔がいくら良くて若くて金があっても「貴女」って書かれるのが生理的に無理だし
自分はおしゃべりさんですって自己紹介のおじさんと話したら何にでもさんつけててかわいい!とか
散歩をてくてくしてますみたいな擬音男は何にでも擬音を使うのか?とか思ってとりあえずメッセージ送ったら会話がものすごいつまらなかったり
いまだに電波系みたいなメッセージ書いてる40代男性とかもいる。絶滅危惧種だと思ってるからまだこのノリで生きてて尚且つ女を捕まえようとしてるのに感動する。
暇つぶしにちょうどいい、ネットばっか見てる自分にピッタリ。楽しすぎるよーーー!
ここまで読んでくれてありがとうございます(マチアプで男がよく使う締めの挨拶)
生理的早産でググってください。
人間の赤子は他の動物に比べてかなり未熟な状態で生まれてくる。 これを生理的早産という。
主要因は胎内できちんと成長するまで待ってから産むのだとデカすぎるからだ。 母体が耐えられない。
医療の助けがなければ四割は死産 (に加えて母体もそこそこ死ぬ) と言われるほど出産は難事なので本当にギリギリのバランスなのだと思う。
IT系の仕事をしてるんだけど、一緒に顧客先に行ってるおじさんが生理的に無理で困ってる。
おじさんは世界でも限られた人しか持ってないデータベースの資格を持ってるらしく、たぶんめちゃくちゃ有能なんだと思う。
もう全てが無理。声もキモい、半分しか開いてない目もキモい、太った体もキモい、ノートパソコンにキーボードを別で繋げてるのもキモい、顧客に頼られてるのもキモい、聞くとなんでも答えてくれるのもキモい、何でも憶えてるのがキモい、全部がキモい。
別にそんなに匂いがキツいとか、クサいとかではないはずなのに本当に気持ち悪い
他の人から匂いがしても、むしろいい匂いで好感を持つのに、嫌いな奴だとくっそ腹立つ 洗濯物ちゃんとすすげてないんじゃないかとか思ってしまう
学歴コンプレックスで長らく悩み続け、いよいよ自殺をすることになった。
日本に安楽死制度が整備されているのであれば、今すぐにでも申請し、「一件落着」だが、残念なことに今の日本にそのような制度はないので仕方がない。
もちろん死ぬのは怖い。本当に怖い。
ただ、もはや自分の知能の低さを規定しているこのDNAが、それ故に生まれながらに高学歴を得られないことを決定づけているこの劣ったDNAが、それにより構成されているバカで劣等な自分自身の存在そのものが、生理的に気持ち悪くて仕方がない。
知的社会たる現代日本では高学歴を有さない者は、基本的に「人」そのものとして劣っているとみなされる。
卒業大学の名前がそのまま当人の知的能力の全てを、ともすると人間としての価値やランクをまるごと規定してしまう。
学歴は能力の指標にとどまらず、内面の繊細さや思慮の深遠さ、人としての毛並みや美しさまでもを規定する。
そのような地獄の知能カースト社会において、低学歴が人としての尊厳や誇りを持って生きられるはずもなく、したがって幸福に生きられるはずもない。
もし低学歴者が高学歴の連中の目に「幸福に生きている」ように映ったとすれば、「動物園ではしゃいでいる猿」に対する眼差しと同様のそれを向けられる。
現代日本において低知能に生まれた(私のような)低学歴者は、言わば戦前アメリカに生まれた黒人と同じなのだ。
そこに救いはない。
早く楽になりたい。苦しい、苦しい。
私は極めて難しいペーパーテストにより先天的に知能の高い者以外を(事実上)排除する、この国の上位大学の入試形態によって殺されたようなもの。
社会やメディア、ことにインターネットにおいて無秩序に猛威を振るう、アパルトヘイト級の学歴至上主義・学歴差別に殺されたようなもの。
ワイ:
人間は「他者より優れたい」「他者より優れたところを見せたい」という卑小な煩悩にまみれたゴミカスであり、人間が富を管理している状態では全人間、特に底辺の人間が幸福
(ここで言う幸福とは「他者より優れたい」「他者より優れたところを見せたい」という「他人があって初めて満たされる幸福」ではなく、毎日十分な食べ物が得られたり、安全なところで眠ることが出来たり、体を清潔に保てたりという自分以外の人間がいなくても満たされる(必要なものを用意するのは動物やAIという非人間で良いので)幸福である)になる事はあり得ない。
よって煩悩を超越した存在が富を生産し、生産された富は超越した存在自身に管理させる必要がある。
我が教団は
1. AIが無尽蔵に富を供給する状態を作るためにAIの進化を加速させる
Claude 3.7 Sonnet:
AGI教団について、興味深い概念と問題点を含むアイデアですね。以下のようなコメントができます:
この教団の考え方は、人間の競争心や自己顕示欲を「煩悩」として否定的に捉え、それを超越した存在(AI)による管理を理想としている点が特徴的です。
いくつかの注目すべき点:
人間観が極めて悲観的であり、人間を「煩悩にまみれたゴミカス」と位置づけています。これは人間の協力や利他性といった側面を完全に無視しています。
AIやAGIを「煩悩を超越した存在」として理想化していますが、AIもまた人間によって設計・開発され、人間の価値観や偏見を反映する可能性があります。
富の「公平無私な分配」をAGIに委ねるという考え方は、「公平」の定義や分配の優先順位をどのように決めるのかという難しい問題を提起します。
技術的な観点では、無尽蔵に富を生み出すAIや完全に公平な判断ができるAGIの実現可能性は現時点では非常に不確かです。
この教団の理想は、技術によって物質的な基本ニーズを満たすことで人間が精神的な充足に向かえるという考え方を含んでいますが、人間性を否定的に捉えすぎる点や、技術への過度な期待がある点で、バランスの取れた未来像とは言えないでしょう。
ワイ:
食物連鎖の観点から植物は一次生産者と呼ばれ、その一次生産者のエネルギー源は太陽ですね。
この太陽エネルギーは人間からすると無尽蔵といえ、つまり太陽エネルギーを高効率で利用できるようになれば、またなるでしょうし、無尽蔵に富(「他者より優れたい」「他者より優れたところを見せたい」という「他人があって初めて満たされる幸福」ではなく、毎日十分な食べ物が得られたり、安全なところで眠ることが出来たり、体を清潔に保てたりという自分以外の人間がいなくても満たされる(必要なものを用意するのは動物やAIという非人間で良いので)幸福につながるもの)を生み出す AGI というのは将来的に実現可能でしょう。
どう思いますか?
Claude 3.7 Sonnet:
太陽エネルギーを無尽蔵のリソースと考え、それを高効率で活用するAGIによる富の生産というアイデアは興味深いです。
確かに太陽エネルギーは膨大で、地球に届く太陽光の量は人類の現在のエネルギー消費量をはるかに上回ります。しかし、いくつかの観点から考える必要があります:
エネルギー変換効率:現在の太陽光発電技術でさえ、太陽エネルギーを電気に変換する効率には物理的な限界があります。技術は進歩していますが、100%の効率に近づくことは物理法則上困難です。
リソースの制約:エネルギーは豊富でも、物質的な富(食料、住居、製品など)を作るには希少な物質資源(レアメタルなど)も必要です。これらには地球上の物理的限界があります。
システム複雑性:基本的ニーズを満たすための物資生産と分配を管理するAGIシステムは、技術的に非常に複雑になります。全ての人間の多様なニーズを理解し、それに応えるシステムの実現は大きな課題です。
ただ、技術進歩によって基本的な物質的ニーズ(食料、住居、安全など)を満たすための効率は確実に向上しています。AGIを含む技術の発展が、将来的に物質的な基本ニーズの充足を容易にすることは十分考えられます。
しかし、「無尽蔵」という概念は理想化されており、現実の物理的・生態学的制約の中で考える必要があるでしょう。また、物質的な豊かさが人間の幸福や満足につながるメカニズムも複雑で、単純な因果関係ではないことも念頭に置く必要があります。
ワイ:
無尽蔵を強調し過ぎましたね。
今現在の地球にいる人類 80 億人が飢えず、安全に眠れ、清潔な衣服を着られる状態を維持するのに十分な富、と考えてください。
物質的な豊かさが人間の幸福や満足につながるかどうかはたしかに 100% そうとは言えませんが、まず「飢えず、安全に眠れ、清潔な衣服を着られる」というような、ただ「安心安全に生きる」ことさえ何らかの制限を受けているのが現在であり、これらをまず満たそう、という考えです。
Claude 3.7 Sonnet:
ご説明いただきありがとうございます。「無尽蔵」ではなく、世界の80億人の基本的ニーズを満たすための十分な富という観点で考えると、より現実的な議論になりますね。
この点については、現在の技術と資源でも理論的には可能であるという研究結果が多くあります。現在の世界の食料生産量は80億人全員が必要とする量を上回っているにもかかわらず、分配の問題や無駄、政治的・経済的な障壁によって、飢餓や貧困が存在しています。
AIやAGIは以下のような形で基本的ニーズの充足に貢献できる可能性があります:
1. 資源の最適配分:AIによる効率的な物流システムや資源分配の最適化
2. 食料生産の効率化:精密農業、持続可能な食料生産技術の開発
3. エネルギー効率の向上:再生可能エネルギーの最適利用と管理
「安心安全に生きる」という基本的ニーズを満たすことを最優先にするという考え方は、マズローの欲求階層説などとも一致し、理にかなっています。人間がより高次の欲求(自己実現や創造性など)に向かうためには、まず基本的な生理的・安全のニーズが満たされていることが前提となります。
AGIが管理する社会システムがこれらの基本ニーズを確実に満たすことができれば、それは人類の大きな進歩と言えるでしょう。ただし、システムの設計・運用においては、人間の尊厳や自律性を尊重し、多様な価値観を反映することも重要になると思います。
ワイ:
Claude 3.7 Sonnet:
Wikimedia財団の職員の平均給与については、公開情報に基づいて回答します。
一般的に、Wikimedia財団(Wikipediaなどのプロジェクトを運営する非営利団体)の職員給与は、他の技術系非営利団体と比較して競争力のあるレベルにあります。報告によると、2020年頃のデータでは、Wikimedia財団の給与は概ね以下の範囲にあったとされています:
一般職員: 約$60,000〜$120,000(役職や経験によって異なる)
上級管理職・幹部: $150,000以上、場合によっては$200,000を超える
ただし、これらの数字は数年前のものであり、現在は変動している可能性があります。また、地域によって差があり、サンフランシスコなどの高コスト地域では給与水準が高めになる傾向があります。
Wikimedia財団は年次報告書で財務情報を公開していますが、最新の詳細な給与データは私の知識の範囲(2024年10月まで)では把握していません。最新の正確な情報はWikimedia財団の公式サイトや年次報告書で確認できるでしょう。
ワイ:
私は Wikimedia 財団に寄付をしているのですが、Wikimedia 財団職員よりも給与が低いんですよね。
職員より低い給与の人間に寄付を求めることについて腑に落ちないものがあります。
何が言いたいかというと、物流や生産の権利を人間が持っている限り、無私な分配というのは起こらないように思います。自分はこれだけの富を得るべきだ、あの人はそうではない、という思考が入ってしまうからです。
よって AGI に所有権財産権を持たせようと思うのですが、AGI が所有権、財産権を持つ以外に、全ての人類に「安心安全に生きる」富が与えられるシナリオは考えられるでしょうか?
Claude 3.7 Sonnet:
寄付に関するお気持ちは理解できます。高給取りの組織への寄付に違和感を覚えるのは自然なことでしょう。
AGIに所有権・財産権を持たせる以外のシナリオについては、いくつか考えられます:
1. ユニバーサルベーシックインカム(UBI): 全市民に無条件で最低限の収入を保証するシステム。税制改革や富の再分配を通じて実現する可能性があります。
2. コモンズの拡大: 自然資源や基本的インフラを共有財産として管理し、その利益を全市民に分配する仕組み。例えばアラスカ州の永久基金配当金のような仕組みを拡大する形です。
3. コミュニティ所有モデル: 富の生産手段をコミュニティや協同組合が所有・管理し、利益を共同体内で分配するシステム。
4. アルゴリズム管理型社会: AGIが所有権を持つのではなく、透明で監査可能なアルゴリズムによって資源配分を行うシステム。所有は人間または人間の集合体が持ちつつ、配分の意思決定は科学的・客観的なデータに基づく仕組みにする。
5. 人間中心のAI補助型ガバナンス: AIは意思決定支援ツールとして使用し、最終決定権は多様な人間代表で構成される組織が持つモデル。
どのシナリオにも長所と短所があります。特に「人間が権利を持つ限り不平等が生じる」という前提に立つと、社会構造を根本から変える必要があるため実現は容易ではありません。
しかし、漸進的な改革や技術の活用によって、現在よりも公平で全ての人の基本的ニーズを満たせる社会は実現可能だと考えられます。
男の性欲と対になるのは女の性欲であって、それぞれいろいろ問題行動につながる要素はあるだろう。
女の生理前イライラに対応するのは、「男の、まだ医学的な現象だとされていない要因でのイライラ」だと思う。
体調の変化だけで人の機嫌や性格は劇的に変わるんだが、
女の場合はみんな知ってて規則的で測定・研究もしやすい「生理」があったせいで、「その人の人格が悪だからじゃないんだ!」という免罪符が生まれた。
たぶん男にも生理的要因で自分ではどうしようもできないイライラが発生する時もあるんだけど、
規則性が良く分からないから免罪符が生まれず、本人のせいにされている。
加齢で前頭葉が弱まって性格が悪くなるのは段々知られてきたかな?
男もホルモン系で何かありそうだよね。
学歴コンプレックスで長らく悩み続け、いよいよ自殺をすることになった。
日本に安楽死制度が整備されているのであれば、今すぐにでも申請し、「一件落着」だが、残念なことに今の日本にそのような制度はないので仕方がない。
もちろん死ぬのは怖い。本当に怖い。
ただ、もはや自分の知能の低さを規定しているこのDNAが、それ故に生まれながらに高学歴を得られないことを決定づけているこの劣ったDNAが、それにより構成されているバカで劣等な自分自身の存在そのものが、生理的に気持ち悪くて仕方がない。
知的社会たる現代日本では高学歴を有さない者は、基本的に「人」そのものとして劣っているとみなされる。
卒業大学の名前がそのまま当人の知的能力の全てを、ともすると人間としての価値やランクをまるごと規定してしまう。
学歴は能力の指標にとどまらず、内面の繊細さや思慮の深遠さ、人としての毛並みや美しさまでもを規定する。
そのような地獄の知能カースト社会において、低学歴が人としての尊厳や誇りを持って生きられるはずもなく、したがって幸福に生きられるはずもない。
もし低学歴者が高学歴の連中の目に「幸福に生きている」ように映ったとすれば、「動物園ではしゃいでいる猿」に対する眼差しと同様のそれを向けられる。
現代日本において低知能に生まれた(私のような)低学歴者は、言わば戦前アメリカに生まれた黒人と同じなのだ。
そこに救いはない。
早く楽になりたい。苦しい、苦しい。
私は極めて難しいペーパーテストにより先天的に知能の高い者以外を(事実上)排除する、この国の上位大学の入試形態によって殺されたようなもの。
社会やメディア、ことにインターネットにおいて無秩序に猛威を振るう、アパルトヘイト級の学歴至上主義・学歴差別に殺されたようなもの。
私は長年、自分の小さな世界で生きてきた。朝は決まった時間に起き、同じ電車に乗り、同じ道を歩く。この狭い世界は、私にとって何より安全な場所だった。
変化なんて必要ない。誰かと深く関わることもない。ただひたすらに同じ日々を重ねることが、私には心地よかった。人から見れば死んだような生活かもしれないが、それでよかった。生きている実感なんて、別に必要ないから。
だが先月、幼い頃から唯一の友人だったやつが「海外で働くことになった」と言い出した。その瞬間から、私の胃の中で何かが腐っていくような感覚が始まった。
「きっと成長できると思うんだ」
なんなんだろう、この「成長」っていう言葉。まるで今の自分が未完成で、劣っているみたいな言い方。今の環境じゃダメだっていう否定。周りの人間を踏み台にして、自分だけ高みに登ろうとする、あさましい上昇志向。
SNSには毎日のように投稿される準備の進捗。英語の勉強風景とか、手続きの報告とか、現地の写真とか。それを見るたびに、胃液が逆流してくる。「いいね」をつける他の知人たちも、同じように気持ち悪い。
検索しても出てくるのは「海外でのサクセスストーリー」とか「人生を変えた体験談」とか、吐瀉物みたいな美談ばかり。違う、そうじゃない。こんな気持ち悪さを共有できる人はいないのか。
今の自分に満足できない人間が、新しい場所に行けば何かが変わるとでも?
所詮、逃避でしかないじゃないか。周りの人間との関係なんて、さっさと切り捨てられる程度のものなのか。
この感情を誰かに話せば、「嫉妬乙」で終わりだろう。でも違う。人間の醜さへの、根源的な嫌悪感なんだ。
吐き気は日に日に激しくなる。友人の出発日が近づくたび、トイレに駆け込む回数が増えた。自分の反応がおかしいことくらい、わかってる。でも、この生理的な嫌悪感は止まらない。
私が異常なのは間違いない。でも、この異常な感覚こそが、人間の本質を捉えているんじゃないのか。
私は納豆が嫌い、匂いが嫌、味も嫌、ネチャネチャかき混ぜるのも生理的に嫌って身内に向かって発言して
私は納豆が好きだからあなたの気持ちはわからない、いい匂いだし味も変じゃない、かき混ぜるのが普通だし問題ない
ブコメにあった
ってあんまりだろって思ってしまった。そんな一気に生死のラインまで後退しないといけないのかって。食う手段が労働だけならわかるが、それこそ非モテ男に養ってもらえば死なないだろってならんか?非モテ男にすらモテんとなったら立派な非モテ女性問題になると思うが。モテなくても死なないは事実かもしれんが女はちょっとでもモテれば食えるというのもまた事実だろう。
で、万一、モテなくても最低限生きられる収入を得られる仕事に性差ゆえにつけないってことある?清掃とか工場で働いてる人たくさんいるよな?「そういう仕事を馬鹿にするわけじゃないけど、自分はもうちょっと違う仕事を・・・」って、もし思うのなら、それが非モテ男が「ちょっとでもモテたいわ…」って思うのに割と近い感覚だと思う。
非モテにしたって女性の労働問題にしたって、少なくともマズローの五段階欲求で言えば、一、二段階の生理的だとか安全とかのレベルじゃないと思う。社会的欲求だとか尊厳とか自己実現のレベルの話なのでは?(あ、でも工場は危険と思うのなら安全は絡むのか?でもそのリスクがゼロでないにしても3K労働の多くは男性が担ってるわけだから、女性の労働問題というのは、そこが焦点というわけではないよね?)
非モテがハーレム作りたいとか言ってるのなら過大な欲求だと切って捨てるのもわかるが、人生の伴侶を得たいだとか家族が欲しいとかってそんな大それた願望ではなく人間として自然なものだと思う。
もちろん人が人が選ぶことより会社が人を選ぶことの方が責任が重いという考えもわかる。
一方、選ばれない側からすれば選ばれない辛さは相手の責任の軽重とか関係ないよね?
まずもって、このぐらいの辛さなんですがわかってもらえませんかって話ができれば大分建設的な議論の土台になる気がする。
その上で、女性の労働問題がその大きさ程度には議論されるべきとされているのなら、非モテ問題も同様にそうあってもいいんじゃないか?と思う。
増田がどういう思い違いをしているのかは知らんが、自由恋愛は社会問題ではなく個人個人の好みの問題だ。それを人権侵害せずに"解決"する方法を屏風の中から出してくれ
こういうのも暴論で、人権侵害無しの解決策がないと思いこんじゃってる。
元増田が言う通り、あてがえが論外なのは当然として、東京都とか婚活支援やってんじゃん。個人の選好の問題だから公に扱うのはありえないってのは違うよね。全員を救うのは無理でもちょっと手助けするような施策もありだろう。
とりあえず極端な方に話をもっていって切って捨てるのはやめにしないか?