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諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

蝦夷(エミシ)の心と安東水軍。

2013年03月02日 11時50分17秒 | 戎夷(エミシ)

えー、これは東北の人も余り知っている方はいないと思うのですが、青森県や岩手県では割とと言うが、結構な割合で「津島姓」が多いんです。

作家の太宰治も本名は「津島姓」です。

 

その理由なんですが、今からもう700年以上も前の蒙古襲来の時の話です。

当時の安東水軍が蒙古襲来を知り、「これは対馬や壱岐の人々を助けねばなんね」って事で、わざわざ津軽から遠路はるばる援軍に行って、対馬や壱岐の人々を保護し、津軽まで連れて帰ってきたからなんですね。

つまり、その時、連れてこられた対馬の人達が「津島姓」のルーツです。

勿論、東北に割と多い「壱岐姓」も同じ理由ですね。

 

以前にも書いたのですが、昔の津軽は十三湊を中心に大変栄えた都市だったので、対馬や壱岐も対馬海流に乗って交流がありました。

そして昔のエミシは仲間同士で助け合う、良い意味での社会主義・共産主義的な民族でした。そして独裁者もいないので、同じエミシの間でも紛争が無かった。

 

その理由は期間を決めて、お互いの猟地を交換し合っていたからです。「今年はオイラたちは宮城県で、来年は福島県ね」ってな感じです。

 

これはアイヌ民族と同じ考えなのですが、「山のカムイ」、「川のカムイ」、「海のカムイ」等々、大自然は神であるとの考えからです。

彼らに神を所有する考えなんてありません。罰が当たります。

そして神からの贈り物も財産とする考えはなかった。

故に神の恵が少ない人たちには分け与える。困っている人は助ける。だから大和民族が侵攻する前までは民族間で争いは無かったんです。

 

まあ、世界的に見ても類まれな平和主義の民族だった訳です。平和的だったからこそ、大和民族に征服されたとも言えますね。

もっとも東北の奥地、つまり岩手の一部や青森までは侵略の手が及ばなかった様です。

 

さて、このエミシ達は一体誰なのか?

まあ多分、朝鮮半島から騎馬民族??が渡って来る前の、純粋な日ノ本の民族だったのは確かですね。

そして大震災を経験して強く思ったのですが、今の日本にも少しは、何とかエミシの心が残っていたのは、本当に幸いだったなぁーと思うのです。

これって、ホント、日本人の美徳ですね。

 

以上、昔話を書いちゃいましたが、今現在、蒙古襲来前夜の様な気がします。

好戦的な中国・韓国が「恨み晴らさでおくべきか」って感じで、また日ノ本を侵略しつつありますわね。

黙っていたら竹島どころか、対馬・壱岐、尖閣諸島、更には沖縄、ついでに日本全部奪われ、中国の属国になりそうな感じです。

歴史は繰り返すのかどうか、また大陸の血が強まるのかどすか、心配は尽きません。

 

でもアテルイを見れば分かりますが、エミシは4000人の兵力で、10万人の兵力を有する大和朝廷に勝ち続けてきました(平和的な考えの民族故、勝っていたのに戦いを放棄しましたが・・・)。

その団結力の底力は世界一だと実感します。

今こそ日本は、その団結力が必要な時だなぁーと、思う次第です。


ではでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (5)
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