続きです。
しかし、従兄の事故死の場合、疑問点もある。
従兄は測量士なのだが、クレーン車を操作していた。無免許でだ。そして農道の瘤にクレーン車を乗り上げ転倒。それで亡くなった。気が入っていない状態での事故死が半分自殺と言うのであれば納得は出来る。
だが、同じ場所で焼身自殺した者と側の木で首吊り自殺した者がいるのだ。
そんな場所で事故死した。それでも半分自殺と言うのか。
私はその疑問を先生に投げ付けた。先生は「引っ張られたんだね」と一言。
そして私に「どんなに疲れても、疲れたと言ってはダメだよ。しんどいと言うべきだよ」。「疲れたは憑かれた。引っ張られてしまうよ」。
言霊か。確かにその通りだ。
私は近年、疲れたが口癖になっていた。その口癖が鬱病に起因しているのは間違いないな。これからは「しんどい」と言う様にしよう。
だが、私の父方の祖父の事故死の場合はどうなのか。祖父は列車事故で片足を失い病院に担ぎ込まれ、違う血液を輸血されて死亡した。こう言う場合、半分は自殺なのだろうか。
その旨を先生に聞いた。
先生は「事故に事故が続いたんだね」と一言。それ以外は何も言わなかった。
最初の列車事故は半分自殺と言えるかも知れない。しかし後の医療事故は半分自殺とは言えない。半分殺人になるのではないか。
この件については流石の先生も黙ってしまった。私の家系は呆れるくらいの人殺しの家系と言う事なのだろうな。
ちょっとシンミリしたところで先生は言った。「今日、この相談会に来たと言う事は、心の大幅な進歩だよ。今直ぐにとは言わないが必ず治るよ」。
更に「亡くなった従兄さんがこの場に連れて来たのだよ。治って欲しくて」と。
この先生、スピリチュアルにも対応しているとは思わなかったが、私の人生、不思議な負の奇跡が頻繁に起きる。スピリチュアルでしか解決しない事が多い。そう思う事にしよう。
薬の事も聞いた。私は糖尿病で通院しているクリニックで睡眠薬と10粒のデパスを貰っている。デパスを飲んでも良いものかと。
先生は「薬は防御。心が辛ければ防御すべき。でも、防御の必要もないのに薬は飲まない方が良い。防御していないと心配になって常習したくなる。軽い気持ちで毎日飲んでも良いと言う病院もあるが、そう言う先生は信じない方が良いよ」と。
その通りだ。私もそう思う。狂人になった従業員のTさんは、某学会の宗教活動にのめり込んで全ての財産を奉納した。それで家族は離れた。心を病んだ。その辛さから薬を常習し、薬に飲み込まれた。
防御は必要な時だけで良い。毎日防御ばかりしていると何も行動が出来ない。薬は臨機応変に飲むべきだ。全て薬に頼ってはダメなのだ。改めてその事に確信を持った。
有意義だった。この先生、中々の手練れだ。私を助けるのにやりがいを感じている。喜びを感じている。仙台にも良い人はいるんだな。
気が楽になった。相談会に来て良かった。
毎年、4回だけ開かれているが、また心がしんどくなったら元気を貰いに来よう。今日は本当に有意義だった。
ではでは。