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2020年7月8日水曜日

「公正と公開討議についての書簡」

Harper's Magazine に公開された書簡を訳したよ.

「公正と公開討議についての書簡」

2020年7月7日

私たちの文化的制度は,試練の時を迎えようとしている.人種的・社会的な公正をもとめる強力な抗議が起こり,長らく遅れていた警察改革を求める声が上がっているばかりか,さらに,高等教育・ジャーナリズム・慈善活動・芸術にとどまらず,私たちの社会全域にわたって,いっそうの平等と包摂が広く求められている.しかし,こうした清算は必要ではあるものの,同時に,この清算によって新たな種類の道徳的態度と政治的な姿勢が強化されている.この道徳的態度と政治的姿勢は,イデオロギー面での順応を優先して,公開の討議とお互いの相違への寛容という私たちの規範を弱める傾向がある.公正を求める前者の動きを私たちは歓迎する一方で,後者には抗議の声を上げる.反自由主義 (illiberalism) のさまざまな勢力は,世界中で力をつけており,ドナルド・トランプという強力な同盟者もいる.トランプは,民主主義に対する紛れもない脅威を代表する人物だ.だが,これへの抵抗をはかろうとして,みずからも教条や強制で団結することになってはいけない――右派デマゴーグは,すでにこれらを利用している.いたるところに入り込んでいる不寛容の空気に対して声を上げることなくして,私たちがのぞむ民主的な包摂は達成できない.

情報とアイディアの自由な交換という自由主義社会の血液は,日に日に制約を受けるようになっている.急進右派からこうした制約がもたらされることは私たちも予想してきたが,検閲・あら探しも私たちの文化にいっそう広まっている:対立する見解への不寛容,公開の場での晒しあげ・追放の流行,複雑な政策問題を盲目的な道徳面での確信に解消してしまう傾向が広まっている.あらゆる分野からもたらされる断固とした言論,辛辣ですらある対抗言論の価値を,私たちは支持する.だが,言論や思想における〔道徳的な〕違反・逸脱と受け取られた言動に対して,即座に厳しい懲罰を加えるべしとの声を耳にする機会が,いまやあまりに多くなっている.さらに,いっそう悩ましいことに,組織・団体の指導者たちも,混乱のうちにダメージコントロールをはかろうとして,思慮ある改革を行うかわりに,〔当該の言動への制裁として〕拙速かつ不釣り合いな処罰を下している.論争をよぶ記事を掲載した編集者は解雇され,不誠実とされた書籍は回収され,特定の話題についてジャーナリストたちは執筆を禁じられ,講義で文学作品から引用した教授は調査を受け,ピアレビューを受けた学術研究を配布した研究者は解雇され,組織の長たちはときにたんなる不手際でしかない間違いで失脚している.個別事例をめぐる議論がどうであれ,こうしたことの結果として,報復の脅威なしに言えることの領域は一貫して狭まり続けている.共通の見解から逸脱したり,さらにはただ同意する姿勢が不十分だとされたりして生計を失うのを恐れる著作家・芸術家・ジャーナリストたちのあいだにリスク回避が強まるという対価を,私たちはすでに支払っている.

こうした息苦しい空気は,最終的には私たちの時代できわめて重大な目的を損なうことになる.抑圧的政府によるものであれ,不寛容な社会によるものであれ,討議が制限されれば,必ず力なき者は痛手を負い,誰もが民主的な参加をしにくくなる.悪しきアイディアを打ち負かす方法は,それを暴き,論証し,説得することであって,相手を黙らせたり,追放を願ったりすることではない.公正と自由のいずれか一方を迫る虚偽の選択を,私たちは拒否する.公正と自由は,2つそろってはじめて存在しうる.著作者として,私たちが必要とする文化は,実験を行い,リスクをとり,失敗を犯すことを受け入れる文化だ.職業上の悲惨な帰結をともなうことなく誠意をもって意見を異にできる条件を,私たちは保つ必要がある.私たちの著作が寄って立つところを守ろうとしないのであれば,公共や国家がかわりに守ってくれるなどと期待すべきではない.

2018年11月15日木曜日

Bookmark: Vox動画「ラーメンが刑務所で重宝されるワケ:お金そのものになるから」

ニュースサイト Vox の YouTube動画:
牢屋や収容所の貨幣ネタといえばタバコがすぐに思い出されるけれど,タバコが禁じられていることもあって,いまや即席ラーメンが刑務所の囚人たちのあいだでお金そのものになっているんだそうな.おもしろーい.

英語でよければ,ティム・ハーフォードの『覆面経済学者の逆襲』(未邦訳,2013年)の第6章でも,捕虜収容所をおそった「不況」を扱う中でタバコが貨幣になってた話を語っている.

2018年9月19日水曜日

S.ピンカーとH.バーバの議論(追記:ピンカーのみ抄訳)

スティーブン・ピンカーと,「ポストコロニアル理論」のホミ・バーバのあいだで書面で交わされた議論(9月22~23日に2人が参加するイベントがなんかあるらしい):
ピンカーの最初の返答では,進歩・発展に対して向けられがちな批判の問題点を例によって平易な文章で述べている.ちょっと訳してみよう:

2018年4月26日木曜日

clip: クルーグマン「民主党は有権者の暮らし向きの問題に傾注すべきだ;そして現にそうしている!」

――という趣旨の連続ツイートをしている.次のツイートが起点だ:


2018年3月22日木曜日

ピンカー Enlightenment Now 抜粋: 格差悪影響論の難点について

スティーブン・ピンカーの Enlightment Now から、ウィルキンソン& ピケット『平等社会』が格差と人々の厚生に因果関係を認めるのは短絡だ、と指摘してる箇所を抜粋:

2017年12月5日火曜日

「信用の可視化」(『消費資本主義!』の余白メモ)

ミラーせんせいは,クレジットスコア・信用格付けが堅実性の「メタ標示」になると考えている:
信用格付けは他人には直接参照できないし、知覚もできないけれど、購買力を大いに支えているため、もはやコレ抜きに中流のライフスタイルは成り立たない。よい信用なしに、車も住宅も手に入れられない。このため、そこそこの車や住宅を所有している人々は、間接的に立派な信用スコアを誇示している。それはつまり、堅実性を誇示しているということでもある。(『消費資本主義!』p.320)
いい車や住宅をもっている→それを購入できるだけの信用スコアがある→それだけの信用スコアを獲得できるくらい堅実である,というわけだ.

2017年9月11日月曜日

clip: 科学ニュースのソース明記

▼ 科学ジャーナリストとして活動してる松永さんのツイート:

2017年9月9日土曜日

「あばずれ叩き」と共有地の悲劇

「午前中」の時間指定でお願いしていたのになかなかこない配達を待ちながら,マックス & ミラーせんせいズのモテ本でマーカーをつけたところをなんとなく見返している.
男連中なら知ってのとおり,男性どうしの競争戦術のなかには,おろかで馬鹿げてるものもある.そこは女性も変わらない.キミが本書を読んでいるくらい賢明な人なら,キミの相手にふさわしいくらい賢明な女性だって,女性どうしの競争にあるいろんな馬鹿馬鹿しい部分をあらかた理解してる.アホな男どもにキミがげんなりしてるのと同じように,彼女たちだってアホな女にげんなりしてる.だけど,べつに尊敬もしてない男どもからの社会的な賞賛を手に入れようとキミが模索してるのとまったく同じように,女性たちだってべつに尊敬してない女連中から社会的な賞賛をえようとしてる――で,そんなことをこれほどまでに本能的に気にかけてしまっているじぶんにあきれてしまうことだってよくある.
 でも,男女の類似点はこれで打ち止めだ.女性が社会的にうけやすい打撃は男性とずいぶんちがう.平均で見ると,体育が苦手だったりケンカが弱かったり稼ぎがショボかったりしても,女性は男性ほど心配しない.だが,知人・同僚・家族・ご近所でのじぶんの性的な評判についてはとても気にする.具体的には,現代社会におけるあばずれ叩きがじぶんの評判におよぼす,実存をゆるがすほどの脅威を心配してじりじりしている.
 こと,あばずれ叩きとなると女性はおたがいに容赦ない.1人の女性の社会生活をまるごとつぶしたければ,彼女のことをろくに知らない人たちによって交友メディアにセックスにまつわる意地の悪い噂が流れればこと足りる.大学を卒業するまでに,やれ「あの子はあばずれだ」だの「売女」だのと言ったネタで他の女性たちについて女性どうし非難やからかいの言葉を交わしているのを(教室で,学生寮で,女子寮で,職場で)何年にもわたって耳にすることになる.誰かとタイミングのわるい一夜限りの関係をもったり無思慮な友達とつきあって見返りをもらったりしたときにどれほどの不安を覚えるか,想像してみよう.女性によってはすっかり思考が麻痺してしまうほどだ.
 一人の男性として,というか社会のまっとうな一員としても,次の点はぜひとも理解しておきたい――女性のあばずれ叩きは,深い自己嫌悪や集団内嫌悪の産物ではないんだよ.そうじゃなく,これほど広くあばずれ叩きが見られるのはなんでかって言うと,いいボーイフレンドを手放さずにおきたい女性にとって好色なライバルは最大の脅威だからだ.「あばずれ」が叩かれ軽蔑されるのは,べつに女性たちが「あばずれ」たちの性欲のありように居心地悪さを覚えているからじゃない.「あばずれ」たちが恋人探しの手練れだからだ.これは,大半の女性にとってほんとに差し迫った脅威になる.そのため,女性がキミとの短期的なお付き合いを考えているとき,同時にこんなことも考えてるものだ――「学校や職場で誰かに嗅ぎつけられたりしないかな?」とか,「週末にママと Skype でおしゃべりしてるとき,この件でどんな気分になるだろう?」
 女性が好色にふるまうのは,恋人探し市場で「共有地の悲劇」効果ももたらす.ある女性が2回目のデートでフェラしてあげようかともちかけたら,他の女性たちがとびっきりのご褒美として4回目のデートまでとっておくのが難しくなる.これにより,もっとたくさんのセックスをもっとたくさんの男性にもちかけてやらないと恋人探しゲームにとどまれなくなってしまう下方スパイラルがうまれる.この点で,あばずれ叩きは他の女性たちにもっと厳しい性的規範を強制することで,べつにあらゆる女性が本人ののぞむ以上に好色に振る舞わなくてすむようにする方法となっている.
 かくして,あばずれ叩きは女性の情動の根っこにまで深くしみついて,自尊心を手ひどく痛めつけ,損なう.だからこそ,よほど自信と性的経験をたっぷり持っている人でもないかぎり,たいていの女性は一晩かぎりの情事をおえた翌朝に,じぶんのことを立派に思えなくなってしまうんだ.一度きりの情事を終えた朝に歩く家路を女性たちが「恥辱の道」と呼ぶのにも理由があるわけだよ.
 あばずれ叩きのリスクをふまえたうえで典型的にとられる女性の戦略は,短期的な恋人づきあいをひそかにすすめて,知らぬ存ぜぬをとおす余地をたっぷり用意しつつ,適応的な自己欺瞞や状況による合理化を図ることだ.気軽なセックスをしても信用できる言い訳が用意できるならあばずれ呼ばわりのリスクを低減できる――「誕生日だったの」「すっかり酔ってたから」「春休みでついつい」「だってジャマイカでのことだし」「前からずっと彼の文章に心酔してたから」などなど.
(Tucker Max & Geoffrey Miller, Mate: Become the Man Women Want.)