科学には、より少ない概念で世界を説明するべきだという方針がある(節約性ね)
つまり、「アスペ」と「非アスペ」という"ただの言葉"で分けようとするのは間違い
音量のツマミがどこを指しているかのように、それはただのパラメーターに過ぎない
『夢』とは、学童期(とりわけ10代前半)に多いコモンな疾患である『厨二病』の患者が、一過性に経験する幻覚である。
内容は個人差が大きいが、多くは誇大妄想・血統妄想・恋愛妄想であり、了解不能(一次妄想)である。
診断においては躁病や統合失調症、人格障害との鑑別が問題になるが、厨二病の場合、
1.特徴的な好発年齢、2.人格は保たれる、3.妄想に比して異常行動は少ない、4.症状が一過性である
特殊な病型として、10歳未満での発症例【小四病】や、統合失調症様の空笑・独語など、明らかな異常行動を伴う例【邪気眼】などがあり、注意を要する。
殆どの症例は20代前半までには自然治癒を認める良性疾患であるが、30代まで妄想が遷延した場合、一切の教育・就労・訓練を拒否する【NEET】という病態に進展することがある。
NEETの病因は多数あるが、とりわけ厨二病から進展したNEETは病識に乏しく、予後は極めて不良である。
本来は精神疾患としての集中治療が望まれるが、頑固な妄想と病識の欠如により治療拒否の割合が高い。
しかしながら、NEETのみで精神保護法の強制入院にすることは困難であり、最終的には保護者や家人の個人的努力によって治療を進めざるをえないのが現状である。
そっちは声入りではなく音だけなのね。
http://anond.hatelabo.jp/20110929115839
まあ表示されてるトラックバックをまずコピペしちゃうんだけど、いちいち飛ばないといけないからやっっぱり手間は返信が実装されてるミニブログの数倍だね。
高校中退で保証人も身元の確認も要らず、最初は地獄の労働で、数年で月収1000万円稼げる。あちこちに借金して逃げた職場の同郷人がいるらしい、経営者なら肩代わりして収めるか告発せざるを得ないので、勤め人なんだろう。そんなマイケルジェイフォックスみたいな職業が実在するなら、ぜひ広く雇用を。
結局、分かりやすく言うならば、アスペルガーは「論理の帰結」を重視し、そして非アスペルガーは「論理の総体」を重視する、ということなのではないだろうか。このような、どちらかが間違っていてどちらかが正しい、とかそういうことがはっきり言えないような差を二者が有しているゆえに、二者の間において軋轢が生じるのではないだろうか。
で、ここで俺がもう一つ言っておきたいのが『部分の総和≠全体』ということなのだ。ここに、アスペルガーと非アスペルガーが上手くやっていけない原因があると思われる。
特に根拠はないがね。
けっこうおもしろいと思ったんだけどなぁ。
もちろんだ 墓前に供えるよ
海辺のカフカには、表題と同じ『海辺のカフカ』という曲が登場する。そしてそこにおいて語られるは、『とある世界から借りてきた二つのコード』である。コレに対して、ビル・エヴァンスが作曲した『ブルー・アンド・グリーン』は、ビル・エヴァンスがとある人物に二つのコードを提示され「この二つのコードをどう使う?」と吹っ掛けられたことがきっかけでできた曲だ。この二つの曲の間に共通点はあるのだろうか。
推移を見守りましょうw
このはてなにも、その他のニュースサイト、まとめサイトのほとんどに、幸福の科学出版のGoogleAdsenceが出ているんだけど。
異常なほどの広告数だ。
いったいいくら使っているんだろう?
姉が似たような感じかな。
昔からちょっと自分と違うかな?くらいに思ってたけど年を経るごとにズレてった。
元増田は兄妹で性別が違うから少しずつのズレがわかりにくかったかもしれない。
あの時、父さんがキレたその理由は、小学一年くらいだったかな、いつものようにお父さんと二人でお風呂に入った、背中を流し合って風呂に浸かり100数えて上がり、いつもカラスの行水だって言われてた。その日もおれは先に上がって風呂から出た、母さんは夕飯の片付け、おれは居間でテレビ番組に夢中。なにかの音が聞こえるなーって気に鳴り出した頃には、もう、その音がし始めてから、けっこうな時間が経っていたと思う
母さんが、なにか言ってる、おれはテレビに集中してたから、「なんか聞こえやしない~」、そういえば、なんか聞こえる、なんだろう?、遠くの方で、がっがっって、
その音は、お風呂の方からだった、母さんがおれに「見てきて」と言う、風呂場に着いたら、擦りガラスの向こうに、動くおおきな影、父さんが「開けろ~」というような大きな声怖々と言っている
うちの風呂は外から鍵がかけられるようになっている、おれは風呂から上がる時に、つい閉めてしまったみたいだ。小さな子供が水の溜まった危ない風呂場に間違って侵入しないように、外側に鍵がつけられていた、ごく普通の窓の鍵
すぐに急いで、おれは、その鍵を開けた、途端に父さんが、僕に乗りかかってきた、真剣に怒った顔と声、おれは恐怖に怯えた、悪さ、悪ふざけでやったんだと思われたからだと思う、その時の、力によって威圧を受けた思い出は、自分にとって初めてだったと思う
そして、すぐ遅れて母さんが来た、掴み罹られて押さえつけられる俺に母さんは、おれに聞いてくる、「なによ?どうしたの」、「わざとかい?わざとなんかやらないでしょ?どうなの?わざとやったの?」でも、僕はなんにも覚えていなかった、「閉めた」という記憶が無かった、だから「閉めてない」
「やった」とも「やってない」とも、なんとも言えなかった、謝る事よりも、どういう事でそうなったのかを、まず解ってからでなければ、謝る意味がない、という事も教わった
知らず知らずのうちにやってしまったんだろう、母さんは「わざとなんかやってないでしょ」と、おれは母さんの分析を聞きながら、そういえば何も考えずに鍵を閉めてしまったかもしれないのかなと思った
その頃、僕は鍵閉めを任命されていた、家族でどこかに出かける時は自分が家中の全ての鍵を端から、ちゃんと閉まっているかどうかを確かめる、全部、鍵を閉め終われば出発だ、全部で16ヶ所くらいの鍵がある、皆を待たせないように、急いで閉め回るから、一つの鍵を閉める瞬間には次の鍵に目が言っている、そんな体に染み付いた変な癖が、風呂場の鍵も無意識のうちに閉めちゃったんだと思う
父さんも、おれが悪さでやったんじゃないと解って、知って、その怒りを静めてくれた、原因というか、その理由を知って怒る必要がなくなったから
鍵をうっかり閉めるなんて事は普通は考えられないだろうから、父は自分が悪さでしたんだろうという予測を基に子供に対して怒るのは当然だ、もし悪さだったとしても、個々に許容範囲ってのの違いは、やっぱりあるから、怒られなければ解らない事もある
母さんは、その小学校に上がったばかりのおれが、普段やっている鍵当番の事のように、おれが癖で鍵を閉めてしまったんだろうと弁護をしてくれた
でも、もしかしたら・・・、閉じ込めようとする意志は無かったにせよ、その悪ふざけの真似事でふざけて閉めてみた鍵を、そのままにしてしまい、開けるのを忘れてしまったのかもしれない 次へ次へと目が行く子供、テレビは待ってくれない
ふと、そんなことを思い出した
@awaikumo